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第04話 授業初日



──時坂廻──



 さて。今回は現状確認からはじめよう。

 俺は、イクシアランク測定機の故障によって身体データがとれなかったため、皆より学生寮への到着が遅れた。

 一人のんびり、部屋へと到着してみると、そこにいたのは、お着替え中の、上着を脱いだ女の子。

 今日一緒にフェリーで島にやってきて、一緒にランク測定を受けて、あの七人の中で最高のランクCをたたき出した、期待の新人、豊増(とよます) (ひかる)ちゃんだ。

 身長は百六十あるかないかだろうか。年齢は、俺と同じくらい。下手すると、年下かもしれない。

 どこかクールで無愛想。理事長を睨んだりもしていたあの子が、今、俺の目の前で、上着をぬいで、スポーツブラを装着した上半身を、さらしている。

 ちなみに下は、七分丈のパンツだ。

 固まっている俺の存在に気づいたのか、目が合った。

「は、ははは……」

 俺は、乾いた笑いしか出なかった。

 俺の存在に気づいた彼女は、じっと、俺を視線に捕えたまま、微動だにしない。

 いわゆる、固まっている状態。というヤツだ。

「しつれー、しましたー」

 俺はその間に、えへへと笑いながら、扉から出て、そっとそのドアを閉じた。

「……」

 ひとまず、渡された案内図と、部屋の位置と番号と階層と名札を二度確認する。

 寮に入った時手渡された名札を入れるところに、どちらの名前も収まっていなかったが、部屋番も、階層も、位置も間違っていない。三階の二号室。ここは間違いなく、俺が割り当てられた、寮の部屋だ。

 廊下には、男の汚いだみ声と笑いが響いてきているから、間違えて女子寮に入ってきたわけでもない。

 そもそも、俺はちゃんと男子寮と確認して、ここに入ってきた。

 だというのに、俺の部屋では、女の子がお着替えしておりましたとさ。


 一体、どういうことなんだ……?


 どんな因果が発生すれば、こんな状況に陥るんだ……!

 チクショウ。事態がうまくのみこめない。もう少し、情報収集をするべきだったかもしれない。

 あのままもっと眺めているべきだったかもしれないが、俺の良識が、流石にダメやろ。とツッコミを入れてきたので、こうして出てきてしまった。

 だが、情報が足りないなら、仕方がない。今ほど、あの場に入った瞬間へのループを延々と繰り返したいと思ったことはない。いや、むしろ、繰り返すべきだろう! 俺の頭の中に、一つのひらめきが輝く。

 俺の能力は、ループ。死ななければ、ループは発生しない。しかし、今の俺なら、そのルールを乗り越えて、自分の意思でそれを発現できるんじゃないか!? 人間、エロのためなら、苦手な機械も克服することができる。ウチの親父が、ビデオも、DVDも、パソコンもできるようになったのは、その力が大きい!

 そう。人類の発展は、エロと共にあると言っても過言ではない!

 ならば俺も、今、この瞬間に、真のループ能力を開花できるはず!

 ハズだ!

 ハズなのだ!

 さあ、エロに目覚めよ、せいしょうねん!

 祈り、詠唱、念じた!

 ……うん。むり。

 いきなりそんな都合よく、覚醒するなんて、ないない。

 俺は、人類の希望を乗せたメルヘンファンタジーの夢を諦め、現実へ意識をむけなおす。

 しかし一体何故、女の子が俺っちの部屋に? はっ、まさか、同室となるルームメイトがナンパしてきたとか!? だとすると、初日から、いきなり大胆すぎる。見つかったら当然怒られるに決まっているというのに!

 それとも、他になにかあるのか……?

 うぬぬ……

 と、なぜ、なに? ほわい。と頭を抱えて考えていたら、ドアがガチャリと開いた。

 どうやらこの思考時間は、ほんの数秒だったらしい。さすがせいしょうねん。こういう時は、死に掛けた時並に頭が回ったようだぜ。

 ドアを開け、その隙間から顔を出したのは、やっぱりあの女の子。豊増光だった。

 というか、リーゼントの人とさえやりあおうとしたあの子に、ナンパされてホイホイついてくるようなイメージはない。ホント、なんでここにいるんだこの子。

 俺をじっと見て、どこか不思議に思うように、彼女は口を開いた。

「そこにいられてもわずらわしいから、入って。これから、一緒に過ごすんだから」

「は?」

 彼女の口から出た言葉に、俺は一瞬、理解できなかった。

 一緒に。って、どういう意味?

 俺が呆然としていると、対応が面倒くさくなったのか、ドアを大きく開け、彼女は奥へと引っこんでいった。

 ドアが開いて、あらわになったその後姿は、俺が外へ出た時と同じ、上着を脱いだ、スポブラと七分丈のパンツ状態だった。

「なんでまだその状態なのー!?」

 思わず声が出た。もう悲鳴に近かったかもしれない。まさか俺が、こんなツッコミじみた悲鳴をあげるなんて……

「? 僕は気にしないから、入っておいでよ」

 振り返った彼女は、疑問符を浮かべながら、俺へ答えを返してきた。

「俺が気にします! とりあえず、上を羽織りなさい!」

「わずらわしいなぁ」

 俺がばたーんと扉を閉めると、そんな声が部屋の中から聞こえてきた。

 確かに、わずらわしい。多くの者だって、そのままの格好でいて欲しいと。いやむしろ、下も脱いで欲しいと思うことだろう。

 だがしかし、恥じらいもない半裸など、ライスのないカレー、チョコのついていないきのこたけのこ、水着のない水辺も同様で、面白くもおいしくもない!

 だから、きちんと服を着てください。

 決して、目のやり場に困るからじゃないんだからね!

「いいよ」

 と、お呼びがかかり、俺は改めて、部屋に入った。

 部屋の中では、脱いだパーカーを改めて着た、豊増光がいた。

 やれやれ。これでやっと、じっくりゆっくり落ち着いてお話をすることができるぜ。

 部屋に入り、持ってきた手荷物を、空いているベッドに置く。

 ドアから入ったすぐ右手に、トイレとお風呂があり、左手には、キッチンが用意されていた。玄関を上がって左右に折れず、板の間になっている通路を先に進むと、今度は部屋に突き当たる。

 部屋はそこそこに大きく、その部屋の左右の壁にくっつくように、ベッドが置かれていた。

 入り口を中央にして、部屋も二つに区切れるような形だ。

 人によっては、その中央に、仕切りなんかを作ったりもするんだろう。

 今この部屋にあるのは、最初から備品として置かれているベッドと勉強机。そして、俺が実家から送った荷物のダンボールと、俺じゃない誰かの、少ない荷物だった。

 広げてあるところを見ると、彼女のモノなのか……?

 それは、わからない。

 ここに来るまで、キッチンにも、トイレにも風呂にも、人はいなかった。

 となると疑問に答えてくれる人は、目の前にいる豊増光しかいない。

 なので、ひとまず一番シンプルな質問をすることにした。

「なんで君がここにいるの?」

「?」

 なんでそんなに、僕がここにいるのがおかしいと思うわけ? というような顔で小首を傾げるの?

「いやだって、ここ男子寮ですよ?」

 と言ったところで、ある可能性が思い浮かんだ。

 なにかの手違いで、彼女はここに割り当てられてしまった。という可能性だ。

 一番最初に考えついてもいい可能性だったが、色々テンパってたせいか、思いつかなかった。これならむしろ、彼女に聞くんじゃなく、寮長とか、管理人とか、先生とか、そういう人を探した方がいい。

 だが、俺の発した、男子寮という単語を聞いたところで、彼女。豊増光は、おかしいという反応を返してこなかった。

 むしろ、なにかに納得したように、ぽん。と手を叩いた。

「そういえば、気にする人は、気にするのか」

 と、なにかにやっと気づいたように、うなずく。

 一体何が? と疑問符をあげると、俺と彼女の目が合った。

 そして、彼女が口を開く。

 衝撃の、お答えを。


「僕はね。男なんだよ」


「……」

 俺は、その衝撃の告白に、目をむにっと大きくむいて、表情が固まった。

 オゥ。つまりオイラは、男の娘にちょっと欲情してしまったということなのかいセガール? なんて、なんてこったいなんだいスティーブ。誰か、俺を今すぐキッチンで戦場に連れて行ってくれ……

 あんな、慎ましくもきちんと自己主張していた夢の塊は、幻だったの……いや、あれは、絶対に偽物ではない。うん。実物を見た俺が言うのだから、間違いない。あれは天然ものだ。間違いない。間違いない、よな……

 じっと、その胸元を見ていたら、その視線に気づいたのか、小さくため息をつかれた。

 何度も経験してきたのだろうか、慣れた。というような仕草だ。

「もっと正確に言えば、僕はあれさ。理事長と、同じなんだよ」

 おな、じ……?

 ぽん。とアレの姿が頭の中に出てきた。なぜか、チャイナ服でセクシーなポーズをとっている。

 そんな幻の姿の上半身へズームし、ウインクしながら星を飛ばしている顔へ、さらにズームイン。そのまま上から下へ、パンダウンしはじめた。

 胸元どーん。細い腰バーン。そして股間にどーん。と、そこにきたところで、俺の想像は強制終了した。

 股間にどーんは、恵方巻きがくっついていたからだ。

 ……つまり。

「えーっと、つまり……?」

 俺の視線は、そのまま彼女(?)のお股へ移動する。

「うん。トイレ、楽だよね」

 イメージ映像。男子トイレで、用をたす、豊増光ちゃんの図。

 男の子だー! 女の子もついてる、男の子だー!

 俺は、その証言で、確信を得た。

 なんてこった。まさか、同居人はマジモンの男で()だったなんて。

「え? なにこれ嫌がらせ? それともご褒美? どっちなの? ねえ。ねえ」

「虚空に向って、なにを叫んでいるのかな。君は本当に、変なヤツだ」

 虚空に向って叫びたくもなりますよ。色々と!

 女の子かと思ったら、ついているんだから! いらないもの装備してるんだから!

「あ、そうだ」

 豊増が、なにかを思い出したように、視線を備品である勉強机へ向けた。

 そこには、白い封筒が、一つ。

「これ、寮に入る時わたされたんだ。僕の同居人がきたら、渡すようにと」

 机にあったそれを手に取り、俺に手渡してくれた。

 封筒は、いかにも手紙が入っていそうな形をしている。下駄箱に入っていたらラブレターかと勘違いするような勢いである。

 なんじゃろ。と思い、封を開いて中身を見る。

 すると、やっぱり手紙が入っていた。

 豊増の方も、内容が気になるのか、そっとのぞきこんでくる。

 なので一緒に、内容を読むことにした。

 そこに書いてあったのは、短い一言。


『興味がわいたら、アテクシでいいのよ』


「……」

 俺は、それを読んで、誰が、どういう思惑で、この部屋割りを考えたのか、はっきりと悟った。

 同じ存在の子にムラムラきちゃったら、ウェルカムということなのね……

 豊増が、大きなため息をついた。どうやら、この文の意図を読み取ったようだ。

「僕は、アレと違って、どちらにも興味はないから、気にしなくていいよ。ホント、わずらわしい」

「そーゆーことは気があってもなくても言わなくていいから!」

 シレっとあっさりクールに言われると、俺の心が汚れているみたいでなんか傷つくから!

 とりあえず、手紙は怒りのダストシュートである。

 だからみんなにアレ呼ばわりされるんだよあの変人理事長!

