180. 試験教育(後)
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「喜んで協力させて頂きます」
コンラート高司祭はユリから詳しい話を聞き終わると同時に、一も二もなく承諾の意を示してくれた。
子供達に『日本語』などという未知の言語を教えたいと言われれば―――きっと
コンラート高司祭は強固に反対するだろうと、そうユリは思っていただけに。いともあっさり承諾されたことで、何だか肩透かしを喰らった気分になった。
「ふむ……良いのかしら? そんなに安請け合いしてしまって」
「無論です。元より、ユリ陛下からの要請に否やと回答するつもりはありません。
ユリ陛下がうちの年長組に仕事を与えて下さいましたことで、もともと充分な額の運営資金を頂戴しておりました孤児院の経営に更に余裕を出せたばかりでなく、食生活のほうも随分と豊かになりました。
私も、そして孤児院に暮らす子供達も皆、ユリ陛下には深く感謝しながら毎日を生きております。もしもユリ陛下からの要請を拒否するような真似をすれば、私が子供達に嫌われてしまいますよ」
そう告げて、コンラート高司祭はどこか嬉しそうに微笑んでみせた。
コンラート高司祭に任せている神都ユリタニアの孤児院では『30歳未満の親が居ない子供』が扶養されている。
ユリは以前、ここで暮らす孤児の中でも特に『年長』に分類されている、25歳以上の子供達に『神域都市』での仕事を―――アマテラスの神使であるニワトリ達の世話という仕事を斡旋していた。
これは国から嘱託する仕事なので、当然相応の報酬が支払われる。
元々孤児院には、そこで暮らす子供達の全員の衣・食・住を不足無く賄うことができるように、充分な運営資金を支援しているわけだけれど。子供達が働くことで稼いだ報酬は、当然その運営資金に上乗せして孤児院に支払われることになる。
コンラート高司祭の話によると、資金に随分な余裕ができたことで、今は子供達により美味しくそして栄養豊かな食事を用意できるように、孤児院では専門の調理人を雇用することさえ出来るようになったらしい。
食事の献立はとても豊富になり、更に毎日3食に加えて午後3時にはおやつまで振る舞われる。また『神域都市』で働く子供達に、アマテラスが毎日かなりの数の卵を持ち帰らせてくれるため、これも食事や菓子の材料としてよく用いられることで、子供達の健康増進に大いに役立っている。
また孤児院で働く人員自体も増やすことができ、今まで以上に子供達に目を行き届かせることができるようになった。
もし子供達が怪我や病気を患うことがあっても、すぐに神殿で治療を受けることができる。現在の神殿の治療費は昔に較べると随分と安くなっているため、現在の孤児院の経営状態なら全く負担にもならない。
そして子供達が成年の『30歳』を迎える巣立ちの時には、国から支度金が支給されるわけだけれど。それとは別に、孤児院からも充分な額を追加で持たせてあげることが出来るようになったそうだ。
「子供達は、自分達が恵まれていることを知っています。そしてその全てが、ユリ陛下のお陰であることをちゃんと理解しているのです」
コンラート高司祭は、さも当然のようにそう言ってみせた。
「ユリ陛下からの要請とあれば、新しい言語の習得でも何でも、子供達は快諾して取り組むことでしょう。私や子供達に協力できることであれば、いつでも、そして何でも頼って下さい」
「……それは有難いけれど。私は間違っても孤児院に、私や国家への忠誠心を子供達に植え付けるよう求めたりはしていないから、そこは理解しておいて頂戴ね」
何だかコンラート高司祭が、子供達にユリに対する忠誠心まで教育しているような気がして、ユリは思わずそう忠告してしまう。
その言葉を受けて、コンラート高司祭は愉快そうに笑ってみせた。
「無論、理解しておりますよ。子供達がユリ陛下のことを尊敬し、崇拝し、忠誠を抱いているのは、私がそのように指導したからではありません。子供達自身がこの都市で暮らす日々の中で、自らそう学んだだけのことでしょう」
「それならば、良いのだけれど……」
何だか得心がいかないような気もするが、そう言われれば追求も難しい。
ともかく、その翌日から孤児院の『年長』の子供達が『八意塾』へと通い、毎日1時間だけ日本語の勉強をすることになった。
その人数は、全部で88名。これは現在この孤児院で暮らしている『年長』の、つまり25歳以上の子供達の総人数に等しい。
