第02話 神代学園
──時坂廻──
ぼーっ。
俺の頭の中に、そんな音が鳴り響いている。
これは、俺がボーっとしている擬音ではない。俺の背後で鳴っている、船の汽笛が、響いている音である。
俺は今、神代島と呼ばれる太平洋に浮かぶ、地図には載っていない島へ向うためのフェリーに乗っていた。
イクシアという、名の、超常的な力を操るすべを教えるという神代学園。それが、その島にあるというからだ。
これから俺は、その島で生活し、神代学園へ通うことになる。
そりゃ、聞いたこともないはずだ。地図にも載ってない島にあるんだ。知っているはずもない。
高校の入学式を直前に、別の学園に入学ということで、色々とあったが、向こうから提示された、学費、生活費、その他もろもろはすべて神代学園側が負担する上、今後の大学。はてまた就職までお世話してくれる。という言葉に、両親はあっさり笑顔で俺を送り出してくれた。
乗っているフェリーは、でっかい、千人くらい乗れそうな、大型客船である。
乗っているのは、俺とはじめちゃん。そして真壁薫子先生をふくめた、神代学園へ入学する、新入生。八名だ。あとは、この船を動かす人達。多分、客として乗っている俺達より多い数。
今から向うのは、絶海の孤島。きっと海は綺麗だろうが、今の時代その島だけで生活するのは厳しいはずだ。であるから、物資はこうして船で運ばれるのだろう。ならばこのサイズも納得である。
そして、そんな船のおかげで、色々理解もできた。
地図にない島。一般には知られていない、人知を超えた力、イクシア。そして、そのイクシアを使う人を好んで食らう、イーター。
建前上、保護として俺達はそこに連れて行かれるわけだけど、これってつまり、体のいい厄介払いというヤツだよな。
人知を超えた力を操るイクシアンと、力を持たぬ人間との争そいを回避し、イーターに襲われやすいイクシアン達を、隔離ついでにそこへおしこめる。
そうすれば、イクシアンは力を合わせて自分達の身をイーターから守れるし、力を持たぬ人はイーターの襲撃を気にせず暮らせる。これで、どちらも安全、安心を高くして夜眠れるようになるわけだ。
こんな裏を考えると、今から行く島が隠蔽されているのも、イクシアが世に知られていないのも、就職までお世話してもらえるのも、納得がいく。
これから俺達は、カゴの中の鳥となるのだ。
「……」
なーんて、ちょっと難しいことを考えてみたけど、だからどうした。って話だ。
そんな裏があったところで、俺にそれを覆す理由はない。昔の人達は、イクシアンはイクシアンで、人は人でと、区別して暮らすのがベターだと判断したのだろう。
イクシアンが、イーターに襲われるのは事実だし、イクシアの力を世に明らかにして、得する人はほとんどいない。むしろ、イーターの存在と共に、社会を混乱させ、中世の魔女狩りみたいな混乱を生み出す可能性すらある。
建前上の保護政策は、子供の俺から見ても、間違っているとは声高に叫べない代物だった。
なにより、ちょっと考え方を変えれば、いわゆる税金でこれからを養ってもらえるのだから、それはそれで、悪くない気もするってもんだ。
え? なんで税金かって? そりゃ、地図にも載らない島なんて、国が関わってなきゃできないじゃろうに。
きっと、世界中にこういったイクシア使い同士の互助組織は存在しているのだろう。日本だけでやっていても、無意味だし。
むしろ、今の心配事は、ネットができるのかとか、買い物はどうなのかとか、そっちの方が、心配である。
「……」
甲板を独り占めするようにして、俺はそのど真ん中に寝転がる。
乗客と言えるのは、引率の薫子さんをのぞくと七人しか居ない。だから、ここにいるのは、俺一人だけだった。
見上げた空は、透き通るように青かった。
そんな空を見上げながら、思考をやめ、ボーっとする。
あ、今ならボーって擬音、当てはまるな。
「……ぼー」
いや、嘘。当てはまらない。なにせ今、ボーっとしてない。全然してない。
むしろ、なにか考えていないと、心がどうにかなってしまいそうだ。このままごろごろ転がってしまいそうだ。
わかりやすく言えば、不安だ。
仲のよかった友達とも、家族とも離れ、今からはじまるのは、憧れの一人暮らし。元気なのが俺のとりえだと自覚しているというのに、なぜか、気分が沈む。
空はとっても青いのに、俺の心は、まったく晴れ晴れしていない。
ああ。どうやら俺は、早速ホームシックにかかったらしい。
右も左もわからない、なにも知らない新天地へ行くのが心細いのだ。
きっと、生活しだせば、住めば都という格言の通り、すぐになれるのだろうけど……
そうなっていない今は、なぜだか、ものすごく、寂しかった。
自分でもびっくりである。こんなにも繊細な神経を持っていたなんて。
まあ、そんな気持ちになってもいいよね。だって俺、まだピチピチの十五歳だもの。えへへ。
なんて、センチメンタルに浸っていたら、急に日がかげった。
視線を少しあげてみると、日差しを隠すように俺を見下ろす、天知はじめちゃんがいた。
人見知りがけっこう激しくて、どこかおどおどとした女の子だけど、いざという時、他人を助けようとしてくれる、優しい子だ。
俺に声をかけようとしているみたいだけど、俺を見下ろして、オロオロ躊躇しているようで、この状態でもお声はかからなかった。
しゃーないね。俺から声をかけるとしようか。
でも、声をかける前に、視線をちょっと動かして……
ちらっ。
……残念。ロングスカートだから、楽園は見えなかったよ。
真っ白いワンピースに、みつあみ麦藁帽子とか、素敵な南国衣装を着ているというのにね。
閑話休題。
気を取り直して。
「おっす」
ちょこっと手を上げて、挨拶した。
彼女もそれで、もごもごとした口を動かし……
「こ、こんちちわ」
……かんだ。
はじめちゃんも言い間違いに気づいているようで、自分の口を両手で押さえ、恥ずかしそうにしている。
よくよく考えてみて、今ここにいる彼女の知り合いって、俺かあの薫子さんくらいしかいないのか。
彼女も俺と同じで、家族に別れを告げ、あの島へ向っているのだから。
なら、俺と同じく、不安なのかもしれないな。
「隣、いいですか?」
「よいよー。どうせ暇だしね」
島に着くまで、やることはない。ここは島も見えない海のど真ん中だし、見えるのは青い空と水平線だけ。なので、俺は正直、風景も見飽きた。
それなら、誰かと話していた方が、時間も潰せるだろう。
はじめちゃんは俺の許可にうなずくと、隣にすとんと、腰を下ろした。
海風になびく、前髪を押さえ、彼女は空を見上げる。
「……」
「……」
無言のまま、俺達は空を見上げあう。
入道雲とか、特徴的な雲は欠片もない、青々と透き通るような、青空だけが広がっている。
空はあんなに高くて広いのに、どうして俺達の心を不安にさせるんだろう? おお、なんか詩的!
