3.ジェイド
「そんじゃ、同士よさらば!」
「同士じゃないってば! さようなら!」
「はっはっは……!」
旅の剣闘士はいち早く豪快に笑いながら下船して行きました。
両親は屋根の下から出てきて、改めてセレスタイトに挨拶をしています。
「エルミアの面倒を見てくださって、どうも助かりました。邪魔になったらいけないと思いつつ、あまりに懐いているもので、つい、そのままにしてしまいました」
「いえいえ、どういたしまして。――ああ、そんな、いいですよ。歌や演奏の代金は結構です。長い船旅の暇潰しに歌っていただけですから。逃げ場のない船の中、ほとんどの人に聞こえていたことでしょう。もし、あなた方からだけに代金を取るとしたら、不公平です」
「でも、娘を見ていてくださったし、歌や竪琴も教えてくださったでしょう」
「教えたと言っても、ほんの少しです。さあ、そのお金は大事にしまってください。治療の為に稼いだ大切なお金の一部なのでしょう? それに私は、宴会のためお城に呼ばれているのです。お金には困りませんよ」
それを聞いて、母はほっとしたようにお金を仕舞いました。
「健康になって、娘さん、エルミアを喜ばせてあげてください。ほんの僅かの間ですが、仲良くなった旅の仲間が元気でいてくれることが、私にはなによりの報酬です。それでは、いつかこの同じ空の下、晴れやかな再会を願っております」
流浪の吟遊詩人は背を向けて人波の向こうへと消えていきました。
姿が見えなくなってもしばらくそちらの方を見ていると、
「お城へ招かれているなんて、すごい人だったんだな」
「本当にねぇ。エルミア、歌を教えてもらって、良かったわね」
父と母の声にちらりと横を見上げると、同じようにそちらを見ながら、感心した様子でした。
「うん。また、会えたらいいな」
◇◆◇◆◇◆
てっきり、船を降りてまずは空いていそうな小神殿を探すことから始まると思っていました。魔物のせいで混乱が増してきた為に後にした国と同じく長い旅になるだろうと。
しかし、この国では海外からの患者を受け入れる仕組みがすでに整っているようで、治療目的の来訪者は指示されるままに船を乗り換え、川を遡り、王国各地に点在する小神殿に振り分けられていきます。
陸地で繋がっていない分、入国者の管理がしやすいのかもしれない。と、父が言いました。
長い船旅で世話になった大型帆船の漕ぎ手の人に別れを告げて、新しい小舟に乗り換えました。
その船頭さんは気さくな人で、これから向かう小神殿のことなど教えてくれました。
その時聞いた話によると、きちんと治療してくれるのは、道端で行き倒れられても困るからだそうです。
治癒魔法を求めて来るものは仕方がないので、きちんと治して国へ帰ってもらうのだとか。その代わり、治った後は特別な理由が無い限り、長期滞在は認められません。
重症患者ですぐに治療が必要な者は優先されますが、それ以外の者は順番を待つことになります。
「あれ? この船、川を遡っている。帆を畳んでいて、あまり漕いでもいないのに、不思議ね」
「魔法を見るのは、初めてかい? この船には、水上からは見えないが、船底に回る機械が取り付けられていてね。魔法の力で動かしているのさ。水車みたいな感じだ。船は風の代わりに水の力を借りて進むんだよ」
「すごいわ! じゃあ、船頭さんも魔法使いなの?」
「そうだよ。わしは、船専門の魔法使いだ」
「船専門? 他の魔法は使わないの? 治癒魔法とか」
「わしは、治癒魔法は使えんのだよ。誰にも、得意不得意があるように、魔法にも使える魔法と使えない魔法があるようだ――そら、もうすぐ到着だよ」
大河を遡りながら両側に流れる景色や町並みを眺めていると、やがて立派な石造りの建物が見えて来ました。
岸辺につき、船を降りて船頭さんにお礼を言って別れを告げ、三人は小神殿へ続く階段を上がって行きました。
「ふう……ふう……息が切れるな。これくらいの階段で、随分と身体が鈍ったものだ」
