~狭間~
「南さん…」
私は煌びやかな通りを時々人にぶつかりながらも夢中で駆け抜けた。
『こんな時に子供さんが‥かわいそうに…南さん‥』
私は胸元で揺れる達矢さんに貰ったばかりのペンダントを抑えながら、なんとか
自分の車が置いてある駐車場まで辿り着くと急いで車に乗り、慌ててエンジンを
かけ、携帯電話を取り出した。
「‥南さん、涼子です、今どこにいるんですか?‥」
息を切らしながら南さんに電話を掛けると
「…涼子ちゃん‥子供は‥もう…」
南さんはそう言ったっきりその後はもう何も言わずに、ただ嗚咽を漏らした。
そして、それを聞いて呆然とした私の耳にはただエンジンの音だけが響いていた。
俺は人で賑わうフロアを駆け抜け、ただあてもなく辺りを彷徨い始めた。
「いい加減にしろ、馬鹿にしやがって‥ふざけるな。」
一人でぶつぶつと言いながら人の目も気にせずにわめき散らして歩いた。
「俺をコケにしやがって、覚えてろよ…絶対に許さないからな…」
俺は怒りに震えていた。そんなにあの男がいいなら勝手にすればいい。必ず後悔
させてやるからな…彼女に対しての憎悪が噴き出し、抑えきれなくなっていた。
「…あっ黒田さん?俺です、本木です。こんばんは、あのーいつか連れてって
くれるって言ってたオンナのコのいる店、いつ連れてってくれるんですかあ?
えっ?まあ一人ですけど…明日?いいんですか?あはははじゃあ明日、楽しみ
にしてます。じゃあ。」
俺は掛けてはいけない電話をついに掛けてしまった。開けてはいけない扉を自ら
開けてしまったのだった…。
次の日、仕事を終えるとすぐに黒田と落ち合い、奴の運転で夜の街へと出掛けた。
奴が案内したところは駅前のいわゆる歓楽街で、今まで俺が踏み入れたことのない
世界だった。
「ここだよここ。」
黒田はビルの入り口で立ち止まった。
「ここに入ってる店にいいコがいるんだよフフッ、後悔させないよ。」
奴は黒縁のメガネをスッと指で押し上げてそう言った。
俺は好奇心と少しの緊張感で奴に連れられるまま後をついて行くと、
エレベーターが止まった先は、好みのオンナのコとイチャイチャし、その後は
向こうが勝手に欲求を満たしてくれるというシステムの店だった。
俺は何を隠そうこういうところは初めてだったから正直驚いたのと好奇心、興奮
とで頭が真っ白になった。
コトを終えるとエレベーターの中で黒田は
「どうだ良かっただろ‥」とドヤ顔で言い放った。
「‥あええ、まあ…」
「また来ような。まだまだあるからさ、楽しいところ。こんなの序の口だよー
フフッハハハハ」
黒田はズボンをズリ上げると、先頭を切ってピンク色に飾られた夜の街へとまた
一歩踏み出した。
『案外俺が求めているものってこういうものなのかも知れないな…』
俺はふとそんなことを考えながら黒田の後に続いた。
南さんはすぐに京都に帰った。年の瀬でもあるし、こちらに戻るのは年明けに
なるのは間違いなく、私は『こんな時にかわいそうに…』と深く同情した。
私はクリスマスを手作りケーキと鶏料理でもてなし、達矢さんとはイブに別れた
きり何の連絡も取り合わずに新年を迎えた。
贅沢はできないものの必要最小限のおせち料理を用意し、南さんのことを踏まえ
“家族皆んなが健康でいられることが何よりの幸せなんだ”とそう自分に言い聞かせ
て数日を過ごした。もちろん達矢さんのことを思い出すこともあったが『仕方が
ない自分が悪いんだ”と気持ちに蓋をしていた。
年が明けて仕事が始まると南さんも無事に京都から戻り、元気な顔を見せてくれ
た。顔は少しやつれてはいたが、いつものように冗談を言ったり時々笑顔を見せ
たりして周囲を安心させていた。
「南さん…」
