第八百六十四話・災害救助というものがない三河
Side:久遠一馬
船に米と雑穀を満載して蟹江を出て九時間くらいか。清洲を出た翌日の日暮れ前には到着することが出来た。
早馬で知らせを出していたので、織田水軍の小舟が河口付近で待機していて、南蛮船からピストン輸送で陸揚げする。
「ああ、水野殿。わざわざありがとうございます」
現地の織田水軍は元水野家の水軍らしく、水野さんがわざわざ出迎えてくれた。水野さん自身も兵を集めて河口付近の水害地域で人命救助をしているらしい。
「田んぼは駄目ですな。先に入られた奥方が早々に諦めるようにと指示を出されておりますぞ。ただ、人は大勢助けております」
水野さんから現地の状況を聞くが、思った以上に良くない。春が早々に田んぼの稲を諦めたというのには驚く。
事情を聞くと被災地域の武士が思った以上に事前の対策をしておらず、また事後もほとんど動いていなかったらしい。しかも吉良家では被害の大きさに天罰だと怯えていたようで、先行して現地に入った春が怒鳴って動かしたと噂にもなっているようだ。
現在人命救助をしているのは、水野さんたち矢作川の西側の国人衆と。岡崎の辺りも被害は軽微だったようで松平宗家が寄越した兵たちらしい。
「あと、米の奪い合いが起きており、そちらにも兵を割いておりますな」
ああ、春たちがいないと思ったら、どうも近隣の治安維持に回っているらしい。ある程度は予想していたんだけどね。吉良を筆頭に現地の国人衆が働いてないので無法地帯になっているところもあるんだとか。
陸路で武官と警備兵も現地入りしているが、彼らもオレより少し早く到着していて、すでに治安維持に動いているらしい。
「荷揚げをお願いします。あとすぐに尾張と美濃からも人が来ますので」
水野さんに荷揚げをお願いして、オレは現地の本陣に急ぐ。
「久遠殿、これはまたお早い到着ですな」
矢作川から内陸に進むと信友さんと合流した。どうも春たちが実働部隊として動いていることで彼が一連の人命救助の差配をしているらしい。
被災地域の安全な場所に安祥にあったゲルで兵たちの休息場所と本陣を置いていて、二十四時間態勢で働いている。基本的な方針は春たちが決めたようだけど。
水に流されて下流で無事だった人の保護を含めて、すでに百人以上の領民を救っている。人口密度の低いこの地域では十分すぎる成果だろう。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。責めはすべて私が負いますので」
信友さんから詳しい情報を聞くが、春がかなり強引に強権を発動していた。
織田から兵を出したことで、なにもしていなかった武士たちも動きだしたが、基本は自領優先だ。領民も自分の田んぼの稲の心配ばかりして、隣村の人命救助なんか知るかと無視する人もいるんだとか。
更に隣村が水害で被害が大きいと知ると、係争地の占領に動いたり、当然に略奪に行くんだから始末に負えない。
命令に従わない武士には領地を召し上げるからと宣言して、領民には今後賦役や医師の診察を許さないと言って無理やりに人を動かしているらしい。
そのうえで勝手に係争地の占領や略奪をした人たちは、罪人として片っ端から討伐している。
信友さんは勝手に領地に入ったとか、家臣を討ち取られたと反発する国人衆をなだめて回っていたみたい。面倒な役回りをさせてしまい申し訳ない。
さすがに肥大した自己権利の持ち主は、時代とか世界が違っても、越権行為だと反発するだろうが、オレは春たちのことだから、緊急時処断だと信じているし、責任はオレが取るべきだ。
「いや、お気になされるな。三河に来て思い知らされた。久遠殿がやろうとしておることがいかに必要かということをな」
