第八百六十九話・責めは誰が負う
Side:久遠一馬
吉良家の家臣にとって清洲からの出頭命令は寝耳に水だったらしい。最悪でも吉良兄弟の首でいいのだろう。それが彼らの偽らざる本音に思える。
誰かを吉良家の養子にして跡を継がせて、自分たちは変わらぬまま名門吉良家の家臣で居続ける。それが当たり前だと思っている節がある。家臣は選べない。信友さんの言葉の重みに、恵まれたオレが返せる言葉はない。
なぜ清洲に呼ばれたのかと冷静に問う人もいれば、怒り出して暴れようとした人、吉良家の家臣が次々と捕らえられていると聞き、逃げ出そうとした人など様々だ。
結果から言えば、今回は逃がさなかった。武士の行動は武士が一番理解している。信広さんが逃がさないように領民に褒美を出してまで捕らえさせている。吉良家の家臣のために自ら犠牲になって逃がすという領民はどうもいなかったらしい。
オレは春たち四人を三河に残して尾張に戻っている。行方不明者の捜索と葬儀も終わり、今後は氾濫箇所の応急処置と堤防のないところの補強など賦役が続くことになる。尾張と美濃から出した人員も応急処置が終わり次第戻す予定だ。
そろそろ信秀さんに今回の報告をする必要もあるからね。
「それで吉良殿は?」
「沢彦殿とアーシャが面会したわ」
留守を任せたメルティと資清さんの報告を受けつつ、肝心の吉良兄弟のことを訊ねる。
特に弟は錯乱したと噂になっていて、沢彦さんとアーシャが面会して様子をみていたらしい。
「殿の顔を見ただけで恐ろしかったとはね」
沢彦さんとアーシャが何度か面会しているうちに弟の義昭さんも冷静に話せるようになったようだが、本人は信秀さんがただただ怖かったと言っているようだ。
命令違反のことも日頃から織田への不平不満を口にしていることも、それが当然だと思っていたようだ。足利将軍に連なる吉良家の当主は特別なのだ、織田如きが軽々しく扱えるものではない。そう家臣たちに言われていたらしい。
西条吉良家では東条吉良家に関しても、本来ならば西条吉良家が主筋としてあるべきだと家臣たちが主張をしていたようで、家臣同士の対立は吉良家を統合したことでむしろ悪化したようなところもある。
まあこのあたりは義安さんが話していたらしく、彼は吉良家の内情をある程度掴んでいた。彼自身、自分が西条吉良家の人間だと理解していればこそ、東条吉良家を軽んじて分裂しないように頑張ったらしいが。結果として西条吉良家があそこまで勝手をするとは思わなかったというところらしい。
「大殿は嘆いておられましたな。名門吉良家の当主が己の命と引き換えに家の存続を願うということと、家臣どもが素知らぬふりをして領地におることも」
同じ武士であっても滝川家と吉良家では天と地ほどの差がある。資清さんはそう思っていたらしいが、今回の一件であまりに苦しい吉良家の内情になんとも言えない様子だ。
信秀さんも吉良兄弟を憐れんでいるという。自分の子と同じくらいの年齢だ。そういう意味では親としての気持ちになったのかもしれない。
その分、信秀さんの怒りは家臣に向いたらしい。沢彦さんとアーシャの報告もあり、連行された吉良家家臣はほぼ罪人と同じ扱いを受けている。
相当厳しい沙汰を受けるだろね。
Side:織田信秀
守護様と吉良家の仕置きについて話した時、助命すると言うと僅かに驚かれた。源頼朝公の故事もある。ここまでくると始末したほうがいい。それが定石ではある。三郎五郎あたりを吉良の養子としてしまえば吉良の名跡は織田のものとなるしな。
吉良の家臣どもも大方そのような流れを考えておろう。さすれば奴らの立場が上がるとも言えるからな。
とはいえ今の織田に吉良の名跡など要らぬ。まして主が死を覚悟しておる時に、自らは関わりがないと言わんばかりに領地でのうのうとしておる家臣などもっと要らぬ。
「西条吉良は取り潰しとする。汝らには切腹を申し渡す」
ようやく清洲城に連れてこられた吉良家家臣どもにわしは問答無用で沙汰を言い渡すとすぐには理解出来なかったのであろう。静まり返ったままであった。
「……それは我ら西条吉良家の者すべてということでございますか?」
