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土曜日はあいにくの小雨だったが、妙な格好を隠すにはちょうど良かった。奈央は女海賊の衣装を身に着けている。大きく肩の開いた赤と黒のワンピースで、膝上のスカートはフリルで広がっている。頭には羽の付いた派手な海賊帽をかぶって、手には剣を持っている。彼女は言ったとおり達也の分も調達してきた。裾の切れた白いシャツと黒いズボンに黒いチョッキ、そして赤い布のベルトに赤いバンダナ、おまけにアイパッチまでそろっていた。アイパッチとバンダナはバーに着いてから着けることにして、とりあえず衣装の上に長いビジネスコートを羽織った。
バーソーホーのドアを開けると、入り口のそばに不思議の国のアリスのような格好をした小柄な女が立っていた。
「こんばんは 」
そのアリスがにっこりと笑いかけてくる。長い金髪のかつらをしているが、その声で達也はそれが誰であるかわかった。
「やあ、チサトちゃん、だよね」
「はい、そうです。中川さんはパイレーツなんですね。チケットいいですか?」
達也はコートのポケットからチケットを取りだしてチサトに渡した。このパーティは以前の得意客用のものとは違い、チケット制になっている。一枚四千円だが、達也は航平に二枚分ただでもらっていた。
バーの中は異様な雰囲気だった。店内は薄暗く、くもの巣やかぼちゃ、骸骨などがいたるところに飾ってある。音楽もそれっぽいものがかかっている。テーブルはすべて端によけてあるようだ。
「すっごい。なんかわくわくしちゃう」達也の腕を掴みながら奈央は子供のように身体を弾ませる。
周りには吸血鬼やミイラ、魔女などのクラッシックな仮装から漫画や映画のキャラクターやバニーガール、着ぐるみなどもいた。上から下までびっちり凝ったのもあれば、それっぽい小道具を持っているだけの客もいる。みんなこんな格好でここまで来たんだろうか、達也は感心しながら周りを見回した。
「ねえ、航平さんどこかしら。どんな仮装してるのかしらね」
そう言われ、さっとカウンターに目を移した。今日達也は航平に会っていなかった。彼はパーティの準備のため早くからバーに来なければならなかったからだ。だから何の仮装をしているのか達也は知らない。
カウンターの中でまず目に入ったのはメイだ。黒っぽい半そでの襟の開いたシャツを着て、同じ色の帽子を目深にかぶっている。映画でよく見るアメリカの警察の制服のようだった。
不意にカウンターの後ろのドアが開いて、同じような格好をした背の高い男が出てきた。帽子を目深にかぶっているので顔は見えない。
《・・航平?》
達也は吸い寄せられるようにカウンターに近づいていった。
やはり航平だった。メイと同じように角ばった大きな警察帽を目深にかぶり、胸元にバッジと両方の袖にワッペンがついた紺の開襟シャツに、同じ色のズボンを穿いている。腰に巻いたホルスターには拳銃が納められているが、もちろん偽物だろう。
「よう、おまえは海賊か」
達也に気づき、航平は笑顔を向けてくる。そして腕組みをしながら足を少し広げて立ち、帽子のつばの下から見るように顎をわずかに上げて、俺たちはNYPD、と言いながらにやりとした。その姿に達也の目は釘付けになる。
「達也くん!」
不意に背後から腕を掴まれ、はっとしながら振り返った。
「もう、あたしを置いていかないで」
そう言いながら奈央が腕を絡めてくる。あせりながらカウンターに目をやると、航平と、いつの間にか彼の隣にいたメイが不思議そうな表情で奈央を見ていた。
「あ、お久しぶりです」
航平を見て奈央はぺこりと頭を下げる。
「やあ、たしか、達也の隣の」
笑顔になって言い、そして航平は、一緒に来たのか? と達也に訊いてくる。彼女がふたりの関係を知っていることは彼に話してあった。
「あ、ああ。俺が誘ったんだ。彼女は奈央」と言ってから、あわてて付け加えた。「・・子さん」
「そうか。メイ、彼女、達也のお隣さん」
そう言ってから航平は腕を組んだままメイに顔を近づけ、声を落とした。
「彼女、俺たちのこと知ってるんだ」
「へえ」メイは眉を上げながら奈央を見た。
同じように眉を上げていた奈央に達也が説明する。
「彼女も知ってるんだ。彼女、メイさん」
「これ、飲んでみろよ」
そう言って航平が差しだしてきたのは真っ赤なカクテルだった。黒いストローをレモンにさして十字にしてある。十字架のようだ。
そのとき不意にぽんぽんと肩を叩かれたので、達也は反射的に振り向いた。そこに立っていたのはドラキュラらしい男だった。白いシャツの上に赤いベルベットのベスト、黒いズボン、そして襟のたった黒いマントで身を覆っている。髪をオールバックに撫で付けて、白く塗った顔の口元には血のように赤い線がついている。
達也が眉根を寄せると、ドラキュラが、俺だよ、と言った。
「小野田?!」
「あたり!」にっと笑ったその口から鋭い牙が二つ覗いていた。
「おまえも来てたのか」
「こんばんは、中川さん」
小野田の隣にいた、彼と同じような化粧をした女が声をかけてきた。胸元が大きく開いた赤と黒の長いワンピースを着ている。どうやら達也を知っているらしい。首を傾げていると、女は顔を近づけてきた。
「アユミ、悲しんでたわよ。中川さん、ぜんぜん連絡くれないって」
その名を聞いてやっと思い出した。
「やあ、たしか、・・ミキコさん、だよね」
「そうよ。・・ねえ、もしかしてこちら、中川さんの彼女?」
ミキコはにやりとしながら達也の隣にいる奈央にちらちら目をやる。