「病なのだから……ひい、ふう……仕方がないわ、……ひい、ふう……あなた。後少しよ、頑張りましょう」
「以前なら、こんなのひとっ跳びで行けたのに……はあ」
「ひとっ跳びなんて、誇張しすぎよ、あなた……ひい、ふう……百段以上ありそうなのを、羽が生えているわけでもないでしょうに。あなたがそんなに跳んでいるところなんて、見たことがないわよ……ひい、ふう……せいぜい、三段ね」
「いや、十段」
「じゃあ、五段」
「せめて、八段」
「間を取って、六・五段で」
「だったら、十二段」
「なんで増えているのよ。仕方がないわね、9段で」
「もう一息!」
二人とも、何を競っているのだろう? でも、なんだか元気が出てきたみたいで安心したわ。
エルミアは謎の掛け合いをする両親を、後ろから登りながら生暖かい眼差しで見守りました。
小神殿に受付をすると、代わりに証明書が渡されました。有効期限内なら滞在出来る許可証になっています。町で見回りの兵士に提出を求められた時にも必要になるそうです。
国民はそれとは別の身分証を持っていて、そのどちらもない場合、国外退去を命じられると説明を受けました。
割り振られたのは、大分内陸に入った一つの小神殿でした。
登録した後、エルミアは患者の家族にも渡されるその紙を、無くさないように大事に小袋へ入れて首から下げ、服の下に仕舞いました。盗まれることがよくあると聞きましたから。
小神殿のすぐ近くに宿舎がありました。そこで寝泊まりしながら、これから何日も、長くなれば何週間も待つことになるのです。
宿舎で働いている人は、治療を受けて完治した人たちでした。路銀が尽きてしまい、完治した後そこで暫く働くことを条件に食事や生活費を支援してもらったと言います。
路銀が心許ないけれど、まだ大丈夫。いざとなれば同じように働けばいい。
「病気が治れば働ける。何とかなるさ。エルミアが心配することはないよ」
◆◇◆◇◆◇
「水が綺麗」
水汲みをするために初めてその水場を見た時、思わず呟きました。魔法のある他の国でもそうでしたが、水が澄んでいて豊富なのです。水路も整備されて、きちんと管理されています。
「精霊樹と、魔法のおかげなのかしら」
謎の機械が取り付けられていて、水汲みも楽。
これも魔法で作ったとしたら、便利すぎる。
「これは、便利すぎて手放せないわ」
小神殿と宿舎の間には、薬草や野菜の畑が広がっていて、ここでも宿の付けを払うために働く人々がいます。
治癒魔法だけに頼るわけではなく、こうして薬草も使うそうです。
食堂のおばさんたちや、目の治療を待つ少女、不治の病の治療に通う人、無くした片足は生やせないと言われた人の話を聞き、魔法は万能では無いことを知りました。
エルミアは畑を手伝いながら薬草の知識を学び始め、それを散歩に来た父母が木陰のベンチに腰かけてそっと見守るのが日課になりました。エルミアが手を振ると、二人がにこやかに(青白い顔だけど)手を振り返してくれます。ときどき、どちらが大きく振れるか競争になって、狂った人たちみたいに見えるので周りの目が気になりましたが、そのうち周囲の人たちも慣れてきて、それも日常になりました。
夜になれば、父は旅の中で見た星空の話や、散りばめられた星座の中の、英雄の話をしてくれました。
母の調子が良いときはクッキーの作り方を習ったり、今日の出来事を話したりします。
しかし、長い旅が一段落して気が抜けたのか、やがて症状が進行して二人は寝たきりになりました。
他人に移る病気ではないのが救いだと言われたけれど、そうなのかな? 感染病の人は隔離されるらしいから。
間引きした香りの良いハーブをもらったり、雑草だけど綺麗な花を摘んで一緒に花瓶にさして三人の寝室に飾ります。
喜んでくれるのが嬉しい。
けれど、寂しい……。
エルミアはふと悪夢を見て夜中に目を覚まします。
不安が波のように押し寄せてくるけれど、胸を押さえて耐えました。