ユリは『八意塾』に通わせるのは『協力に快く応じてくれる子供達だけで良い』と、ちゃんとコンラート高司祭に言い含めておいたのだけれど。どうやら子供達は本当に、ひとりとして協力に消極的な姿勢を示すことは無かったようだ。
―――暦が『冬月』に入り、世界の気候が『冬』のものへと変わる。
ユリは日々の執務を終えた後に、何度か『八意塾』へ足を運び、子供達が授業を受けている風景を見学していた。
『八意塾』はオモイカネが管理する領域なわけだけれど、授業自体はオモイカネではなく、教壇に立てられた案山子が―――久延毘古が行っている。
クエビコは案山子の姿をした神様だ。
もちろんすぐに想像が付く通り、クエビコは『稲作』や『農業』に関する権能を持つ神様なわけだけれど。一方で彼は『知識の神様』としても知られている。
―――これは案山子が田畑のみならず、常に世の中全てを見渡しているからだ。
彼は世界中のあらゆる場所に存在する案山子に遍在しており、その沢山の視点から世の中のあらゆることを観察し、知悉している。
案山子の姿をしている関係上、クエビコは自力で全く移動することができない神様なわけだけれど。『教師役』を務める上では、それは問題とはならない。
むしろ各教室に案山子を設置することで、クエビコがその全ての案山子に同時に遍在することができ、彼ひとりだけで幾つでも学級の面倒を見ることが可能なことを思えば。むしろ『教師役』は彼の天職であるようにさえ思えた。
―――まるで稲穂が黄金色に成長していく様子を、見つめるかのように。
自身が授ける知識を面白いように吸収し、成長を重ねていく子供達の姿を見守るクエビコの目は、とても優しい。
結果から言えば―――子供達の日本語修得は、大変な上首尾に終わった。
88名の子供達の全員が、オモイカネに『充分』と認められる程度の、日本語を修得することに成功したのだ。
要した日数には結構個人差があり、修得が早い子だと大体7~10日ぐらいで、修得が遅めの子でも大体13~14日程度しか掛からなかった。
つまり『1日1時間』程度の学習でも、オモイカネの指導下であれば、日本語の修得には2週間も掛からないことになる。
孤児院に暮らす子供達の大半は、元々はシュレジア公国の奴隷商に飼われていた経歴を持つ。―――なので彼らに学はない。孤児院の子供達が日本語を修得できた以上は、百合帝国の国民の誰もが問題無く修得可能だと考えて良いだろう。
「ありがとうございました、クエビコ。全ての子供達が問題無く日本語を修めることができたのは、もちろんオモイカネやウワハルの尽力もありますが、クエビコの寄与するところも極めて大きいものです。深く感謝を申し上げます」
「……申し訳ありません。ユリ殿にひとつ、詫びなければなりません」
88名の子供達を教えたクエビコに、ユリが感謝を伝えると。
何故かクエビコは、そう告げて少し申し訳なさそうな表情をしてみせた。
「ふむ……? 何かあったのかしら?」
「実はその、今回のことで『学ぶ』ということに興味を持った子供が、とても多くおりまして」
「あら、結構なことじゃないの」
「それ自体は仰る通り、喜ばしいことかと存じますが。その……あまりに子供達が熱意を持って『もっと何か教えて』と要求してくるものですから。つい根負けしてしまいまして、近日中に計算についても教えてあげる約束をしてしまいました。
……大変勝手なことをしてしまい、申し訳ありません」
「あら、まあ。ふふふ……! どんなに激しい風雨にも耐える案山子のあなたも、子供達には勝てないのね」
思わずユリは、軽く吹き出してしまう。
『クエビコ』という神名は『壊れた男』を意味する『崩彦』に由来するもので、これは風雨に朽ちた案山子の姿を表す。
たとえ身体が朽ち果てようとも、毅然として立ち続ける案山子の神も。どうやら子供達の純粋無垢なおねだりには勝てないらしい。
「クエビコ。オモイカネとウワハルの2人に協力して貰い、急ぎ『計算』を教えるための教科書についても作成を試みなさい。量産の体制は準備させておくから」
「ありがとうございます、ユリ殿。心より感謝致します」
「あら、違うでしょう? 私の臣民に教育を施してくれているのだから、感謝すべきは私の側よ。―――クエビコに心より感謝を申し上げるわ。これからも私の国に住まう民達の求めるままに、良き学びを授けてあげて頂戴」
「……謹んで拝命致します」
クエビコは頭を下げない。何故なら、彼は案山子だからだ。
けれどその双眸には―――案山子らしからぬ情熱が滾っているようにも見えた。
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