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「ねえ、達也くん」

身体を揺すられて薄く目を開けると、女の顔がぼんやりと浮かんでいた。

「・・香織?」

「あたし、ナオよ。・・達也くん、起きて」

《・・ナオ?》

目をこすりながら起き上がると、自分の身体に毛布がかけられているのに気づいた。ようやく記憶が戻ってくる。

「・・ごめん。・・夕べ俺、ここで寝ちゃったんだなあ」

両腕を上に伸ばしながら大きな欠伸をする。腕時計を見ると九時半近かった。

「そんなことはどうでもいいの」

急いたような奈央の様子に、達也は眠気眼のまま首を傾げた。

「あの人がきてるみたい」

「・・あの人?」

「達也くんの彼氏」

誰も聞いていないのに奈央は口の横に手を当てて声をひそめた。

「え?」途端に目がぱっちりと覚める。

「さっきから達也って言いながら、達也くんの部屋のドアをどんどん叩いてる」

無意識のうちにソファから立ち上がり、達也は玄関へ走って勢いよくドアを開けた。

隣の部屋のドアの前に立って手元の携帯に目を向けていた航平が、こちらを向いて驚いたように頭を少し仰け反らせる。彼は眼鏡をかけていた。

「航平・・」思わず声が漏れる。

彼の視線は達也と隣の部屋のドアを往復している。やがて困惑したような表情でぽつりと呟いた。

「おまえの部屋、そっちだっけ」

その瞬間達也は自分が奈央の部屋に泊まったという事実を再認識した。航平はおそらく達也の携帯に電話をかけていたのだろう。達也は携帯を自分の部屋に置きっぱなしにしてあった。

「あ、ああ、・・あの、・・えっと、・・その・・」

しどろもどろになっていると、ドア枠に突いていた達也の腕をくぐるように奈央が出てきた。そして、おはようございます、と無邪気な明るい声で航平に挨拶する。

眼鏡の奥で航平の目が大きく見開かれた。達也は血の気がすうっと引くような感覚に襲われる。

「あたし、達也くんの隣人で、新垣奈央子っていいます」

航平は目をしばたたいた。口を少し開いたが言葉は出てこない。

「先週あたし、彼氏に殴られてたところを達也くんに助けてもらって、・・夕べはそのお礼に一緒にすき焼きをしてたんです。・・達也くん、あたしの愚痴にとことん付き合ってくれて、そのままソファの上で眠っちゃって・・」

航平にそう説明してから、奈央は達也の背中に手を回して廊下に押しだした。そうしながら背後からすばやく小声で言う。

「達也くん、髪、ちゃんと梳かすのよ」

「え?」

振り向いたが、ほんとにありがとう。じゃあね、と言って部屋のドアを閉めてしまった。航平とふたりきりで廊下に取り残され、気まずい思いで俯きながら自分の腕をさする。

「・・達也」遠慮がちな様子で航平はゆっくりとこちらに近づいてくる。「・・昨日のこと、ごめん。・・俺は・・」

「とにかく中に入ろう」

達也はジーンズのポケットから部屋の鍵を取りだした。


「座れよ」腕を一瞬ベッドのほうにぶらっとさせながらぶっきらぼうに言った。

『達也くん、髪、ちゃんと梳かすのよ』

ふと奈央の言葉が脳裏に蘇り、思わず頭に手をやる。

「お、俺、ちょっとトイレ、・・行ってくる」

航平にそう言い残し、達也はあわてて洗面所に駆け込んだ。

鏡の中の自分の姿を見た瞬間、顎が外れそうになった。くしゃくしゃになった髪は全体的に左にはね上がっている。目は腫れぼったく、目やにがついていて半分も開いてない。おまけに髭がうっすら生えている。

《なんなんだよ、この顔!》

あせった達也は両手で頬をぺたぺた叩いてから冷たい水で顔を洗い、髪を濡らして櫛で撫で付けるように梳かした。それから髭を剃り、口の中の苦味を消すために急いで歯を磨いた。


大きく深呼吸をしてから洗面所を出る。ベッドの端に腰掛け、前屈みになって顔を伏せている航平から少し距離を置いてゆっくりと座ると、彼は目を伏せたまま一瞬だけ顔を向け、そして深い溜息をついた。

「ごめん、達也。・・・俺、自分じゃそんなつもりなかったんだ。・・・だけど、おまえにああ言われて、・・そうだったのかもしれないって、思った。・・おまえに対してひどい仕打ちをしたって、後悔してる。・・・ほんとに悪かった。・・ごめん」

打ちひしがれたように頭を垂れる航平の様子を見つめながら、自分の胸の中から怒りやわだかまりが跡形もなく消え去っているのを達也は自覚していた。彼に対する切ないほどの愛しさしかそこにはなかった。

「もういいよ」

明るい口調で言うと、航平はさっと驚いたような顔を向けてきた。そして困惑したように眉根を寄せる。

「俺も言いすぎた。・・よく考えてみたらさあ、おまえはそいつの誘惑に負けなかったってことだもんな」

腰をずらして航平に近づき、照れながら彼の腕を拳で軽く叩く。

「俺のこと、思っててくれたんだよな」

にっこりと笑いかけると、眼鏡の奥で航平は戸惑いげに小さく微笑んだ。

そっと手を伸ばして彼の眼鏡を外し、達也は腰を浮かせてその眼鏡をセンターテーブルの上に置いた。そして航平のほうを向いて座りなおし、まっすぐ彼の目を見守りながらレザージャケットに手をかけた。

「信じてる・・」

ジャケットを脱がしてからTシャツの裾をめくり上げる。航平は驚いたような顔をしながらも、両腕を上げてなすがままになっていた。

「・・おまえのこと、信じてる」

頬に手をあてながらゆっくりと顔を近づけていくと、航平は吸い寄せられるように達也の唇を受け止めた。

ふたりの呼吸が乱れだすまで時間はかからなかった。航平の手は達也の髪を荒々しくまさぐり、Tシャツの中に入り込んだもう一方の手は胸のあたりを熱く這っている。

航平の唇をむさぼりながら彼のベルトのバックルとカーゴパンツのボタンを外すと、航平もすばやく達也のTシャツを脱がした。急いたように再び唇を寄せてくる航平を制し、達也は彼をベッドの上に横たわらせた。航平は恍惚としたような淡い笑みを浮かべてじっと達也を見つめている。その首筋に舌を這わせながらカーゴパンツのジッパーを下げて中に手を滑り込ませた。

「あっ・・」

切なげな吐息を漏らしながら航平は背を仰け反らせる。

「おまえは俺のものだ。・・・誰にも渡さない。・・誰にも・・」

彼の耳をかじるように愛撫しながら達也は荒い息で囁いた。

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