「ところで、そういえば、なにをしようとしていたのデス?」

 なんか色々考えると、頭がフットーしそうだったので、話題をかえることにした。

 この子が同居人というのは、もう疑いようはないし、文句を言っても、絶対聞き入れてもらえないのがわかったからだ。

 これはもう諦めて、同居人との良好な関係を築こうと思う。

「ああ、お風呂に入ろうと思って。先に入ってもいいかな?」

 豊増が、風呂の方を指差した。

「ああ。そうだったのね。どうぞどうぞ……」

 確かに、今日はいろいろあって、汗をさっぱり流したいもんな。

 と言ったら、こいつその場で脱ぎはじめやがった。

「まてーい!」

「わずらわしいな。なに?」

「なにじゃありません! 脱衣は脱衣所という名のついた脱衣所でしなさい! ここは君の部屋であるけど、俺の部屋でもあるんだ。すべてが個人スペースじゃない。最低限のルールは守っていただきます。よろしいですね!」

「……確かに、そう、だね」

 少し考えを見せて、納得したのか、豊増は大人しく俺の言葉に従ってくれた。

 とてとてと、風呂へ向う。


 でも、シャワーっという音がした後、ドアが開いて、ぺたぺたと、水を滴らせて、出てきた。

 ぜんらで。


「ぶーっ!」

 色々疲れたので、心を落ち着けるためキッチンでお湯を沸かして部屋に戻り、ベッドに座ってくつろいでホットココアを飲んでいたら、そんな格好で現れたもんだから、俺は液体を鼻から逆流させるさせるハメになってしまった。

「げほっ、げはっ……な、なぜんら……」

「石鹸、忘れた。あと、バスタオルと着替えも」

「丸々一式ですか! それは大変ですね!」

「いつもは脱いでいくから。うっかり」

 うっかりじゃありません! まったくもう!

 ぺたぺたと、俺の視線など気にせず、豊増は風呂へ戻っていった。

 うん。ついてたね。恵方巻き。ついて、た……

 色んな意味で、ショックが大きい。でも、体つきは女の子だから、なんか、ほら、こう、くるんだ。でも、お股には、ついてるんだ……

 なんだこれ。なんだこれー!

 よくわからない感情が俺の中に渦巻いて、俺は悶々というか、鬱々というか、よくわからない感情と感覚を抱えたまま、布団を敷いてベッドに寝転がるのであった。

 いかん。きけん。やめろ。と、俺の本能が訴えている。

 このまま寝てしまわないと、色々危険だ! と、ベッドで横になったけど、全然眠れない。そりゃもう、ギンギンだ。目がさえてね。おめめがね。ギンギンなの。

 風呂から出た豊増が、頭を拭きながらぺたぺたとこっちへやってくる。

 ベッドにいる俺のことなど、気にも留めていないようだけど、部屋の中を歩くたび、どこか甘いような、石鹸の匂いが漂ってくる。

 ちらりと、そっちへ視線を向けると、お風呂上りの、艶やかな色気をかもし出した、女の子の姿があった。

 ボクサーパンツをはいて、上半身は裸で、肩からタオルをかけている。

「……」

 いかんね。アレ、いかんよ。

 だってあれ、お股に俺と同じものぶらさげているんだよ。理事長と同じなんだよ。実質男の子なんだよ!

 あの子がいいと思ったら、アレ(理事長)の思う壺なんだよ!

 だから、だから、色々ダメなノー!

 俺は、ベッドの中で頭を抱え、色々葛藤しながら、神代島はじめての夜を過ごすのだった。

 だってしかたがないじゃない。僕、健全な十五歳のせいしょうねんなんだもん!



──時坂廻──



 次の日の朝。日の出と共に起きて、昨日夕飯を食べていなかったことに気づいた。

 男子寮に到着直後に、色々ショックなことがあって寝たのだから、まあ、仕方がないだろう。

 ちなみに、この寮は朝と夕方にご飯が出ることになっている。

 食堂は、男女共同だ。ついでに共同浴場もあったりするらしい。二十四時間毎日いつでも入れるのだそうな。

 ……つーか、ウチのルームメイトは、この場合どっちに入るんでしょう。正直、確認したくない。

 ベッドから出て、伸びをして、ゴキゴキと体を鳴らす。

 体を強張らせて寝ていたワリに、寝起きはすっきりしていた。

 規則正しい寝息が、隣のベッドから聞こえてくる。

 夜が明け、うっすらと日の光がさしこんできた中で、部屋の隅のベッドの上にぼんやりと浮かび上がるその影に、俺はどうしても、意識せざるを得なかった。

 いかんいかん。これ以上意識するのは、アレの思う壺。同じ棒がついている。同じ棒がついている……

 そう念じると、不思議となにも感じなくなってきた気がする。

 気を抜いたら、お腹もくー。となったので、非常食としてダンボールに入れておいた即席麺を食べることにした。

 さすがにこの部屋で食べると匂いも出るので、昨日ココアを飲んだ時沸かしてポッドに入れておいたそれを使い、廊下に出た。

 寮には、各階真ん中あたりのスペースに、テーブルと自動販売機のある、休憩スペース(禁煙)がある。

 そこで、遅めの夕飯を食べることにした。

 ちゅるちゅるという音が、俺しかいない廊下に響く。

 すると、遠くで警報が鳴り響いたのに気づいた。

 ここではない島のどこかに、イーターが出現したのだろう。

 音はかなり小さい。そういえば、この寮と、学園にいる限りは安全だって誰かが言っていた気がする。

 そして、寮の部屋の中には、この警報は響かないって、寮のパンフに書いてあった。ゆっくり眠れるね。やったね俺達。

 なんて思いながらも、俺はラーメンをすするのだった。

 携帯を開くけど、今は圏外。情報リテラシーというのが終わるまで、ネット系はしばらくお預けなんだそうだ。

 下手にネットで拡散すると、怖い時代だからね。今は。

 ちゅるちゅるっとラーメンを食べ終わり、自販機で飲み物を二本購入して、部屋に戻ることにした。

 一本は俺の。もう一本は、まあ、お近づきということで、豊増にだ。

 ちなみに代物は、抹茶炭酸。味なんて想像できない代物で、半分ジョークの品物だが、俺はこういう人間だって、わかってもらうには丁度いいアイテムだろう。いひひ。


 ……後日、キッチンにある冷蔵庫に、抹茶炭酸がたくさんつまっているのを発見して、俺はなんてことをしてしまったんだと、頭を抱えることになるが、それは、もう少し後のお話。



──時坂廻──



 朝ごはんも終わり、今日から初授業である。

 学校へ向うこととなるが、豊増はさっさと一人で行ってしまった。せっかくだから、一緒に登校くらいはしようと思ったのだが、残念無念である。

 今日の予定は、先生やクラスメイトとの顔合わせとなるホームルームと、昨日の身体データを利用しての、制服の支給とのことだった。

 入学式というか、歓迎が船を来た人達個別でバラバラだから、今日の初授業で初あわせとなる人が多いだろう。

 教科書や、制服を入れるためのカバンだけを持ち、俺も遅れないよう、寮を飛び出した。

 学生寮から学園までは、歩いてすぐである。そりゃまあ、学園の敷地内に寮があるのだから、当然なんだけど。

 俺と同じように、寮から校舎へ向う人達が大勢いる。大勢。と言っても、千人規模収容できる学園の規模を考えると、通学している人は、少ない。

 なにせ、今年の新入生は、俺をふくめて三十人。ここで学ぶのは、三年と聞いたから、最低でもこの三倍の数しかいない計算になる。

 年によって新入生の数は変わるみたいだから、なんともいえないけど、全校生徒百人は、学校の規模にしたら少ない方だろう。

 みんな一様に校舎を目指す中、学校に向って歩く一つの人影を見つけた。

 腰にかかるほどの長い髪を一本のみつあみにまとめた、女の子。

 元々は俺と同じ中学に通っていた、島の外からの知り合い。

 天知はじめちゃん。

 人見知りで、言葉をよくかむ女の子だけど、俺にはまあ、心をけっこう開いてくれていると思う。

「おっはよー。はじめちゃーん」

 同じ新入生。同じ中学出身。同じ街から来たもの同士なので、遠慮なく声をかけることにした。

 一人で歩くより、二人で歩いた方が、心強いしね。

「あ、時坂君。お、おはよう」

 かまなかった。

「せっかくここでであったもんだし、一緒に教室まで行きませんかー?」

「ひゃぁ!?」

 なぜこの質問で、跳ね上がるほど驚く。

「え? ダメ?」

「う、ううん。そんにゃことありません」

 ……かんだ。

 かんだのを自覚した彼女は、俺から視線を外してうつむいて、そのままとことこと歩みを止めずに歩いていく。

 拒絶はされなかったので、俺はその隣に立って、昇降口に向うことにした。


(うわわわ。朝から、こんなに近くに時坂君がいるよ。前じゃ考えられなかったことだよ。いきなりこんなことが起きるなんて、今日は一日、幸せに過ごせそう!)


 なんかあわあわしてる。

 ふむ。

 昇降口へ向う道すがら、俺は隣にいる女の子に、視線を向けた。

 ふむふむ。ふーむ。

 ちょっと速度を落として、後ろへ回り、反対側の隣へ、移動する。

 艶やかな黒髪を背中でみつあみにまとめ、長いまつげに、艶やかな唇。

 メガネをかけていれば、ある意味完璧かもしれないが、彼女の視力は悪くないらしい。

 背後を通った時、どこか甘いような、いい匂いが俺の鼻腔をくすぐった。男では考えられないほど、イイ匂いだ。

 バディは、胸が平均より少し大きくて、お腹は多分平均で、お尻は見事なサイズだな。うん。

 女の子らしく、カバンを両手で前に持って、とてとてと歩くその姿は、まさに可憐な女の子。

 やっぱり、棒がついていない女の子の方が、安心できるなぁ。


「あ、あの……」


 あ、見てるの気づかれた。

 俺の視線を気にするように、顔を真っ赤にして、ちらちらと俺の方を気にしてる。

「わたしの顔に、なにかついてる?」

「特別なものはついてない。でも、だからこそ、いいんだ。うん」

 俺は一人で、うんうんと納得したようにうなずいた。

 はじめちゃんは俺の言ってる意味がさっぱりわからないらしく、ハテナ。と首を傾げている。

「どういうこと……?」

「ほら、昨日さいきなり変なのに目をつけられたじゃないですか」

「あー」

 遠い目をしたら、納得した声が返って来た。そう。昨日の体育館での惨劇。俺が、アレに目をつけられたのを、彼女も思い出したのだろう。

 でも一瞬、はじめちゃんの目が殺し屋のような目になっていたように見えたけど、それはきっと気のせいだな。

「だから、惑わされないように、俺はやっぱり女の子が好きだって、確認してたんだよ」

 しみじみと、俺は語った。

「すす、しゅきなんですか!」

 ……かんだ。

 なぜかはじめちゃんが、大げさに反応してきた。

 ちょっとエロい目で見ていたりしたんだけど、そういう意味ではとられなかったのは幸いか。

「うん。そりゃねぇ……」

 いくら可愛くても、棒がついているのはねぇ。

 苦笑しながら、答えを返す。

 うんうんと、はじめちゃんが、偉く上機嫌になった。

「そうですよね。女の子の方がいいですよね!」

 両手で拳をにぎり、胸元に持ってきて、力説する。

 お、おう。

 ものすごい勢いで迫ってきたので、思わず後ずさってしまった。

 なぜにここまで? と思うが、その疑問を考える前に……


「時坂」


 背後から、声をかけられた。

 背後から現れたのは、肩まである髪を後ろで無造作に束ねて、パーカーにジーンズとなった、豊増光だった。

 柔らかい体のラインが、服の上からもわかる。

 だが、こいつも、男で娘だ。

 あれ。というか、先に行ってたんじゃなかったのか。

 俺が振り向くと、豊増はパーカーのポケットに手をいれ、中から包みを取り出した。

「これ、君の分」

 それを、俺に向けて差し出す。

「なにこれ?」

「朝、枕元にあった飲み物のお返しだ」

 飲み物ってーと、アレか。抹茶炭酸。味が全く想像できない、地雷臭バリバリのアレ!

