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「めちゃくちゃ有意義だった。良い漫画が描けそう!」
ナツさんへの取材を終えた僕は、確かな手応えを感じていた。
事故物件を巡る野々木の話を描いたら、絶対に面白い漫画になる!
「ただ今のところ心霊的な怖さは一つも無いんだよな。ナツさんの連れてくる霊感のある人とやらが、野々木の幽霊を見つけてくれたらいいんだけど」
あの不動産屋にお願いをしたら、数時間だけでも屋上に繋がるドアのカギを貸してはもらえないだろうか。せっかく霊感のある人が見てくれるのなら、絶対に屋上も確認してほしいのだけど。
「それにしてもマンションの住人がマルチの被害者だったなんてな。野々木も悪いことをするもんだ」
そこまで考えて、はたと気付いた。
「僕、あのおばあさんに野々木と間違えられてたよな。だけどあのおばあさん、野々木のことを恨んでる様子じゃなかった」
もしかしてあのおばあさんは野々木に騙されたことに気付いていないのだろうか……その可能性は十分にある。おばあさんは少しボケているみたいだったから。
「だけどマンションの住人ほとんどをマルチに入れたっていう話は、野々木自身が言ってただけだ。自分を大きく見せるために誇張しただけの可能性もある」
集会で言っていたなら「こんなに簡単に勧誘できるんだから、君たちも近所の人を勧誘してごらん」とマルチ仲間をそそのかすためだけの文言かもしれない。実際には野々木はマンションの住人を誰もマルチには入れていないかもしれない。
「だけどマルチなら、なるべく多くの人を勧誘したいよな。だから本当にマンションの住人をマルチに入れてた可能性もある。確率は五分五分だ」
どちらが真実だろう。いっそマンションの住人に確認してみるか?
「あっ、もしかして」
ここで僕はピンと来た。
不動産屋の男が言っていた「ご近所付き合いをしないでください」という発言は、過去に野々木のマルチ勧誘があったからではないだろうか。
同じことが起こらないように、あらかじめ僕に釘を刺しておいたのかもしれない。
そう考えると辻褄が合う。
「でもその場合、あのおばあさんはやっぱり野々木に騙されたことに気付いてないのかな……って、あれ?」
野々木のことばかりを考えていたせいで違和感を抱かなかったけど、置き配のことを教えてくれた男性、彼も僕に向かって「野々木さん」と呼びかけてはいなかっただろうか。
「それなのに置き配のことを教えてくれて……あの置き配、毒とか盛られてなかったよな!?」
一瞬慌てたものの現在まで身体の異変は無いため、少なくとも命にかかわる毒は盛られていなかったらしい。
「じゃあただの親切で教えてくれた? 野々木だと思ってる相手に? 一体何がどうなってるんだ?」
野々木のことを調べたせいで、僕は自分を取り巻く事態が、より分からなくなってしまった。
* * *
不動産屋の男が近所付き合いをしないように言及した理由の分かった僕は、自分から積極的に近所付き合いをすることにした。
不動産屋の男の言葉の真意が不明だったため若干の恐怖を感じていたのだけど、理由さえ分かれば何と言うこともない。彼は、僕がマンションの住人を変な団体に加入させることを防ごうとしていたのだ。
僕はマルチなんてやっていないし、それ以外のおかしな団体にも所属していないから、僕が近所付き合いをしたとてマンションの住人たちに危害が及ぶことはない。だから近所付き合いをしても問題は無いはずだ。
「野々木君、リンゴをたくさんもらったから持ってきたわよお」
僕の帰りを待っていたのか、スーパー帰りに玄関で住人のおばあさん――山崎さんという名前らしい――に捕まってしまった。山崎さんは困惑する僕に構わず、持っていたエコバッグの中に勝手にリンゴを入れてきた。
「ありがとうございます。でも勝手に入れられるのは、ちょっと……」
「もしかしてバッグの中にケーキでも入ってたかい? それは悪いことをしたねえ」
「ケーキは入ってないですけど……そんなものを買うお金は無いですし」
自分で言っていて悲しくなる。貧乏人ほど毎日お金のことばかり考えなければいけない。大金持ちになりたいとまでは言わないから、毎日お金の心配をしなくてもいい生活がしたいところだ。