「あ、あの……」
「ん?」
意を決してか、口を開いた彼女に、視線を向ける。
「わた、わたし、少し、楽しみなんだ」
「は?」
いきなりそんなことを言われても、ぼくちゃんにはさっぱりだった。一体なにが?
「だって。なんのとりえもないとおもっていたわたしに、人と違う力があった。これって、わたしにとっては、とても嬉しいことだから……だから、これから向う新天地は、ちょっと、楽しみなんだ」
いわゆる体育座りのように、ヒザを抱えた彼女は、俺の方を見て、優しく笑った。
はじめちゃんのその表情は、なんかとっても優しく見えた。
あれ? ひょっとして、不安な姿を見せた俺を、励ましてる? 俺今、励まされてる?
じっと彼女を見ていたら、頬をかあぁっと染め、視線をそらされてしまった。
ひょっとすると、話題がないから、唐突に口出しただけなのかもしれない。俺を励ましてくれたのかもしれない。どっちなのかは、俺にはわからない。
でも、心は軽くなった。
そうだな。そういう考え方もある。
特別な人間として、選ばれた。だから、特別な場所へいける。その考え方も、アリだよな。
厄介払いと考えるか。新天地へ行けると考えるか。それは、行く人の心持次第だ。そう考えたら、なんだか逆に、わくわくしてきた。
もう帰れないかもしれない場所を思って不安になるより、新天地に夢を見て、わくわくする方が、確かに楽しい。
せっかくの新天地なんだ。心機一転して、楽しんだ方が勝ちだろう。
足を持ち上げ、その反動を使って立ち上がる。
「きゃっ」
はじめちゃんが、俺のアクロバットに驚いた。
俺はそのまま両手を天に伸ばし、背を伸ばす。驚いて、俺の方へ顔を向けた彼女に向け、笑顔を作り。
「サンキュ」
「へ?」
俺の感謝に、いきなりなに? と言ったような顔を浮かべる。
その反応から、俺を励ましてくれたわけじゃないことがわかった。
なら、わかんねーよな。でも、感謝だけは言いたかった。
「これから行く、新天地。楽しみだな」
「そ、そうでしゅね……」
かんだ。
また顔を真っ赤にした彼女は、ヒザに顔をうずめてしまうのだった。
なんだろう。この可愛い生き物。
ちょっと悪戯していいかな?
頭とか撫で回していいかな?
いやいや、流石にだめだよな。
可愛い生き物は、臆病だから、悪戯すると色々悪影響あたえちゃうし。
鋼の精神で、流石にそれは自嘲しました。
俺達は、島への到着が近づいて、島に下りるための準備をするため、フェリーの中に戻って別れるまで、いろんなことを話した。
──天知はじめ──
時坂君を見つけたから、勇気を出して隣に来てしまった。
声をかけて、そのまま固まっちゃったけど、わたしの気持ちをくんでくれたのか、隣に誘ってくれた。
でも、なにも話題がなくて、言い出せなくて、頭の中がめちゃくちゃになっちゃって、出た言葉は、よくわからない言葉だった。
でも、これは、わたしの本音。
特別な力があるって認められて、その上時坂君がいれば、どんなところでも、わたしの住む世界は、光り輝いているから。
そうしたら、時坂君が突然立ち上がって、わたしに向けて、微笑んでくれた。
なぜお礼を言われたのかは、よくわからない。
太陽の光に歯が光ったように見えて、とっても清々しい。
心臓がドキドキと早鐘を打って、わたしは時坂君の顔どころか、姿さえ見れなくなっちゃった。
ヒザに顔をうずめて、時坂君の言葉に、かみながらも答えを返す。
体が熱い。でも、わたしは今、とっても幸せだ……
──豊増光──
(……わずらわしい)
僕は、思う。
僕は今、フェリーの廊下で、金髪リーゼントと、五厘頭をした男達に、絡まれていた。
「てめぇ、俺様にぶつかっておいて、挨拶もナシとは、いい度胸しているじゃねぇか!!」
「おうおう。そうっすよ! この方が誰だかわかってるんすか! 北関東の龍。剛力龍雄さんだぞこらぁ!」
二人が、顔をゆがめて、僕を威嚇してくる。
僕の身長が百五十五だから、金髪リーゼントの方は、百八十センチを超えていて、五厘頭の方は、僕と同じくらいか。
年齢は、僕の四つくらい年上で、十八歳くらい? どちらも、ジーンズに皮のジャンパーという、最近じゃ見なくなった化石のような格好だ。
そもそも、誰? そんな古臭いリーゼントの名前なんて、知らないよ。僕は、北関東の出身じゃない。
こんな田舎の大将なんて相手している暇なんてない。僕には、やることがあるんだから。
本当に、わずらわしい。
大体、ぶつかってきたのはそっちじゃないか。
「テメェ、無視してんじゃねえよ!」
無視をしていると、どんと肩を叩かれた。
パーカーに七分丈のパンツと帽子という格好だったんだけど、その衝撃で、帽子が落ち、おかげでその中にしまっていた髪が、ばらけてしまった。
「ひゅー」
僕の顔を見たリーゼントが、口笛を吹いた。
僕の顔に、なにかついているのだろうか?