「そうなの。あたし、達也くんの彼女です」そう言いながら奈央はまた腕を絡めてくる。
「お、おい、奈央」
我知らず視線はまたカウンターに行ってしまう。航平は少し離れたところで背の高い悪魔のような男と話をしていた。赤い顔でその額からは五センチほどの角がふたつ生えている。達也にはそれがユージであることがすぐわかった。彼の隣には子悪魔のような格好をした、髪の長いきれいな女がいた。
「なんだよ、おまえ、彼女いたのか」
達也に向かって呆れたような顔をしてみせてから、小野田は奈央を見ながら牙を見せて笑った。違和感のないよくできた牙で、本当に彼の歯の一部のように見える。
「よろしく。俺は小野田。こいつの同僚」
「新垣奈緒子です。よろしく」
ミキコと奈央が話し始めたので、達也は小野田に顔を近づけて声を落とした。
「おまえ、彼女と付き合ってたのか?」
「あ、いや、・・まあな」
小野田は苦笑のような表情で撫で付けられた頭を掻いた。それから達也の腕を小突きながらにやにやする。
「おまえこそ、あんなかわいい彼女がいたのか」
「あ、いや、その・・」今度は達也が言葉を濁す番だった。
苦戦しながらどうにかバンダナを頭に巻き、アイパッチをつけてトイレから出ると、カウンター越しに奈央と何やら親しげに話をしている航平の姿が目に入った。その様子が気になり、アイパッチを額の上にずらしながら急ぎ足でそちらに向かう。航平は帽子をかぶっていなかった。ドリンクを作りながら笑顔で奈央に何か言っている。
「ふたりでなんの話してんの?」
カクテル片手にけらけら笑っている奈央の横に立ってさりげなく問いかけると、彼女は達也を見ながらさっと笑みを消し、内緒、とそっぽを向いた。
達也は思わず唇を尖らせる。すると奈央はおかしそうにぷっと噴き出した。
「うそよ。ニューヨークのこと聞いてたの。あたし、一度ニューヨークに行ってみたいと思ってたから」
かなりの数のハロウィーンっぽいドリンクを作り終えたばかりらしい航平は、ペットボトルに入った水を飲んでいる。中世の騎士、忍者、それに牧師のようなコスチュームに身を包んだウェイター達がやって来て手際よくそのドリンクをトレイにのせ、さっと去っていった。
「達也くん知ってた? 航平さんてセントラルパークのそばに住んでたんですって」
航平に目を戻して口を開いた瞬間、コーヘイ! という声が聞こえてきたかと思うと外国人のグループが隣に現れ、競うようにでかい声で口々に何か言った。航平は手の甲で口元を拭きながらそちらに向き直り、彼らと話し始める。ぴっちりとしたタイツに赤や黒のケープ、それに目隠しマスクといったアメリカのヒーローものの格好をした四人組だ。すでに酔っているのか、誰かが何か言うたびに爆笑が起こる。
航平との会話を邪魔され、何となく不愉快な気分でその騒がしい連中を見つめていると、ねえねえ、という声とともに袖を引っ張られたので、達也は我に返って奈央に目を戻した。
「あとでコンテストがあるんだって」
「コンテスト?」
「うん。いろんな賞があるみたい。ベストカップルとかベストシングルとか、一番怖いのとか面白いのとか。ねえ、カップルで出ない?」
奈央は興奮したような目で達也の顔を覗き込んでくる。
「え? やだよ、そんな・・」
達也の抵抗は耳に届かなかったようで、申し込んでくるね、と言いながら奈央はカウンターの端のほうで紙に何か記入しているメイのほうにいそいそと去っていった。
結局ベストカップルに選ばれたのは血に染まったウェディングドレスとタキシードを着たゾンビの外国人カップルだったが、予想外に楽しいパーティで、あっという間に終了時間の十二時になった。
航平はフロアで客たちと談笑している。奈央に引っ張られてそちらに行くと、ふたりに気づいて笑顔を向けてきた。
「ありがとうございました。すっごく楽しかったです!」
「楽しんでもらえてよかった」
奈央に微笑み、そして航平は達也に視線を移して腕を軽く叩いてきた。
「よく似合ってたぜ、その格好」
照れながら、おまえも、と言いかけたとき、でかい声で外国人が横から航平に話しかけてきたので、彼はそちらに注意を向けた。カウボーイのような格好をしたふたり連れの若い白人の男たちだ。どうして外国人はこう不躾で声がでかいんだ、達也は顔をしかめた。
「達也くん」
不意に奈央の声が耳に入り、はっとしながら彼女に目を戻した。奈央は小さく微笑みながら慰めるように達也の腕を握ってくる。
目を伏せて気を静めるように深呼吸をし、そして達也は笑みを作ってから顔を上げた。
「帰ろうか?」
達也の言葉に奈央は頬を緩めて、うん、と大きく頷いた。
雨はやんだがさすがに十月も終わりの夜風は肌寒く感じる。コートの前を合わせようとポケットから手を出したとき、それまで静かだった奈央が不意に、達也くん、と小さく呟いた。六本木の喧騒は遥か後方に遠のき、ふたりはしんと静まり返った住宅街を歩いている。
「ん?」
「・・あたしね・・」
そのまま何も言わないので、達也はコートのボタンをはめながら彼女に目を向けた。だがすぐに思い直して正面に視線を戻す。
きっと劇団のことだろう。先週オーディションがあったはずだが、そのことに関して彼女は何も言わなかったので、達也も触れないでいた。
「ううん、・・なんでもない」
そう言いながら身体をすり寄せてきたので、達也は腕を彼女のほうに少しだけ上げた。すると奈央は目を伏せたままふっと微笑み、腕を絡めながら達也の肩にそっと頭を預けてきた。




