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酒井の言葉に頷く訳でも言葉を投げかけてくれる訳でもなく、ふんと鼻を鳴らした土居は踵を返す。
「一課長、こんな状況なのにここに駆けつけてくれたんですね」土居の背中を見送って、これまでずっと口を噤んでいた四方がそんなことをぽつりと呟く。「だからさっき怒られたのか」
「怒られた?」
「はい。一課長に電話した時、開口一番に『今忙しい。空気も読めないなら、さっさと警察官辞めろ』って言われました」
なんて理不尽極まりない。電話をした側にしてみれば、受け取った側の状況などわかるはずもないというのに。
四方のあまりに不憫な状況に同情するも、けれどこんな状況ではそんな苛立ちすら隠せなかった土居の心中も察する。
立てこもり事件には既にSITが出動している。SITは捜査一課に属する部隊であるから、本来であればこんな一介の事件に土居が顔を出している暇などないはずなのだ。
それでも彼がここにやってきたのは、求めていた朝倉が実際に現れて、そして手に届く距離にいたからだ。彼女を捕らえた先には教団がいて、この立てこもり事件を打開できる何かがあるかもしれないからだ。
「一課長、酒井さんには期待しているんでしょうね」
期待。
彼が酒井に抱いているのは、そんな希望に満ちた前向きな感情ではないだろう。
だが何であれ、土居が目指している場所も酒井が目指さなければならない場所も同じで、だとしたら今はそれだけで十分だ。
「というか、さっきの話、私が聞いて良い話なんですか?」
四方が苦笑いをしながらそう言う。
公安の内情や峰村帝の話、青薔薇連続殺人事件においては捜査本部で明らかにされていない情報が数多くある。察しの良い四方のことだから、少し話を盗み聞きしただけでも多くの事を理解しただろう。
「一課長が良いと判断したのなら、それで良いんじゃないか」
実際のところ、現状は最早酒井1人でどうこうできる事態にない。事情を知っている者がいればいる程、それは大きな戦力になる。
そう思えば、四方も土居に「期待」されている警察官の1人なのだろう。
「酒井さんは、いつまで何かを抱えて生きていかないといけないんですかね」
四方はそう言って、やれやれと溜息をつく。その意味を理解し切れなくて、酒井は首を傾げる。
「どういう意味だ」
「挟間警部補のことも、朝倉さんのことも、今回のことも。どうして酒井さんばかり重い荷を背負っているんだろうって思っただけですよ」
確かに、麗子を失ってからの5年間、いや、新人警察官として20年前に峰村帝に出会ってから、ずっと何かに追い立てられるようにして生きている気がする。けれどそれは、警察官として生きる者の宿命だと考えていた。
警察官として生きていれば、理不尽な死を目の当たりにする。不条理な現実と戦っていかなければならない時がある。自らがそんな現実に飲み込まれてしまわないように、己を律して生きていく。
ーーー怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
それは確か、フリードリヒ・ニーチェの言葉だっただろうか。
初めて聞いた時は、その意味の欠片すら理解できていなかったと思う。正義になりたくて青い制服に袖を通したのに、己が怪物になることなど有り得ないだろうと。
だが、20年近くも刑事をしていれば、麗子を失って、初めて心の底から誰かを殺してやりたいと憎めば、嫌でも気がつく。
深淵はすぐそこにある。いつでもそこから、こちらを覗き見ている。
そして、それに気づいたからこそ至った答えがある。
善と悪は同じだ。同じものだ。ただそれは、多角的な観点から語るために定義づけられた言葉であるたけだ。
「…皆、何かしらの荷は背負って生きているだろ。俺の場合は、ただそれに刑事としての使命を求められているだけだ」
善と悪は絶対的なものではない。状況や視点、権力によって形成される相対的なものだ。悪か正義かは、単にその物事自体で決まるのではなくて、それを評価する社会的、文化的、政治的な文脈によって、誰かが勝手に決定付けるものでしかない。
だが、司法のもとに生きる以上、善と悪は区別されなければならない。善と悪は別の概念で、絶対的なものだ。そこが曖昧になってしまったら司法は崩壊し、秩序ある国など成立しない。そしてそんな司法の上に成り立っている警察官は、尚の事善と悪の判断が明らかでなければならない。
そう心の奥底から強く思える自分は、もう決して刑事としても自らの持つ信念としても、道を踏み外すことはないだろう。
ーーーだから、「お前」の正義はこの上なくくだらない。俺は決して、「お前」の正義を認めるわけにはいかない。
「そういうもんですかね」
そう言う四方と共に、すっかり西新宿の立てこもり事件しか報道しなくなったテレビ番組に見入る。
立てこもり事件が起きているビルの従業員の証言から、状況が少しずつ明らかになってきている。事件が発生する直前に退勤した従業員が、機関銃のようなものを持ってビルに入っていく集団を目撃したのだという。大きな荷物を台車で運んでいる者もいて、あれはもしかしたら爆弾か何かかもしれないと。まさか本当に立てこもり事件が発生すると思っていなかったその従業員は、ドラマの撮影でもあるのかと彼らをちらりと見ただけだったようだが、こうして事件が発生し、乗っていた電車を降りて現場へ戻ってきたようだ。
ビル内部で起きていることは何もわからない。果たして人質は無事なのか、死者は出ていないのか。
教団の上層部の釈放という条件を、警察は果たして受け入れたのかどうか。
上着のポケットから携帯を取り出して、けれど何をするわけでもなく、ただ黒い画面を睨みつける。
土居から5年前、そして20年前の事件の真相を聞いて以来、亘は酒井の電話に一度も出ていない。何度電話を掛けても、聞こえてくるのは物悲しい単調な呼び出し音だけ。
あんなにも憎くてたまらなかった天羽源十郎が殺されたのだと、けれど、麗子が死んだのは教団のせいではなかったのかもしれないのだと。お前は、麗子の死の真相を知っているんじゃないのかと。いや、そんなことだけでは足りない。お前は何を知っていて、何をしようとしているのか、峰村詩乃を利用して一体何をしようとしているのか。聞きたいことは山ほどある。
けれどその答えが彼自身から得られないのであれば、もう自ら暴くしかない。例えそれが、20年来の親友という立場ではなく、裁く者と裁かれる者としての立場だったとしても、うやむやにできていた生易しい時間はもう終わってしまった。
「係長。朝倉雪穂の逃走経路が割り出せました」
部屋に入ってきた刑事が酒井を呼ぶ。振り返り、「すぐに行く」と応える。
四方と目を合わせる。2人で頷いて、酒井達も相良田正臣の自宅を後にする。
「行こう。俺達は、俺達の仕事をするまでだ」
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次回投稿は7/24(水)
を予定しております。




