229. 騎士の忠節
[5]
実は前回の使者が帰国する際に、ユリは騎士の集団に姿を消した1体のシルフを追従させることで、アネカ共和国に自身の使役獣を送り込んでいた。
その使役獣に『転移ポイント』を登録させたので、現在ユリはアネカ共和国へ、いつでも転移することが可能となっている。
だからイロリナが帰国する際には、彼女と護衛騎士を含めた一団を、国まで送り届けようと思っていたのだけれど―――。ユリの予想に反して、イロリナはユリが認めたフルール総督への親書を預かっても、帰国することは無かった。
どうやらイロリナは今回の使者役を全うした後、見聞を広める目的で10日ほど百合帝国に滞在する予定らしい。
いつの間にか護衛騎士の人数は20人から10人へと半減している辺り、ユリが用意した親書は、騎士達の半数に持ち帰らせたようだ。
滞在するならするで、せめて国賓としてユリタニア宮殿に泊まって欲しいと、ユリは求めたのだけれど。イロリナは「この国の市井を近くで見て回りたいのです」と言って、この申し出を固辞してみせた。
仕方がないので、せめて『転移門』を利用してユリタニアとユリシス、ユリーカと蓬莱の都市だけに限り、護衛の人達と共に自由に移動できるパスを発行した。
これがあれば移動に時間が掛からなくなるので、各都市の視察をスムーズに行うことが可能だろう。
また4都市だけしか移動できないパスを渡すというのは、逆に言えばこの4都市以外にはイロリナに行かせたくないということでもある。
他の都市は治安状態が『完璧』ではないからだ。
もちろん一般的な都市に較べれば、遙かに優れた治安水準を保っている自信はあるけれど。それでも、絶対に安全と胸を張って言える程ではない。
無論、イロリナには密かに、護衛として使役獣のグレーター・レイスを6体ほど同行させてもいるけれど。それはそれとして、安全が保障できない場所には、最初から足を運んで欲しくは無いというのが本音だった。
―――なんて事をユリが思っていたら。
イロリナは百合帝国へ滞在を始めた初日こそ『転移門』を利用して4都市全てを巡っていた様子だけれど。その翌日には、まるで他の都市への関心を一切失ったかのように、宿を確保したユリシスの都市から全く移動しなくなっていた。
護衛を任せているグレーター・レイスを1体だけ呼び戻して話を聞いてみると、その原因はすぐに判明する。
どうやら彼女は『迷宮地』に挑む探索者の様子を『放送』で視聴し、一目で心を奪われたらしい。
そのせいで今は宿の部屋に籠ったまま一歩も出ず、ひたすら様々な探索者が『迷宮地』を探索する光景を、護衛の騎士達と共に視聴しながら応援しているそうだ。
(……まあ、安全な所に居てくれるなら、結構なことよね)
ユリシスの都市は【救命結界】で保護されているため、そこに留まってくれている限り、イロリナの身に危険が及ぶことは絶対に有り得ない。
「市井を近くで見て回りたい」と言っていた言葉はどこにいったのかと、多少は思うところもあるけれど。何にせよ、百合帝国の文化の一端を気に入ってくれたのであれば、それはそれで良いことだろう。
翌日、ユリタニア王宮にひとりの来客があった。
ゴトスという名前の騎士だ。幸いまだ名前を覚えていたので、それが誰なのかがユリにはすぐに判った。
『謁見の間』で面会すべきか迷ったが、イロリナを伴っていない以上、それほど堅苦しく対応する必要は無いだろう。
そう考えたユリは、ゴトスを応接室に通して相対する。
「アネカ共和国からの最初の親書を、私に届けてくれた騎士ですね」
「左様で御座います、その節はお世話になりました。また現在もイロリナ様共々、我等は百合帝国に滞在させて頂いております」
「こちらでの生活に不足はないかしら?」
「全く問題在りません。それどころか―――宿の設備、都市の構造、市井の文化や社会環境といった、この国で知ることができる様々なものは、どれひとつとっても我が国の及ぶ所ではありません。いつか目指すべき未来を見せられているようで、感嘆ばかりの日々を過ごしております」
「賞賛の言葉は嬉しいけれど、あまり自国を謙るものではないわね。
それで―――使者の主役であるイロリナを伴わずに、騎士の方だけで私に面会に来るなんて、何かあったのかしら?」
ゴトスが訪ねてきた用向きには、概ね想像が付いていたけれど。敢えて何も判らない振りをしながら、ユリはそう問いかける。
少し困ったような表情をしながら、ゴトスは言葉を吐き出した。
「実は、その……。イロリナ様が貴国の『迷宮地』に興味を持たれまして」
「『迷宮地』に? ああ―――もしかして『放送』を視聴されたのかしら」
「はい。イロリナ様は『迷宮地』へ果敢に挑戦する探索者の『放送』を一目見て、その虜になられた様子でして。とうとう今朝には、実際にご自身でも『迷宮地』へ挑んでみたいと望まれるようになってしまわれまして」
「あら、魔物と戦うことを恐れないなんて、勇敢なことね。もしかしてイロリナは武芸か何かも修めているのかしら?」
「槍と弓を訓練されておられます。特に弓の技倆は〈射手〉の天職を得てから大変に伸びも良く、既に弓士隊の兵と較べても遜色ない腕に達しておられますね」
「あの若さで? それは凄いわね」
弓は体格が小柄な年齢から扱うには、やや難しい武器だと言える。