「アニキ、エライ別嬪さんですよ!」
「だな。ちょっとガキだが、まさか帽子の下にこんなのが隠れているとはな。格好が格好だから、男だと思っちまったぜ。だがよ、美人だからって、俺はきちんとスジを通す。ぶつかったこと、謝れや!」
リーゼントがポケットに手を入れ、僕に顔を近づけ、眉をしかめ、いわゆるガンをつけてきた。
「ぴきーん。アニキ、まさか!」
「ああそうよ。こうして因縁をつけて、ねちねち追いこんでやるのさ!」
「でたー! アニキの十八番。因縁連鎖。相手はつきまとわれる!」
「うひひ。今回こそ、ついにこましてやるぜ!」
「ついに卒業っすね!」
この二人は、小声で話しているつもりなのだろうか?
全部筒抜けだ。聞こえているよ。わずらわしい。
自分からぶつかってきておいて、なにが謝れだ。
つきあっていられない。
僕は床に落ちた帽子を拾い上げ、無視して進むことにする。
ちょっと前に、そろそろ島に到着するとアナウンスが聞こえたのだから、降りる準備をしないといけない。
「おい、まてや!」
リーゼントが僕の肩に手を伸ばしてきた。
でも、僕はそれを手で払いのける。
「ぶつかった因縁なら、さっき僕の肩を叩いたことでチャラにしてあげる。だから、これで終わり」
僕はそう男に告げ、歩き出した。
ぶつかったのが問題なら、肩を叩いたので十分相殺されただろう。
「ンだとてめぇ!」
なのに、なぜか激昂された。
彼の言い分どおりに、僕が譲ってぶつかった分を非と認め、相殺という形にしてあげたというのに、なぜまた。
こういうヤツの思考回路は、本当によくわからない。
「もう我慢ならねえ! こうなりゃ、力ずくだ!」
「アニキ、やっちまうんすね! かっこいー!」
「おうよ。見るがいい、こいつが、北関東を制した俺の力よ!」
リーゼントが、ジャンパーを脱ぎ、Tシャツ一枚になると、右腕に力をこめた。
すると、筋肉が異常に膨張し、太さが二倍以上に膨れ上がった。
そうか。これが、イクシアというヤツか。
他人のを見るのは、はじめてだ。
『豪腕のイクシア』
剛力龍雄の持つイクシア。
腕の筋肉を増強し、最大で三百キロ近くのモノを持ち上げることが出来る、身体強化系のイクシアである。
大型バイクなども軽々と腕一本で持ち上げ、振り回すことが可能となり、この力をもって、彼は北関東の暴走族をしめていた!
「この俺様の無敵の力、見ておののけや!」
「でも、あの怪物にぶっ殺されそうになって、ここの人に助けられたのは秘密っす!」
あ、五厘頭左手で殴られた。
しかし、右腕のみを大きくして、バランスが悪い。腕だけが強くても、他がそのままなら、そこを狙われたらどうするつもりなんだろうか。
それとも、強化が可能なのは、右腕のみ。という意味なんだろうか。
ここでソレを見せて、なにがしたいんだ、このリーゼントは。
僕は、ため息をつく。
本当にわずらわしい。こんなの、相手にしていられない。
無視して、行こう。
「てめぇ!!」
リーゼントの男は、肥大化させた拳を振り上げる。
本当にわずらわしい。
僕は、手の中に僕のイクシアを……
「あ、薫子さーん。あとどれくらいでつきますかー?」
突然廊下に、少年の声が響いた。
角のむこうから、誰かを追いかけるように、こちら側へ走ってくるような音も聞こえる。誰かが、こちらに向ってきているようだ。
雰囲気から察して、引率の真壁薫子を、追いかけているのだろう。
「ちっ」
ソレに気づいたリーゼントは、舌打ちをして、振り上げた拳をおさめた。
さすがにどれだけ頭が悪くとも、引率の人に見つかるのはまずいという頭はあるようだ。
「ちっ。運がよかったな。行くぞ!」
「ういっす!」
二人は逃げるように、誰かが向ってきている角とは逆の方へ、廊下を走って去っていった。
彼等の気配が消えると、廊下の角から、男がひょこっと顔を出す。
顔を出したのは、引率の先生ではなく、僕と同じくらいの年頃の少年だった。
廊下に立つ僕を見て、その子はにっこりと微笑む。
「あれ? 薫子さんここにいなかった?」
「いないよ」
「そっかー。勘違いだったかー」
……どうやら、さっきの声は彼のもので、ブラフだったようだ。
引率の人なんていないのに、ワザとあの言葉を上げたようだ。
ソレはつまり……
「僕を助けたつもりなら、余計なお世話だよ」
そういうことなのだろう。まったく。わずらわしい。
「いやいや。俺としては、あっちの派手な人を助けたつもり。じゃなきゃ、やっちゃったでしょ?」
「……」
じっと僕は、彼を見る。
見たところ、普通の少年にしか見えなかった。
この船に乗っているということは、同類なのだろうけど、見ただけじゃどんな力を持つのか、わからない。
そもそも、こんなことをして、彼になんの得があるのだろう。僕にはわからなかった。
僕は彼を無視して、その横を通って、自分の部屋へ戻ることにした。
彼の横を通り過ぎる時。
「あと、二十分くらいでつくはずだよ。予定通りの時間ならね」
通り過ぎる際、彼にそれだけを伝えた。一応、これで貸し借りは、相殺だ。
僕は、助けられたとは思っていないけど、あとから因縁をつけられるのも、わずらわしいから。
「はーい。ありがとー」
ふりふりと手を振って、彼は僕を見送った。
なんなんだ、馴れ馴れしい。
「……変なヤツ」
