Who you ganna call? Wildfire fighters!!
野火という言葉をご存じだろうか。英語でワイルドファイアー。鬼火とも呼ばれ、ライターや火打石もないのに、ひとりでに火の手が上がる。空中に火の玉が飛んだりもする。気づいたころには町を飲み込むほどの大火となったのに、その出火原因を誰ひとりとして知らないと言ったようなものだ。この国での火災件数は例年、年間5万件前後を推移している。そのうち出火原因の不明なものが決まって4割程度はあるという。
ざっくり言ってしまえば火事が3件あった場合、そのうち1件は原因が分からないままに消し止められるか、あるいは燃え尽きてしまうというわけだ。この類の火事は怪火と呼ばれ、しばしば霊的なたたりなどの関連性が挙げられることもある。もっとも、科学的な証拠を重んじる捜査班はそんなものでは納得してくれない。だが、認められなくても存在するのは事実だ。その証拠が彼女、才華だ。彼女は、どこかの家が燃えているという夢をよく見ることがある。その夢をもとにして、景色や家の様子などから場所を特定する。すると程なくして、その家または周囲で火事が発生するのだ。
「どうだ? 彼女の予想の解析は? 夢野教授」
そんな彼女を仕事の道具として使うのは、少し人道的によくないと考えるかもしれないが、彼女の中では、「自分が見てしまうどうしようもない悪夢が誰かの役に立つなら」とこの仕事を引き受けてくれたということだ。そうして生まれたのが、怪火対策課本部、人呼んでワイルドファイアファイターズ(WFF)と呼ばれるこの組織だ。心臓として働く才華と、それをサポートする4人で構成され、5人という少人数ながらも細々と運営されている。
「ああ、順調だよ、鷺沼教授」
才華の夢の内容を解析する4人というのが、何とも奇妙な組み合わせだ。
まずはこのWFFの統括を務めているのが、少し頭が禿げ上がってはいるがこじゃれた格好をしたちょび髭の中年の男性、鷺沼。
そして、才華の夢の映像をコンピュータ上で解析しているのが夢野という男。こちらも初老と、組織の平均年齢を高くさせている要因だ。
さらにもうひとり、初老の男がいる。分厚い物理学の学術書を陰険そうな片眼鏡をかけて読んでいる堅井という男だ。彼の机にはシーソーやリフトなどの仕掛けとレールが組み合わされた奇妙な装置があり、ボールになったカプセルがその装置の中を転がっていく。それが分厚い物理学の学術書を読みあさっている彼の机の上までたどり着く。すると彼は、そのカプセルを開けて、中に入った紙を読み上げる。その紙には、才華の夢の解析から割り出された場所が書いてあるのだ。この回りくどい過程を得て火災の予知夢の場所が特定される。
もっともお察しの通り、解析結果のかかれた紙をボール状のカプセルにご丁寧に入れて、わざわざピタゴラスイッチまがいの装置に通す必要性は全くない。そして、物理学は火災の予知夢とは無関係で、彼が読み上げる工程も全く以って必要なものではない。おまけに彼が読み上げたその場所への交通手段を調べたり、その場所までの運転をするのはまた別の人物である。
「その家でしたら、このWFF本部を出てものの30分で着きますよ」
唯一丁寧語で話す彼の名は、臙脂。初老の男性が目立つ中、彼だけは比較的若く、他の男が小太りなのに対して、がっちりとした筋肉質な身体をしている。このどう考えても無駄の多い体勢で出動先が決まり、出かける支度をする。
「おい、道具は持ったか」
鷺沼が尋ねると、臙脂がはいと答える。道具はスーパーマーケットの店名が刻印されたプラスチック製のかごで、買い物ついでにかっぱらってきたのがまるわかりだ。その籠の中には道具と称されるものが一式入っているが、これまた使い古しのスーパーのビニール袋に包まれており、何が何だかわからないが庶民クサく、仕事道具の香りは一切ない。平均年齢の高い集団がそんな安っぽい道具を携えると、いよいよ胡散臭い。
