262. 第四側室(2)
*
「ああ……」
「はあーっ……」
メルファルーデはロゼロッテと2人肩を並べて、大きな溜息を吐く。
熱い湯の中に身を浸すと緊張が解けて、殆ど無意識の内にそうなるのだ。
ここは―――神域都市『蓬莱』にある、温泉施設の浴場内。
と言っても、大衆向けに安価で提供されている共同浴場ではない。ユリ陛下と関係が深い者しか利用することが許されていない、特別浴場の方だ。
正直、メルファルーデが利用して良い場所には思えないのだけれど。ロゼロッテが『絶対に大丈夫』だと言ってくれたので、こちらの浴場を利用している。
共同浴場に較べると特別浴場はあまり広くないらしいのだけれど、それでもメルファルーデの感覚からすると、充分な広さがあるように思える。
それに一般の客が全くおらず、現在はメルファルーデとロゼロッテの2人だけで貸し切り同然の状態になっていることもあって。正直、無駄に広さを持て余しているような感じがした。
「お風呂って良いわよねえ……。百合帝国に来てから初めて体験したのだけれど、もう冷たい水での沐浴には戻れない気がするわ」
「ハイエルフの集落では、お風呂の文化は無かったのですか?」
「少なくとも私達の集落では無かったわね。汚れは湖で落とすもの―――と、誰に言われるまでもなく、それが常識だと思っていたから」
今にして思えば、勿体ないことだったと思う。
ハイエルフは低ランクの精霊魔法で良ければ、個人が得た天職に拘わらず、誰でも全ての属性のものを扱うことができる。
だから空の桶を水で満たしたり、それに熱を加えてお湯へと変えたり―――そうした程度のことなら、集落住民の全員が行えるのだ。
だから人が入れるサイズの大きい桶さえ用意していれば、風呂文化を楽しむのは簡単だった筈だ。
にも拘わらず―――身体の汚れを落としたい時は湖に入るもの、だという先入観を持っていたが為に、湯に身体を浸すなんて考えたことも無かった。
「熱いお湯の方が、癒し効果が高いのよね。疲れが癒えていく感じがするわ……」
「判ります。疲労がお湯に溶けていく感じがするんですよね」
「ああ、なるほど。その言い方は上手いわねー……」
ロゼロッテの言葉に、メルファルーデは感心する。
疲労が湯に溶けていく―――その表現は、実際の体感にかなり近いものだ。
「まあ、旦那様が言っていた言葉の受け売りなのですが」
「そうなんだ? ……ねえ、少し訊かせて欲しいのだけれど。側室のロゼロッテから見て、ユリ陛下って一体どういう人なのかしら?」
「旦那様ですか? そうですね、とてもお優しい方でしょうか」
「優しい……?」
その言葉が俄には信じられず、メルファルーデは戸惑う。
ハイエルフの集落で対峙した時に見たユリ陛下の酷薄な表情を、メルファルーデは明確に覚えていた。
あれは―――目の前に居る相手の命の価値を、僅かにさえ認知していない目だ。
集落に居たハイエルフの全員を根こそぎ殺し尽くしたとしても、おそらく心中に何の感慨も抱かないだろう、完全な『無関心』がユリ陛下の瞳にはあった。
その目を覚えているだけに……どうしても、ロゼロッテが言う『優しい』というイメージとユリ陛下とが、メルファルーデの中では結びつかない。
「……旦那様は、優しくする相手をしっかり区別なさるだけですよ」
「区別?」
「はい。優しくすべき『味方』と、優しさを向けない『敵』。旦那様はそれを明確に区別されますから―――きっとメルファルーデさんが旦那様と戦われた時には、とても冷たい視線を向けられたのでしょうね」
「な、なるほど……?」
確かにロゼロッテの言う通り、メルファルーデはユリ陛下と、『敵』の立場から相対したことしか無い。
敵の命など、塵芥ほどにも気に掛けない人物であるように見えたけれど。
立場が変われば―――あの瞳の種類も、優しいものへと変わるのだろうか。
「ところで、結局4軒ものお店を梯子することになりましたが。『蓬莱』の甘味はいかがでしたでしょう? ご満足頂けましたか?」
「ええ、それはもう大満足よ! おまんじゅうも鯛焼きも、最中も善哉も、どれも完璧な美味しさだったわ! こんなに贅沢な時間を過ごしたのは初めてよ!」
「ふふ、お気に召して頂けたなら何よりです。……見事に『餡子』にハマって頂けたみたいで、こちらこそ嬉しくなってしまいます」
「あれって、原料は明らかに豆よね? 私、豆を食べて、こんなに幸せな気持ちになることがあるなんて知らなかったわ……」
最初に鯛焼きを食べて、中に入っている餡子の美味しさに衝撃を受けてからは、気付いたら餡子が使われている甘味ばかりを選んで食べていた気がする。
最終的には、削った氷の上に餡子を乗せたものまで食べたけれど―――そんな奇妙な菓子でさえ、信じられない程に美味しかった。
昨日と一昨日の2日間『迷宮地』に籠って稼いだお金を、今日1日で結構使ってしまったけれど、後悔は全くしていない。
むしろ―――また後日、気兼ねなく甘味を味わうためにも。また『迷宮地』の中で精力的に沢山の魔物を狩ろうという意志が、一層強まった気がする。
「甘い物は太りやすいですから、食べ過ぎには気をつけて下さいね?」
「……そのぶん身体を動かすから、大丈夫よ。うん」
魔物を精力的に狩れば、それは良い運動にもなる筈だ。
甘い物を沢山食べるために、運動とお金稼ぎを兼ねて『迷宮地』へと繰り出す。
これはこれで、なかなか素敵な循環では無いだろうか。
というか―――探索者として精力的に活動する人の中には、実際メルファルーデと全く同じ考えを持っている人が、少なくないような気がした。
おそらく『蓬莱』の甘い物は女性だけでなく、男性をも容易く虜にする。
筋骨隆々のむくつけき男性が、甘い物を味わうために『迷宮地』に日がな通っている―――なんてことも、普通に有り得そうな話だ。
「ふふ。それに今日も、このあとは『運動』が待っていますしね?」
「ああ……。やっぱりその……今日も、するの?」
一昨昨日はエシュトアに、一昨日はソフィアに、そして昨日はリゼリアに。
流石にこう毎晩もされていれば、今夜またロゼロッテから抱かれるだろうことは容易に想像が付いた。
「はい。というか―――私達相手に少しでも慣れておくべきです」
「………? どういう意味?」
「旦那様の寵愛は、本当に激しいですから……」
湯にのぼせたかのように、顔を赤らめながらそう告げるロゼロッテ。
メルファルーデは彼女達とは違い、『側室』という務めがあるわけではないが。それでも身柄の所有権がユリ陛下にある以上、ベッドでの奉仕を求められることは普通に有り得る話だ。
だとするなら……主人に好ましく思われる為の努力は、するべきだろう。
「……わ、判ったわ。慣れておこうと思うから、練習に付き合って頂戴」
「はい。あまり優しくしませんが、恨まないで下さいね?」
―――その日の夜。
宣言通り、ロゼロッテはあまり優しくしてはくれなかったけれど。
その分―――良い『運動』になったのもまた、間違いの無い事実ではあった。
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