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「・・そうか。祥子ちゃん、知ってたのか」

披露宴のあと航平と一緒に六本木のショットバーに立ち寄った。カウンターとテーブル席が四つほどあるだけのその店は、日曜日の六時ということもあってかカウンター席にカップルの客がいるだけだった。蝶ネクタイをし、鼻の下に髭を生やした細身の中年のバーテンダーが静かにグラスを磨いている。店内にはモダンジャズが低く流れていた。

航平とふたりで隅のテーブルに角を挟んで座り、ウィスキーの水割りを飲みながら達也は祥子が言ったことを話して聞かせた。

「ショックだったか?」

航平は手元のオンザロックに目をやりながら言い、それからグラスを口に運んだ。

「それがそうでもないんだよなあ。・・俺、祥子の言葉に・・なんていうのかなあ・・」

言葉を捜して少し上を仰ぎながら目を細める。

「感動したか?」にやりとしながら航平が言う。

「ん、そうだな。感動した」

口元を綻ばせて頷き、そして達也はグラスを傾けた。

「俺はかまわないぜ」

「ん?」

航平は淡い笑みを浮かべてじっと達也を見つめている。

「祥子ちゃんの彼がしたように中川さんと和美さんの前に土下座して、達也くんを俺にくださいって言う覚悟はいつでもあるよ」

「ばあか、何言ってんだよ」笑いながら視線を逸らし、ウィスキーを喉に流し込む。

「俺は本気だ」

達也は一瞬固まった。テーブルの下で航平は達也の膝に手をのせている。

「もしおまえが周りに認めてもらいたいって思ってるんなら。・・・もしそれがおまえの望みならな」

彼を見ながら口を開いたが言葉が出てこなかった。真剣な光を帯びた眼差しで航平は続ける。

「でも俺には周りなんて関係ない。・・周りが俺たちのこと認めようが認めまいがそんなことはどうでもいい。・・・俺にとって重要なことは、おまえと一緒にいられるっていう事実だけだ」

静かだが決然とした口調でそう言うと、航平はにっこりと微笑んだ。

胸の中で熱くこみ上げてくるものがあった。

「航平?」 

「ん?」

「・・キスしたい」

「ここで?」航平は微笑んだまま少しだけ眉を上げた。

「ここで。・・今すぐ」

かすかに頷き、航平は上体を乗りだしながらゆっくりと顔を近づけてくる。その視線が唇に落ちた瞬間、達也の目は無意識のうちにカウンターへと動いていた。カップルの客は背を向けて話し込んでいる。だが髭のバーテンダーはこちらを見ていた。先ほどまで表情のなかったその顔が不快そうに歪んでいた。

思わず航平から顔を背けた。そしてどこか惨めな思いでテーブルを睨みながら、ごめん、と謝る。

「いいよ」

航平は軽く笑い、それからウィスキーを飲み干した。

「このあと、俺んとこ来るか?」

目を伏せたまま達也は小さく頷いた。


「・・なんか俺、勝手だよなあ」

航平の胸に向かって溜息と共に言った。航平は達也と向き合ってベッドに横たわり、顎の下にある達也の頭を静かに撫でている。

「どうして」くぐもったような航平の声が低く響いてくる。

「・・香織と離婚するって決めたとき、俺、・・俺たちのこと、誰に知られてもかまわないって思った。・・両親にも、職場にも。・・それでもいいって思ってたんだ」

また溜息が漏れる。

「でもいざその必要がなくなってみると、・・また必死に隠そうとしてる。・・・・俺、怖がってるんだよ、・・他のやつらがどんな反応をするか。・・どんな目で俺のことを見るのか」

先ほどのバーテンダーの蔑みを含んだ表情が達也の脳裏から離れなかった。

「それが普通だよ」

「でも、おまえはそんなこと気にしないだろ? ・・俺、おまえのことがこんなに好きなのに、・・それでも、・・それでも・・怖いんだ。・・・自分が情けなくなる」

「俺とおまえは違う」

「え?」達也は頭を少し反らして顔を上げた。頭に置かれていた航平の手が達也の頬に滑り落ちる。

「いつか香織さんが俺にそう言ったんだ、・・俺とおまえは違う。・・俺みたいなやつと違っておまえはすべてを犠牲にすることになる。・・それでも平気なのかって、彼女、泣きながら俺に言った」

「・・香織が?」

「ああ。おまえが彼女に離婚を切りだしたあと、彼女、俺のバーに来たんだ」

「おまえ、そんなこと今まで・・」

「彼女がそう言ったときさあ、俺、ショックだった。・・そんなことまったく考えてなかったんだよ。・・おまえがどれだけの犠牲を払うことになるかなんてさ。・・・俺、自分の視点からしか考えてなかったんだよなあ」

達也の癖毛を弄ぶように梳きながら航平は静かな声で続ける。

「みんながみんな、祥子ちゃんのような受け止め方するわけじゃないんだよな。・・そういうやつらのほうがはるかに少ない。・・・世間てやつはさ、常識を外れるやつらには冷たい目を向ける。・・露骨に嫌悪したり、軽蔑したり、・・差別したりさ。・・・理不尽だけど、それが現実なんだよなあ。・・だからおまえが怖がるのは当たり前のことなんだよ」

航平の身体を抱きしめながら達也は再びその胸に顔をうずめた。

「でも俺、耐えられると思った、・・差別にでもなんにでも。・・・おまえと一緒にいられるなら、俺・・」

「俺は世間なんかどうでもいい。俺には犠牲にするものなんてないからな。・・・香織さんの言うとおりだよ。俺とおまえは違うんだ。・・だから俺にすまないなんて思わなくていい。・・自分が情けないなんて思うな」

そう言いながら航平は両腕を回し、達也の頭を抱え込むように抱いた。

「さっきも言ったけど、俺にとって大事なことはおまえと一緒にいられるってことだけだ。・・おまえが俺たちのこと隠したいならそれでいい。・・俺にはそんなことどうでもいいんだ」

そのとき何の予兆もなしにすうっと涙がこぼれ出て、達也は内心うろたえた。航平に気づかれないように鼻を啜り、息を大きく吐きだしながら彼の背に回していた腕に力を込めた。

「わかったか?」くしゃくしゃと髪を撫でられる。

「・・ん」

彼の腕の中で小さく答えると、航平は達也の頭のてっぺんにチュッとキスをした。

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