 アレの、お返しとな?

「ああ。わざわざいいのに」

 とりあえず、丁寧に、かつ、遠慮を申し出る。

「そうはいかない」

 だが、遠慮の壁はあっさりと破られ、その包みを押し付けられた。

 くっ。仕返しに持ってきたということか……! 抹茶炭酸の恨み、はらさでおくべきかってか!

 因果応報。という言葉を胸に感じつつ、俺はその包みをあける。

 予想に反して、中身は、缶ココアだった。朝、ラーメンを食べた後、こいつの枕元に抹茶炭酸と一緒に買って、飲んだやつで、なかなか味も悪くなかった、一品。

 そういえば、空き缶は俺の勉強机の上に置きっぱなしにしていたかもしれない。

 まさか、恨みを返すのでなく、本当に貸し借りはなしということなのか。

 ひょっとして、あの抹茶炭酸、実はお礼をしたくなるほど美味しいのか……? 後で飲んでみよう。

 ともかく、そういう気概なら、それを無下に断るわけにもいかないな。

 なので、大人しく受け取ることにした。

 缶ココアを持ち上げ。

「サンキュ」

 と返す。

「用は、それだけ」

 豊増は事務的に、あっさりと告げると、そのまま歩き出した。

 足を止めていた俺も、先に進もうかとはじめちゃんの方へ、視線を……

 びくぅ!

 ……向けた瞬間、俺は背筋を跳ね上がらせた。

 はじめちゃんが、なんかすげぇ目で、俺のことを見ていた。

 笑顔でにっこりと微笑んでいるんだけど、その目は、全然笑ってない。背景になんか、般若が見える気がする。

 このままあと二秒くらい見つめられたら、ループできそうな、笑顔だった。

 なんこれ、怖い!

「説明、欲しいな」

 その笑顔、ちょうこわい!


 なので俺は素直に、怒りのダストシュートをした御手紙のことをゲロり、理事長の差し金だと伝えた。

 下手に言い訳をすると、即デットな感じたしたからだ。


「つまり豊増も、理事長と同じなんだよ」

「なんてうらやま……いえ、けしからんことを考えるの、アレは!」

 前半部は口の中だけで発せられた言葉だったので、俺の耳には届かなかったけど、彼女は明確な怒りを見せた。

 はじめちゃんをお怒りさせて、あまつさえ彼女にアレ呼ばわりされるアレは、ホント流石だぜ。

「つ、つまり、あれだね。時坂君が、女の子の魅力でメロメロになれば、そんな心配ないってことだよね」

「まあ、だからさっき、それを確認していたわけなんだ」

「あ、そうか」

 彼女はそれで、色々と納得がいったようだ。

「……な、なりゃさ」

 なにか、勇気を振り絞ろうとしたのだろうけど、かんだ。

 顔を真っ赤にして、俺の方をじっと見つめる。


(言え。言うのよ! 女の子とつきあっちゃえば、理事長からのちょっかいなんかもなくなっちゃうって! 女の子にメロメロになっちゃたフリとかで、わたしと、わたしと……きゃー!)


 目をぐるぐるさせて、なにか考えているようだけど、流石に俺は、考えていることすべてをさっせるほどの超人じゃない。


(権力があって、財力もあって、ナイスバディな理事長に心が揺れるのは、間違ってない。でも、これなら可能性がぐんと上がるわ! がんば、がむばりゅのわたし!)


「えーっと、なにかな?」

「お……」


 きーんこーんかーんこーん。


 予鈴が、鳴った。

「って、もうこんな時間か! はじめちゃん。これ以上ゆっくりしてたら初日から遅刻。行くよ!」

「へっ!?」

 俺はそのまま、彼女の手をとって、大急ぎで走り出した。

「ええぇぇぇぇー」

 教室へは、本鈴ぎりぎりで間に合った。

 当然だが、教室には、クラスメイト全員が集まっていた。

 見知った顔を捜す余裕などもなく、俺達は開いている席へ座る。

 黒板のところに、席順が書いてあり、残った二つの席は、難なく見つかった。

 席に移動する間、ちらりとクラスを見回したら、上は三十をこえているような人から、下は小学生まで、多種多様な年齢の人がいた。

 実によりどりみどりである。

 残念なのは、小学生の女子はいなかった。本当に、残念で……あるわけじゃ、ない。うん。

 ちなみに、俺とはじめちゃんは席が隣だった。豊増も、席が近い。あとでわかったことだけど、同じような年齢は教材もふくめ、同じカリキュラムになるので、集まっていた方が授業を進めやすいという理由かららしい。

 そしてなぜか、席についたはじめちゃんは、真っ白に燃えつきていた。

 たまに、頭を抱えて、なにかを後悔するように、じたばたとしている。

 やっぱり彼女は、見ていて飽きない。



──時坂廻──



 本鈴が鳴り響き、それと同じタイミングで、教室の前のドアが開いた。

 カツコツと、かかとの低いパンプスを鳴らして入ってきたのは、障壁のイクシア使いである、真壁薫子さんだった。

 身長百七十センチ前後もあり、長い髪をアップにまとめ、パンツスタイルのスーツに身を固めた、いかにも出来る女二十九歳。でも、なんか結婚にこだわりがあって、年のことを言われると、色々めんどくさくなる、二十九歳だ。大切なことなので、二度言っておいたよ!

 その後ろには、ダンボールを担いだ作業服の男達が数人続き、教壇の上にそれを広げ、中に入っていた教科書を配りはじめた。

 配り終えると、彼等はダンボールを回収し、そのまま去っていった。

 残ったのは、薫子先生のみ。どうやら、いわゆる担任は、彼女のようだな。

 作業服の人達が、扉をしめたところで、薫子さんが、教壇に立ち、彼女は教卓の上に両手を乗せ、俺達の方を見た。

「皆さん。はじめましての人も、またお会いしましたねの人も、改めてはじめまして。私が今日から三年間、君達の担任となる真壁薫子です」

 黒板に名前をでかでかと書き、にっこりと、薫子さん。もとい、薫子先生は微笑んだ。

「君達は上は三十五歳から、下は八歳までの、個性的な三十名のメンバーの集まりです。ここは、通常の学校とは少々異なりますし、これから命の危機を孕んだ状況も多くありますが、楽しくやっていきましょう!」

 彼女は、ぐっと拳を握る。

 言っていることは明るいが、後半はちょっと不安の残る内容である。

 まあ、イクシアって力を手に入れてしまった今、襲われる可能性があるのだから、しかたがないだろう。

「今日は授業で使う教材と、制服の受け渡しになります。明日からは、それらを通常の学校同様、日程表を参考に持ってきてください」

 薫子先生は、その中でいくつかの教科書を持ち上げた。

「これらの教科書は、本土で使われている通常のものとは違い、イクシアの基礎や、その理論、歴史、イーターを倒すノウハウやその生態などを学ぶために使います。この島では、通常の教科より、このイーターとの戦いを学ぶことがメインになりますが、通常の教科も十分大切ですので、しっかり学びましょう!」

 薫子先生が持ち上げた教科書をぺらぺらとめくってみる。

 そこには、言ったとおり、イクシアの歴史や、この島の歴史、イーターの図解などが描かれていた。

 島独特の標識もあって、そこに避難所としてのシェルターがあるらしい。

 しっかりと読みたいところだったが、薫子先生の言葉が続くので、ひとまず教科書は閉じておいた。

「イクシアのランクが低くとも、生活に困りはしませんが、島の生活をさらに楽しむのに、教養はあっても困りませんから」

 にっこりとした笑顔だ。

 まさしく、先生の笑顔。メインではない勉学も、手は抜かない人だと、わかる。

 むしろ、イクシアを使わないということは、戦わない。という意味でもある。それで生活するとなると、今度はイクシア以外のものが必要になるわけで……

 先生は、そういった心配もしてくれているのだろう。

 一応、この島におしこめられたことで、最低限の生活は担保されているみたいだけどね。

 だから、楽しむって言葉を使ったわけか。

 ただ、授業の方は、小学生から元社会人がそろっているので、同一カリキュラムではなく、田舎の学校にあるような、個別の学習というやり方になるらしい。

 まあ、当然の話だけど。

 ただ、同じ学年で二桁以上の人数がそろえば、通常学科の時間が統一されて、まとめて授業を受けたりすることもあるらしい。

 そして、学園の諸注意も告げられる。

 給食は出ないが、学食では好きなものが食べられるようだ。育ち盛りには、嬉しい仕様だった。

 そうこう説明を受けていると、サイレンが鳴り響いた。

 山の方で、鳥の大群がいきなり飛び立ったのが見える。

 皆の注目が、サイレンを鳴らす、教室のスピーカーに集まった。

「すでに経験している人もいると思いますが、これはイーターの出現を知らせる警報です。外出中に警報がなったら、近くにあるシェルターに逃げこみ、警備の者が来るのを待ちなさい。基本的に、自分のランクより上と戦うのは危険です。それに自身のランクが高くとも、君達はまだ、戦うすべを学んでいません。無理せず、逃げましょう」

 と、血気盛んに戦いを挑みそうな、リーゼントの人なんかを重点的に見回した。

 きっと先生から見て、問題児って認識なんだろうなあ。

 ところで先生。何故俺も見るんです? 俺は逃げていいなら真っ先に逃げる人ですよ? 俺はむしろ、優等生デスヨ?

「学園の近くであれば、ここに逃げるのが一番安全です。他にも、島の中心にある人工島へ逃げこんでもよいでしょう。どちらも、高ランクのイクシアンが多くいますから、安全です」

 説明を聞きながら、視線を外へ向けると、空を白い尾を描いて飛ぶ、大きな鳥のようなものが目に入った。

 それが、さっき鳥が飛んで逃げていったあたりへ、つっこんでゆく。

 それがその上空へ到達すると、そこからもう一つの人型が分離し、落下していった。どうやら、人を抱えて飛んでいたようだ。

 落下した人型と、その飛行物体が森へ飛びこむと、小さな光が、いくつか瞬いたりしはじめたのが見える。

 ああ、戦っているんだなあ。というのがわかった。


 いやはや。凄い場所に来ちまったもんだぜ。



──時坂廻──



 教科書の配布や、諸注意も終わって、クラスでまとめて制服を配布されることになった。

 みんなでバスに乗って、学校からはなれた場所にむかう。

 バスが走り、窓から見える街は、街路樹にやしの木が生えていたりする以外は、日本のどこにでもあるような、ちょっと田舎の風景だった。

 こんな島でも、田舎と同じく田んぼがあるのだから、驚きだ。

 ちょっと違う風景があるとすれば、ところどころに避難用のシェルターの入り口らしき標識があることか。

 消火栓みたい。

 バスは、街から少しはなれた、製糸工場みたいなところへ向うようだ。糸から布から洋服まで、島の服を一手に担っているらしい。

 なんでも、サイズミスがあっても、すぐ交換出来るからだそうな。

「この島で作られた衣類は、イクシアを通じて作られ、イーターの攻撃に対して高い防御力を発揮します。ですから、普段着が新しくそろうまで、制服を着て活動するのをおススメしますよ」

