結論
コア子は、二条城の駐車場で仰向けで寝っ転がっていた。呑気にぐーすか言っていた。
僕は呆れた後、彼女を起こすべく下膨れした頬をペチペチ叩いた。
「おいコア子、起きろ」
「んぅ…、ゃぁ…」
「嫌じゃねぇんだよ。起きろ、おい」
「んぁ…、あぁー…吸血鬼ぃー…?」
「おはよ。…それと、ありがとな。そんなになるまで戦ってくれて」
「んへへ、良いってことよ…」
「立てる?いや、起こすよ。よっ…」
「んぉー…。お?あれ…?お前一人…?みんなは…?」
「…まだ寝てる。みんな疲れちゃったみたいだから」
…けど、そろそろ起こした方が良いよね。
少し強い風に晒された本達がバサバサめくれていた。
…
11月14日。
非常時の鍵の隠し場所さえ知っている家を出た僕は、ちょうど玄関前で待っていたコア子に苦笑いで言った。
「ダメだった」
コア子は、そっかと返した後、近所にノスタルジックな喫茶店があって、そこに行きたいと言った。
「なんかさ、昔ながらのオムライスが旨いらしいの」
「へぇー。近くにそんなとこあったんだ。知らなかったー…」
時刻は14時。大分遅くなっちゃったけど、今から昼ご飯でも、まぁ、いいかな。
いただきますの後、あーと大口を開けたコア子の義手からオムライスのせのせのスプーンがカチャリと落ちた。
「あ」
「ほらもー。やっぱり無茶だったんだよ。まだリハビリも全然進んでないんだから…」
僕は席を立って、コア子の隣、ソファに座った。そして、彼女の膝に落ちたスプーンを拾い、ナプキンでオムライスを拾い、新しいナプキンでズボンのケチャップでシミになっちゃった部分を拭いた。それから、いつもみたいにあーんと口を開けて待つコア子に、スプーンに載せた、程よい量のオムライスを頬張らせた。
「評判通りの味?」
「ん、よく考えたらオムライスの貴賤分かんね」
「なんだそれ」
わざわざ来た意味ねぇじゃんと思いながら二口、三口と彼女の口に運んだ。直後、店の天井に付いた、店主が暇つぶしする用でしかない薄暗いブラウン管テレビがジャージャーンと鳴った。お昼の報道バラエティ。今日も話題のキャスタウェイ特集だ。
『えー、これからショッキングな映像が流れます…。これが、もう、何度もご覧になったでしょう、渋谷スクランブル交差点にいた通行者が本に変わった瞬間です…』
「何回流すんだよコレ」
「なー」
…10月3日を経て、世界は未だ、傷ついたままだった。『京都事変』と呼ばれた一連の騒動はあまりにも大き過ぎて、被害が甚大過ぎて、人々はもう、異形の存在を無視できなくなっていた。新聞はガンガンと論評を書き、テレビはガンガンと特番を組み、自称批評家や知識人が聞きかじりの情報だけで書いた新書は飛ぶように売れていた。
特別情報局や侍衛係も、今や公然の組織となっていて、特に寝屋川局長(1ヶ月ぶり2回目)は一ツ橋新オフィスで缶詰になっている。
「あっ…、あーっ!おい吸血姫!見ろよ!」
コア子がアイコンタクトだけで僕に指し示した、注目のテレビ番組には、なんと、本町さんがゲスト出演していた。
『あっ、えっ、はい!侍衛係で活動していますっ、本町紫野です!』
「あの野郎、スーツなんか着てやがるぜ!?うはははは!似合わねぇー!」
「うん…、あの格好するなら、せめて眉毛は剃るべきだよね…」
『それでその、本町さん。キャスタウェイの中には一人で一国の軍隊にも匹敵する力の持ち主もいると言われていますが、これは本当なのでしょうか…?』
『えっ!?あっ、あっ、そういうこともまぁー、あったりなかったり?』
『ど、どっちなんですか…!?』
『えっ、えっ』
「…なんでアイツがスポークスマンなんだ?」
「絶対もっと適任者がいたよねー…」
それから40分、僕もコア子も食事の手を止めて、テレビの中の本町さんをボロクソに叩いていた。肝心のニュースの内容は決して歓迎されたものではないのに。『キャスタウェイ対策法案』だったり、『生活に潜むキャスタウェイ』だったり、不穏なワードは続いているのに。
