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偽善悪  作者: 傘花
2.虚実
12/211

2(6)

2025/11/15 ▶全体の流れの調整、読みやすさ改善のため、一部改編を行なっております。

2023/12/30 ▶誤字脱字等を微修正しております。(2023/12/30)


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小説紹介PVをInstagramで公開中!

Instagram:kasahana_tosho

 何てことだ。女子中学生野次馬の戯言ではなかったということか。


 城宮が益枝事件と今回の矢野崇殺害事件を関連付けたがっていたことを思い出す。


 益枝宗之が殺害された事件は、長野県警の管轄だった。世間では益枝事件と騒がれているその事件は、確か暴力団が関与しているのではと報道されていた。


 捜査本部でも暴力団関係者を洗っていただろうし、本件とは関わりはないだろうと考えていたのに。


「どうして、連続殺害だと」


「あったんですよ、係長」宇月が捜査資料を差し出す。「青い薔薇の花束が」


 益枝宗之の遺体の写真だ。場所は別荘か何かだろうか。


 木目を基調とした邸宅の一室で、事件は起きている。広々とした寝室のベッドの上。うつ伏せになった状態で、益枝宗之は息絶えている。部屋中に血液が飛び散り、シーツはもともと赤色だったのかと思わせる。 


 酷い死装束だった。益枝宗之の遺体の損傷は、矢野崇のそれを思い起こさせる。下半身は露出していないが。


 資料の次のページをめくると、青い薔薇の写真が目に飛び込んでくる。それは、矢野崇の殺害現場にもあった青い薔薇の花束と酷似していた。


 矢野崇の現場では、花束は綺麗に花瓶に生けられていた。この現場でも、赤黒い血で染まった部屋の中で美しく花瓶に生けられている。


 まさに、そこに佇んでいるかのように。


「益枝の事件では、青い薔薇の花束があったことをマスコミに公開していない。だから、模倣犯のはずがないんだ」


 岡崎が溜息混じりに言う。


 だから、これは紛れもなく連続殺人事件。


 だが、だとしたら、事態は深刻化したことになる。矢野崇の弁護士事務所の人間の犯行である可能性が極めて低くなったからだ。そしてそれは、長野県警の人間にとっても同じなのだろう。暴力団関係者を捜査していた彼らも、その出鼻をくじかれたことになるのだ。


「矢野が暴力団関係者と繋がっていた可能性は?」

「低いでしょうね。矢野が益枝のように借金を抱えていたりしたら、今までの捜査の中で既に判明してると思います」


 酒井が思い付きを、宇月があっさり否定する。


 これは管理官も頭を抱えるだろう。今までの捜査が全て白紙に戻る事態だ。


 だが、得られた部分もある。一見、有名人ということ以外共通点がない益枝宗之と矢野崇。その共通点こそ、今回の事件の真相であり、青い薔薇の花束が添えられている理由なのだ。


 そしてその鍵を、百瀬武志と相良田正臣が握っている。


 今日の張り込みの結果は、白紙に戻った捜査の一筋の道筋になるはずだ。


 捜査資料を宇月に返し、酒井は管理官のもとへ行こうとする。


「酒井、ちょっと良いか」


 そんな酒井の行く手を遮ったのは、岡崎だった。彼は目配せをして、警察署の裏に行くよう指示してくる。


 促されるまま、酒井は駐車場の方まで歩いていく。捜査本部から離れると、人通りはずっと少なくなる。


「どうしたんですか、岡崎さん」

「いや、ちょっとな」


 珍しく、岡崎の歯切れが悪い。彼とは長い付き合いになるが、こんなにも言葉に詰まる彼を、今まであまり見たことがない。


 煙草に火をつけて、息を吐く。岡崎が煙草の箱をこちらに向けてくるから、酒井も1本もらい口に咥える。


 岡崎とは酒井が交番勤務だった頃からの知り合いだ。当時、岡崎は警視庁所轄の刑事部にいて、若手のエースとして活躍していた。兄貴性分もあるのか、新人を引き連れてしょっちゅう飲みに行っていたし、新人警察官だった酒井のこともよく気にかけてくれていたことを思い出す。


