第八百六十二話・一馬、災害対応をする
Side:久遠一馬
翌日の午前中は雨風が強く続いたが、お昼過ぎから徐々に弱まって、夕方には嘘のように穏やかな天気となっていた。
「親方に感謝だなぁ」
ウチの屋敷は被害らしい被害がなかった。硝子窓が入った温室が先日完成していたが、大工さんのアイデアで雨戸を付けた結果、被害は皆無だ。
ロボとブランカの仔犬たちが初めての野分に落ち着かないのか騒いでいたが、それ以外は大きな問題はなかったね。
驚いたのは翌朝だった。被害報告の確認と事後処理のために清洲城に出向くと、文官衆の皆さんがすでに昨日から被害の把握のために各地から入っていた被害報告をまとめていた。
さすがに徹夜はしなかったようだが、かなり眠そうな人もいる。
「かず、いかが思う?」
信長さんも早朝から来て仕事に励んでいたようで、オレとメルティとジュリアとセレスは一緒に来たが遅いくらいだった。これは失敗したね。
「被害は少ないですね。もっとあるかと思っていましたよ」
報告をまとめている途中の書類を信長さんに見せられるが、野分の規模に比べると被害は少ない。尾張では氾濫をよくする木曽三川があるが、大規模な川の決壊は防げている。遊水地から水が溢れて一部の田畑が浸水したとかはあちこちにあるが、許容範囲内だろう。
野分に備えて一部の遊水池では水を事前に流すなどしたようだし、舟橋など壊れないようにと陸揚げするなど頑張ってくれたらしい。
「申し上げます! 三河の矢作川東岸、川の氾濫により被害甚大。安祥城より至急指示を仰ぐとのことです!!」
ああ、被害が出たのは三河か。忍び衆の管理する伝書鳩で緊急の報告が入ると、信長さんを筆頭にした文官が騒然とする。
「三河領での賦役の人員を被害地域に充ててください。人命優先で。あとは水に浸かった米は、至急刈り入れをしてください。天候次第では乾けば食べられるかもしれません」
みんな動揺しているので信長さんの許可をもらい、オレが指示を出す。人員を集中して被害を早急に食い止める必要がある。
「新九郎殿。美濃から人をどれくらい送れるか、確認をお願いします。賦役は急ぎのもの以外は中断します。千か二千でも叶うならばすぐにでも送ってほしいです。あと尾張の賦役も一時中断して三河に送りましょう」
水に浸かった田んぼの後始末は各地でやる必要がある。とはいえ矢作川の決壊したところの復旧も急務だ。次の野分がすぐにでも来ないとは限らない。
「米の収穫は大丈夫ね。尾張と西美濃の被害が軽微で助かったわ。新品種と新農法の成果もある。例年程度は確保できるわよ」
「メルティ、至急かわら版でそのことを知らせるから頼む」
「わかったわ」
良かった。メルティの概算だが、飢饉になることはないらしい。まあ新品種と新農法で今年見込んでいた収穫の割り増し分が吹っ飛びそうだけど。あとはそれを領内に知らせて米の買い占めとか値上がりを防がないと。
「蟹江にある南蛮船を使おう。米と雑穀を積んで三河に送る。あれを見せると人心も安定するだろうし。すぐに蟹江に知らせて」
やることはまだまだある。
治安維持のために警備兵からの選抜隊と、被害者救済と疫病防止のために医師団の派遣をする必要があるな。医師のトップは出来ればケティがいい。名前が知られているだけに士気が上がる。春、夏、秋、冬の四人を先行で送るか。ないとは思うが、良からぬことを企む人が出かねない。
「こっちは武官が三百、すぐに出られるよ」
「警備兵は二百ですね。すずとチェリーに佐々兄弟を送ります」
「ああ、良かった。頼むよ。不届き者は討ち取ってもいい」
あちこちに指示を出していると、ジュリアとセレスがすぐに送れる人を集めてくれた。この時代では田畑が駄目になると飢えてしまうと考えるので、すぐに暴動や略奪が起きかねない。
そのまま病院で医師団を編成してもらい一緒に三河に行ってもらう。時間との勝負だ。二次被害が起きないように頑張ってほしい。
Side:織田信長
次から次へと矢継ぎ早に命じるかずを、文官衆は呆然と見ておった。
かずを無能だと思う者はここにはおるまい。されど物事を己だけで決めて決断することはまず見たことがない。常に周りにおる者らの話を聞いて決める男だ。
見方によっては優柔不断に見えることがある。それがまるで別人のように己で考え決断しておることに皆が驚いておる。
いや、かずだけではないか。メルティもジュリアもセレスも皆、己の役割を果たしておるのだ。久遠家の者がいかに優れておるか改めてわかるな。
近頃はかずたちが命じるまでもなく、文官衆で差配することも増えた。口には出さぬが皆が自信を持ち、久遠家に並びつつあると思っておった者もおろう。
それだけに驚き呆然としておるのだ。
「申し訳ありません。すべて勝手に決めて」
「よい。守護様と親父にはオレから言うておく。三河に行くのであろう?」
「はい。ここで西三河を荒れさせては今までの努力が無駄になりますので。私は船で参ります」
松平宗家が臣従し、ようやく治まった三河が揺れては織田の威信にかかわる。
メルティとすぐに部屋を出ていくかずをオレは見送った。
「申し上げます! 願証寺より寺領は被害を抑えられたとのことでございますが、北伊勢は被害が甚大な模様!」
昼を過ぎた頃、再び厄介な知らせが届いた。
「すぐに詳細を探れ! 願証寺には必要なものがあれば申し出るように伝えろ」
各地から入る知らせが一段落した頃にこの凶報か。すぐに久遠家にも知らせねばなるまい。
「北伊勢はまずいな」
かずと入れ違いでやってきて差配しておる与次郎叔父上が、願証寺からの知らせに顔をしかめた。
斯波と織田を六角とぶつけて争わせたい者らが謀をしておる。さらに北伊勢の国人衆もまた織田の暮らしぶりが気に入らぬ者がおるのだ。民は民で尾張に来たい者が多いと聞く。かずはいつ騒ぎが起こってもおかしゅうないと言っておったな。
「申し上げます! 北畠家より南伊勢の被害は軽微。改めて礼に参るとのことでございます!」
「使者はまだおるか?」
「はっ」
「オレが会う。待たせろ」
北畠も無事か。北伊勢のことを伝えねばならん。中伊勢の長野にも野分の知らせは出したが、あそこはいずこまで信じたかわからぬ。北伊勢と中伊勢で一揆でも起きれば面倒になる。
近江は如何なっておるのだ? それも探らせねばならん。織田の忍び衆だけでは足りぬな。八郎に使いを出して久遠家の忍び衆にも探らせるか。
六角が動けるならばこちらは動かずともよい。だが動けぬ時に一揆でも起きるのならば、北畠と共に動かねばならぬやもしれん。北畠は伊勢の国司。北畠から要請を出してもらえば北伊勢への挙兵の名分は立つ。
「おお、市ではないか。久遠屋敷に行くのか?」
「はい!」
しばし考えておると、市が姿を見せた。久遠家に行く時の着物だ。
「しばし待て。八郎に文を書く。届けてくれ」
「畏まりました」
市は久遠家に行くことを楽しみにしておるが、昨日は野分で行けなかったからな。ちょうどよい、市の乳母の冬に八郎への文を託す。
北伊勢が荒れて東海道が使えぬのならば、近江と畿内への荷はすべて東山道経由で送らねばならん。久遠家で如何に判断するか聞かねば。
それに、まさかとは思うが、こちらに奪いに来ぬとも限らんからな。