 工場の近くまで来たとき、薫子先生が、工場を指差しながら、教えてくれた。

 どうやら、その衣類を着ていると着ていないとでは、生存率が二割から三割違うらしい。

「はーい」

 素直な人。命の惜しい人が、一斉に返事を返した。

 ちなみに、同じ要領で作られた金属の鎧もあるらしいが、警報が鳴ってから着る時間はもったいないし、普段からそれを着て警備をする&島を歩くのは疲れるということで、誰も着ようとはしないようだけど。

「理事長に言えば支給してもらえますけど、申請はしないようにね」

 やべえ。鎧は、ちょっと気になる。でも、理事長管轄なら、絶対申請とかしない。俺は。


 バスが工場に到着した。

 中にはいると、そこは大きな服屋のようだった。

 壁としきりに、ずらりと色んな制服が並んでいる。

 制服は、基本ブレザータイプだが、色んなデザイン、色があるようで、この中から、自由に選んでいいらしい。

 原色バリバリの上着から、七分丈の長さのズボンや、色とりどりのYシャツ。ネクタイだけでも、数十種類もある。

 サイズチェックのためだけに、なぜわざわざこんなところに連れてこられたのかと思ったけど、これだけ目移りするほどあれば、納得もいく。

 ブレザーだけでなく、上着もダブルやシングルを選べたり、スリーピースのスーツを仕立ててもらったりも出来るようだ。これなら、大人の人も安心だね。

 組み合わせは基本自由なので、女子がズボンをはいてもいいし、男がスカートをはいてもいい。

 さすがあの理事長が学園長をつとめる学園だ。実にフリーダムである。

「アニキ、ありましたよ!」

「ああ。そうだな。学校となりゃ、こいつで決まりだ!」

 突然の大歓声に俺は視線をそちらへ向けた。

 そこには、あの金髪リーゼントの人が、短ラン、ボンタンという、大変古式ゆかしい格好になっていた。

「やっぱ、これだな。これ!」

「アニキかっこいいっす!」

 ……うん。予想できてた。あまりにも予想通りすぎて、予測から外れるくらいのレベルで予想できてた。

 ちなみに、組み合わせの方も、申請すれば後からいくらでもチェンジできるようで、毎年制服を変える人や、一ヶ月ごとに変える人もいるらしい。

 色も多種多様だし、これだけあると、変えたくなる気持ちも、わからなくもない。


 まるでショッピングのように、皆が思い思いの制服を選びにはいる。


 そんな中、俺は服屋のようになっている工場の入り口近くで、壁を背にして立ち、きょろきょろと周囲を警戒する。

「どうしました、時坂君」

 挙動不審に周囲を警戒する俺に気づいた薫子先生が、声をかけてきた。

「いえ。またアレが近くにいるんじゃないかと思って」

 アレ。とは当然。学園長である。今日は制服の選択。いわゆる着せ替え人形のごとく、いじられるんじゃないかと思い、こうして警戒している。

 もしくは、一人ファッションショーなんかをやっても、不思議はないし。

 そんな理由もあって、俺は背後に壁を背負って、すぐ逃げられるように入り口近くで待機していたのだ。

「ああ。そういうことですか」

 とっても納得したような顔で、優しく微笑まれた。

 なんというか、気持ちはわかります。というようなオーラが出ている。

「アレは今、ここにはいません。アレはああ見えても島の安全を守る理事長でもありますからね、今日はやることをやっています」

 そっか。今日はここで理事長の被害にあう人はいないんですね。

 それを聞いて、俺はホッと胸を撫で下ろした。

「ですから、安心して、自分の好みの制服を選んでください」

「はーい」

 うながされるままに、俺はひとまず、ぐるりと一周服を見て回ることにした。



────



 同時刻。

「へっくち」

 神代島の中央にある人工島。その廊下を歩く銀之丞こと、この神代島の様々なことを統括する機関の理事長にして、神代学園の学園長が、ド派手な外見からは想像できないような、可愛いくしゃみを発した。

「誰か、アテクシの噂をしているのかしらね」

 人差し指で鼻の下をこすり、ずずっと鼻を鳴らす。

 廊下を歩くその姿は、凛とした真紅のスーツに、黒いコートだった。

「まさか、噂の主は、めぐるきゅんかしら! きゃっ!」

 頬を両手で押さえ、おちゃめな声を出す。

 凛とした姿と、大きく崩れる所作だが、その美しい外見が損なうというわけではなかった。

 スキップしながら、銀之丞は目的地である、観測室の扉を開く。

「さて。準備は整ったかしら?」

 中に入るのと同時に、銀之丞は中にいたオペレーターと、他の職員に声をかけた。

「はい。いつでも」

 オペレーターから、答えが返る。

 銀之丞は、ヒールをカツコツと鳴らしながら、観測室にある、一段高くなった、いかにも司令官が座るような席へ向った。

 そこからは、真正面に設置された大型モニターが、よく見える。

 そしてそこには、制服を選ぶ、今年の新入生の姿が映し出されていた。

 それ以外にも、工場の倉庫内や、個別の人を追ったカメラの画像など、様々な場所が大型モニターのすみに映し出されている。

 その光景を見て、銀之丞はにやりと、唇の角度をあげ、笑った。

「さーて。今年は、どんな様相になるのかしらね。想像しただけで、ぞくぞくしちゃう」

 体を自分で抱きしめるようにして、銀之丞は、ぶるぶると体を喜びに震わせた。



──時坂廻──



 制服の選択も終わり、試着も完了した。

 今日はこれを着て帰って、あとで予備の制服が何着か、寮に届くらしい。量数は指定可能で、申請しなくとも、最低予備はもう一着届くのだとか。

 このあたりは完全に、支給なので、何セット要請しても問題はないようだ。

 とりあえず俺は、冒険もせず、無難に標準タイプの紺のブレザーの上下に、ネクタイを選んでおいた。

 ただ、ネクタイの結び方がわからない。

 中学も制服はブレザータイプだったんだけど、ネクタイは襟元にピンでつける簡単装着タイプだったから、自分でネクタイを結ぶということはなかったのだ。

 選んだ時、初めてと言ったら一緒にくれた、『ネクタイの結び方』という手本のプリントを片手に、鏡の前でああでもないこうでもないと、悪戦苦闘していると……

「時坂君。ネクタイのしめ方、わからないの?」

 と、あまりの惨状に見かねたのか、はじめちゃんに声をかけられた。


(や、やっと勇気を出して言えた!)

 俺はネクタイに集中していて気づかなかったけど、五分くらい後ろで俺とは別の誰かが百面相していたらしい。


 鏡から、はじめちゃんの方に振り向くと、彼女も俺と同じタイプのブレザーを羽織り、スカートを身に纏っていた。胸元のリボンが、実に学生らしい。

 でも、個人的にスカートは、もうちょっとヒザ上に上げちゃってもいいと思うな。でもそうなると、あの綺麗なみつあみによってかもし出される真面目で内気な雰囲気とバランスがとれなくなるか。なんというジレンマ!

 あと、黒のハイソ(ハイソックス)はとってもいいと思います!

 は、置いといて。

「ああ。そうなんだよ。はじめちゃんは、ネクタイの結び方、知ってる?」

「うん。お母さんがお父さんにやっていたから、習ったことあるよ」

「お。そいつはよかった。教えてくんない?」

「い、いいの?」

 なぜか聞き返されてしまった。

「俺の襟首触るのが嫌でなければ、是非お願いします」

 首に回したネクタイを両手で持ち上げ、その両端を、差し出すかのように、彼女の前に出した。

「こんなどうしようもない男の首ですけど、お嫌ですか?」

「しょ、しょんなことありましぇん!」

 ……かんだ。いつもの二倍くらいの勢いで。

 相変わらず、真っ赤になって恥ずかしがっている。

「なら、お願いしようかなー」

「う、うん。しちれいします」

 かみかみだ。

 差し出したネクタイの両端を、恐る恐ると握って、彼女が俺の方に近づいてくる。

 たどたどしい手が、俺の胸元から首の周りを動き回る。

 そういえば、これだけ接近されたのは、この島に来る前イーターと戦った時くらいじゃないか……?

 ちらりと視線を落とすと、俺のネクタイに触れる手さえ、真っ赤だ。当然、顔も、いつも通り真っ赤である。

 さすがにやっぱり、ここまで近づいての作業は、いつもの二倍恥ずかしいらしい。

 でも、女の子にネクタイを締めてもらうなんて経験。今しか出来ないので、もうとまらないぜ!

 ぎこちない動きで、しめ方を説明しながら、俺の首にネクタイをまいてくれるはじめちゃん。

 胸元に顔を近づけて、可愛い女の子が上目遣いで教えてくれるなんて、これはなんてご褒美なのだ!

 あ、今朝もかいた、女の子独特の、いい匂いがする。

 なんだろう。今日は最高じゃないか!

 鼻息が荒くならないよう、平静を保ちつつ、ネクタイ指導が終わるのを待つ。

 もちろん、彼女の指導は、きちんと聞いている。ただ、自力でやろうとして失敗して、もう一回指導をお願いするかもしれないが!


(青春乙!)

(爆発しろ!)

 どこかから妬みの視線が飛んできているような気がするが、残念ながら、それを気にするほど小心者ではないのであった。


「はい。こんな感じです」

 きゅっと最後のしめを行い、はじめちゃんが、俺の胸元から離れた。

 俺の首に、綺麗にまかれたネクタイが出来上がる。

「おおー。すげー綺麗。サンキュ」

 鏡を使って確認し、上から、下からと、角度を動かしてみる。ネクタイのことなんて、よくわからないが、とにかく形は綺麗にできていると思った。

「どういたしまして」

 えへへ。と、彼女は頭に手をあて、自分を撫でるように照れた。


(うわー。夢にまで見た好きな人にネクタイを結ぶがかなっちゃった! しかも、綺麗だなんて、いつかこんな時がきたらいいなってこっそり練習しておいてよかったよ! お母さんがお父さんにネクタイを結んでいたなんて嘘ついちゃったけど、練習していたのは本当だから、いいよね。一人で練習していたなんて知られたら、引かれちゃうだろうし! でも、ネクタイしめた時坂君。かっこいいなー)


 えへへ。えへへ。えへへへへへー。と、はじめちゃんが俺を見て、なんか百面相をはじめた。

 喜んだり、ちょっと悩んだり、ぽーっとしたり。見ていて面白いので、しばらく放っておこう。



────



「はーい。それではみんな。一度学校に戻りますから、向こうの部屋に集合してくださーい」

 制服選びも楽しい時間も終わり、時計を見た新入生の担任。真壁薫子が場にいる全員に向け、声をかけた。

 本日の授業はこれまでの予定だが、教科書などの荷物は学校に置いたままなので、一度は教室に戻らざるを得ない。

 寮も学園内にあるのだから、バスで再び戻るのは、当然だった。

(……でも、なんで入ってきた入り口からまた出るんじゃなく、さらに奥の部屋へ通されるんだ?)

 時坂廻は、先生の指示に従いながらそんなことを思った。

 案内された場所は、店舗で言うなら、奥にある倉庫のようなところだった。

 すでに制服の選択も終わり、必要な書類も書き終え、やることはすでにないというのに、なぜか、最後の点呼は、駐車場ではなく、工場の奥で行われようとしている。

 奥の部屋に、三十名の新入生が集合し、あとは担任である薫子が、点呼を取りに来るのを待つ。そんな状況だった。

 なかなか来ない担任に、ざわざわと、新入生達は私語などをはじめている。

 店舗風の工場入り口側とは、さらに別の部屋へと向う扉。

 その引き戸が、音もなく、ゆっくりと開いた。

 その扉の奥では、なにかがゆらりと、うごめいた。


 ぼふぁぁ!


