第五百四十七話・会談のその後
Side:太原雪斎
……失態であった。
未だ新しき清洲城の一室で、己の愚かさにやり場のない怒りを感じてならなかった。
「和尚? いかがなされました?」
拳を握りしめながらも、如何にしても冷静になろうとしておるわしの様子に、供として同行した者が戸惑いの声をかけてきた。
未だかつて斯様な醜態をさらしたことなどない。それゆえ心配をかけたのであろう。
「武衛殿は公方様と管領に相当思うところがあるらしい」
何故、気付かなかった! 御屋形様とて同じなのだ。畿内すら治められぬ愚か者どもに良き心証や存念を抱くはずがないことなど、考えればわかるではないか!!
「斯波家は三管領の家柄。かつての権勢を取り戻すには、今一度、管領職の任が相応しゅうございます。それは間違いありますまい?」
「さにあらず。御屋形様の御存念に通じるものがあるのだ。すでに足利家を見限っておるのだ」
気付けるはずであった。信秀があの言葉をわしに問うたのが答えだったのだ。御屋形様も御同様なのだ。初代、先達の築き上げた権威権勢で無駄に世を荒らす愚か者。公方をそう評しておられたことさえある。
「なんと……」
「同じであろう? 今川家も、北条や武田とてな。畿内を出て本心で公方に忠義を誓うものなど、いかほどにおろう」
もっともわしとて武衛殿が公方に忠義を持つなどと思うておらなんだ。とはいえ武衛家の復権と織田による天下統一。それには管領職が使えると判断したまでのこと。
織田はいずれ畿内を飲み込むであろう。故に一番に求めるものが、己の望む時に畿内に口出しする大義名分だと思うたのだ。実権はないが、それが逆に縛られなくてよいとも思うた。
ちょうど公方は管領の細川と共に三好と争うておるが、あの管領を信じて重用しておる様子でもない。誰ぞ代わりがおれば代えたいと考えておると読んだのだが。
「織田はなにを見て、なにを考えておるのだ?」
わからぬのは織田だ。見るもの考えること、わしの智が及ばぬのか? かつて足利家が執権であった鎌倉の北条家を滅ぼしたように、足利家を滅ぼす機会を狙うのか?
信秀はなにを考えておる? 傀儡を御することすらできんわけではあるまい。
これは織田にとっても好機となるはず。
領内を整え、戦に逸る素振りは見せぬ。仏とまで言われるものの、領外には時に冷徹な一手も躊躇わぬ。
あの男はいったい、なにを願い、なにを目指しておるのだ!?
Side:斯波義統
「少し昂ぶりが過ぎたようじゃ。すまぬ」
人払いをして弾正忠とふたりだけになると、わしは弾正忠に謝罪した。
初めは演技であった。然れど、言を交わせば交わす程、真に腹が煮え立ちたのだ。和睦や同盟など今川が欲するだけであろう。然でありながら天下などと大それたことを口にした、あの坊主に怒りが湧いてきたのだ。
「構いませぬ。それが人という者でございましょう」
「だが戦になってしまうのやもしれんぞ」
今川との戦を弾正忠はあまり望んでおらん。領内を整える時がほしいというのと、美濃を粗略にせぬと示し、先んじて安堵させたいのだろう。蝮がらしゅうないほど従順だからな。
「それならばそれで構いませぬ。所詮は今川が甲斐や信濃に勢力を伸ばすのを、黙って見ておるわけにもいきませぬ。我らの最善は、あれらが武田と潰し合うこと。とはいえそうこちらの思う通りにはなりませぬ」
「三河が邪魔じゃの」
遠江か。亡き父上の悲願といえば叶えてやりたい気がするが、なんといっても三河が厄介だ。吉良も松平もいつ背後から襲ってきてもおかしゅうはない。たいした力はないがな。
三河を平定して遠江、駿河と攻めるか? いかほどの時がかかるのやら。
懸念はまだある。このまま駿河まで攻めれば東国の争いに巻き込まれることか。甲斐の山猿は裏切りが得意な無法者。黙って今川が消えるのを見ておるまい。