にも拘わらず、騎士の口から『弓士隊に遜色ない』との評価が出るぐらいなら、それはイロリナに相当の才能があると見て良いだろう。
「イロリナが『迷宮地』へ挑みたいと言うのであれば、行かせてあげれば良いのでは無いかしら? 『迷宮地』に入るには探索者ギルドへの登録が必須だけれど、これは他国からの旅客でも行うことが出来る筈よ」
「はい、そちらは探索者ギルドで確認させて頂き、実際にイロリナ様と一緒に騎士全員も探索者として、登録手続き自体は済ませたのですが。
その―――『迷宮地』の中では、魔物に殺されても『絶対に死ぬことが無い』という話は、本当なのでしょうか? 探索者ギルドの職員から話は伺ったのですが、どうも俄には信じ難いものがありまして……」
「ああ、それはそうでしょうね……」
『殺されても死なない場所』なのだ、と。そう言葉で説明されたからといって、あっさり信じる人のほうが珍しいだろう。
ギルド職員の言葉を疑うゴトスの気持ちは、理解出来るものだ。
「そうね、まず少し誤解があるようだから、説明しておくけれど。実際には『迷宮地』の中だけに限らず、ユリシスの都市内の全域で『人が死ぬことが出来ない』ようになっているわ。都市全体を【救命結界】という魔法で包み込むことで、それを実現しているのだけれど―――。
そう説明されたところで、きっと信じるのは難しいわよね?」
「む……。そう、ですね……ユリ陛下への無礼を承知で申し上げますなら、やはり言葉で説明されても信じ難いものはあります」
『殺されれば死ぬ』のが当たり前なのだから、『殺されても死なない』という説明をされた所で、それは絶対に『常識の埒外』のことになる。
人間、自分の常識が及ばないことは、どんなに言葉で説明を尽くされたところで理解するのは難しいものだ。
―――だったら、実際に体験して貰う他にはない。
「ところでゴトスは、イロリナの為になら命を賭せるものかしら?」
「無論です。騎士として、国のためにいつでも命を張れる覚悟があります」
「そう。では、あなたひとりで『迷宮地』へと挑み、見事に死んでみなさい」
「………………は?」
ユリの言葉を受けて、ゴトスが驚きに目を見開く。
まあ、当然の反応だろう。
「少し待って頂戴ね」
〈インベントリ〉から筆記具と【翻訳】魔法を籠めた魔導具の用紙を取り出し、ユリはさらさらと文章を記していく。
書面仕事は日本で暮らしていた時からずっとやっているから、慣れたものだ。
未だにこの世界の共通語は判らず、日本語でしか文章を書くことは出来ないのだけれど。それも予め【翻訳】が施された用紙を使えば問題は無い。
書き終えた文書を、ユリはゴトスに手渡す。
「差し上げるわ。騎士ひとりの命に劣らない対価だと思うけれど?」
「これは……」
書かれた内容を読み、ゴトスが忽ち瞠目する。
書面には、本日『春月18日』中にゴトスが命を落とし、帰らぬ人となった場合には、百合帝国はその詫びとして『向こう1年の間ハラキオとサイオンの都市へ、住民の腹を満たすのに充分な量の新鮮な食料を無償供与する』旨を記してある。
「その文書をイロリナか、または同僚の騎士などに預けた上で『迷宮地』へ行き、実際に魔物に殺されて命を落としてみると良いでしょう。
殺されて尚あなたの命が失われなければ、それは【救命結界】の効果を信用するための充分な判断材料になるわよね? あるいは、私がゴトスに嘘を吐いており、もしあなたの命が『迷宮地』にて失われた場合には、その書面により百合帝国にはアネカ共和国へ向こう1年間の食糧支援を行う義務が生じる。充分な国の利益になるでしょうから、騎士として命を張る価値があると思わない?」
「なんと……。ここまでして頂けるとは、思ってもみませんでした」
「私はアネカ共和国との共栄を望む国主として、出来る限りのことはするわ。次はゴトスが騎士として、国のために命を捧げられるその覚悟を示す番ね。
ああ―――もちろん臆病風に吹かれたなら、やめても良いのよ?」
ユリがそう告げて挑発的に笑むと、ゴトスもまた僅かに微笑んでみせた。
「アネカ共和国の騎士の忠節、是非とも百合帝国の女帝殿にご覧頂きたい」
「結構。しかと見届けてあげましょう」
「それでは、失礼させて頂きます。1度の生死だけでは確実性を判断できかねますので、この書面に許される本日中に、何度でも試行を繰り返してみなければ」
ゴトスはそう告げて、ユリタニア宮殿を後にする。
その彼の背中に、ユリはひっそりシルフを1体同行させるのを忘れない。
―――結論から言えば、ゴトスはその日、単身にて12度『迷宮地』へと挑み、そして12度に渡って魔物に『殺される』体験を繰り返したようだ。
もちろん彼の命は【救命結界】によって護られるわけだけれど。それでも、死の瞬間に体感する痛みや恐怖まで【救命結界】は取り去ってくれるわけではない。
「……見事ね」
翌日、帰還したシルフから報告を受けて、ユリは静かに感嘆した。
流石に2桁回数に渡って、死を繰り返す程の覚悟とは思っていなかったからだ。
イロリナは、良き騎士に恵まれているらしい。
ちなみにシルフの報告によると、ユリが渡した書面は今朝になって、ゴトス本人の手で焼却処分されたそうだ。
どうやら彼は人格的にも、良く出来た人物であるようだ。
-
お読み下さりありがとうございました。