 そんな、なにか袋から石灰や、小麦などを撒き散らしたかのような音が、開いた扉から響き、同時に、巨大な煙幕が、新入生の待機する部屋へ広がった。

「なんだこれ!?」

「煙!?」

「火事!?」

 扉の近くにいた生徒の声が上がる。

 最後の声は、悲鳴に近かった。当然だ。火事は、怖い。

 だが、それは火事の煙ではなかった。

 煙は、火事からくる喉にきて、目に痛みを覚えるようなものではなかった。

 喉が痛くなり、鼻から鼻水や、涙を催すものではない。

 ただ、視界が極端にさえぎられる、霧のような煙幕だった。

 唐突に、部屋の中にサイレンが鳴り響く。

『製糸工場に、警戒ランクDを観測しました。繰り返します。警戒ランクDを観測しました。ランク外の者は、速やかに避難してください。ランクDを観測しました。E級以下の者は、速やかに避難してください』

 警報と共に、部屋にいた者達に、動揺が走った。

 ゆらりと、音もなく開いた扉の奥から、なにかがうごめくのが見える。

「新入生。君達は裏の緊急用通路から逃げなさい! 外に出て、トンネルをくぐり、地下街へと抜けるんです。その先の港地区に、シェルターがありますから!」

 職員と思われる誰かの声が響き、その場にいた三十人の新入生は、新しく開いたさらに奥へ向う別のドアへ、一斉に走り出した。

 我先にと走るものもいて、搬入用とは違い、人が三人並べば狭いと感じる扉は、殺到する生徒で、大混雑となる。

 混雑すれば、人の渋滞がおき、動きが止まる。

 身動きのとれなくなった、その最後尾に、煙の中でうごめくそれが、追いついた。

「き、きたぁ!」

 得体の知れないモノの接近に、最後尾にいた男が悲鳴をあげた。

 ゆらりゆらりとうごめくそれが、煙の中から、ゆっくりと形を現す。

 それは、空中に浮いていた。

 まるで、グミとか、粘土のように、ぷるぷるとした、黒い、雫のようなモノが、空中に浮いている。

 大きさは、バスケットボールほどのサイズで、どこか愛らしい形をしているようにも見えるが、その雰囲気は、どこか禍々しく、イーターを見たことがあれば、それは間違いなく、イーターだと断言できた。

「な、なんだよ。こんな小さいのなら、俺だって……!」

 バスケットボール程度の大きさでしかなかったから、悲鳴をあげた男も、自分でも倒せるかもしれない。そう思ってしまった。

 まだ、イクシアのノウハウも知らない、イーターがどういう存在なのかもまだよくわからない。そんな状態だから生まれた、謎の自信。

 男は、そのまま空中にゆらゆらと浮かぶそれを殴り飛ばそうと、拳を振り上げた。

 直後。

 ばくん。

 その、水滴のような形がぐぱぁと開き、そのイーターは、突然膨れ上がった。

 そこに、巨大な穴を持つ黒い球体が生まれ、そのままその人を、丸呑みにする。

 ぼこぼこと、中でナニカが暴れるようにその黒い球体は体をでこぼこに変化させた。それはまるで、中に入った人が、外に出ようともがいているようだった。

 しばらくすると、その動きが収まり、その球体は、ゆっくりとまた、バスケットボール大の大きさに、戻った。

 げふうぅぅぅ。

 穴が閉まる直前。まるでゲップをするかのような音が、あたりに鳴り響いた。

「い、いやあぁぁぁぁ!」

「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」

 その光景を見た人の、絶叫と悲鳴が、上がる。

 ゆらり。

 ゆらり。

 男を食らった小型のイーターの後ろから、さらなる影が揺れる。

 バスケットボール大の黒い雫が、何体も。何体も何体も何体も、隣の部屋から、ふわりふわりと、体を揺らしながら、現れた。



──小走颯太──



 おれっちの名前は、小走颯太。剛力アニキの、一の子分だ。

 今、おれっちは、あの工場から必死に逃げ出し、茂みの中で、ガタガタ震えているっす。

 突然煙に襲われ、悲鳴が上がって逃げ出して、あげく、アニキとははぐれちまった。

 ガサガサと、動くたびに起きる自分の音に怯えて、移動さえままならない。

 逃げる途中で、今日顔をあわせたばかりの誰かが、真っ黒いボールに食われるのを見てしまった。

 このままアレに見つかったら、自分もそうなるのかと思うと、怖くて、身動きすることも出来ない。


「きゃあぁ」


 茂みの奥から、悲鳴が聞こえた。

 多分。女の人の声っす。

 おっかなびっくりしながら、茂みから顔を出すと、そこは、ちょっとした高さのある、コンクリートの崖だった。

 その気になれば、駆け下りられそうな角度はしている。

 その先は、丘を切り出して、平らにして、建物が作ってあった。おれっちの下には、道路が一本あって、その奥は、丘に突き当たって、見事に行き止まり。

 おれっちの正面。道路を越えた側には、建物の敷地を仕切る、二メートルを超える塀があって、その道路に入りこんじまったら、行き止まりで、ジエンドって場所だった。

 顔を出した、おれっちの真下。行き止まりの、真正面。

 そこで、おれっちと同じ新入生が、五体の黒いボールに、追い詰められていた。

 二十歳中ごろほどの、お姉さんだったっす。

 この道路に入りこんじまったら、行き止まり。あとは追い詰められて、逃げ場もなくて、あの人も、このまま、終わりっすね……


 ……おれっちは、あのお姉さんの状況に、見覚えがあった。

 そうだ。この状況。

 これは、おれっちが、アニキとであった時に、そっくりだ。

 アニキとの出会いは、こんな、綺麗に晴れた日の、夜だった。

 ちょっとしたいざこざから、他県の奴等と、ケンカになって、おれっち以外の仲間は、おれっちを置いて、みんな逃げちまった。

 どんくさかったおれっちは、みんなに見捨てられちまったのさ。

 あの女の人と同じく、同じような場所で、絶体絶命。

 仲間に見捨てられて、もう、いいや。なんて諦めた時、おれっちの前に、あの人は現れたんだ。

 突然空から降ってきた、大型バイクと大きな背中。

 まるで、巨大な怪物が咆哮をあげたかと思うようなエンジン音を響かせ、おれっちとそいつらの間に、アニキはわりこんできたんだ。

「一対五とは、気にいらねえな。なんなら俺が、そのケンカ、買ってやるよ!」

 ヘルメットのゴーグルを上げ、五人相手にそう言い切ったアニキは、とってもカッコよかった!

 ケンカは、あっさり勝負がついた。

 むしろ、勝負にならなかった。

 奴等は、アニキが二百キロを越える、アニキが乗ってきた大型バイクを片手一本で振り回したのを見て、一瞬で戦意喪失しちまったからだ。

 圧倒的なパワーと、男気。それ以来、おれっちはアニキに、男惚れしちまった。

 その日から、アニキはおれっちの憧れなんだ。

 なぜ、おれっちを助けてくれたのかと聞いたら、アニキは、こう言った。


「女、子供。そして困っているヤツを助けるのは、(おとこ)の役目だ」


 おれっちには、絶対忘れられない、その言葉と、漢の背中。

 それを思い出した、その瞬間。

「うっ、うわああぁぁぁぁ!」

 おいらは、近くにあった棒を拾って、崖を駆け下り、近くにいたボールに殴りかかっていた。

 かたかたと、足が震える。

 でも、おれっちは、おれっちは、おれっちだって、漢なんだ!

 ここで逃げたら、女の人を見捨てたら、二度と、アニキに顔向けできねぇ!

 お姉さんの目の前に迫ったボールに棒を振り下ろした。

 一匹が、棒の一撃によってバウンドして、壁にぶつかる。

 おれっちは、お姉さんを背に隠すようにたちはだかって、さらに、必死になって、棒を振り回す。

 棒が、ボールに当たり、何体か殴り飛ばした。

 ダメージが入っているのかわからないけど、これなら、いける。そんな気がした。

「お姉さん。早く、早く逃げてっす!」

 このまま、お姉さんの手を引いて、逃げれば……!

 おれっちも、アニキみたいに……!

 そう思った、瞬間。

 真横に、大きく広がった、黒い穴が、あった。

 ボールが膨れ上がり、その大きな口を、おれっちに向かって、開いていた。

「あっ……」

 思った時には、もう遅かった。


 ばくりん。


 おれっちの体は、その黒い穴に、吸いこまれた……

 頭がくらくらとして、まるで眠るように、闇の底へ落ちていくのがわかった。

 ああ……おれっちは、ここで、終わりなんだ。

 闇に落ちながら、そんなことを、思った。


 ……アニキ、おれっちは、やっぱり、アニキみたいには、なれなかったよ……



 ──同時刻。

「っ! 小走ぃ!」

 舎弟である小走颯太とはぐれ、林の中を必死に彼を探す、剛力龍雄は、嫌な予感を感じ、立ち止まった。

 周囲を見回すが、視界には誰もいない。

 いるのは、木々の間をふよふよと飛び、自分へせまる、小型のイーターだけだ。

「邪魔だ!」

 豪腕のイクシアを発動し、その腕を太く、硬く変化させ、口を広げようとするそのボールへ、右ストレートを叩きこむ。

 剛力龍雄は、イーターにイクシアをもちいてのみしかダメージを与えられないことは知らなかったが、イクシアの使い方は知っていた。

 ゆえに、その身を強化するイクシアの拳は、イーターにダメージを与えることができる。

 自分の力で小型のイーターを倒せるとわかった彼は、こうして道々にイーターを倒し、大事な仲間を探しているのだ。

 駆け出すと、急に視界が開けた。

 林を、抜けたのだ。道路と、先ほどまでいた、製糸工場が近くに見えた。

「くそっ。どこに……」

 さらに、きょろきょろと辺りを見回す。

 視界に動くものは、誰も居ない。イーターはともかく、島民一人も見当たらなかった。

「ん?」

 いや、動くものは、いた。

 見つけたのは、わりと能天気に道を歩く、時坂廻と、その影に隠れて、おどおどと歩く、天知はじめの二人組だった。

「なんであんなに堂々と歩ってやがるんだ。あいつら……?」

 自分のように、腕に覚えがあれば、堂々と歩いて問題はないだろう。だが、あの二人は、モヤシ小僧と単なる女の子だ。

 普通ならば、ただひたすらに逃げ惑っていて不思議はない組み合わせである。

 そんなのが、ふらふら出歩いていたら、自殺行為だとも言える。

「ったく。なにやってんだ」

 ため息をついて、リーゼントを小さく揺らした龍雄は、その二人へ駆け寄っていく。

 小走に宣言したとおり。彼は、女、子供、そして困っているヤツを放ってはおけなかった。



──時坂廻──



 俺は、あの煙幕騒ぎがあった直後、近くで驚き、固まっていたはじめちゃんの手を引いて、あの場から逃げ出した。

 何故彼女を連れ出したのかと言うと、単純に近くに知り合いがいて、呆然としていたからだ。

 悲鳴と、怒号と、混乱が広がる中、俺は、指示さた緊急用の通路ではなく、最初に入ってきた、工場入り口の、服屋みたいな出入り口の方へ、走る。

「え? でも、こっちって……」

 入り口から出て、駐車場の方へ出たところで、はじめちゃんもそれに気づいて、声をあげた。

 俺達は、完全に指示に逆らって、逆へ移動している。と。

「いや、いいんだ」

 だが俺は、その言葉を無視して、駐車場を見回す。

 駐車場には、乗ってきたバスが、なかった。

 さらに、工場の外に、誰もいない。あんなにいた職員、誰一人とも出会わず、俺達は、工場の外に出た。

 助けに来る人も、逃げ惑う職員もいない。

 あるのは、逃げ惑う新入生の悲鳴のみ。

 これで俺は、この状況が、どんなものか、ほぼ確信した。

 そもそも今の状況は、最初から違和感があった。

 イーターからのダメージを軽減するなんてシロモノを作っている、とてつもなく重要な場所だというのに、あんなに簡単に、しかも部屋の中に、あんなにもたくさんのイーターの出現を、見過ごされるのだろうか?