「野々木君はケーキが食べたいのかい?」
「そうですね。甘党なのでたまにはそういう物が……って、その前に、山崎さん。僕は野々木じゃなくて吉岡です」
僕が訂正をすると、急に山崎さんが嬉しそうな顔をした。どうしてそんな顔をするのだろうと思っていると、すぐにその答えは明らかになった。
「もしかして野々木君は婿入りでもしたのかい? おめでたいねえ」
「いえ、そうではなく。僕は独身です」
「それじゃあ親が離婚を? ごめんねえ。辛いことを聞いたねえ」
「そういうわけでもなくて。僕は生まれたときから吉岡で……まあいっか」
いくら説明をしても山崎さんが理解してくれる気がしなかったため、僕は自身の名前を訂正することを諦めた。
山崎さんとマンション以外の場所で付き合いがあるわけでもないから、放っておいても大きな問題は無いだろう。
山崎さんからリンゴを受け取った僕が部屋へ行こうとすると、階段から下りてくる女性がいた。このマンションに住んでいる石川さんだ。
「ちょうど良かった! 山崎さんからもらったリンゴでアップルパイを焼いたのよ。ぜひもらってちょうだい」
「今、アップルパイって言いました!? 俺、アップルパイが大好きなんです!」
石川さんの声を聞いた男が一階の部屋から登場した。彼もこのマンションの住人だ。僕と同じ二十歳の桜井君。野々木とは関係のない大学に通う大学生らしい。彼は人懐っこい笑顔で僕たちの会話に混ざって来た。
あれよあれよと言う間に、マンションの玄関の前で井戸端会議が始まってしまった。そして逃げ遅れた僕も井戸端会議に参加する羽目になってしまった。
「そのアップルパイってどのくらいの量があるんですか?」
「大きめに焼いたから、三人に配ってもまだ余るくらいよ。それじゃあ後で山崎さんと野々木君と桜井君の三人分、タッパーに詰めて持って部屋に行くわね」
「ありがとうございます!」
「あの、僕は野々木ではなく……」
「じゃあ俺は明日、お礼に花を持って行きますね。リンゴとアップルパイのお礼に。野々木君にもついでにあげますよ」
名前の訂正を試みたものの、見事に僕の話は流されてしまった。こういう複数人が集まった場では、声の大きい人の発言が勝つ。当然、僕ではなく元気な桜井君の発言の方にみんなが返事をする。
「あら、わざわざ花なんて買わなくても大丈夫よ。お気持ちだけで十分」
石川さんの言葉に、桜井君がはにかんだ。
「実は狙ってる子が花屋で働いてまして。何かしらの理由を付けて、花を買いたいんですよ」
「まあ、青春ね!」
桜井君の話を聞いた石川さんと山崎さんが楽しそうな顔で笑う。一人だけ真顔でいるのも変なので、一応僕も軽く笑っておく。
「ってことで、花屋には行きたいものの、花を一本だけ買うと彼女へのプレゼントだって誤解をされそうだから、複数買いたいんです。もらってくれますよね!?」
「そういうことなら、ぜひ!」
「私にもくれるのかい? ありがたいねえ」
桜井君の言葉に石川さんと山崎さんがニコニコしながら頷いた。僕が何も言わずに突っ立っていると、桜井君は僕のことを見ながら首を傾げた。
「野々木君ももらってくれますよね?」
「僕は野々木ではなく……そういう事情なら花はありがたく頂きますけど、でも僕にはお返しできるものが何も無くて。貧乏人なので」
同い年の桜井君にこんなことを言うのは恥ずかしいけど、無い袖は振れないのだ。
こんなことを言われたら桜井君は嫌な気分になるかなと思ったものの、彼はご機嫌な様子を崩さなかった。
「いらないですよ、お返しなんて。花一本なんて数百円程度ですからね」
「私も食べきれないリンゴをおすそ分けしてるだけだからねえ」
「それを言ったら私のアップルパイは山崎さんからもらったリンゴで作ったものだからね。貰い物で作ったパイでお礼を要求しようなんて考えないわよ」
三人はお返しはいらないと笑いながら井戸端会議を終えた。
他人に無関心な人が多いと言われている東京で、同じマンションの住人の名前を知っている人はどのくらいいるのだろう。どうやらこのマンションは、住人同士のつながりが強く、とても温かい場所のようだ。
……僕の名前は間違われたままだけど。




