第七百六十四話・冬の獣狩り
Side:久遠一馬
伊勢守家の信安さんが観音寺城に出発した。六角定頼さんの葬儀に出るためだ。守護の義統さんの名代となっている。
信秀さんに織田嫡流を譲ったとはいえ、元嫡流としての家柄は軽くはない。それに信安さんは穏やかな人なんで外交に向くんだよね。
お供としてウチの望月さんが同行した。疑うわけではないが警戒は必要だ。当然忍び衆も相応に付けている。
織田と六角の関係を崩壊させることは難しくない。今回で言えば六角領にて使者を殺してしまえば簡単に敵対することになる。
無論、六角側もそんなことはわかっていることだ。細川晴元や三雲辺りが密かに仕掛けてきてもおかしくない。また一緒に義輝さんにより遠ざけられた幕臣たちも、相当不満を抱えているだろう。
「よし、追い込め!!」
この日、冬の寒空の下でオレは信長さんとエルとジュリアたちと巻狩りに来ている。『巻狩り』と言われてもオレはピンと来なかったが、圧倒的な戦力で敵方を追い立て、打撃力に優れた味方の待つ死地に追い込む、一種の掃討戦の手法らしい。
すずとチェリーと武官や武闘派などの織田家中の若い家臣たちも一緒だ。あとはロボやブランカと警備犬などの犬たちもいる。
熊は冬眠するが、鹿や猪は冬眠をしない。そんな獲物を探してみんなで狩りをする。ただし同じ獲物を狙う日本狼の群れに遭遇すると大変なので、ウチのオーバーテクノロジーで密かに事前調査したそうだ。
信長さんの下知で犬を連れた勢子と呼ばれる大勢の人が鹿や猪を追い立てて、身分のある信長さんたちが弓や鉄砲でとどめを刺すのが織田家で行われている狩猟になる。
鷹狩りとの違いは鷹では狩れない大きい獣が獲物ということか。信長さんの家臣やウチだけで三百人、恩恵を受ける近隣の村からをも含めると千人は動員されたかな?
昔は信長さんの悪友の皆さんとしていた鷹狩りや巻狩りだけど、最近は家中の人が参加することもよくある。一種のレクリエーションであり、これでコミュニケーションを取っているとも言える。
犬たちに関してはこの時代では狩りに使っていなかったが、ウチが取り入れて信長さんは使っている。そのためにリリーも何度か信長さんの狩りに同行したくらいだ。
まあ、狩っているのは山の状態や獣の数によって里に下りてくる害獣が中心なんだけど。
「殿、斎藤大納言様の一行がおられます」
狩った鹿や猪などの血抜きを家臣に頼んでいると、偶然近くを通りかかった一行を、周囲を見張っていた忍び衆が見つけてきた。
「大納言か。珍しいな」
オレたちは今回、尾張上四郡の中でも美濃に近いところで狩りをしている。清洲にでも行くなら通りかかってもおかしくはない。信長さんは少し驚きつつも特に気にした様子はない。美濃から清洲を訪れる人は普通に多いからね。
ただ、正義さんはあまり姿を見せる人ではなかったが。
斎藤大納言正義。尾張や美濃で一番高い官位を僭称している人。実はこの人、実の父が近衛稙家さんなんだよね。庶子であることから出家していたが、家臣の縁を頼り美濃の道三さんの養子となった人だ。
「お久しゅうございます」
信長さんは特にアクションを起こさなかったが、向こうも気付いたようで挨拶に来た。
「息災のようだな。大納言」
「若殿にその名で呼ばれては、答えに窮しまする。某は義父殿と共に織田の家臣。分を弁えておりますれば。大納言の呼称は元は斎藤持是院家の者が、そう名乗っておっただけの僭称位。義父殿にはいずれはその名跡を継がせてもよいと言われて、名乗ることを許されておっただけのこと」
信長さんが気軽に大納言と呼ぶと正義さんはギョッとして困った顔をして自己弁護した。まあ無官で官位を私称していない信長さんの前で、大納言を名乗ること自体が問題だからね。
信長さん自身は今のところは官位を私称する気はないらしい。オレが官位などなくても上手くやっている、もしくは私称に意味や効果が無いことを先の上洛で感じ取ったからだろう。
「まあ、よいではないか。他所から美濃に参って大変だったのだろう。かずのような南蛮船でもあれば違うがな」
プライドが高く上昇志向がありそうな人だけど、信長さんは意外と嫌ってはいない。そこまで知らないというほうが正しいが。