 さらに、工場内にいたはずの、薫子先生が姿を現さなかったのも、違和感を膨らませる理由になった。昨日、バスを巨大イーターを襲った時や、体育館の電球が破裂した時は、あんなに迅速に障壁をはったというのに、今、この状態で、どこにもいる気配がないのは、なぜなのか。

 ここは、イーターと戦うために存在する島。そんな不手際が、あるのだろうか?

 違和感をあげればあげるほど、この状況がおかしいことに、気づく。

 俺は、駐車場に出て、この状況についてほぼ確信していたが、さらにもう一つ確信を得るため、駐車場を横切って、工場の敷地から出るため、はじめちゃんの手をとり、動き出した。

 はじめちゃんは、怯えてはいるが、俺の行動に、これ以上の疑問は、さしはさんではこない。俺を、信用してくれたということでいいのだろうか。

 工場の門から出て、その標識を見た時、俺は、やっぱり。と声をあげてしまった。

 バスに乗って工場に来る時、窓の外から、この工場近くに、シェルターの入り口を現す標識があるのが見えたのを覚えていたのだ。

 そして、実際に工場の目の前に、そのシェルターがあった。

 だというのに、あのイーターが現れた時の指示は、そこから遠い位置への避難だった。敷地を抜けて、トンネルを通って、地下街を抜けるなんて、逃げ場を限定された位置で行う、鬼ごっこみたいじゃないか。

 もっと冷静に考えれば、あの工場の中にも、シェルターがあっても不思議はない。

 なのに、わざわざ外に出した。

 この標識については、新入生のほとんどは知らないことだろう。俺が知っていたのは、ここに来る前、教科書をチラ見して、知ったから気づけたものなんだから。

 このシェルターに関しては、昨日も今日も、あることはほのめかされていたけど、どこにあるかは言われていない。

 それもまた、このために、秘密にされていたんだろう。

 そして、これが最も、確信を得られる理由。と言うのも嫌だが、もう一つ、理由がある。それは、あの理事長の、性格だ。

 これらのことをふまえて考えれば、この状況は、十分に答えが導き出せた。


 この状況はつまり、洗礼なのだ。


 新入生に、幻や、人形なんかの偽物のイーターなんかをけしかけて、戦いの厳しさを強制的に教えさせる、一種の洗礼。

 イクシアの不思議な力を使えば、偽物のイーターを生み出すのも、不可能じゃないはずだ。

 イーターがどんなに恐ろしいものなのか、授業開始前に教えこむ。そうすれば、この島は本土とは全く違う場所だとよく認識でき、さらに死にたくないと考え、真面目にイクシアを学ぼうとする。

 そうすれば、今後の教育はスムーズに進むし、面倒も少なくなる。

 俺なら、入学直後の、なにも知らないこの状況に、それを実行する。

 なら、あの理事長も、きっとそーする。

 つまりこれは、意図的に引き起こされた事態。ならば、あの小型のヤツに食われたところで、死にはしないだろう。

 まあ、訓練だろうが洗礼だろうが実践だろうが、シェルターに入ってしまえば、問題はないはずだ。

 そんなことを考えながら、俺はシェルターの標識の下に駆け寄り、標識の柱にあった、小さなレバーの収まった蓋をあけ、引っ張った。

 すると、シェルターの立つ標識の周囲が、円状に光を放つ。

 マンホールのふたほどの大きさの光の円が現れ、『白線より、外側にお立ちください』というアナウンスが流れた。

 俺はそのアナウンスに従い、素直に後ろに一歩下がった。

 すると、そのラインに沿って、ポールが地面から突き出し、その中に納まった、丸いカプセルみたいな筒が、姿を現す。

 一人乗りと思われる、エレベーターだ。

 ぷしゅーという音と共に、入り口と思われる扉が、開いた。

「うん。これで、安全かな」

「え? え? どういう、こと?」

 事態が飲み込めきれていないはじめちゃんを振り向き、俺は微笑んだ。

 うん。反応が面白い。これは、洗礼の一種だってのを伝えない方が、後々の反応も楽しめそうだな。

 なので、レディーファーストということで、はじめちゃんを先にシェルターへ、どうぞしようとした……


「おい!」


 ……ところで、そんな俺達へ、背後から誰かが、声をかけてきた。

「ぴゃぁ!」

 突然の声に、はじめちゃんが飛びあがる。

 はわわと、地面から生えたシェルターの影に逃げようとしたのを、俺の背中に誘導する。さすがに、手の届かないところへいかれると、いきなりボールに襲われたとき、対処できないから。

「うぉっ!? す、すまねえ。驚かすつもりはなかった」

 はじめちゃんのあまりの驚きっぷりに、声をかけてきたリーゼントの人が、謝る。

「いえいえ。状況が状況ですから、仕方ないことです。はじめちゃん大丈夫。味方だよ」

「そ、そうだね。ご、ごめんじゃさい……」

 ……かんだ。

 俺の背中からおずおずと顔を出した彼女だったけど、肝心のリーゼントの人の顔は、マトモに見れないようだ。

 相変わらず、人見知りだなぁ。

「いや、いいんだ。いきなり声をかけた俺もわりぃ。ちょっといいか?」

 ぼりぼりと、首筋をかきながら、申し訳なさそうに、言う。

「いいですよー。俺で答えられることなら」

「そうか、助かるぜ。まず、俺のダチの、小走のヤツ、しらねーか?」

「小走? え? 誰?」

「アイツだ。俺といつも一緒にいる、五厘頭の」

 そう言われて、ポンと姿が思い出せた。

 ああ。あの子分の人、そんな名前だったのか。

「いえ。見てませんね」

 そもそも、工場から出てきて、誰にもあっていない。

 はじめに出会ったのは、この人だ。

 ……というかこの人、どこをどう通って、こっちにきちゃったんだろう? 指示されたルート、思いっきり外れてるよね。

 ここ、多分反対側だよ?

「そもそも、こっちあの逃げろって指示されたのと反対方向なんですけど、なんでここに?」

「いや、あいつとはぐれたから、あの場所へ戻ろうとして、走ってきたんだが、どうやら表に回りこんじまったみたいだな」

 やれやれと、近くに見える製糸工場の建物を、見上げた。

 工場の隣には林が広がっている。裏から出て、こっちに回ってきたってことか。

「こっちに逃げたのは、俺達くらいですから、きちんと逃げたのなら、あっちでしょうね」

 逃げ場として指示された方向を、指差す。当然それは、こことは工場を挟んで、反対側だ。

 探して動いていたなら、大変なタイムロスだろう。

「くそっ。こんな時に!」

 リーゼントの人は、俺の言葉に憤る。この人、実に仲間思いだね。

 シンプルで、とってもいい。

 憤ったリーゼントの人は、拳に力をこめ、シェルターを力いっぱい殴った。

 がんっ!

 という重い音がして、生えたカプセルが、斜めに歪む。さらに、ぶるぶるっとそのカプセルが震え、扉を開くためのボタンが、小さくボム。と爆発した。

「あ」

「あ」

 俺とリーゼントの人の声が、場に響く。

 ちょっ、待てよ! いくらなんでも、もろすぎないか!? いや、腐ってもパワーアップのイクシア使える人だから、その一撃は、やっぱとんでもないのか?

 そういや三百キロくらい簡単に持ち上げられるパワーなんだから、そんなんで殴ったら、そりゃすげー威力だろうよ!

 ポチポチと、反応しなくなったボタンを押すが、当然反応がない。完全に、機能停止していた。

「つーか、これ、なんだ?」

 斜めになったカプセルを指差し、リーゼントの人が、俺に聞いてきた。

 ゴーリキさん。なにも知らないのに、力いっぱい殴んないでください。

「これ、シェルターです。多分、入り口。入れば多分、安全でした」

「お、おおお……す、すまん……」

 事態が飲みこめたのか、両手をぷるぷるさせ、カプセルを直立に立たせなおす。

 がた。がたと、カプセルを揺らし、なんとか直立になった。

「ふー」

 なぜか、とっても満足そうだ。

 でも、当然直立したからって、動くわけがない。

「とりあえずゴーリキさん。責任を感じるなら、はじめちゃん守ってもらえます?」

「……うん」

 俺が冷たく言い放つと、しょぼんとしたリーゼントの人は、素直にうなずいた。

 とりあえず、この人にも洗礼だってことは秘密にしとこう。最後まで緊張して、疲れまくれってんだ!