私は彼の姿を見ると掛ける言葉が見つからず言葉に詰まっていると
「ありがとう、大丈夫だよ。」と私の肩にポンと手を置いた。
「さぁ仕事仕事ー」
気丈に振る舞う彼の横顔を見ているうちに私も『頑張らなくちゃ』と自分を奮い
立たせた。
新年も、仕事が始まるとあっという間にお正月モードも薄れて、通常の生活に移行
し、相変わらず達矢さんからの連絡は無いまま、日々は過ぎて行った。
「涼子ちゃん明日鍋でも食べに行かない?あったまるよ〜鍋行こう。」
私は南さんに誘われ、久しぶりに二人で逢うこととなった。
主人は今尚アルバイトのままで、年明け早々ではまだまだ定職にはありつけない
状況だった。私はそんなストレスや達矢さんとのことでの寂しさを、正直少しでも
紛わしたかったのかも知れない。
俺はうずうずしていた。確かにオンナのコといとも簡単に欲求を満足させること
ができる快感と、それでも尚決して消し去ることはできない涼子さんとのことで
情緒不安定になっていた。
「ちょっと様子を見に行ってくるか…」
俺は昼間仕事を抜け出すと涼子さんの会社まで車を走らせた。イブ以来逢って
いない彼女の顔を見てみたかったし、何よりやっぱり…好きだから…。
彼女の会社をゆっくりと視野に入れながら病院の駐車場に車を停めた。
久しぶりにワクワクしていた。俺は少しネクタイを緩めると静かにシートを倒して
お決まりのポジションから事務所を偵察し始めた。彼女は黙々と仕事をしており、
そんな彼女を見て“やっぱり俺は彼女が好きなんだ”と認識せざるを得なかった。
ひとしきり彼女の顔を眺め終えると、ここに来たことを少し後悔しながら車を
出した。彼女の顔を見てしまうとやはり憎み切れなくなる自分に若干の怒りを
覚えながら、呆れ気味に車を走らせた。
ホールに着いて間もなくすると黒田から連絡が入り
「今日遊びに行かないか…」と誘われ、俺は一瞬悩んだが、
『彼女だって他の男と遊んでいるのだから俺だって…』そう都合よく自分に
言い訳をし、結局また誘いに乗ることにした。
仕事を終えると俺は心の奥底に何かスッキリとしないものを抱えながらも、
あの夜の街へと出掛ける支度を始めた。髪を整え、香水を少し振るとネクタイを
直し、車に乗った。
黒田は俺の顔を見ると開口一番
「また逢いたいってさ…いいだろう?また今日もあの店。待ってるぞーあのコ
お前のこと気に入ったみたいだぞー」とギラつかせた目で言った。
「ああ…いいですよ。」
俺は黒田を乗せてこの前行った風俗店へ出発した。
助手席に座る奴からは香水のキツイ匂いが漂ってきて、俺は少し閉口しながらも
やはり浮かれ気分でいる自分を否めず、店へと急いだ。
「いらっしゃいませー」
この界隈は独特の雰囲気で、欲求に取り憑かれた男とそれを餌に生計を立てる
“やり手の女”がうごめく異空間だった。
「フンっお前だって同等なんだよ!」
店の前で胸を突き出して立っていた女が俺の目を見てそう言ったような気がした。
「ほら何してるんだよ、行くぞ。」
俺は黒田に急かされ、またあの店を訪れた。
ポチャっとした体型に甘すぎない顔。俺はこの前と同じ女を選んで部屋に入った。
たわいもない低俗な、本当は必要のない前置きを楽しんだ後、俺はまた欲求を
満たした。女はいとも簡単に快楽を与え、何食わぬ顔で用を済ますと俺の顔を
見てニコっと笑った。
アハ、アハハハハー。俺は可笑しくて仕方がなかった。何の躊躇もなく見知らぬ
男に快楽を与える女の姿に、そしてそれを受け入れる自分に…。
可笑しくて可笑しくて笑いが止まらなかった。
俺は女の頭を撫でると「ありがと、」と言って立ち上がり、必死に笑いを堪え
ながら部屋を後にした。




