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ご近所付き合いはしないでください  作者: 竹間単
■第一章  Aマンション・201号室

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7/9

●7


「不思議だな。野々木はマルチのせいで嫌われてるはずなのに、マンションの住人はみんな僕に優しい。僕のことを野々木と勘違いしてるのに、なんでだろう」


 野々木がマンションの住人たちをマルチ商法に引き入れていたのだとしたら、当然住人たちは野々木に対して悪感情を持つ。

 しかし彼らは僕のことを野々木だと思っているのに、友好的に接してくれる。


「……って、おばあさんの山崎さんはともかく。石川さんや桜井君が、まったくの別人である僕を野々木と勘違いするのはおかしい。だって僕と野々木は似ても似つかない見た目なんだから」


 僕と野々木が同じなのは、性別と年齢だけ。顔の造形だって全然違うし、野々木は明るい茶髪をしていた一方で、僕は生まれたままの黒髪だ。


「それを思うと、僕のことを前居住者の野々木と勘違いしてるのは山崎さんだけで、他の人たちは山崎さんの影響で僕の名前が野々木だと思ってるだけなのかな。前居住者の野々木とは別人だけど、たまたま同じ苗字の人が引っ越してきた、って」


 その説が濃厚な気がする。

 野々木という苗字はよくあるとまでは言えないけど、無くはないはずだ。僕はこれまで会ったことはないけど。

 ふと気になって、ネットで検索をする。


「えっ!? 全国で三十人しかいないの!? 野々木さんが!?」


 僕は検索結果に驚いた。まさか野々木という苗字の人がこんなに少ないとは思っていなかったからだ。「野」も「々」も「木」も苗字によくある漢字なのに、組み合わさるとこうも少ないなんて。


「でも僕が驚いたってことは、みんなも『野々木』は割とある苗字だと思ってるんだろうな。だからこそ僕の苗字が野々木だと勘違いしてるんだろうし」


 検索を終えた僕は作業テーブルの前に座った。まだインターネットの契約はしていない。まだ何も起こってはいないもののこの部屋は事故物件のため、おかしなことが起こって退去を余儀なくされる可能性があるからだ。安易にインターネット回線を契約してしまうと、いざ退去したくなったときに面倒くさいのだ。

 だけどこのまま何も起こらないようなら、そろそろ契約をしても良いかもしれない。今のところはスマートフォンのデザリング機能で何とかしているものの、送受信するデータが大きいため、ネット回線が安定していた方が楽なのだ。


「でも早まりたくはないよなあ。契約ってお金がかかるし。完全に幽霊が出ないって判明してから契約したい」


 だから早いところナツさんに、霊感のある人とやらをここに連れてきてほしいのだけど、霊感のある人の都合が付かないらしく、最短でも月末にならないと来訪できないらしい。

 インターネットの契約問題だけではなく、事故物件の謎も早めに決着をつけたい。そうしないと事故物件体験漫画を描くことが出来ないから。


「はあ。仕方ないからアシスタントの仕事を早めに片付けておくか。ナツさんが来てからは自分の漫画原稿だけに集中できるように」


 屈んでパソコンの電源を付けていると、ゴトンと大きな音がした。顔を上げると、作業テーブルの上に置いていたマグカップが床に落ちている。マグカップの中にはまだ何も入っていなかったし、マグカップ自体も割れなかったから、被害は何も無い。

 だけど。


「手が当たった? 当たってないよな。風も無いはず……風くらいじゃマグカップは落ちないけど……」


 何とはなしに周囲を見回すと、別の異変に気付いた。


「ガーベラの茎が折れてる……」


 棚の上に置いておいたガーベラの茎が、真ん中あたりでポッキリと折れている。このガーベラは桜井君にもらったものだ。家に花瓶なんてものは無いから、グラスに水を入れて棚の上に置いておいたのだ。それが見事に折れている。


「いつから? 昨日は折れてなかったと思うけど。花ってこんな折れ方をするものなのかな?」


 口にしてから気付く。

 もしかすると、待っていたものが始まったのではないか、と。


「これって心霊現象!?」


 慌ててノートを取り出すと、起こったことを記録していった。いざ漫画を描くときに、忘れないようにするためだ。


「マグカップが落ちて、花の茎が折れて……視線を感じる」


 部屋の中には僕しかいないはずなのに、誰かに見られている気がする。


「誰もいない、よな?」


 恐る恐る部屋の中を歩き回って確認をする。当然、誰も隠れてはいなかった。


「と、とりあえず、今日はもう寝よう。疲れてるのかもしれない。作業は明日やればいい」


 部屋の確認を終えた僕は、誰に言うでもなくそう呟くと、就寝準備を始めた。


「きっとマグカップは不安定な位置に置いてたから落ちただけで、ガーベラの茎はあの付近を通ったときにぶつかって折っちゃったんだ。それに視線は、ただの気のせい。うん、そうに違いない」


 不思議なことに、あんなに望んでいた心霊現象なのに、いざ起こり始めたら心霊現象以外の可能性を考え始めている。まるで心霊現象が起こってほしくないかのように。


「……これが体験した本人にしか描けない漫画になる、ってことなのかも。まさか待ちに待った心霊現象が起こったのに、心霊現象じゃなかったらいいなって考えるとは思わなかった」


 人間の心理は不思議だ。だからこそ、この複雑怪奇な心理を描写できる漫画家は強い。そしてそのことを学ぶには、当事者になるのが手っ取り早い。複雑な心理の変化を、身を持って体験できるのだから。

 僕は今になってあの編集者の言葉を、真に理解した気がする。




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