「ほかにおるか? 義昭を諫めもせず、武士として教え導くこともしておらん。あれは元服したと言えぬ、ただの童だ。更にだ。日頃からわしへの不満を汝らが言うておること知らぬと思うてか?」
よほど信じられぬようだな。呆けておる。が、事実と知ると顔を青くする者や怒りに震える者がおる。名門である吉良を誇りとして生きておる者らだ。わしにそのような扱いを受けること自体面白くなかろう。
「我らは足利所縁の名門、吉良家家臣ぞ」
「たかが家臣の分際でなにをほざくか。吉良家は存続させる。汝らとその一族郎党がおらぬ吉良家をな」
とうとう本音を口にした愚か者が出たな。
「我らの一族郎党は如何なりましょう?」
「家名領地共に召し上げる。遥か海の向こうに送ってやるわ。誰も吉良など知らぬ土地で生きるがいい」
「おのれぇ! 成り上がり者がぁぁ!!」
己の立場を理解した者はうなだれて覚悟を決めるが、怒りのままに我を忘れて立ち上がるとこちらに向かってくる者がおるわ。愚かな。
「使え!」
近習が慌てて差し出す刀を鞘のまま受け取ると、真っ先に動いてわしの前に出た者に投げてやる。
「次に生まれてくる時には、もう少し周りを見ることを勧めるよ」
おお、いつ見ても見事だ。刀を抜かぬままの鞘で愚か者を叩きのめしてしまった。
「ジュリアよ、見事」
「女の着物は動きにくいねぇ」
いつもと違い、正装をしておるというのにまったく苦にせぬジュリアの動きに、誰もが見惚れたであろう。女にしておくのは惜しい。そう囁く者が多いくらいだ。
すぐに愚か者は捕らえられ、ジュリアは刀を近習に返した。吉良家の者らは信じられんと言わんばかりの顔をしておるわ。おそらく吉良家でも武勇を誇る者であったのであろうからな。
「あんたたち、一歩遅いよ。あとで道場に来な」
そのままジュリアは近習と警護の者らを一睨みして叱責すると元の席に戻った。相も変わらず抜け目がないな。そうでもしなければ、わしが叱責せねばならんところだ。
「さて、東条吉良の者。名門吉良家をここまでにした罪は汝らにもある。後日、罰を与える。覚悟しておけ」
慣例に従い、己の土地を治めるに腐心するならばまだしも、しがみ付くだけの武士など織田には要らぬ。一馬らが土豪や国人から土地を取り上げておるわけがわかるわ。
特に三河は長いこと纏める者がおらなかったことで勝手をする者が多過ぎる。小競り合いと和睦を繰り返しておると、武士もあれほど愚か者ばかりになるということか。
吉良はひとつにしてしまうか。領地も減らして吉良の家臣には土地を与えることを禁じるべきだな。吉良家から僅かばかりの俸禄でも与えればよい。
義昭は出家させるか。沢彦に預ければ悪いことにはなるまい。
◆◆
天文二十一年、秋。西条吉良家が取り潰しになった。
きっかけはこの年の秋の台風だった。矢作川(現在の矢作古川)の氾濫とその対応に織田家が動く中、先陣として現地入りした久遠春の命令に背いたことが原因である。
春は織田三河守信秀に全権委任されており、すなわち信秀の命令に背いたということが理由になる。
ただ、これには東西に分かれた吉良家の長い歴史からくる内部の対立や、長年守護が不在で三河を纏める者もいなかったことで勝手をする武士が多かったのだと『織田統一記』に記されている。
西条吉良家当主は吉良義昭。数えでまだ十五歳の若さで、とても家臣を従えられる様子ではなかったとされる。
信秀は武士としての教育もされていない義昭の様子から吉良家家臣に激怒したとされ、西条吉良家の家臣は全員切腹になっている。
義昭自身は先の理由から罪を許され出家した。
この一件で織田家は、土豪や国人に土地を与える旧来の統治法に完全に見切りを付けたと伝わり、以前から進めていた中央集権を加速させたと思われる。
なお、久遠一馬の人命救助と共に、この逸話は現代では久遠歌舞伎の十八番のひとつになっている。人命を重んじ自ら働く久遠家の人々と、武士としての誇りもなく主家を軽んじて好き勝手する吉良家家臣たちの模様を対比させて演じ、終幕の断罪へのカタルシスを盛り上げるもので人気となっている。