「で、場所はわかったの?」
胡散臭い空気の中に爽やかな女性の声が響く。才華が起きてきたらしい。平均年齢の高いこの職場は若い女性には至極退屈であろうが、彼女は文句ひとつ言うことなく男たちの世話を焼いていた。朝食も食べずに出かけようとしていた男たちを寝間着姿のままで差し止め、さっと洗面所で顔を洗うと、脱ぎ散らかした作業着や学術書が散乱する部屋の中でひときわ片付いている台所で朝食の支度を始めた。
「場所は近いんだ。朝飯より仕事だ」
「はいはい、そう言わずにさ」
まるで新妻のように嬉々としながらまな板の上でとんとんとネギを刻んでいく。包丁さばきは手慣れたもので、すでに鍋にお湯を沸かしながらフライパンを暖めているところ、かなり手際もいい。
「お腹が減った状態じゃ仕事に身が入らないでしょ」
「毎度毎度いいのか? ここには君が見た夢のデータがあればそれでいいんだ
なにもこんなところで世話を焼かなくてもいいんだぞ」
「いいんです。あなたがたは、この私に居場所を与えてくれたのですから」
少しは自分の時間を持つようにと鷺沼が才華を諭そうとするが、いつものごとくそう返される。幼いころから火事の夢を見ていた彼女は、夢の話をする度に気味悪がられてしまう、口数が少なくなってしまったのだという。やがて火事が起こると決まって彼女に罪が擦り付けられ、悪魔だ悪魔だと陰口をたたかれた。次第に親までもが気味悪がって彼女に近寄らなくなり、7年前、彼女が14歳のときに両親側が家出する形で捨てられてしまったのだという。だが、当の本人はそんな陰鬱な過去を感じさせないくらいの明るく気さくな人物だ。
卵の殻をステンレス製の調理台に打ち付けて油を塗って熱したフライパンの上に割る。じゅうと食欲をそそる音が鳴り、熱せられた卵から発せられるタンパク質独特の匂い。手前で朝食を断ってはいたが、ここまで来れば腹が鳴るのを抑えることなどできない。塩コショウを軽くまぶしたのち、目玉焼きの上面に熱を通すためにフライパンにふたをかぶせる。とそこまで、朝食の支度があと一歩というところでインターホンが押し鳴らされた。
「あ、はーい」
誰が返事するよりも早く、才華がフライパンの火を消して応対に出る。廊下との区切りのないマットレスを敷いただけの玄関の扉を開けるとべろべろに酔っぱらった太った男が現れた。
「あ、う…おはようございます」
この酒の匂いをぷんぷんとまき散らす不快な来客に、才華は一瞬鼻をつまんで不機嫌な応対を取る。なんでもこの酔っぱらいは、その身なりからはとても想像もつかないが、弁護士だという。弁護士どころかお世辞で言って空き缶を集めている浮浪者と言ったところだ。
「あ、あの~しゃぎ師で…うっちゃえられかけてい鷺沼さんいませんぐぁ…」
全くろれつが回っていないが、鷺沼という名前だけは聞き取れた。すると、その当の本人である鷺沼が血相を変えて玄関に走り、才華と男の間に割って入る。それまでの落ち着き払った様子とは人が変わったように慌てており、じんわりと冷や汗まで噴き出している。その様子を怪訝な顔で目を細めながら耳を澄ますとどうも不穏な内容が聞こえてきた。
「あ、あ~あで、あでですよね。あどぉ、しゃぎ…詐欺師で
あ、詐欺って言っちゃダメんだんだ、ペテン師の鷺沼さん」
「いや、意味一緒だから…、ちょっととりあえず、そんな酔ってちゃ
裁判の話できないから、ね…」
「ねぇ~でも、大変でふよね。研究費とれなきゅて
はんじゃいで食いつなぐなんてね~、だいじょーぶでーじょーぶ。
じぇえったい、むじゃいにちましゅからぁ~」
「いいからいいいから、とにかく帰って出直してきて」
