192. 女帝と皇帝(後)
「……我が君、もうよろしいですよね?」
急速に緊張感を帯び始めた場に、冷ややかでよく通る声が響く。
リンドヴルムが発したものだ。彼女が問いかけた言葉に、ユリは頷いて応えた。
「ええ。相手の意志は確認できたから、結構よ。但し『放送』しているのだから、流血沙汰とか死人を出すとか、視聴者の気分が悪くなることはしないで頂戴」
「承知致しました。では―――」
リンドヴルムが水平に切るように、右手を振り払う仕草をする。
すると、そのひとつの所作だけで、ユリとリンドヴルムを除いた謁見の間に居る全ての人達―――騎士も貴族も、文官も侍女も、そしてルドウィン皇帝までもが。室内に吹き荒れた猛烈な氷気により、一瞬の内に身体の下半分を凍らされた。
「なっ……!?」
「なんだ、脚が動かんぞ!?」
急に下半身全てが凍てつき、全く動かせなくなった事実に。貴族や騎士の人達が混乱の怒号を上げて、それまで静かだった謁見の間が俄に騒がしくなる。
けれどその喧騒も長くは続かない。広い謁見の間の室温が急速に低下していき、真冬の屋外よりなお肌寒く感じられる程にまで達すると。流石に『場を支配されている』事実から目を背けられなくなったのか、室内の誰もが自然と口を閉ざした。
「な、なるほどな……。女帝がひとりで護衛も伴わず、なぜ無防備に我が帝城まで乗り込んで来たのかと、訝しく思っていたが。その蒼髪の貴婦人がいれば、他に護衛は要らぬというわけか……」
身体の腰から下半分を、玉座ごと纏めて凍らされたルドウィン皇帝が。これまでの余裕綽々の喋り方から一転して、僅かに狼狽した様子を見せながら、そう感嘆の声を上げた。
「別にリンドヴルムを護衛として連れてきたつもりは無いのだけれど……。まあ、リンドヴルムは『氷を支配する竜』だからね。この程度なら容易にできるわ」
「氷を支配する竜、だと……?」
「ええ、私がヴォルミシア帝国まで乗ってきた『氷竜』が彼女よ。この帝城の露台から、ルドウィン皇帝もその姿を見ていたでしょう?」
「確かに竜の姿は見たが―――。あれは幻術であろう」
「は?」
「竜は『災厄』であり人に御せるものではない。故に竜の姿を幻術にて映し出し、他者への脅しに使うというのは、古来よりよくある交渉方法のひとつだ」
「ふうん……」
この世界に於いて、竜が魔物の枠を超えて『災厄』の一種だと理解されていることについては、ユリもルベッタやアドスから教わって既に知っている。
なればこそ、絶対的な力を持つ竜の姿を視認している筈のヴォルミシア帝国が、最初から随分と好戦的な態度を示していることが、少なからずユリには気になっていたのだけれど。
何と言うことはない。彼らは、ユリが乗ってきた竜が『現実のものではない』と都合よく解釈し、その脅威を初めから考慮していなかっただけらしい。
「リンドヴルム」
「はい」
「あなたの威容を、ヴォルミシア帝国の人達に示してあげなさい」
「……よろしいのですか? 見晴らしが良くなってしまいますが」
「ええ、構わないわ」
「承知致しました」
ユリの要請を受けてリンドヴルムが人化を解き、本来の竜の姿へと戻る。
謁見の間はかなりの広さがあるけれど、それでも立派な巨体を持つリンドヴルムが収まるには狭すぎる空間だ。
リンドヴルムが竜の姿へと戻る過程で、城壁や床、天井といった至る所が大きく破壊されていき。謁見の間は、まだ中天近くにある太陽さえ望めるほど、短時間の内に随分と『見晴らしが良い』場所へと様変わりした。
「よ、余の城が……!」
ルドウィン皇帝から苦悶にも似た抗議の声が上がるが、ユリもリンドヴルムも、僅かにさえ気に留めることはない。
「―――************!!」
人化の解除が完了し、本来の竜の姿へと完全に戻ったリンドヴルムが咆えた。
『竜の咆哮』には人の心を粉砕する力がある。半ば崩壊しつつある帝城の様子に大慌てしていた貴族や騎士の心が、そのひと咆えだけで完全に挫かれた。
「では、私達はこれで帰らせて貰うわね。貴国の『宣戦布告』は確かに受け取らせて頂いたから、せいぜい今後を楽しみにしていると良いわ」
「……ま、待て……!!」
ユリが【短転移】の魔法を行使してリンドヴルムの背に乗ると、ルドウィン皇帝から小さく制止する声が上がった。
その皇帝の言葉を聞き、ユリは少しだけ感心する。
至近距離で竜の咆哮を受ければ、普通なら心を打ち砕かれて、暫くの間は身動きひとつできなくなるものだが。まだ声を上げるだけの自由が残っているなんて、大したものだ。
「皇帝に足る意志力を持っておきながら、愚かなことをしたものね」
憐憫の視線と共に見下ろしながら、ユリは一言だけそう告げると。
リンドヴルムの背に乗って、崩壊しつつあるドリスダールの帝城から飛び立ち、そのままヴォルミシア帝国を後にした。
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