「天下は遠いな。わしにはとても日ノ本を統一するなどできるとは思えん」
「ゆえに過去を見れば、各地の諸勢力を味方にした者が天下をまとめたのでございましょうな。とはいえ、それではすぐに天下が荒れる。皆が好き勝手なことをするのを止められませぬから、今の乱れた世が続いておるのでございましょう」
わしの頭には一馬の顔が浮かんだ。一見するとさほど秀でたところがあるようには見えぬ男だが、武芸も学問も優れておる。あまり働いておるようには見えぬが、気が付くと仕事を終わらせておる男だ。
わしなど恐ろしゅうなることもある。あの男の刃がこちらに向けばいかがなるかと思えばな。とはいえ、見返りすら求めずに珍しき品や食べ物を献じてくれることもある。
今の尾張で新たな世の先を見通せておるのは、一馬と奥方たちだけなのだ。仏とさえ言われる弾正忠も見通せぬ新たな世をな。
「最早忌まわしきの極みだ。そのような世はな。贅沢は望まぬ。親兄弟が殺し合うことのない世ならばわしはそれで良い。我が子たちもそのまた子たちも笑うて暮らせるならば、わしはその礎となろうぞ」
一馬たちを信じる気になるのは、あの笑顔かもしれんな。一馬たちのように素直に笑える世であってほしい。そう思えばこそ、わしは傀儡でも如何様でも構わんと思うのだ。
「足利家に賭けるよりは、遥かに良きご判断でございましょう。某も同じでございます」
弾正忠も同じか。一馬の欠点は己の力で新しき世を創る気があらぬことか。先を見通せる者が臣下となり、それを信じる者が主君となる。奇妙な縁だ。
だが……、『それもまた面白き』と思える。
「フハハハハ、確かにの」
思わず笑いだしてしまった。賭ける先が足利と一馬ならば一馬に賭けるわ。勝負にもならん。尾張ではな。
「家中の者たちを集めて合議を致すべきかと思いまする」
「そうじゃの。それがよかろう」
さて、一馬が今川からの申し出に、いかな顔をするか楽しみじゃの。
Side:久遠一馬
「あのさ……」
「なにかしら?」
もうすぐ夕方という頃、牧場の孤児院に顔を出すと紙芝居をしていた。どうも慶次の描いた新しい紙芝居らしい。あの男はなにをしたいんだろう。
思わず孤児院を任せているリリーに声をかけたが、リリーは問題ないと言いたげだ。
内容は信長さんとオレやエルたちが悪い武士を懲らしめる話らしい。某暴れん坊と某越後のちりめん問屋の物語を混ぜたような内容だ。
すずとチェリーだな。慶次にあんな元の世界の時代劇みたいな勧善懲悪の物語を教えたのは。しかも絵がまた上達しているし。
「やっちゃえ!」
「成敗だ!」
うん。子供たちには大人気だ。信長さんって子供たちには好かれているからなぁ。
「まあ、楽しんでいるならいいか」
なるべく後世には残さないでほしい。でも複製とかされて残りそうで怖い。
うーん。文化がどうなるか心配だ。
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『三郎殿奮闘記』
久遠家家臣、滝川慶次郎秀益が書き認めた創作小説である。
内容は織田信長と久遠一馬やその奥方たちが旅をしながら悪人を退治する話になっていて、史実とは無関係の創作であることが明らかとなっている。
歌舞伎や舞台劇に映画や映像放送の時代劇など、たびたびリメイクされている本作であるが、原本もかなり斬新なもので当時大人気となったとの記録がある。
一説には久遠家が領民統治の手段として活用していたとも言われているが、真偽は不明であり、文武両道だったと伝わる滝川秀益の多彩な趣味の一つであったとも言われる。
当初は紙芝居として庶民に見せていたようで、原本の紙芝居が今も久遠メルティ記念美術館にて展示されている。