再び眠れないままに、やがて明け方には精霊樹が霧を運んできます。
◇◆◇◆◇◆
小神殿には、治療の他にお祈りをするために町の人々が訪れます。
午前中は祈りの間が開かれて、入れ替わり立ち代わりそれぞれに祈りました。
神官や巫女が一人二人見守るなか、とても静粛な時間が流れてゆきます。
静かな祈りの言葉が重なり、反響する壁には様々な絵が書かれていました。
精霊樹らしき大きな樹の下には、様々な動物、植物、花、魚、暮らしを営む人々、そして、妖精や人魚、ドラゴンまでいます。
山で眠っているそうだけれど、本当かどうかわかりません。
エルミアは皆の真似をして祈りを捧げました。
――どうか、父と母の病気が治りますように。
それから、出口が分からなくてうろうろとさ迷っていると、
「ここから先は、入れませんよ」
と、注意されてしまいました。
「す、すみません。帰り道がわからなくて」
案内してもらい、慌てて外へ出ます。
小神殿の表から外へ出ると、大通りの賑やかな光景が広がっていました。
町の雑踏、ロバの蹄の音、人々の話し声、店の呼び込み、詩人の歌声エトセトラ。
遠くの小高い丘の上に、石の塀に囲まれた立派な建物が聳えています。
あれが、お城かな? それとも、大神殿?
人の波に浚われそうになり、宿舎へ早足で戻ります。
町へ出ることはほとんどありませんが、小神殿の様子は毎日見に行きました。巫女さんと顔見知りになり、気軽に挨拶する仲になりました。
毎日畑を訪れる神官がいます。
ジェイドというその人は、薬草の知識にとても詳しいのでした。
彼は初め、エルミアを見たときとても驚いたような顔をして、しかし、すぐに首を横に振ると何でもないという風に笑いました。
「あなたが知り合いにとても似ていたので、一瞬、見間違えてしまいました」
「おじさん、薬草に詳しいのね」
「おじさん……まあ、間違ってはいないな。きみから見れば十分おじさんだね。私は神官のジェイドといいます。きみは、毎朝小神殿に順番の進み具合を聞きにくるでしょう? 神官や巫女たちの間で噂になっているよ」
「え、私って、もしかして迷惑だったのかしら……」
「いいえ、ご両親のために健気な娘さんだと感心されているから、大丈夫だよ。でも、小神殿に来づらくなったのなら、私がここへ来たときに君に伝えよう」
「あ、ありがとう、おじさん! じゃなくて、ジェイド神官さん」
「ジェイドで良いよ。皆、そう呼んでいるから」
親しみやすい神官のおじさんは、皆に人気です。
病気や怪我に苛まれながら待ち続けるというのは、不安なことでしょう。そういう人たちにとって、彼のように気軽に話せて相談に乗ってくれる人はありがたいものです。
神官や巫女でなくても、話し相手がいるというのは、気晴らしになるもので、宿舎や畑で働く人々はお互いに自然と集まって会話し、悩みを打ち明けたりしています。けれども、やはり病気や薬草や治癒魔法に詳しい人の話を、もっと聞きたいようでした。
畑に顔を出すとすぐに囲まれてしまうので、薬草の手入れや収穫がままならず困り顔のジェイド。それでも、無下にしないのですから、断ることが苦手なのでしょうか? 少し窶れているように見えるのは、そうして優しすぎるが故に仕事が多いのかもしれません。
治癒魔法を使い、日暮れ前には魔力を使い果たして眠ってしまうそうです。そんな神官の姿を見聞きして知っているから、エルミアは待ち時間の長さに文句を言ったり、急かしたりはしません。そんな気持ちが胸の中にあったとしても、頑張って押し込めて、風にそよぐ薬草を見つめながらじっと耐えました。
しかし、耐えきれずに神殿に乗り込む人がいないわけではありません。
「駄目です、駄目です。割り込みは出来ません。こちらに並んで。順番に名前を書きますので」
「この小神殿は手一杯だよ。先日も、巫女様と神官様が魔力の使いすぎで倒れたと聞く。他を当たった方が良い」
「助けて、巫女さま!」
「神官様、どうか、お慈悲を!」