「このヤマ、潰されるかもしれない」


 漸く口を開いた岡崎の言葉に、酒井は荒らげそうになる声を咳払いをして抑える。


 胸の奥がざわめいた。意味を理解するまでに、一瞬の間があったように思う。


「どういう意味ですか?」

「まだ確信がない。だが…」


 潰されるとは、捜査が一方的に打ち切られるということだろうか。捜査本部が縮小されるならまだしも、避けなければならないのは、真相が闇の中に葬られてしまう事態だ。


 手に汗を握る。昔のことを思い出したからだ。


 もう20年も前の話になる。それはーーー無力な少年が犯人にされてしまった事件。


 彼は犯人ではないと、酒井は知っていた。だが、たかが交番勤務の新人警察官の話は、捜査本部に聞き入れられることはなかった。


 ただ1人、岡崎を除いては。


「すまない。変なことを言ってしまって。だが、嫌な予感がするんだ」

「いえ。岡崎さんの勘は、いつだって当たりますから」


 権力者が連続して殺された。青い薔薇の花束と殺意の高い傷跡。そこに何か大きな闇が隠されていないと、そう考える方が難しい。


 明らかにされる闇なら良い。そのまま闇が闇のまま葬られてしまうことは、何があっても許されない。


「また、何かわかったら連絡する。他言無用だからな」

「当然です」


 周囲の視線を気にするように、岡崎は駐車場から離れる。


 岡崎の言う、嫌な予感。


 何故だがふと、青い薔薇の花束と聞いて違和感を抱いたことを思い出す。矢野崇の遺体の近くで青い薔薇の花束を見た時、自分はそれを知っているような気がしたのだ。


 青い薔薇を自分はどこで知ったのだろう。


 問いが喉の奥で固まって、その瞬間に再び過去の記憶が割り込んでくる。


 ーーー20年前に冤罪で捕まった少年の顔だ。


 岡崎の言葉をきっかけになって、胸の奥で忘れかけていた痛みが蘇ったのだろうか。 


 少年は当時まだ15歳だった。


 無理矢理パトカーへ引きずり込まれる少年が、必死に声を荒げている。顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら叫ぶその声は、悲鳴にも似て、最早何を言っているのかわからない。


 あの事件が起きてからだ。酒井が刑事になると決めたのは。


 こんなこと、許されてはいけないと思った。同時に、無力な自分を呪った。自分が力のない交番勤務の新人警察官だったせいで、彼の無実を証明することができなかった。


 ーーー20年前、まだ齢5歳の少女が何者かに殺された。あの少年に少女を殺すことは不可能だと知っていたのは、酒井だけだったのに。


 じんわりと体が汗ばんでいくのがわかる。それが初夏の暑さのせいなのか、頭が動揺していることに体が気付いたからなのかはわからない。


 無意識にネックレスの指輪に触れていた。


 これは、麗子にあげたはずの婚約指輪。プロポーズの時に彼女に渡したはずなのに、また、酒井のもとに戻ってきてしまった。


 ぐっと握りしめると、掌に鈍い痛みを感じる。それが、蓋をしていたはずの愛おしく苦しい記憶を静かにこじ開ける。


 ーーー正義って言うのは、正しさを貫くことだと思うの。


 それが彼女の口癖だった。そして彼女自身、警察官として正しさを貫こうとしていた。酒井はそんな麗子の志に共感し、そして惹かれた。


 ぐるりと世界が回った気がした。目眩がしたのだとすぐに気づいて、酒井は壁に手をついて息を吐く。


 闇から手が伸びてきて、自分の肩を強く掴んでいるような感覚がする。


 警察官として、正しくありたいと思う。それが酒井の信念であり、亡き麗子に恥じない生き方だと信じている。


 けれど一方で、彼女を死に追いやった教団が許せない自分がいる。


 教団の教祖は捕まった。捜査が進み、教祖にはじきに国の法律に則った刑罰が下される。それを見届け、納得するのが、警察官としての「正しさ」であるはずだ。


 だが、5年前の爆破事件は、多くを語られることなく静かに幕を閉じた。婚約者であった酒井にすら、納得がいく説明をされることはなかった。


 それが、20年前の少年の事件と重なってしまう。


 麗子の事件も20年前の事件と同じように、闇に葬られてしまうのではないか。


 そうなる前に自分が「正しく」罰を下すべきなのではないか。


 ーーー煙草の先端が手に触れて、突き刺すような痛みが走る。


 はっとする。また、終わりのない思考の渦に巻き込まれてしまっていたことに気付く。


 両手で自分の頬を強く叩く。しっかりしろ、と自分を鼓舞する。


 今はこの不可解な連続殺人事件に集中すべき時だ。この事件が潰されるようなことになってはいけない。それだけを考える。


 この行き詰まった捜査から再び歩み出すために、今日得られた情報は有力なものとなる。とにかく今は報告をしなければと、酒井は捜査本部へと踵を返した。




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次回投稿は8/6(日)を予定しております。

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― 新着の感想 ―
[一言] 警察の面子(めんつ)とかで 調書書いて犯人に仕立て上げて冤罪が起きる のは、警察内部の腐敗体質な部分で 考えさせられます。
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