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達也の会社は三十一日から五日まで休みだった。航平も達也の休みに合わせてバーを五日まで閉めた。
達也は航平のマンションで年を越し、ふたりでスパークリングワインで乾杯をした。翌日の元日は昼まで寝て、午後から航平と一緒に実家を訪ねた。家族のいない航平を哀れに思った達也の両親が彼を誘ったのだ。
「航平くん、いらっしゃい。達也もよく来たわね」
玄関でふたりを出迎えた母が満面の笑みで言った。あけましておめでとうございます、と航平が丁寧に頭を下げる。
「あけましておめでとう」
航平にそう返してから達也に目を移し、母はふと顔を曇らせた。
「達也、あなたちょっと髪が長いんじゃないの? いつ床屋に行ったのよ」
そう言いながら髪をくしゃくしゃと触ってくる。
「ちょっとやめろよ。・・やめろって・・」
達也はあわてて母の手を払った。
二階に上がると、まだ四時だというのに父はソファに座ってテレビを見ながら酒を飲んでいた。
「おお、来たか」すぐにテレビを消し、上機嫌な様子でふたりを招く。
航平は父にも新年の挨拶をしてから横のソファに座った。達也も航平の隣に腰を下ろす。すぐに母がお猪口をふたつ持ってきて、父がふたりにそれぞれ酒をついだ。
大手の電気機器メーカーに勤める達也の父、信明は昨年六十を迎えた。母の和美とは十歳違いだ。短めに切りそろえられた髪は白くなりつつあるが、日課である朝の散歩は欠かしたことがなく、ゴルフも活発にしているので腹回りにも余分な肉はついていない。十分五十代半ばで通じそうな精悍な風貌だ。会社ではやり手で人望も厚いようで、昨年取締役に就任した。だが子供のしつけには厳しく、達也は小さい頃この父に叩かれたことが幾度となくあった。
「君のお父さんのこと、大変だったな」父は神妙な面持ちで言う。
「中川さん、弔電送ってくださったんですよね。お礼が遅くなってすみません」
航平は徳利を取り上げて父のお猪口に酒を注いだ。彼は父のことはさすがに下の名前では呼ばずに、『中川さん』と呼んでいた。
「いや、そんなことはどうでもいい。・・だいぶ落ち着いたかな?」
「ええ、おかげさまで」
父は、そうか、と頷いてから、今度は達也に目を向けてきた。
「達也、おまえ、仕事のほうはどうだ」
「あ、ああ、・・まあ、順調」
「今年、転勤にならなきゃいいけどな」
「え?」
「おまえ、最初は二年で動いたろ。本社に移ってもう二年だ。また転勤になる可能性もあるだろう。それにおまえは離婚して、今はひとり身だ。会社はひとり身のやつはどこにでも飛ばすからな」
「まだ大丈夫だよ」達也は大げさに笑った。「最初の二年ってのが早かったんだ。俺はできる男だからさあ、本社に引っ張られたんだよ」
おどけて言いながらも内心では動揺していた。言われてみれば自分は今独身なのだ。飛ばされる可能性はなくはない。
「そうか。それならいいが」父は頷き、そしてお猪口を口に運んだ。
それから父は航平と株の話を始めたので達也はそれとなくその場を離れ、三階の自分の部屋に向かった。
懐かしい部屋だ。静岡への転勤が決まるまで過ごした部屋だ。そして本社に転勤になってから、香織と結婚するまでもここにいた。
《・・転勤・・か》
達也の会社は北海道から九州まで全国に支店を持っている。転勤の間隔は平均三年から四年、長くて五年が相場だ。たとえ今年でなくても来年、または再来年には確実に動くことになる。そうなったら自分はどうするのだろう。
自分のベッドに腰掛けてぼんやりと思いを巡らしていると不意に、達也、という声が聞こえてきたので、さっとそちらに顔を向けた。
「どうした?」
開いていたドアから航平が近づいてくる。
「・・ん」達也は足元に視線を落とした。
「転勤の話、気にしてるのか?」
隣に座った航平の問いに少し間を置いてから小さく頷くと、航平は肩に手を回して達也の身体をぎゅっと抱き寄せた。
「そのときに考えればいいよ。今は考える必要ない」
慰めるように腕をさすってくる。
「考えるな」
ゆっくりと顔を上げて目を向けると、優しい笑顔がそこにあった。達也の胸を切ないほどに熱くしてやまない、いつもの優しい笑顔が。
無意識のうちに航平の頬に手をやりながら達也は唇を寄せていた。実家にいるという事実もその瞬間頭から吹き飛んでいた。
ひとしきり熱い口付けを交わしたあと、達也は大きく息を吐き出しながらしがみつくように航平を抱きしめた。
階下に戻るといつの間にか妹の祥子がいた。五人でテーブルを囲んで母の作ったおせち料理を食べた。祥子はいつになく静かで心なしか頬が赤かったが、母と父が交互に絶え間なく話していたので達也は別段気に留めなかった。