邪険に酔っ払いを部屋の外に追い出すと、鷺沼は背後に痛い視線を感じたが、それを髪の分け目を直すことで取り繕ってみせる。
「は、ははは。受信料の請求はしつこいね」
「嘘つけぇえええっ!」
もちろんそんな言い訳が通用するわけもない。自分に居場所を提供してくれた恩人が詐欺師などと訴えられている。それは、才華にとっては最大の裏切りであった。そこで彼女は、今までずっと聞いたことのない鷺沼の仕事の詳細に迫ることにした。
「…いいか、落ち着いて聞いてくれ…まずだ。
君が夢に見る火事は何か霊的な要因が関わっているんだ。
そこで、現地に出向いてこのファブ…聖水をまいて浄化するんだ」
「今、ファブリーズって言いかけたよね?」
「それで、そこの家の人には、呼び出した手間賃として5000円を頂戴し、
除霊のための聖水を7000円、そして…この霊のいなくなる10万円の壺を
進めるんだ。この壺は他の人に勧めて、その人が購入すると
ひとりあたり1万円が購入者にキャッシュバックするシステムで…。
この効率的なシステムによって、この国全土を霊的な火事のない国に」
「純然たる詐欺行為だろうがぁあっ!!」
先程出来上がったばかりの目玉焼きを鷺沼の顔に向かって投げつける。鷺沼の禿げ上がった額の上で半熟の黄身が破けて中身がだらりと垂れて、彼の左頬を黄色く濡らす。先ほどまでとは一変して修羅場と化した職場に他の3人も思わず口をあんぐりとしている。
「お、落ち着くんだ才華くん。ドーパミンの出すぎは身体によくない」
夢野教授が脳科学者らしい言葉で才華を諭す。先ほどの酔っ払いの弁護士も言っていたように、このワイルドファイアファイターズはもともと研究費が取れなくて解体してしまった研究室の成れの果てなのだ。鷺沼は、心理学から派生して犯罪心理学や宗教心理学、果ては人間科学全般に精通している男。夢野教授は脳科学者で、とくに睡眠中の生物が見る夢を研究対象としていた。そして堅井は、物理学の研究者でありながらなぜかオカルトに精通しており、心霊物理学という奇書を出版し、一時期話題になった。
「し、仕方なかったんだ。霊的な事情が絡んでいると言っても
我々はそれを解決する手立てがない」
才華の予知夢に全く以って自分の趣味の範囲のピタゴラ装置を挟むだけの仕事しかしていない堅井は、心霊物理学という奇書を出していながら早々とさじを投げてしまっている。心霊物理学とは言っても、怪奇現象を物理現象で記述しようとするとどうなるかという空想科学読本のようなもので、神隠しをトンネル効果としてとらえたときの確率の算出など、その内容を除霊に適用させることはまず不可能だ。そして、彼らの詐欺行為の極め付けが唯一、研究者関連の出自ではない臙脂の役割だ。
「最終的には立ち退きをしてもらうかぐらいしかいい方法がない。
でもそれが成功した事例はないんです。ですからそのときは、私が
幽霊が見える人を演じて、相手に信じ込ませるんです」
「彼の演技は素晴らしいよ。俳優もこなしていた心霊番組の脚本家だ。
他人に霊がいると信じ込ませる演技は一級品。
おかげでこのダイ〇…有田焼の壺がよく売れるんだ」
「ダイ〇ーで買ったの?! ダイ〇ーの壺10万で売ってたの?」
「大丈夫だ。私も100円の壺を10万では売っていない。
ちゃんと300円の商品を売っている」
「いや、確かに100円じゃない商品あるけどそれはどーでもいい!」
自分の予知夢が、列記とした犯罪行為に使われているという事実に、もはや怒りを通り越して落胆のため息しか出てこない。才華はそのまま乱暴に、半ば扉をけ破る様な形で部屋から出て行ってしまった。あとには作りかけの朝食と胡散臭いペテン師集団が残るばかりとなってしまった。
「…よし、とりあえず朝食にしよう」