それが、僕と時坂廻との、出会いだった。
──時坂廻──
神代島。
形で言えば、アルファベットの『C』。三日月形と言えばいいだろうか。
集落は主に、Cの中心部に作られた人工島と、そこからつながる入り江の内側に、集中し、残りは畑や自然が溢れる、常春の島だ。
三日月のお腹のところには、標高約三百メートルの神代山を中心に連なる小山脈が立ち、エメラルドの海と、青々とした森が存在している。
島の中央に存在する人工島は、螺旋を巻きつけた塔の形をしていて、集落というよりは、ここは、防衛拠点という意味合いが強いらしい。
島のほぼ中心に位置するここから、島の全てを監視し、イーターの出現を観測している場所も、ここにあるのだとか。
ここは、いわゆる発電所なども存在しており、ここ五十年ばかりの科学発展によって作られた場所なのだそうな。
俺達がこれから生活する学園は、南側にある市街地側にあるようだ。
そんな感じのことが、パンフレットに書いてあった。
ここが、今から俺達が生活する、神代島である。
島の南東側。
Cの下側の先っぽにある港。
そこに船は、無事到着した。
港に降り立ち、体を伸ばす。
引率の薫子さんの指示に従い、俺達新入生八人は、迎えに来たバスへと乗りこんでゆく。
けっこう大きめなマイクロバスだ。今回は八人だったけど、場合によってはこれが一杯になるほど。五十人近い人数が来ることもあるんだろうか?
一番最初に乗りこんで、バスの最後尾に陣取ったのは、さっき廊下で騒いでいた、あのリーゼントと子分の人。浅く座って大股開きでどーんと座っているのが目に入った。
遅れて入ってきた俺達を、早速睨んで威嚇している。
いいなあ。みんな視線をあわせようとしないけど、俺はこういう人嫌いじゃないなあ。
なんて思いながらも、前のあたりに席をとる。
俺は乗り物、割と平気なんだけど、はじめちゃんが意外に苦手のようで、いざという時フォローできるために、近くに座った。
残りの人達も、思い思いの場所に席をとる。
フェリーの中でリーゼントの人に因縁をつけられたあの子が、一番最後に入ってきた。
パーカーに七分丈のズボンに、帽子を外した、肩まである髪を、首のところでまとめた姿だから、間違いない。
リーゼントの人の眼光が鋭くなったけど、あの子は涼しい顔をして、真ん中の方へ座った。
全員が乗りこみ、薫子さんが点呼を取り、バスは目的地。神代学園へと出発した。
港を出て、青い海。白い砂浜の横を通る道路をバスは走る。
平和だ。島の真ん中に、えらく近未来的な人工島があるのを除けば、絵に描いたような常春の楽園である。
エメラルドの海。白い砂浜。そして水着。スイカ割り。エラク夏が楽しみな、南の島。
これじゃまるで、南国でバカンスに来たようだな。
なーんて、楽園に夢をはせていると……
ズズゥン。
突然、地面が揺れたような気がした。
バスに乗っているというのに、はっきりと地面が揺れたのがわかった。
何事か。と、皆、キョロキョロとあたりを見回している。
俺の勘違い。というわけではないようだ。
バスは速度を落とさず、そのまま道路を走り続ける。
すると、近くにあった電柱にそえつけられたスピーカーから、なにか不吉な予感をさせる、サイレンのようなものが鳴り響いた。
『警戒ランクCを観測しました。繰り返します。警戒ランクCを観測しました。ランク外の者は、速やかに避難してください。繰り返します。ランクCを観測しました。D級以下の者は、速やかに避難してください』
唐突に、なんか、不吉な放送が大音量で流れる。
この放送で、ここはやっぱり、南国バカンスなんかじゃないんだな。と改めて思わされた。
「こんな時に。ですか」
薫子さんがため息をついて、走るバスの中で立ち上がった。
(それにしても、警戒ランクCですか。朔の日でもないのに、珍しいこともありますね)
運転手に視線を向け、このまま走るよう指示を出す。
「無視ですか?」
「私達の仕事は彼等を無事学園に届けることです。それに今日は、あの人がいますから、気にせず向かいましょう。いざという時は、私が居ますし」
「りょうかーい」
薫子さんの言葉を聞いた運転手は、軽めの返事を返し、そのままバスは、速度を上げた。
「な、なんだ。ありゃぁ……」
最初に気づいたのは、リーゼントの人だった。
いや、正確には、先にあの子分の人が気づいて絶句し、それに気づいたリーゼントの人が声をあげた。というのが正しいようだ。
俺達は、突然聞こえてきたリーゼントの人の声に、バスの後ろを注目し、さらに、そのバスの後方にある窓から見えるそれに、絶句することとなった。
俺達が走ってきた海岸の近く。島の地理は覚えてないから場所はよくわからないが、とにかく、地面からそれは生えた。
真っ黒い、ぷよんとした球体が、地面に飛び出してきたのだ。
まるで、殻のない、黒い卵だ。
その中に、一瞬にして胎児のようにうずくまる人のような形が生まれ、そこには丸まった、巨大な人型が誕生する。
丸めた体を持ち上げ、その巨大な人型。イーターは立ち上がった。
先日路地裏で見たのっぺりとした人型の黒いヤツ。あの時は二メートルオーバーの大きさだったが、バスの後に現れたのは、十メートルをこえる巨体だ。
イーターって、あんないきなり出てきて、あんなでっかいのもいるのかよ!