それでも僕達が平和ボケしてられるのは、まぁ、恵まれてるからでしかない。
市バスでグダグダ藤沢駅まで戻り、江ノ島線の新宿行きに乗車する。時刻は16時。通勤ラッシュを回避出来るギリギリの時間に来たおかげで、僕達は辛うじて横並びで座れた。
スマホと有線イヤホンを取り出して一緒にYoutubeを見ていたら、カナモリからLINEがきて、『今日、水炊きでもいいか?』とあった。偽物の雪は溶け、季節はようやく本当の冬に差し迫っていて、今日は何か上に羽織ってなきゃまぁまぁ寒かった。僕はコア子に「いいよね?」と尋ねた後、『OK』と返信した。
「あ、アゼヲからもLINE来てんじゃん」
「ホントだ。…って、またラーメンの写真だよ」
「?返信しなくていいのか?」
「いいよ、ムカつくし」
「…京都、今度はちゃんと行きたいな」
「…そうだね」
いつか、ね。
…
「…ホントに一人で大丈夫かよ?」
「僕は大丈夫だよ。つか、お前こそ本当に大丈夫なの?」
「歩くだけなら別にどうってことねぇよ。寄り道もしないし」
「…気をつけてね」
「お前こそ、無理すんなよ」
下北沢駅で、僕は降車するコア子を見送った。違うか。これからX区へ向かう僕がコア子に見送られた。アイツ、無理して両手をガシャガシャ振ってやがんの。面白くて、ちょっと元気が出た。胸のあたりを絶え間なく熱くする力も踏まえて、僕はちゃんと勇気を出せた。
(糸ちゃん、見ててね)
今日、僕はタカドノに全てを話す。
全てを曝け出して、僕の正体に気づかせる。
嫌われに行く。
否定されに行く。
拒絶されに行く。
どう話し出すかは、スマホのメモにぎっしり書いた。コア子やカナモリにも見てもらって、充分だと言ってもらった。
だから、後は、この恐怖と向き合うだけだ。
全てを覚悟して、インターホンを押すだけだ。
18時。ようやくタカドノの家に着いた。
呼び出し音がなった後、くすんだカメラに顔を入れて名乗ると、玄関ドアは大慌てで開いた。
「細田さんッ…!今まで、どこへ…?!」
「あはは…、うん、何と言うか、その、久しぶり…」
すっかり暗い外。タカドノは、あ、上がって!と僕を中に招く。だけど僕は、彼の優しさを断った。「な、なんで…?あっ、急ぎの用事…?」と尋ねる彼に、何も知らないで嬉しそうな彼に、僕は、自分の甘さを噛み殺しながら、ごめんと思いながら、「実は…」という切り口で、彼にその場で全てを話した。
「僕は、吸血姫でも細田縛でもないんだ。僕の正体は…」
…タカドノは、当然、ずっと受け入れられないって顔をしていた。
そりゃあ、そうだ。母さんだってそうだったんだから。
カナモリも言っていた。これは、凄く時間がかかるプロジェクトなんだ。
なまじ現実味のないことだから、何度も話して、謝って、理解してもらうしかないんだ。
…けど、いつかはきっと理解してもらえることなんだ。
「…急にこんな話をしてごめん。また来るよ。その時は、もっとゆっくり話そう」
そう言って、僕は帰ることにした。
「またね」と、言っても良いのか分からない言葉を口にして、彼に背を向けて、去ろうとした。
その時だった。ずっと玄関ドアのノブを握っていたタカドノの手が、僕の腕を掴んだ。
「へ…?」
振り向くと、タカドノは泣いていた。
僕は、…そうか、もう理解してもらえたんだと思った。キャスタウェイとかについて、ある程度前提知識があったからかな。
なら、その、良かったというか何と言うか…。
でも、やっぱり、怖かった。
わなわなしているタカドノを直視できない。
この時が本当に訪れてしまったんだなと思うと、潰れそうなほどに不安になった。
だけど、僕は、逃げたがる心を抑えて、覚悟を決めた。
僕は再び彼の目を見た。
向き合った
そして、彼からの、言葉と行動による否定を待った。
…だけど、次の瞬間、彼が僕に与えたのは、
罵る言葉でも、
殴る拳でもなく、
愛だった。
ギュッと抱きしめられた。その時僕は、彼が凪野さんを容易に赦している事実を思い出した。
絶句した。まさか、僕も彼の温情の中の一員になってしまったのか?
