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十一月四週目の木曜日はサンクスギビングデーというアメリカの祝日で、航平はその木曜日から土曜日までバーを閉めた。土曜日から二泊ふたりで旅行をすることになり、達也は月曜日に有給休暇を取った。
土曜日の昼近く、航平がクーペで迎えに来た。荷物をトランクに放り込んでから助手席に滑り込む。この右ハンドルの外国車も奥村が彼に遺したものだ。
薄い色のサングラスをかけた航平が、よう、と軽く手を上げてくる。車内にはレゲエっぽい音楽が流れていた。
首都高は比較的空いていた。川口から乗った東北自動車道もがらがらだった。だが航平は絶対に制限速度をオーバーすることはしなかった。
「なあ、サンクスギビングって何するんだ?」達也は前方を見やりながら訊いた。
「んー、もともとは秋の収穫を神に感謝する祭りだったんだけど、・・家族や親戚が集まって一緒に食事をする、・・まあ、クリスマスの前夜祭みたいなもんだな」
「へえ。・・おまえはなんかしたのか?」
「ああ。木曜の夜、ターキー焼いてさあ、アメリカ人の知り合い何人か呼んで祝った」
「ターキーって、・・七面鳥? そんなの買えるのか? 日本で」
「ああ。冷凍だけどな」
「へえ。・・日本じゃあんまり馴染みないよな、サンクスギビングって」
「マンハッタンでさあ、毎年サンクスギビングデイにでかいパレードがあるんだ。俺、子供の頃そのパレードを見るのが楽しみだった」
「あ、それ知ってる。テレビかなんかで見たことあるよ。いろんなキャラクターの大きい風船とかあるんだろ?」
「そうそう。・・ニューヨークに着いた最初の年、俺、母さんと一緒にそのパレード見てたんだ。・・だけど興奮していつの間にか母さんの手を放してた。・・それで迷子になってさ。・・すぐに母さんが見つけてくれたんだけど、俺しばらく震えてたよ。母さんの手をしっかりと握ってさ。・・パレード見ると、いつもあのときのこと思い出す」
「そういえばさあ、おまえのお母さんってきれいだったんだなあ」
「え?」航平は一瞬視線を向け、すぐにまた正面に戻した。
「あ、ああ、メイさんに写真見せてもらったことがあるんだ、メイさんとメイさんのお母さんと四人で写ってるやつ。・・クリスマスに撮ったって言ってた」
ああ、あれか 、と言って航平は笑った。
「俺が十歳んときのやつだ。・・・母さん、俺に腕時計くれたんだ、俺が欲しかったやつ。・・母さんにはそれが欲しいなんてひとことも言ってなかったのに、ちゃんとわかってた」
そう明るく言ったかと思うと、航平はふと黙り込んだ。ちらっと横目で見ると、彼の顔から笑みは消えていた。
隣の車線に白いセダンが現れ、そしてあっという間に追い越していく。航平の胸中を察しながら遥か前方に遠ざかっていくその車を我知らず眺めていると、不意に彼の声が聞こえてきた。
「俺も一緒に車に乗ってたってこと」抑揚のない、感情を抑えたような声だった。「メイ、おまえに言ったか?」
その質問の意味が一瞬でわかっていたのに、達也は彼を見ながら、え? と訊き返した。
すると航平は無表情に前方を見据えたまま言葉を継ぎ足した。
「母さんが死んだとき」
胸がずきりと痛む。気が咎める思いで正面に顔を戻し、ん、と小さく答えると、航平は少し間を置いてから、そうか、と低く呟いた。そしてそれきりそのことに関して何も言わなかった。
航平が予約をしたのは以前奥村と行ったことがあるという那須のリゾートホテルだった。ホテルの目の前にはゴルフコースが広がり、六階建ての館内には温泉と室内プール、そして娯楽室やいくつかのレストランがあった。達也たちの部屋は五階の広々としたスイートタイプで、大きなダブルベッドがふたつと応接セット、それにふたり掛けのダイニングセットが置かれていた。
「すごい部屋だな。高いだろ?」
そう言いながら荷物をソファの上に放り投げ、そしてテラスへのガラスの引き戸を開けた。広いテラスからはゴルフ場が見渡せる。達也は思い切り深呼吸をした。
振り返ると、ベッドに腰掛け、淡い笑みを浮かべてじっとこちらを見つめていた航平と目が合った。達也は部屋に戻ってベッドに近寄り、航平の目の前に立って静かに彼の髪を愛撫した。航平の手は達也の大腿や腰を這い、やがてベルトを外し始めた。
和食レストランで夕食をとったあと、一階にあるプールに泳ぎに行った。二十五メートルの温水プールには達也たちの他には誰もいなかった。
達也は航平が泳ぐのを初めて見た。彼はまるで魚のように滑らかに、そしてしなやかに水の中を進んでいく。ターンの仕方がまた息を呑むほど美しい。壁に近づくと器用に身体を捻って回転し、壁を蹴って勢いをつけ、身体をくねらせる。その一連の動作は見ていて鳥肌が立つほど優雅だった。
隣のレーンのプールの縁に座ってぼーっと彼の泳ぎを眺めていると、プールの端まで来たときに航平はターンをせずにそのまま止まり、ゴーグルを額に上げて目を細めながら見上げてきた。
「なんだよ、もう泳がないのか?」
「俺はせいぜい五十メートルくらいしか泳げないって言っただろ?」
にやりとしながらこちらに近づいてきたかと思うと、航平は達也の手首をがしっと掴んで思い切り引っ張った。
「な、何すんだよ! うわっ!」水しぶきと共に水の中に落っこちる。
笑いながらゴーグルを戻して仰向けで壁をキックし、そして航平は背泳ぎをしながらあっという間に遠ざかっていった。
だが反対側の壁でターンをしたあと、水にもぐったきり浮き上がってこない。どうしたんだろと心配になり、爪先立ちで顎を上げて見やる。するといきなり足首を掴まれて持ち上げられ、達也は再び水の中にどぼんと沈んだ。
あっぷあっぷしながらようやく水面に顔を上げると、航平がにたっとした顔を向けていた。
「おまえ、やめろよなあ。心臓に悪いよ」
顔についた水を手で拭いながら口を尖らせると、航平は笑いながら達也の額に張りついた前髪を手で後ろに梳いた。そして頬を両手で挟み、すばやく唇を重ねてきた。