ちなみにこの人、近衛稙家さんの血縁なので義輝さんとも従兄弟にあたり、道三さんの養子ということでオレや信長さんとも義理の兄弟になる。
他人じゃないという扱いなんだよね。ウチにとっても。
「ありがとうございまする。そうおっしゃっていただくと某も安堵致します」
理由としては筋が通っている。信長さんはそれに加えて、余所者ゆえに舐められないようにしたのだろうと推測したみたいだね。
近衛稙家さんの庶子と言っても信じない人も多かったろうし、近衛が何ほどのものぞと軽く見る人もいただろう。まあ苦労はしただろうね。それなりに。
「肉祭りでござる!」
「大猟なのです!」
「ワン!」
「ワン!」
正義さんが清洲に行くと言うので去ると、ロボとブランカを連れたすずとチェリーが獲物を狩って戻ってきた。腸詰め、ハム、ベーコン。狩った獲物は大半が保存食として加工する。加工場は今のところ牧場村だ。
あそこは家畜の飼育もしていて、屠殺のための施設もある。工業村から引いた水路の水などがあるので水の心配もない。
「今年はちょっと山の恵みが少なかったんだろうね。おかげで里まで下りてくる奴がおおいんだろうさ」
鹿や猪が数匹狩れた理由をジュリアは山の状態にあると見たようだ。大きな天災クラスの自然災害が起きなくても、気候のブレ次第では山の恵みが少ないこともある。
里に多く出没すると春からの農作業に影響するからなぁ。減らしても生態系に影響を与えない範囲で狩りをすることは必要なんだよね。
ちなみにウチの家臣、あまり穢れとか気にしない若者が増えている。ウチだと屠殺とか普通にやるしね。魚も捌けば獣も捌く。迷信とか気にする人もいるが、基本ウチは公式の場でのマナーなど以外は、あまり気にしないからな。それに影響された人もそれなりに多い。元の世界でも他人任せにした人に限って無責任なことを言ったもんだ。
「若様、そろそろお昼にしましょうか」
「うむ、腹が減ったな」
今日は冬晴れで風が冷たいものの日差しが暖かい、先ほどから味噌汁を作っていたエルが、昼食の支度が出来たと知らせにきた。さっそく狩りに参加している皆さんに配ってお昼にする。近隣の村の人たちには、労働の報酬と来春以降の作物の安定に繋がる祭りに近いのかも知れない。みんな嬉しそうだ。
「うめえ」
「あったけえな!」
白いご飯の握り飯とおかずもある。那古野城の料理人と手分けして作ったんだそうだ。寒空の下で飲む温かい味噌汁は確かに美味しい。
おにぎりの具は梅干しだ。この時代の梅干しは長期保存のため酸っぱいが、これがまたご飯の甘さと合わさり美味しい。
おかずは尾張では定番となりつつある小魚の大野煮。卵焼き、あとは鯵のなめろう。鯵の骨せんべいなどもある。
獲物も狩れたことで、みんな楽しげに会話をしながら食事が続く。
ロボとブランカたちのご飯もちゃんと用意してある。
「これはいいですな。生の魚を味噌で和えるとは」
今日のおかずで珍しいのは『なめろう』かな。元の世界だと房総半島の郷土料理として知られている。とはいえ調理法はシンプルなんだよね。こういう素朴な料理は真似する人が多い。織田家でもすぐに流行るかもね。
ただ、尾張で主流の豆味噌よりは他の味噌が合うと思う。現にエルも合わせ味噌で作っている。
ちなみに尾張では麦味噌や米味噌など、豆味噌以外の味噌も生産が始まっている。もとはウチで使っていたものなんだけどね。味噌商人に造り方を教えて造ってもらっているんだ。
現地で出来ることは現地でする。基本だからね。ウチの料理を食べた人からあの味噌が欲しいとか頼まれることもあるようで、生産量が増えているそうだ。
味噌に関してはこの時代では自宅で作る人も多い。手前味噌なんて言葉もあったくらいだ。とはいえ食生活が多様化すれば、いろんな味噌が売れるようになるだろう。
まあ味噌職人は醤油も造っているので、人手不足なほど大変らしいけど。あまり無理をさせないようにと指導しているところだ。
さて、午後も狩りを頑張っていきましょうかね。ふと、害獣に悩む他の地域にも行かないとまずいのではと思ったことは、また後日ということで…。














