第千四百一話・変わった先にあるものは
Side:北畠具教
父上がおらぬ霧山はいささか苦労が多い。家中の者らの中には尾張から政について命があるだろうと考えておったらしいが、それらしいものはほぼ来ぬ。
近頃で父上が動かれたのは北伊勢の神戸らの所領の扱いだけだ。警備兵や織田農園に賦役や大湊を治めることも懸案としてある。正直言えば困っておるのだが、父上はすべて任せると言うて終わりだ。
元はわしが織田と誼を深めて望んだことなのだ。当然、わしが責を持ち動かねばならぬが、それにしてもこれほど捨て置かれるとは思わなんだ。
「大御所様は学校に行かれるのか」
「明や南蛮の技や知恵も教えておるからな。分からなくもないが……」
ようやく文が届いたと見てみれば、織田の学校にて学ぶことにしたと書いてあるではないか。さすがに重臣らも驚き戸惑うておる。
「我が殿は大御所様が師となられるのかと喜んだわね。ところが学ぶのだと知り驚いていたわ」
わざわざ父上の文を持参してくれた春殿の言葉に、数人の重臣が思わず笑っておるわ。内匠助が勘違いするのも無理はないことよ。
「まさか、かように苦労が多いとは……」
大湊の代官を務めておる鳥屋尾石見守が少し疲れた顔を見せた。大湊の臣従を他の家臣らは喜んでおったが、織田の政を学び大湊で生かさねばならぬ立場の鳥屋尾石見守はそれどころではないからな。
わしも困り果ててしまい、あまりに分からぬことだらけで内匠助に助けを求めたこともあり、春殿ら四人が来てくれたのだ。
「本当は法を整え、それを基に治めるべきなのよ。ただ、分国法は作るのも大変だから。今は幾ら税が入って、いかに使うか。商人の正当な商いには口を出す必要もないけど、皆がなるべく納得のいく治め方をしないと続かないのよね」
家臣らもようやく織田から文官を招いて政を学んでおるが、正直なところひとつ知ると分からぬことが五つも六つも増えるような有様なのだ。
春殿らも織田の文官も、かようなことは承知故、ひとつひとつ教えてくれるが。家中には慣れておらぬことをするなら隠居したいと言い出した年寄りもおったな。
「大湊だけは仕損じるわけにはいかぬのだ。済まぬが良しなに頼む」
神宮も大湊の会合衆もおる。大湊の政を北畠が仕損じるなどあってはならぬことだ。久遠では失態もまた糧となり学ぶべきだというが、北畠の面目もあってそう言うてもおれぬ。
「織田の文官もいるし、なんとかなるわよ。会合衆も理解しているわ」
面倒なことは家臣に任せておればいいという世ではない。皆も今更織田相手に戦えぬことは理解しておる。戦っても解決せぬこともな。
とはいえ苦難は続くな。御幸の前に失態となることだけは避けねばならん。
Side:久遠一馬
ケティが赤ちゃんを産んだ。男の子だ。おかげで那古野は、またもやお祭り騒ぎになっている。
妻たちで一番顔が広いのは、もしかしたらケティかもしれない。領内のあらゆる身分の人を診察して指導しているからね。そんなこともあって、あちこちから届くお祝いや使者の対応で忙しい。
名前はケティとどうしようかと相談しているところだ。今まで男の子の幼名は義統さん、信秀さん、政秀さんと頼んでいたからね。義信君とか信長さんに頼むという選択もあるし、そろそろ自分たちで付けてもいいかと思うところもある。
大武丸たちとか孤児院の子供たちは我がことのように喜んでくれている。お市ちゃんも出産の立ち合いを重ねるごとに経験を積んでいるのか、テキパキと手伝ってくれているしね。
まだまだ甘えたい盛りだと思うし、乳母さんとかには甘えているようだけどね。それ以上にエルたちを見習って勉強とか教わるのに熱心だ。
「ケティのしていることもちゃんと実を結んでいるね」
お祝いの使者をもてなして話をすると面白いことがいくつもある。遊女屋なんかは衛生をきちんと意識して守っていて、遊女の労働環境もこの時代にしては良いと思えるくらいに変えつつある。
商家や寺社でも衛生を意識しているところはあるし、労働環境も考えようという機運は生まれている。
まだまだ試行錯誤をしている段階だけど、ほんと食えないと道端で物乞いになるような人、尾張だとほとんど見ないからなぁ。
ケティのやっていることの凄さを改めて理解する。
「命を救われた者は信じてくれますからね」
エルもまた同じくケティの功績を凄いと喜んでいるな。この数年でケティたちが助けた人は大勢いる。最近では助けた人同士が力を合わせて、オレたちのやろうとしていることを後押ししようとしてくれる。
商人の中には病院への支援を申し出て資金提供をしてくれているところすらあるんだ。改革をせっつかれているような気分にすらなるね。
「変わりたいという思いが強いね。他国とはえらい違いだ」
経済格差と同じくらいに他国とは人の価値観が変わり始めている。ウチを見習い、追いつこうと身分に問わず頑張っているんだ。
目安箱なんかもちゃんと活用出来ているのはここ数年だからなぁ。最近はほんと、なにかあるとすぐに目安箱に投書してくれるし。
「頼もしい限りですが、あまり地域で価値観に格差が広がると先々まで影響が出ますね。仕方のないことですが……」
「そこはこれからの課題ですね。御幸はそういう意味ではいいタイミングなのかもしれません。皆が御幸をきっかけに日ノ本のことを考えるように導く必要があるでしょう」
人々の成長が早すぎることにエルは僅かな懸念を抱くようだが、セレスはむしろ協力的だからこそさらに導くべきだと考えるようだ。
セレスは警備奉行としてこの時代の治安維持とか考える立場だからなぁ。ケティと同じく多くの人と関わって指導をしているからそう思うんだろう。
尾張の主要な町だと自警団すらあるからなぁ。元から自助努力で身を守る時代なだけに警備兵に協力する形で見回りとかする自警団がある。
自警団には警察権とか厳密には認めていないんだけど、警備兵の下部組織のように協力しているんだよね。そもそも尾張だと人の流入が多いから、そうでもしないと目が届かなくなるんだけどさ。
領地の外のことを考えるか。織田家の皆さんだとすでに考えている人がいるんだよね。
気づいている人もいるんだ。このまま日ノ本を飲み込むしかないということに。織田のやり方だとこの時代では武士どころか寺社も最終的には敵わないし。
政秀さんとかは軟着陸させられればと願っていて、信光さんとかは懸念は自分たちで潰すべきだと思っているしね。考え方はそれぞれだけど。
オレたちも厳密には価値観が違う。みんなで考えて相談して決めていることも多いんだ。
なにがどう影響するかとか、難しいからね。
十年ひと昔なんて元の世界では言ったけど、まさにこの世界の尾張はそんな感じだ。
かつての日々を大人のみんなは知っているけど、遠い昔のように感じている人もいる。
孤児院の子供たちは、村同士の小競り合いなんて知らない世代が大半になりつつあるね。
教育にはさらに力を入れる必要があるのかもしれない。今度アーシャと相談しよう。














