第20話 私の香りで歩いていく
北辺の春は短い。だからこそ、花が咲く朝は驚くほど鮮やかだ。
蒸留所の再開からひと月後、私たちは新しい香りを市場へ出した。名前は『自由の朝』。白百合の透明さに、野薔薇と若い杉の青さを重ねた、北辺の春そのものみたいな香りだ。
市場には宿屋の主人も、兵士も、旅商人も集まっていた。以前は王都向けの出荷だけを見ていた蒸留所が、今はこの土地の暮らしそのものとつながっている。
「主任、完売です!」
若い工女の声に、皆が笑った。
私は帳場の前で注文票をまとめながら、ふと足元に影が差したのに気づく。見上げれば、レオンハルトが立っている。手には相変わらず、朝摘みの花。
「今日の分だ」
「毎日欠かしませんね」
「約束した」
受け取った花から、冷たい風と土の匂いがした。もうそれだけで帰る場所を思い出せる。
市場の奥では、北辺の子どもたちではなく大人たちが、新作の香りを試して笑っている。ここにある営みは全部、きちんと今を生きる大人の手で回っている。その中に私の仕事も、居場所もある。
「行こう」
レオンハルトが手を差し出す。
私は迷わずその手を取った。
王都で押し込められていた頃は、誰かに選ばれる香りばかり作っていた。
でもこれからは違う。
私は私の記録で、私の手で、私の香りを作って歩いていく。
朝の北辺に、新しい白百合が静かに香っていた。