俺は、驚きを隠せない。
当然、バスに乗る新入生達も、俺と同じ表情を浮かべている。
みんな、あんなでかい怪物がいるなんて、知らなかったようだ。
人によっては、イーターの存在さえ知らず、この島にやってきているらしい。ある程度説明を受けていた俺は、ある意味幸運だったのかもしれない。
そんな俺でも驚くのだから、知らない人は、もっともっと驚くだろう。
『ヴォオォォォォ!』
口もないのに、どこから声を出しているのかさっぱりだったが、大きな咆哮が、周囲を揺らし、バスまでもびりびりと震えていた。
巨大イーターは、キョロキョロと周囲を見回し、顔をこちらに向けると、バスをターゲットに定めたのか、唐突に四股を踏むかのような形になり、そのまま四つんばいになって、こちらへ向ってきた。
手はそのまま地面についているけど、足なんて股関節部分が変な曲がり方して、虫の足みたいになってる。
なんじゃありゃ! 気持ち悪い! というかあのスタイルで動くなら、人型になんの意味があるんだあれ!
一歩一歩動くたび、アスファルトはその重さにへこみ、へしゃげる。
どうやらあれは、でかくなれば、その分重くもなるようだ。
ガードレールも押しつぶし、巨大なイーターは、道路をこちらに進んできた。
明らかに、狙いはこのバスだ。
障害物などお構いナシに進んでくるそれの足は、バスよりも速い。さらに、十メートルもある巨体。あれはもう、バスなんかより十分重い。あんなのに体当たりされたら、横転は免れないだろう。
それがわかった瞬間、俺は椅子から立ち上がった。
同時に、近くに座っていたフェリーで絡まれていたあの子。そして、最後尾にいた、リーゼントの人も立ち上がった。多分、俺と同じ結論に至ったからだろう。
他の人達は、迫る恐怖に、頭を抱え、身を伏せている。
「待ちなさい。君達はそのまま椅子に座って頭を窓より低くしていなさい。いきなりランクCは強烈ですが、大丈夫。君達の安全は、私が守ります」
立ち上がってしまった俺達に、薫子さんが落ち着くよう優しくなだめてくれた。
どうやら今回は、俺が必死になって戦わなきゃいけないような状況ではないようだ。
そりゃそうか。ここはイーターと戦う人達が集まってできた島なのだから。
「だがよ、あのデカブツはこっちに向ってきている。どうにかしなきゃならねえのは明白だろうが!」
さすがリーゼントの人。それでも戦う気だ。こういう時、単純な人はお強い。
「大丈夫。言ったでしょう。君達は、私が守ると」
薫子さんは、今度は運転手にバスを止めさせ、外に出た。
開いたバスの入り口の上に手をかけ、蹴上がりでもするかのように、体を持ち上げ、ひょいとバスの天井へと登る。
ドアはそのまま閉まり、俺達はバスの中に閉じこめられた。
天井を走る音が、バスの中に響く。
薫子さんが、巨大イーターの迫る最後尾へ、走っているのだろう。
誰かが戦うのがわかり、バスの中で怯えた俺達は、全員どこか、安堵する。
「なんだってんだ、あのヤロウ! カッコつけやがって!」
だが、一人激昂したのは、最後尾にいたリーゼントの人。
拳を握り、振り返って最後尾の窓へ、その拳を……
その瞬間、俺は通路を駆け出していた。
「ストーップ!」
がっしと、その叩きつけようとしている腕の二の腕にすがりつき、殴るのをとめさせる。
「んだなにすんだてめぇは!」
「ここで俺等が暴れても無意味だから! 落ち着いて!」
「落ち着いていられるか! 離れろ、あのデカブツは、俺がぶっ倒してやんだよ!」
「気持ちはわかるけどー!」
邪魔をするなと、俺の顔面を左手がつかみ、ぐいぐいと押しのけようとしてくる。
気持ちは確かにわかる。自信があるのもわかる。ひょっとすると、それ以外の薫子さんへの対抗心とかがあるのかもしれないけど、今俺等が外に出ても、完全に足手まといだから!
力の使い方も学んでいない俺等が外に出ても、絶対役に立たないから!
アンタの力、単なる怪力なんだろ。それじゃ、あのデカブツに踏み潰されて終わりじゃん!
そして、こうして俺をあっさり振り解けないってことは、その力、右手でしか使えないな!