「んじゃ、とりあえず、最初に指示されたシェルター目指しましょうか。そっちに行けば、その小走さんにも会えるでしょうし」

「そうだな」

「は、はい」

 リーゼントの人こと、ゴーリキさんを仲間に加えた俺達は、しょうがないので最初に指示された工場の裏側トンネルの先にあるシェルターを目指すことにした。



────



 観測室。

「現在、新入生の脱落数は十二になりました」

 地図の中に映る光点が一つ、また黒点に食われ、消えた。

 これで残りの光点の数は、十八。

 モニターには他に、口をあけたあの黒いボールから必死に逃げる、新入生の姿が映し出されていた。

 もうじき追いつかれ、ばくりとやられるだろう。

「あらー。今年の脱落速度は、けっこう速いわねー」

 一段高くなった特等席でそれを見ながら、銀之丞はつぶやいた。

「はてさて。今年は、何人、生存状態で生き残るやら」

 ニヤニヤしながら、銀之丞はモニターへ視線を向ける。

 この一件は、廻が予測したとおり、戦いへの洗礼であった。

 新入生への、抜き打ちテストみたいなものである。

 実戦の恐ろしさを伝え、いくら高ランクで入ってきた者といえども、努力しなくてはあっさりとやられるというのを教えこませるのも目的である。

 この洗礼を通過することで、南国気分でやってきた新入生の認識も、大幅に変わり、後の生存率が、大きく違う。

 悪趣味と言われるが、これは、この先生き残るのに必要な洗礼であった。

 光点がまた、二つ消える。

 これで残りは、十五。丁度半数だ。

「半数の人数が脱落した時間、今年はいつもより速いわねぇ」

「はい。平均より、五分速い脱落になります」

 銀之丞の言葉に、オペレーターが、正確な時間を答え返した。

 あらあらと、ほっぺたに手をあて、銀之丞は息を吐く。

「でも、その分質のいい子も、いるわねぇ」

 ちらりと、視線を向ける。

 一つは、剛力龍雄と共に移動する、時坂廻ご一行。

 こちらは、理事長お気に入りなので、ちょっと贔屓目が入っているだろうか。

 だが、新入生で唯一、この襲撃を、人為的に引き起こされた洗礼と気づいたし、シェルターの入り口をきちんと把握している洞察力は、十分合格点に達するだろう。

 上からの指示に、素直に従わない。というマイナス点もあるが、それはそれで、銀之丞としては、プラス評価である。

「さすが、アテクシの見こんだ。お、と、こ。ね」

 うふふ。と笑う。

 そして、もう一つ、巨大モニターの隅に映った別の画面へと視線を向ける。

 そこには、光の刃を手から生み出し、擬似イーターを切り裂く、豊増光の姿があった。

 銀之丞が、注目するもう一人は、この子である。よい意味でも、悪い意味でも。



──時坂廻──



「そういえば、お前のイクシアって、なんだったんだ? 廻よぉ」

 反対側へ向うため、工場の壁にそって林を移動していたリーゼントの人ことゴーリキさんが、後ろを歩く俺に声をかけてきた。

 軽く自己紹介したら、あっさり名前を呼ぶのは、この人らしいと言えるだろう。

 ちなみに、はじめちゃんのことは、天知と呼び捨てである。

 歩いている場所は、壁のすぐ横にあった、排水のための側溝である。林の中にある獣道を歩くより、歩きやすいし走りやすいので、俺達はそこを選んで、歩いていた。

 歩く順番は、ゴーリキさん、はじめちゃん。そして殿に俺である。

 強気のゴーリキさんと、この襲撃の裏に当たりをつけて余裕のある俺が、怯えるはじめちゃんを真ん中にして、一気に進んでいる中、突然の質問だった。

 あたりになにが潜んでいるかもわからないと言うのに、なんと堂々たる声をあげるのだろう。この人は。ひょっとして、この一件が洗礼だと気づいて……いるわけないか。

「あー」

 怯えてきょろきょろ林の方を警戒するはじめちゃんの背中を押しながら、俺は考える。

 昨日のランク測定中、装置が爆発してしまったため、俺だけどんなイクシアを持っているのか、不明なままだったんだよな。あの爆破のあと、俺だけ身体測定をするため残ったから、イクシアを再測定したのかも。とか思ったのかもしれない。

 俺だけランクも出なかったし、C級なんて出した豊増のことを気にしていたゴーリキさんだから、そのへん気になったのかな。

 とはいえ、このループ能力のこと、言うべきか? いや、そもそもまだ、ランク測定が終わっていないんだから、わからない。で十分問題ないんだよな。

 ループ能力のこと言っても、死ななきゃ発動しないから、証明できないし。

 なら、再測定されてはっきりした時、言えばいいや。

「昨日はあのあと身体測定しただけで、再測定はしてないんですよ。だから、結局不明のままなんです」

「あー。そうなのか。まあ、爆発しちまったからなぁ。なら、天知の方は、どうなんだ?」

「ひゃぃ!」

 突然話をふられたはじめちゃんが、びっくりして飛びあがった。

「うぉっ!? 毎回毎回、俺まで驚かせないでくれよ」

「す、すみまししぇん」

 ……かんだ。

「で、どうなんだ? 流石に今の状況だからよ。力があるなら、頼りにしてえところなんだが」

「じ、実は、一度使ったことはあるんですけど、あの時は無我夢中で、どうやったのかわからないんです……」

 はじめちゃんの体が、どんどん縮こまってゆく。

 むしろ俺とは違って、任意で一回発動させているんだから、もっと胸を張ってもいいと思うが、それで胸をはれるのは、俺とかゴーリキさんくらいか……

「つーか、ゴーリキさんは、どんな感じでそのイクシアを使ってるんですか? コツみたいのがあれば、是非教えてください」

 俺は、周囲への警戒をしながら、話に加わった。なにかコツみたいなのが教えてもらえれば、俺も任意でループできたり、はじめちゃんに武器を作ってもらって、色々状況を有利に運べるようになる。

 いくら洗礼と予測がついていても、あんなボールに食われるのはごめん願いたいし。

「んー」

 側溝の上を歩きながら、ゴーリキさんがアゴに手を当て考える。

「そうだな。俺の場合は、こう、ぐっと力を入れて、ガッとして、ふん! という感じにやると、使えるな」

 右手を握ると、そのままムキッとゴーリキさんの右手の筋肉が、大きく盛り上がった。

 いやいや、そんなふわっとした説明で……

「わかりました」

「……わかるんだ」

 うんうんと、はじめちゃんが納得したようにうなずいている。

「こう、ぐっとして……」

 ギュッと目をつぶったのか突然立ち止まり、両手を胸の前でぐっとにぎり、ガッとして、「えいっ!」と声をかけると、彼女の前に光が生まれ、あの時と同じような、抜き身の刀が生えてきた。

 ホンマに、出来よった……

 俺にはさっぱりな説明でしたよはじめちゃん。なんというか、天才肌なんすね。

 光に気づいたゴーリキさんも、振り返って少し驚いている。

「おお。できたな!」

「はい。できました!」

 ゴーリキさんがにかっと笑い、はじめちゃんも嬉しそうに笑顔を返した。

 あ、少し慣れてきたかな。いい傾向だね。

 光の中から、刀の全身が姿を現すと、その光は消え、はじめちゃんの両手に、刀が納まった。

 両手で少し重そうに、刀の柄を、逆さまに持つ。

「それがお前のイクシアか」

 へー。と、現れた刀を見て、ゴーリキさんが感心する。

「は、はい。製作のイクシアみたいです。ですから、武器を作れるみたいなんです」

「そりゃすげぇな。おい廻。お前これ、使えんのか?」

「一応、剣道やってましたから、棒状の武器ならそこそこにはー」

 小学校の頃の話だけど。

「じゃあ、お前が使え。天知が持つより、お前が持った方が役立つだろ」

「ゴーリキさんは?」

 俺より、パワーのあるゴーリキさんが持った方が、色々便利だとは思うけど。

「いらねえな。俺には、この拳があるからな!」

 拳を握り、ぐっと力をこめ、力こぶを作った。

 こういう時は、無闇に頼もしい。

「了解。じゃあはじめちゃん。それ、貸してもらっていいかな?」

「う、うん」

 刀を、手渡された。

「サンキュ。責任感じてるゴーリキさんも、俺も、はじめちゃんのこと、必ず守るから」

「へっ!?」

 なんか、俺の言葉は予想外だったようで、一気に真っ赤になったです。

「わっ、わっ、わ、わわわわ……」

 なんだか、わたわたと、顔の前で両手を振り回しはじめた。なんか混乱しているようだ。

 別に、大したこと言ってないのに。はじめちゃんがやられたら、この武器なくなっちゃうんだから。


(こ、こんな状況なのに、わたし、わたしってば、憧れてたお姫様みたいだなんて、なんてこと考えているの!)


「はーい、行くよはじめちゃーん」

 混乱が激しくなったはじめちゃんをくるりと回転させ、俺は背中を押し、とまっていた進行を、再開させた。


 警戒しながら、側溝を歩いて先を目指す。

 幸いにも、林の中や、壁の上、側溝の中などから、黒いボールが飛び出してくることもなく、林を抜けることが出来た。

 ゴーリキさんが俺達と合流する前に、何体か排除してきたのも大きかったのだろう。

 あと、元々こちらへ逃げてきた人数も、ほとんどいなかったのも、大きな要因だ。

 そして、俺達が姿を現した、工場裏手の道路。そこに、もう一つ、俺達が黒いのと出会わなかった要因となった、答えがあった。


 俺達が林を抜け、反対側の道路へ抜けた瞬間。俺達の方に向って、黒い物体が飛んできた。

「うおっ!」

 先頭を歩いていたゴーリキさんが、驚きながらも、反射的に、それをかわす。

 鼻先をかすめたそれは、工場の壁にぶつかり、跳ね返ってもう一度ゴーリキさんを襲う。

 飛んできた物体は、件の黒いボールだった。

 回避を行い、態勢の崩れたゴーリキさんにめがけ、バスケットボール大だったその体に穴が空き、大きな口を開こうとする。

「危ない!」

 とっさに俺は、はじめちゃんの作り出してくれた刀を振るった。

 上から下へ、すぱっという手ごたえを感じ、刀はその黒い物体を、まっぷたつに切り裂いた。

 綺麗に真っ二つになったそれは、ボロボロと、黒いチリとなって、虚空に消えてゆく。

「な、なんだいきなり!?」

 声をあげたゴーリキさんが、その黒いボールの飛んできた方へ、視線を送る。

 俺も、黒いのが消えるのを見届けた後、はじめちゃんを背中に隠すように移動して、そっちを見た。

 道路の真ん中では、パンツスタイルの制服を着た豊増が、二体の黒いボールと戦っている姿があった。

 右手に、光のナイフのようなものを持ち、口を大きく開き、豊増を飲みこもうと近づいてきた一体へ逆に近づき、その光のナイフを、その側面に突き立てた。

 右手を大きく振り切ると、光のナイフが刺さったまま、振り切った方へ、その黒いボールは、吹き飛ばされてゆく。

 それは、力なく道路を転がり、そのままぼろぼろと崩れていった。

 さらに、もう一体のボールも、豊増を襲う。

 一体を攻撃した隙を突く、連係プレーだ。そのボールは、口を開くのではなく、豊増の背中にめがけ、バスケットボールサイズのまま、体当たりを敢行した。

 豊増は、その一撃をかわしきれない。体をひねり、左肩でそれを受ける。

 だが、ダメージを受けたのは、黒いボールの方だった。

 豊増の肩から生えたナイフほどの長さの光の刃が、そのボールに突き刺さり、突撃したボールを貫いていたのだ。

 光刃のイクシア。

 俺の記憶が正しければ、確かあれは、両手か、もしくはその手が触れた場所に、光の刃を作り出す力だ。

 豊増はむしろ、あの体当たりがあそこに来るのを予測して、自分の肩に触れて用意しておいたのだ。

「おおー」

 俺は思わず、感嘆の声をあげてしまった。

 これだけ戦えるんだから、フェリーの時、ゴーリキさんに絡まれても平然としていたわけだ。

 あ、なにかカチンと来たゴーリキさんが、両手をポケットに入れて、メンチ切りながら豊増のところへ歩いてった。

 パンパンと、ズボンの裾についたほこりを払っていた豊増が、ゴーリキさんの存在に気づき、そして、俺達の存在にも気づいたようだ。

「おうテメェ、一体ここまで、何体アレ、倒した? あぁ?」

 完全にチンピラモードである。

 フェリーの悪印象が、そのまま続いてるって感じだなこれ……

「はぁ。そんなのを聞いてどうするの?」

「テメェより、俺の方が優れてるってことを証明するためだよ。俺はもう三体倒してきたぜ」

「僕は四つ。かな。僕が蹴飛ばしたのを、時坂が倒したけど、それもふくめれば、五体」

 やれやれと、小さく息をはいて、わずらわしいという態度をとりながらも、豊増の言葉は、完全に挑発している。

「あぁ!? 最後のは廻の手柄だろうが。テメェの倒したのは、あくまで四体だ。つまり、俺があと一体倒せば、てめえと一緒よ。テメェには、ぜってー負けねえ!」

「……わずらわしいなぁ」

 憤るゴーリキさんに、うっとおしそうにため息をつく豊増。

 一触即発の空気が流れたので、俺はとめにはいることにした。

「はーい。ストップー。ゴーリキさん、優越を決めるのはいいんですが、その前に、はじめちゃんへの責任を思い出してください」

「うぐっ……!」

 ちょっと卑怯だが、シェルターの入り口だろうカプセルをぶっ壊したのを引き合いに出す。

 姿が姿だから、こういう約束は、本気で守り通そうとする人だろうと思っていたが、どうやら読みどおりのようだ。

 いくらか頭を抱え葛藤した後、すごすごと、ゴーリキさんは俺達の方へ戻ってきた。

 後は俺に任せた。というように、親指で豊増を指差し、はじめちゃんの近くで、頭をたれたまま、ヤンキー座りをはじめる。

 はじめちゃんは、おろおろして、かける言葉がみつからないようだ。

 で、俺と豊増の目が合う。

「で、君はなんでこんなところで戦ってるの?」

 とりあえず俺は、一番最初にわいた疑問をぶつけてみた。

 林を抜け、今出てきたところは、工場の裏側。最初に逃げろと指示され、出口から出て裏門を抜けたところにある道路だ。

 でも、その位置は、裏門とむかえと指示されたトンネルとは、これまた反対側。門から出て、右に進むべきところを、左に進んだようなところなのだ。

 あの小型イーターを自分で狩りにいったか、それとも道に迷っていなければ、今さらこんなところにいるのも、不自然な状況である。

 だが、なんで。という疑問に、豊増はむしろ首をひねった。

 ……なんか、この状況、見覚えあるな。

「こんなところって、僕は指示通り、トンネルに向っているところだよ」

「……」

「……」

 俺と豊増。さらに、俺の後ろにいるお二人も、言葉がなく固まった。

 豊増の顔はマジだし、冗談を言っているようにも見えない。なら、導き出せる答えは、一つだ。

「こっち、全然別の方だよ。ちなみに、トンネルはどっちにあると思う?」

「……」

 豊増は無言で、周囲をキョロキョロと見回した。

 そして、今俺達が出てきた林の向こうを指差す。

「……」

 どうやらこの子、地理はあまりお得意じゃないようだ。

 ひょっとして朝も……?

