第八百六十八話・覚悟なき者
Side:ジュリア
部屋に入ってくるふたりを見て、重臣たちが僅かにどよめいた。毅然とした義安と対照的に、びくびくと今にも泣きそうな義昭の姿になんとも言えないんだろうね。
隣にいるセレスと顔を見合わせてため息をこぼした。ガキじゃないか。覚悟もなにもない。ただのガキだよ。
「面を上げよ」
「おっ、お許しを! お許しを!!」
平手殿の声で義安は顔を上げるが、義昭は顔を上げることなくガタガタと震えながら命乞いを始めた。さすがに大殿も守護様もあ然としているね。
「止めぬか!」
「どうか命ばかりは!!」
たまらず義安殿が怒鳴るが、すでに正気じゃないね。
さて、どうしようかねと考えていると、動いたのは大殿だった。立ち上がると義昭の前まで歩いていく。近習がすかさず刀を差しだすと周囲に緊張感が走った。
「今一度言う。面を上げよ」
止めるべきかどうするべきか。さすがに迷うね。ただ大殿は刀を取らぬままに義昭に声をかけた。
「面を上げよと言うておるのが聞こえんか!!」
それでも震えるばかりの義昭に、静かに語りかける声から怒声に変わった。大殿はそのまま義昭の着物を掴み、無理やりに顔を上げさせる。
「ひいい!! お許しを! お許しを!!」
義昭の顔は涙と鼻水でくしゃくしゃだった。
「この大馬鹿者が!」
どうするのかとアタシを含めてみんなが見ている中、なんと大殿は義昭を平手で殴ったよ。まるで子供を叱る親だね。
「己の周りには諫める者ばかりか、武士として教え導く者もおらんのか! よいか! 武士が他家の面目を潰す時は、己と一族郎党に至るまで、命を懸ける覚悟がいるのだ!! そんなこともわからぬのか!」
そのまま大殿は義昭を放り投げるように手を離すと元の席に戻った。義昭は駄目だね。あまりの恐怖に失禁しているよ。無理もないか。重臣たちですら顔が青いんだ。
「五郎左衛門。三郎五郎に吉良家の家老、重臣、主立った者をすべて連れてくるように文を出せ。それまで両名は城内で謹慎を申し渡す。下がれ!」
義安が何かを言おうとしたが、大殿は言わせなかった。怯えて正気を失った義昭を義安が抱えるように抱き起こすと下がっていく。
アタシは初めて見る大殿の怒りだね。だけど不思議とその目は怒りでなく悲しみに見える。
「哀れじゃの」
守護様がなんとも言えない表情で呟いた。父親が失脚してから傀儡だっただけに理解する部分があるんだろうね。
Side:久遠一馬
尾張から伊勢や近江近辺の野分の被害報告が届いた。場所によって違いはあるが、大規模な飢饉が起きるほどではないものの、被害は軽くない。
まあ近江や尾張にはあまり関係がない。六角は大変だろうが、ウチは甲賀で被害が出たところから出稼ぎに来る人が増えるだろう。彼らに仕事を与えるくらいかな。
「伊勢はどうなるのやら」
被害が割と深刻なのは伊勢だった。桑名の町は願証寺と津島や蟹江から情報が伝わったようで、最低限の対策として、船の陸揚げなどして被害を軽減している。ウチの湊屋さんも伊勢で頑張ってくれたらしい。大湊と伊勢神宮に北畠も同様だ。
中伊勢の長野も一応知らせた。まあ船の避難くらいはしたらしい。ただあそこも末端までは知らせなかったらしく、内陸では相応の被害が出ている。
北伊勢は一言では言えないが、梅戸と神戸に知らせてある。そこから親しいところには情報が伝わったらしいが、長野と同様に自分たちがある程度の動きはしても末端の領民まで知らせていないので被害が相応に出ている。
情報がまったく伝わらなかったところはもっと深刻だ。
というかこの時代だと自助努力で生きていくので、上から細かな指示とかあまり出さないらしいね。情報伝達もお触れのように立て札を立てて終わりということが珍しくない。
報告では人の流出が増える恐れがあり、また北伊勢の各国人の動き次第では一揆の懸念があるようだ。
近江でも相応に被害がある六角はどう動くのだろうね。