離せ離さないと、最後尾で押し問答を続けた結果。
「わああぁぁぁ!」
五厘頭の子分が、悲鳴に似た声をあげた。
まるでムンクの叫びのようになっている彼の視線の先を見ると、バスの目の前まで迫ってきた四つんばいの巨大イーターの姿が。
「うおおぉぉお!?」
あまりの巨体に、リーゼントの人も、悲鳴をあげた。
さえぎるもののない、照りつけるような太陽の下で、はっきりとした姿を見ると、ますます不気味だ。つるりと輝く、光沢を持った黒い体。その光沢は、台所で動き回る、Gなる生き物を思い起こさせ、それだけで、ぞぞぞっと生理的嫌悪感が生まれる。
近くででっかいのを見ると、そりゃ悲鳴もあげたくなる。
巨大イーターは、その巨大な右前腕を振り上げ、勢いよく、バスへと振り下ろした。
「ひぃぃ!」
「くっ!」
悲鳴をあげ、五厘頭の人と、リーゼントの人が頭を抱え、身を低くかがめる。
俺は、その降り注ぐだろうバスの天井を、一人見上げた。
なんと言えばいいのだろう。この瞬間、死への不安は、全くなかったからだ。
ずずぅん。
大きな衝撃音が、響いた。
だが、それだけだった。
バスの中に押し寄せたのは、なにかとなにかが、遠いところでぶつかったような音だけ。
天井がぺしゃんこに潰され、バスの中がひしゃげ、タイヤが吹き飛んだりはしなかった。
巨大イーターの振り下ろした一撃は、バスの中に、なんの影響も与えていない。
窓の外へ視線を向けると、バスの回りに、薄い膜のような、緑色に輝く壁があった。
巨大イーターは、再び手を振り上げ、その壁に向い、拳を振り下ろす、振り下ろす。薙ぎ払う。
そのたびに大きな音が響き渡るが、俺達の元に、衝撃は一切伝わってこなかった。
この壁が、巨大イーターの攻撃を、すべからく無効にしているようだ。
「これは、障壁のイクシア」
唐突に背後から響いた言葉に、びくっと反応して、振り返る。
いつの間にか、俺の後ろに、バスの運転手が、腕を組んで立っていた。
なぜか自分のことのように、したり顔で、薫子さんのイクシアを説明している。
ただ、この人、なぜか目元が帽子の影に隠れ、その顔の全体は、よく見えない。
「真壁薫子。世界にも、百人はおらず、この島に八人存在する、ランクBのイクシア使い。警報ランクCのイーターでは、その障壁に、傷一つつけられるハズもない!」
その言葉に、バスの中は、更なる安堵の息に包まれた。
巨大な怪物が迫ってきた中で、一人飛び出した女性。
イクシアのいろはも知らない俺達だけでは、なにがどう大丈夫なのか、今までわからなかった。
その中で、こうしてなんか強そうな肩書きを並べられたことにより、よし。大丈夫そうだ。という気持ちが強くなり、さらに安心できたようだ。
当然、俺も。
「ただし、防御特化の彼女では、あのイーターに傷をつけることはできないのであった!」
運転手が、くわっと話を続けた。
「ダメじゃねーか!」
顔をあげたリーゼントの人が、大声を上げる。
せっかく安心したバスの中に、また不安な空気が流れ出した。
気づいていても、口にしなかったことを、あえて言いやがった、このオッサン。
「だが安心したまえ! さあ、新入生の皆さん。右手をご覧ください!」
全員が、自分の右手を見た。
じっと見るが、別になにもない。
「……すまない。右手側を見てという意味だったんだけど、この場合、全員同じ方向を見ていないから、意味不明だったな。海側ではなく、陸側を見るのだ!」
運転手が、勢いよく左手を上げ、陸側を大きく指差した。
全員の視線が、バスの外へ向く。
そのタイミングにあわせて……
『ようこそあーたたち!』
大音量に増幅された声が、バスを揺さぶった。
さっき巨大イーターの咆哮より、さらにでっかいんじゃないかと思うほど、無駄にでかい。
でも、耳をおさえるようなものでもなかったのは、薫子さんの障壁のおかげだろうか?
気になった俺は、そちら側の窓へ移動し、へばりつき、その声の主を探した。
同じように、リーゼントの人も、俺の隣で窓にほっぺたをくっつけ、外を見る。
ついでに、はじめちゃんも、身をかがめたまま、窓辺にちょこっと頭を出した。
そして俺達は、それを見つけた。
胸元がずばんと開いた真っ赤なドレスに、ラメ入りのよくわからないキラキラしたマフラーみたいのを首に巻いて。
あの大蛇を首に巻くようなアレって、名前なんていうんだろ。
服装も派手なら、頭も派手だ。金色の髪に、青や赤のメッシュが入り、ド派手に盛り上げられている。
スタイルもボン、キュッ、ボーンというスタイルだった。
顔はちょっと遠くてわからないが、多分、美人だろう。耳元から口にかけて、インカムとマイクがくっついているのはわかる。
それはまるで、なにかの歌手のようだ。
そんなド派手な女性が、森の上に、ぷかぷか浮いていた。
そう。ワイヤーなどもなく、浮いていた。
「なんかド派手なおねーさんがふよふよ浮いてきたー!」
「なんかすげーのがいるー!」
俺とリーゼントの人が、思わず叫んだ。
「あわわわわわ」
とんでもないのを見たはじめちゃんが、オロオロしていた。
「ふふふ。そう。アレこそが神代島を統括する機関の理事長! 世界にたった三人しかいないAランクのイクシアンで、日本で最も強力な、念力のイクシアを持つ、歴代最強にして、最低の学園長でもある! 今日は、君達を歓迎するために学園で待ち構えていたのが功を奏した! アレがきたからには、もう安心! ド派手にずばーんとやってくれるであろう」
「……」
「……」
運転手の人が、胸を張ったが、俺達はなぜか、安堵の息ははけなかった。
説明のフレーズの中に、色々気になる点があったからだ。
振り向いた俺達の不安をふくんだ視線に気づいたのか、深くかぶった帽子で、顔の良く見えない運転手は、これはすまない。と、いう風に帽子を手で押さえ、頭を振った。
「そういえば、理事長にして学園長の名前を伝えて伝えていなかったな!」
「誰もそんなの聞きたいわけじゃねー!」
俺のかわりに、リーゼントの人がツッコミを入れてくれた。
多分、バスに乗ってるみんな、そう思っていただろう。
『さあ、新入生諸君。このアテクシの華麗な活躍を、その目にしっかりと焼きつけて、うっとりしっぽり崇め奉るとよいのよ。ふふっ。今日は気分がいいわ。だから、かかってきなさい!』
運転手が名を伝える前に、再び大きな挑発がバスに響いた。俺達は、思わずまた、その声に反応して、そっちを見てしまった。
きらん。と星が舞ったかと錯覚するようなウインクをあげている。
一瞬、攻撃の音がやみ、イーターの黒い体が、理事長の方へ動いた。