一応、春には信秀さんの書状を持たせてあるが、三河においては信広さんが責任者となる。最低限根回しが必要とも思えるが、春は根回しをせずに動いている。人命救助をするためには時間が鍵なんだ。オレからすると当然なんだけど、戦国時代の武士からすると人命よりも己のメンツなんだよね。
結果として現地を任された信友さんに迷惑をかけたので詫びるが、意外なことにあまり気にした様子がない。
「因幡守殿……」
「わしも知らなんだ。下の者がこれほど勝手をするなどとはな。命には従わぬのに己の利と主張だけは一人前だ。働かぬ者に与えるものなどないというのに」
この人も元の身分高いんだよね。家臣に命じて終わりだった。末端の苦労も勝手さも知らなかったのも当然か。
事前に教えたのに、田んぼの管理どころか川舟の避難もしておらず流されたところが多数あったらしい。それなのに田んぼの復旧を織田の賦役であてにするし、失った川舟までも求める有様なんだとか。
国人衆の後始末は信秀さんに裁定を回す必要があるな。この際だ。好き勝手にやらせてもらうか。
「では、このまま強行しますか。従わぬ者は放っておきましょう」
一応、国人衆にも謝罪をするべきかとも思ったが、ここまでくると悪者になっていい気がする。
国人衆を無視してでも人を集めて、人命救助と川の堤防の最低限の修復を急ごう。
幸か不幸か松平宗家は命令に従っているんだよね。あと西三河の一向宗の寺も。従っていないのは、歴史に名前が辛うじて残るか残らないかという国人や土豪に領民だ。
食料は運んできたし、今後も途絶えさせることはしない。働く者たちにはお腹いっぱい食べてもらう。それで治まるはずだ。
Side:春
「何故、そのような命に従わねばならんのだ!」
またか。何度目だろう。この台詞。金太郎飴みたいに同じ台詞で反発する武士たち。目の前のこの男の名前なんだっけ? 歴史にかろうじて名前が残る一族のひとりらしいけど。
「人の命と氾濫した水がこれ以上広がることを防ぐことが優先なの。説明したでしょう?」
「そのような命を受けるなど聞いておらん! わしの所領の田んぼはまだ間に合うのだぞ!!」
火事場泥棒を討伐しながら被害が少ない地域から人を集めようとすると、当該地の武士が邪魔をしに来る。確かにここの田んぼは風で稲が倒れて水に浸かったけど、すぐに刈り入れれば間に合うだろう。
だけど堤防の復旧をしないと次の雨でまた川が氾濫しかねないのにさ。
お前なんか知らん。安祥の三郎五郎殿から命じられなければ動かん。そんな子供みたいな反発をする人もいる。緊急時だって言って三河守名義の大殿の書状も見せたのに。
今度は本物かと駄々をこねる。
「いいわ。勝手にしなさい。ただし覚悟しておくことね。貴方だけじゃない。一族も許されないわよ。それと拒否した村には今後織田からの助力はないわ。賦役も医師の診察もね」
私はエルじゃないからね。ろくでなしの機嫌を取ってやる気も説得する気もない。三河に来る前に大殿からは好きにやれと言われているのよ。
「ここは織田から離反したわ。本陣に伝えて」
「はっ!」
邪魔をした武士はまだ騒いでいるけど、こちらは村がひとつしかないようなろくでなしの相手をいつまでもしているほど暇じゃないのよ。
「春~、どうなのです?」
「ああ、チェリー。ここは駄目よ。悪いけど監視の兵をお願い。近隣に手を出したら殲滅するから」
「了解なのです~」
せっかく尾張から呼んだ武官と警備兵を、ろくでなしの監視に割くなんてもったいないけど仕方ない。
皮肉ね。織田に臣従すると言いつつ、織田の恩恵を受けてのうのうとしていたここの武士と違い、先日、松平殿に反旗を翻した者たちの一族郎党は、今回の災害において命懸けで働いているわ。
船旅に耐えられない年配者と幼子とその家族以外は、南方の開拓地に島流しが決まっているのに。
恩情として一族の誰かを、日ノ本に残すことが出来るという救済が効いているのかしらね。
気にしても仕方ないか。次に行くわよ。次!