行方不明者の捜索を打ち切ってから三日。少し遅れたが、今日、死者と行方不明者の葬儀を行なっている。
願証寺から派遣されていたお坊さんが、高僧を呼ぶというので数日延期したんだ。西三河は本證寺の後始末に奔走した彼らが、石山本願寺の代わりに頭を下げて回って維持したテリトリーだ。相応の格のある葬儀にしたいと言われるとお願いしますと頼むしかなかった。西三河の一向衆の大部分が願証寺派?になっているからね。
願証寺が西三河と尾張から呼んだお坊さんたちによる葬儀。名のある武士などではない災害による被害者の葬儀としては異例の規模だろう。十日間、一緒に捜索した遺族の皆さんも悲しみを堪えて、葬儀という旅立ちの儀式に喜んでくれている。
悲しみはすぐには癒えない。とはいえ前に進まないと生きていけない。人が生きていくのはいつの時代も厳しさと隣り合わせだ。
「久遠殿、少しよいか?」
葬儀のあと、参列者には料理を振舞う。人数も多いことと、まだまだ野分の後始末の最中なので豪華なものとはいかなかったが。
そんな中、少し慌てた信友さんに声を掛けられた。
「そうですか。すぐに人を集めます」
用件はたった今届いた、清洲からの命令だった。吉良家の主立った者をすべて清洲に連れてこいというもの。安祥城の信広さんや吉良家家臣も今日の葬儀に参列しているが、書状には捕らえてでも連れてこいと書かれているようで、急遽、賦役の人員も動員して吉良家家臣たちを確保するらしい。
オレが受けた命令じゃないが、手伝う必要がある。
「吉良の舎弟殿がいかにも錯乱したようでな。清洲の殿が激怒されたようだ」
命令書は安祥城までウチの伝書鳩を使い、暗号化なしの平文で届くほどの緊急命令で、政秀さんの説明の書状が添付してあったらしく事情を教えてくれた。
元々呼び出しは命令違反をした者たちと吉良義昭さんだった。義昭さん自身、春の命に従わずに動かなかったからだろう。肝心の義昭さんは数え歳でまだ十五歳。責めは自分も負うので一緒に清洲に行くと義安さんは自ら同行していったんだけど。
肝心の義昭さんが錯乱したように命乞いをして話も出来なかったと。こう言ってはなんだが、義昭さん子供っぽいんだよね。中二病のような感じもあった。よく言えば世間知らずというところか。
「あそこも家臣がねぇ」
「人のことは言えぬが、主君とて家臣は選べぬ。まして元服するか、せぬかという歳ではの」
小声で囁くような信友さんに言われると説得力がある。先日の松平宗家や信友さんのいた織田大和守家もそうだったが、普通は家臣が代々仕えて周りを固めているので、主君側ですら周りを選べないからね。この時代だと。
下手に疎むと陶隆房のようになる。
若い吉良兄弟だと知らず知らずのうちに家臣に誘導されていたんだろうし、そもそも東条吉良家と西条吉良家の仲は相変わらず良くないとは聞いている。
吉良家当主である義安さんは西条吉良家の出身だが、今は東条吉良家の当主であり、両家を合わせた吉良家の当主でもある。東条吉良家を粗末に扱わないようにだいぶ気を使っているらしいが、それが西条吉良家の家臣たちからすると面白くないらしい。
西条吉良家の家臣からすると、東条吉良家が自分たちを下に置いた気でいると思っているんだろう。義安さんは東条吉良家を相応に大切にしているみたいだけどね。
なんとか吉良家をまとめようとしている節があるが、そんなこと家臣からすると関係ないからね。織田への臣従も決めたのは義安さんだ。西条吉良家では不満も大きかったらしい。
「仕事でござるか?」
「うん。暴れるかもしれないし、逃げるかもしれない。あと今日来ていない人も捕らえる必要がある。武官と警備兵を集めて」
「了解でござる~」
モグモグと食事を楽しんでいたすずがすぐに動きだして、佐々兄弟に話をしている。尾張から来ている武官と警備兵でとりあえず葬儀に来た吉良家家臣を捕らえて、あとは賦役の人からも兵を臨時で集めて来ていない吉良家家臣を捕縛しないと。
さて、吉良家はどうなるんだろうね。