 俺より早く出たはずなのに、後ろから出てきたのは、ジュースを買っていたからだけじゃなかったりするのか!?

「ちなみに、トンネルの方向はあちらです」

 今から俺達が向う、豊増が指差したのとは真逆の方を指差した。

「……ホント?」

「嘘ついてどーするのさ。だから、ここは広い心を持って、一緒に行こう。俺もはじめちゃんも、戦力は多いにこしたことはないし」

 じっと、因縁をつけてきたゴーリキさんの方を見るけど、俺がもう一度頼む。と頭を下げたら、しぶしぶながらも、承諾してくれた。

「わずらわしいけど、しょうがないか」

「はっ。方向音痴が偉そうに」

「……ケンカを売ってる?」

 立ち上がったゴーリキさんと、豊増のメンチのきりあいがはじまる。

 一方はリーゼントの不良。もう一方は、肩まである髪を後ろで束ねた、線の細い女の子(恵方巻きつき)

 身長百八十センチを超えるゴーリキさんと、百六十ない豊増のにらみ合いは、どこか滑稽な姿に見えなくもなかった。

 後ろに、龍と虎が見えるほど、迫力はどちらも負けていないけど。

「はいはい。仲間ウチでもめてる場合じゃないから! いきますよ。ゴーリキさん先頭。はじめちゃん次。三番目俺で、殿豊増。行くよ!」

 強引に二人を引き離し、トンネルへ向わせる。

「けっ」

「ふん!」

 と弾かれるように別れ、俺達はトンネルに向って歩き出す。

 本当は俺が、背後を警戒する殿を勤めておきたいところなんだけど、そうなるとこの仲の悪い二人の間に挟まれるはじめちゃんの振動がとんでもないことになりそうなので、ああいう並びになった。

 ああもう。おかげでこれ、一種の洗礼だって、言い出せないじゃないか。言ったら絶対バラバラに動いて、数を競いだすよこの二人!



 ……

 …………



 工場の裏門前を通過し、そのまま道路を進んで、俺達は一番最初に指定された、トンネルの前にやってきた。

 どうやらこの先は、小高い丘をくりぬいて、その先にある港に繋がっているようだ。最初に俺達が降り立った、港に。

 トンネルだけが逃げるためのルートでもないようで、工場から街の方へ向う道路ものびている。

 だが、その道路は、あくまでまっすぐ。ずっと先に街並みが見えるが、その途中に遮蔽物も、シェルターも、隠れる場所など全くない、見事なストレートだった。

 そこであの黒いボールに追われたら、まっすぐストレートを、ひたすら追いかけられることになる。

 よほど足に自信がない限り、あの黒いボールに追われ、ここまで逃げてきたのなら、誰もがトンネルへ逃げたくなるつくりだった。

 いやはや。配置が、えげつねぇな。

 この調子だと、トンネルの中とか、地下街も色々ありそうだ。

 考えたヤツの趣味はやっぱり、相当悪いぜこりゃ。

 洗礼ってあたりがついてなきゃ、余裕もなく、プルプル震えちゃったかもしれないよ。俺も。

「ホントにこっちにあった……」

「小走、無事でいろよ……」

 トンネルを見つけた豊増とゴーリキさんが、小さくつぶやきながら、トンネルへ足を踏み入れた。

 トンネルの中は、電灯もついて、とても明るかった。

 長さはあまりなく、トラック一台が通れるくらいの幅しかない。

 トンネルは途中で、地下街の入り口に変わり、道の突き当たりはT字の曲がり角になっていた。

 そこのどちらかが、地下街に通じているのだろう。

 さらに周囲を観察すると、トンネルの入り口にシャッターがあるのがわかった。

 曲線になった天井に、シャッターが収められているだろうスリットも見えた。

 壁にレバーも設置してあり、通常展開というの以外にも、緊急展開という表示もあった。

 ここはやっぱり、イーターとの戦いの最前線なのだな。と思い知らされた。

「おい。いくぞ」

「あ、ごめん」

 ちょっと遅れたことに気づいたゴーリキさんが、殿の俺に声をかけてきた。

 やっぱあの人、面倒見はいいなぁ。

 俺は返事を返して、皆を追いかける。

 が、俺が足を速め、皆に追いつこうとしたところで、一斉にみんなの足がとまった。

 おかげで、はじめちゃんと豊増を追い越して、ゴーリキさんに並んでしまった。

 いきなりなんでとまった。と思ったが、すぐ状況が飲みこめた。


 トンネルの中に、突然黒い影が現れ、そこからイーターが這いずり出てきたのだ。


 今までとは違い、二メートルほどの人型で、ぬめりを持った真っ黒い外皮をしている。

 一番最初にはじめちゃんとであったヤツに似ているけど、雰囲気が、それより禍々しく見えた。

 それは、トンネルの中心に立ち、俺達の行く道を、完全にふさいでいる。

「これまでのヤツとは、ずいぶん雰囲気が違うな。だが、丁度いい。雑魚とは明らかに違うこれを倒せば、俺との格の違いってヤツもはっきりするだろ!」

 ぺきぽきと指を鳴らしながら、ゴーリキさんが一歩前に出た。

 丁度俺の後ろになった豊増が、それを見て小さくため息をつく。

「……わずらわしい。どっちが上とか、そんなの僕はどうでもいいよ。勝手にすればいい」

「ああ勝手にするぜ。あとでほえヅラかくなよ。Cランクさんよぉ!」

 そう言いながら、ゴーリキさんは、雄叫びを上げ、その人型イーターに飛びかかっていった。

 流石に一人じゃ分が悪いんじゃないか。と思ったけど、今までの状況から考えれば、やっぱりこれは洗礼で、やられても死にはしないだろう。

 だから、俺は、ゴーリキさんがつっこんでいくのを、見守ってしまった。

 しゃきん。と、イーターの腕が伸びて、まるで肘から先が、刃物のように変わった。

 刹那。

 トンネルの中を、一陣の風が、吹きぬけた。

「え?」

 気づけば、俺はトンネルの中を舞っていた。

 まるで、竜巻かなにかに、体をまきあげられたみたいだ。

 だが、なにかおかしい。

 ああ。そうだ。なにがおかしいって、トンネルの床に、俺の下半身が、あるじゃないか……

 くるくると回る視界の中に、突撃したゴーリキさんが、フラフラとトンネルを走り、唐突に脳天から股下にラインを描いて、二つになきわかれているのが見えた。

 視界がもう一回転すると、今度は、あの人型イーターが、はじめちゃんを背に守るように立つ豊増の前にいる光景に出くわした。

 イーターは、無言のまま、刃に変えたその右腕を、大きく振り上げている。

 青ざめた顔をした豊増が、両手に光の刃を生み出し、バツの字を描くようにして、その刃をかかげた。

 ランクCと言われたその光刃は、確かにその一撃を受け止めた。それどころか、イーターの腕剣を、半分近く切り裂いてもいた。

 長さはともかく、威力は、豊増の方が上のようだ。

 だが、それだけだった。イーターの残ったもう一本の腕剣。それが無慈悲に、豊増の体を刺し貫いた。

 振り下ろした一撃を受け止め、身動きの出来なくなった豊増の体に、その黒い刃が、めりこんだのだ。

 かはっ。と血を吐き、豊増の体が崩れ落ちてゆく。

 崩れ落ちる豊増から。

「兄さん。ごめん……」

 という声が聞こえた気がする。

 そのまま、俺は、回転しながら、トンネルの床に、頭から落下した。

 ぐしゃぁ。という嫌な音が頭の中に響いた後、俺の意識は、暗闇の中へと、落ちていく。

 幸いだったのは、はじめちゃんがむごたらしく殺されるのを、見なくてすんだ。ということか……


 この島に来て、一発目のループである。


 ……あれ? しかし、おかしいな。

 これ、一種の洗礼じゃ、なかったのか?

 俺の予想、外れてた……?



────



 トンネルに人型イーターが、這いずり出たのと同時刻。観測室。

 その反応の出現に、オペレーターが、驚きの声をあげた。

「ランクCの擬似イーターがトンネルに出現しました!」

「ランクC!? 登録は!?」

 報告を聞いた銀之丞が、腰を少し上げ、オペレーターに聞き返す。

 登録とは、今回の洗礼に使用された、このイーターもどき。擬似イーターが、何体いて、どこで動いているかを現すための、識別信号登録のことである。

 だが、今回は警報にもあった、ランクDまでしか、擬似イーターは放っていない。というのに、ランクCが出るとは、おかしな話だった。

「登録……されてます! 理事長が指定したのでは!?」

 よほど忘れっぽくない限り、こんな反応を見せた銀之丞が、このCランク擬似イーターを登録しているはずがない。

 銀之丞は、ソレを登録していないし、今回どんな動きをするのかも、設定していない。

 バスケットボール大の擬似イーターには、体当たりと捕獲の命令がされており、怪我人は出ても、死者はでない配慮がされているが、銀之丞のコントロールを受けていないそれは、なにをしでかすかさっぱりわからなかった。

 ランクCといえば、C級以上でやっと戦えるレベル。当然同ランクでは、敗北して死ぬ可能性さえありえる。学園に入ったばかりの新入生が、勝てるレベルの相手ではない。

 これは、完全にイレギュラーの存在である。

 ぎりり。銀之丞の口から、激しい歯軋りの音が響く。

 銀之丞には、誰がこんなことをしたのか、当たりがついていた。

「おやおや。どうしました理事長。まさか、あなた主催のこの催しで、なにか、トラブルでも、起きたのですかな?」

 観測室の扉が開き、一人の老人が、姿を現した。

 杖をついた、七十あまりの老人だ。

 悠然と観測室の中を歩き、理事長である銀之丞の座る一段高い席の前に立ち、モニターを見あげる。

 姿を現したこの老人こそが、銀之丞の心に浮かんだ、心当たりの男だった。

 神代銅次郎。銀之丞の、祖父の弟に当たる、もう一人の神代の血を引く男だ。

 少し腰を浮かした銀之丞の姿を見て、なにかを察したその老人は、楽しそうに、にやり。と、唇を歪め、笑った。


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