だが、一瞥すると、即座にまたバスの方へ向き直り、その手をこちらへ振り下ろしはじめた。
どがん。と障壁が音を立てる。
「あんだけ派手なの、あっさりと無視したー!」
そりゃもう、俺をふくめた外を見ていた人全員の言葉であった。
あ、外の理事長も、唇を吊り上げ、コメカミをひくひくさせてる。ちょっと遠くてよくわかんないけど、絶対そうだ。確信できる。
ぶちって音も、聞こえた気がした。
あれだけ派手にやってきたってことは、目立ちたいわけで、となるとやっぱり、それを無視されるのが、一番きつかったか~。
『俺を無視するたぁ、いい度胸じゃねぇか、このボケナスがぁぁぁぁ!』
唐突に、まるで男が威嚇するかのような、ドスの効いた、低い声が、理事長の体から発せられた。
その言葉遣い、声、それはまるで、男のようだ。
理事長が右手を巨大イーターに伸ばしたかと思った瞬間。イーターの振り上げたその腕に、巨大な手形が生まれた。
まるで、理事長の伸ばした手が、そのまま拡大して、その手をつかんだかのようだ。
振り下ろそうとしたイーターの手の動きが、止まる。
にいぃぃ。と、理事長の口が、大きくつりあがったように見えた。
その雰囲気は、まるで肉食の獣のようだ。
「あ、そうそう。途中だったね」
運転手が、のんびりと唐突に、言葉を続けはじめる。
「理事長の名前だけど、アレ、神代銀之丞と言うのだよ」
「は?」
理事長によって、巨大イーターの動きがとまったおかげで、再び俺達は、突拍子もないことを言った運転手へ視線を集めることとなった。
「つまり、綺麗なおねーさんじゃなくて、おにーさんということですか?」
俺が、こつこつとバスのガラスをつついて、理事長を指差す。
いわゆるおニューでハーフなお方ということ?
「いいや。どちらも工事なしで天然物がついている。半陰半陽。両性具有というヤツだ!」
「なんじゃそりゃー!」
「おねにーさんだったー!」
あんぐりと口をあけ、目を点にしている人達の中、俺とリーゼントの人だけが、声をあげた。
色々ぶっとんでると思ったら存在そのものが普通じゃなかった!
確かに日本唯一の人だよ! なんかとんでもない人だった!
「ちなみに、どっちもいけるから、注意しなさい。目をつけられると、とっても厄介だ」
運転手の人の口調が、とってもマジだった。
ここだけ、とっても、マジだった。
ごくりと、喉が鳴る。
リーゼントの人と俺は、なぜか視線をあわせ、うん。とうなずいてしまった。
『あそーれ』
その瞬間。外では動きがあった。
神代理事長が腕をあげるのにあわせ、巨大イーターの体が、空へ持ち上がってゆく。
つかんだ右腕ごと、イーターの体を引っ張りあげたのだ。
十メートルを超える巨体が、軽々と宙を舞う。
ごごぉん。
島の木をなぎ倒し、巨体が地に落ちた。
さらに、もう一度理事長は腕を持ち上げ、それにあわせて、巨大イーターの巨体が、宙を舞う。
今度は、バスの真上を、その巨体がとびこえてゆく。
ざばぁぁん。
今度は、海へ落下する。
巨大な水しぶきがあがり、跳ね上げられた海水が降り注ぐが、それらは全て、障壁にぶつかり、道路へと流れてゆく。
あの巨体を軽々と投げ飛ばすなんて、理事長すげー。伊達に日本で最強ってわけじゃないんですね!
理事長は、バスの上をこえ、海側の方へと移動していった。
俺とリーゼントの人も、それを追い、バスの反対側の窓へと走って移動する。
巨大イーターは、たたきつけられたダメージなどないように、即座に立ち上がった。
だが、ダメージはある。
理事長につかまれた右の腕が、だらりと動かなくなっている。どうやら、握りつぶされたようだ。
この時初めて、巨大イーターの注意が、バスから理事長へ変わった。
無事である左の腕を振り上げ、振り下ろす。
海に投げられたことにより、巨大イーターとバス、理事長の距離は大きく離れている。とても、届くような距離ではなかった。
だが、その左腕は、まるで、ゴムのように伸び、鞭のようにしなりながら、理事長を襲う。
細くなったといっても、その大きさは丸太より太い。
あんなのが命中すれば、人間ひとたまりもない。
だというのに、その威力の乗った振り下ろしは、理事長に当たる直前で、ぴたりと止まった。
理事長のかかげた右手が、その鞭をつかむような仕草を見せている。
念力で、振るわれた左腕を受け止めたのだ。
「出た! 理事長お得意の、念力キャッチ!」
運転手が、我が物顔で叫んだ。
ぐぐぐ。と理事長の腕に力がはいり、力コブが生まれる。
理事長の腕に力が入ると、動きのとまった腕に、指のあとのようなものが浮かび上がった。
全く動かないその腕を、敵は必死に引き戻そうとするが、ピクリとも動かない。
理事長が、にやりと笑い、残る左手を開き、敵へ向けた。
ぐっと、敵の胴体に手のあとが現れる。
さらにあの巨体が、ゆっくりと持ち上がっていった。
全長十メートルをこえ、どれほどの重さかもわからないあの巨体が、浮かび上がっていく。
敵はもがき、逃れようとするが、その締め付けは、さらに強さを増す。
それにあわせて、理事長の笑みも、よりサディスティックにかわっていった。
『つぶれちまいな!』
ドスの効いた、男のような声を発した瞬間。巨大イーターの体が、風船でも破裂させたかのように、ぱぁんと音を立て、砕け散った。
その後さらに、つかまれていた部分は、ごりっ、ごりと、小さく潰されてゆく。
破裂し、砕け散った、黒いタールのようなものは、ぱらぱらと重力に引かれたように落下しながら、徐々に光に解けて、消えてゆく。
『あーら、汚い水風船だこと』
元に戻った口調で、理事長は言い、やったのは自分だというのに、それを見てからからと笑った。
握りつぶすとか、どこの悪役ですか。
あれだけのデカブツを相手にして、圧倒的であった。
さすが、日本にたった一人しかいない人だけある。
「さて、終わった終わった。バスを出す準備をしないとな」
巨大イーターが消えるのを確認した運転手は、お仕事お仕事とつぶやきながら、薫子さんを中に招き入れるため、運転席へと戻っていった。
「なんか、凄い人だったね」
「そ、そうだな」
成り行き上、隣で見物することとなったリーゼントの人と、俺は声を掛けあった。
あれが、イクシア。これから俺達は、それの使い方を学ぶ。
……っつっても、俺の能力、拡張性があるのかさっぱりだけど。
なんて思いつつ、ぼへーっと空飛ぶ理事長を見ていたら……
一瞬、目が合った気がした。
窓から見る俺の方を見て、さらにウインクまでしたような気がする。
ぞくぅ!