違った。
今にタカドノが僕に向けている感情は、
そういうのではなく、
そういうのではなく、
多分、初恋。
「違う…!違う…!細田さんはそんな人じゃない…!なんでそんな嘘を言うの…!?なんでそんな嘘で、全部終わらせようとするの…!?」
「違っ…、嘘じゃない!嘘じゃないんだよ!本当なんだ!僕は細田縛なんかじゃなくて、僕は…!」
「細田さんだよ!細田さんは細田さんだ!“過去”も含めて全部…!全部ひっくるめて、俺の、人生を照らしてくれた光だ!俺の大好きな人だ!」
「…!!」
そして、僕をゆっくりと離したタカドノは言った。
面と向かって。
緊張いっぱいの声で。
あの時、僕の言葉が遮ったせいで伝えられなかった、本当の想いを。
きっと、ものすごく勇気を出して。
「好きです…!細田さん…!ずっと前から好きでした…!お願いします…、俺と付き合ってください…!」
…なんで、なんで。
違う、そうじゃない。
僕とタカドノの関係は、そうじゃない。
だけども、そうだ。彼にとっては、僕の方がおかしいんだ。彼にとって僕は希望で、一筋の光で、憧れで、
ずっと彼が望んでいたもので、だけど、僕は今、それを取り上げようとしていて、
タカドノから、また大切な人を取り上げようとしている?
紛れもない、僕の、僕による、勝手な気持ちで?
分からない。彼のことを想うのなら、どうすればいいのか、僕には分からない。
否定できない。彼を否定する権利が僕にあるとは思えない。
このハッピーエンドに、抗うことができない。
…差し出された手を受け止めて、今度は優しく抱きしめてもらう。
ぎゅっと、ぎゅっと、心臓の鼓動が伝わって、僕は彼にとっての一番へとなっていく。
…これが、僕への罰なのか?
いや、これが罰な訳がない。
罰で良い訳がない。なぜなら罰とは、もっと痛くて、辛いことなんだ。救われなくて、満たされない、それでも未来へ向けて歩むしかないことを言うんだ。
こんな、温かくて、穏やかで、安らかなことじゃないんだ。これじゃまるで、僕はタカドノに謝れなくて、罪滅ぼしが出来なくて、僕は永遠に、本当の僕で彼に向き合うことが出来なくて…、
…あぁ、だから罰なのか。
いや、罰と呼ぶことはおこがましい。
これは、僕の幸せなんだ。
幸せと呼ぶべきなんだ。
だけど、
どうして?
どうしてこうなった?
どうして…、
「なん…、」
「あ…」
その答えは、僕の目の前にあった。
彼の家の中の、玄関姿見に映っていた。
あぁ、そうだ。最初から全部分かってた。
それだけが、現実だった。
この顔なのがいけない。
そうして僕は、少し強くなってきた風と一緒にするりと中へ招かれて、
玄関ドアは、パタリと閉じて、鍵がかかった。
僕は、どうすれば僕を愛せるのでしょう。
勇気があればいいのか?愛があればいいのか?
分かりません。ただ、これだけは確かだってのは、
他者の愛は、僕には操れないということです。
僕たちは、こんなにも醜くても、それでも誰かに愛してもらえるということです。
それだけが、痛くて、苦しくて、仕方がないということです。
ここまでご愛読いただき、ありがとうございました。
続きは、書こうとしたけどやめました。
それはきっと、僕たちのためにならないから。