なんか、背筋を冷たいものが駆けめぐった。悪寒がする。すごく、嫌な予感がする!
俺は思わず、リーゼントの人の影に隠れた。
「ん? なんだ?」
「な、なんでもないです」
気のせい。きっと気のせい。俺は、心の中でそう言い聞かせながら、リーゼントの人の影から、理事長の姿を確認しようと、顔を出した。
だが、その時すでに、理事長の姿は、そこにはなかった。
どうやら学園へ先に向ったようで、バスに戻ってきた薫子さんにうながされるまま、俺は席に戻った。
一体、さっきの悪寒は、なんだったのだろうか……
無事、神代学園に到着した。
形は、わりとオーソドックスな学校だった。校門があって、校庭と体育館があって、三階建ての校舎がある。
校庭にバスから降りる俺達を、先ほどと同じ格好の理事長が、両手を広げ、出迎えてくれた。
「ようこそー。神代学園へ。次の時代を担う、若者達よ」
出迎えは、とってもド派手だった。
いや、派手なのは、学園長であって、出迎えが派手なのではない。出迎える、学園長が派手なのだ。
格好は同じでも、背中にはなんか孔雀のような色とりどりの電飾で飾られた背景が追加されている。さらに、ド派手なバックミュージックが大音量で流れ、俺達を歓迎しているのか、自分をアピールしているのか、良くわからない構図になっている。
ちなみに、薫子さんは、それを見てあからさまに嫌な顔をして、ため息をついていた。
薫子さん。なんか、目の周りを覆うように、闇が生まれてますよ。どよーんと、暗いですよ。
そんな薫子さんのことなど、まったくもって気にも留めていないであろう学園長は、バスから俺達へ、つかつかと近づいてくる。
歩くたび、後ろの巨大な電飾孔雀羽も近づいてくるので、さっきの巨大イーター並の圧迫感だ。むしろ、こっちの方が怖い。
あれ、重くないのかな。あ、そういや念力使えるんだっけ。
諸手を広げ、近づいてくるので、どうにもハグされるような雰囲気があるせいか、近づくたび、みんなさっと理事長の前を避ける。
一人避けて、二人避けて、また避けて、俺の前にも来たから、俺も避けたんだけど、なぜか俺の場合は、ホーミングされた。
さっと避けたのに、なぜ俺だけ追ってくるのディスか!?
逃げても逃げても追ってこられて、バスの方へとじりじりと追い詰められる俺は、周囲へ助けを求めるが、誰も視線をあわせてくれない。なぜか、みんな一斉に俺から目をそらす。
うん。気持ちわかるぅ。俺だって、同じ立場なら、目、そらすもんね。誰だってそーする。俺だってそーする。
ついにバスの側面に俺は、追い詰められた。
じりじりと、理事長が迫ってくる。俺は、こうなっらと、ハグされる直前に、右か左、どちらかの横へ跳ぶことを決心した。
なのに、理事長は、俺の前で、ぴたりととまる。
さすがにこうなっては、さっと避けるわけにもいかない。俺も、思わず理事長にあわせ、動きをとめる。
だが、動きをとめたのが、良くなかった。
背中に背負いモノをしているとは思えない俊敏な動きで、一瞬にして間合いをつめられ、さらに陶磁器のような白い手袋が、俺のアゴを伝い、くいっとあげさせられた。
俺の身長が百七十センチぴったりだから、理事長、身長百八十以上あるのね。よく見ると、女性にしては、ちょっと肩幅も広く感じる。バスから見ていた時は、比較がおかしかったから、そんなに大きいとは思ってなかったよ。
理事長の顔は、半分男とは思えないほど、綺麗な人だった。金色に染められたのか、無駄に盛られた髪も、とても綺麗で、ド派手に入ったメッシュが、目に痛い。
それを俺が、見上げる形となり、理事長は、俺の顔を、マジマジと見る。
すると、理事長は、ぺろりと妖艶に、自分の唇を舌で潤した。とっても妖艶なのに、まるで肉食獣が舌なめずりするような、オスの雰囲気がでてるんでしょうね!
「そして、ようこそ。時坂廻きゅん。アテクシの城へ! 今晩。いやむしろ、今から、いかが?」
目の前が、真っ白になった。
『ちなみに、どっちもいけるから、注意しなさい。目をつけられると、とっても厄介だ』
とってもマジな声色だった、運転手の言葉が、俺の脳裏に蘇ってきた。
なんか、なんか、いきなり目をつけられちゃいけなさそうな人に、目をつけられたー!?