人が追い出されているのを目にするのは、他の国でもありました。小神殿のある町の人々は我関せず、まるでそれが日常茶飯事のように平然と振る舞っています。泣いている人が可哀想で思わず声をかけようとしましたが、知り合いの巫女さんに止められました。
「関わらない方が身のためよ」
「どうして?」
「あなたは、あの人たちの代わりにあなたの大事な人の順番を譲ってあげられる?」
「……それは、出来ないわ」
「なら、止めた方が良いわ。あの人たちは、診察の順番を早めてほしいと懇願しているの。神殿の治癒魔法使いが一日に治癒出来る患者の数は限界がある。重傷者が多いと、それが更に少なくなる。重傷者は優先的に診てもらえるけれど、日を置いても大丈夫な者は皆順番になる。あの人たちは、まだ大丈夫だと判断された。だから、仕方がないの。下手に関わって、順番を奪われた事例もあるのよ、気を付けなさい」
「そう、なの。わかったわ」
それでいいの。という風に、巫女は頷きました。彼女も、治癒魔法の使いすぎか、顔色が良くないように見えました。
◆◇◆◇◆◇
トケイ国では魔物の多発により混乱して、様々な言語を話す人々が日々小神殿に殺到して、それを整理して並ばせたり、無理やり押し入ろうとする不届き者たちを魔法の透明な壁を作って弾き出したりしている場面を目にしましたが、この国ではまだ見たことはありません。
『ああやって、無駄に魔力を使うから、余計に治療が遅くなるってことを、あの人たちは分かっていないのかねえ』
ひそひそと聞こえる待ち人たちの声と、諦めのため息。
体力のない患者が大半なので暴動は起こりませんが、わりと元気な患者が、たまに押し掛けてきては騒動を起こしました。
『こんなになっているとは、思わなかった』
『最後の砦だからね。大した病気や怪我じゃなけりゃ、自分で薬草を使って治すか、野良の治癒魔法使いをさがすしかないね。あとは、他の魔法国を目指すか』
以前に聞いた言葉が、ふと思い出されます。
この国では小さな姫君が治癒魔法の力が強く、巫女姫として城の大神殿で日々祈りを捧げているそうです。運が良ければ姿を見たり、治療を受けられるとか。
大抵の人は、各地に点在する小神殿で働く治癒魔法魔法使いに治療してもらうのです。
小神殿に働く人々を見ていて、治癒魔法は便利だけれど、万能ではないらしいと気づきました。
重く、原因の複雑な病気や、あまりに酷い怪我などは治療に時間がかかり、その分、魔力も削られてしまいます。
魔法使いというものは、体内に日々魔素を少しずつ吸収、蓄積していったものを、魔法の力として放出していると考えられていて、それを一度に使いきってしまえば、身体に不調をきたし、意識が朦朧とし、酷い場合は死に至る可能性があるそうです。
それなので、無理はできません。そして、治癒魔法使いの数もさほど多くはないので、順番待ちの数は日に日に増えていくばかり。
「私にも、魔法が使えたら良いのにな」
そんなことをぼんやりと考えながら薬草の茂みを眺めていたら、目の端を何かが過ったように見えました。瞬きをして葉の周りを見たり、葉を裏返したりしましたが、天道虫が一匹丸くて赤い羽を艶めかせながら、短い足で歩き過ぎるのを見つけただけでした。
『精霊はどこにでもいて、どこにもいない』
って、セレスタイトさんは言っていたけれど、訳が分からないわ。
「精霊って、どこにいるのかしら」
クッキーを焼いた日、なんとなく窓辺に数枚置いておいたら、朝になって見ると小さな噛った跡が残されていました。
父「飛び降りるなら、三十段はいける」
母「足を折るわよ」
エルミア「これ以上怪我を増やすのは止めてよね」
父「冗談だから、怒らないで……」
国の仕組みなど、何かおかしなところがあったらごめんなさい。勉強不足です。作者の妄想が大半を占めるファンタジーですので、実在の歴史とは無関係です。そもそも、現実に魔法は存在しませんからね。……え? 存在する?
このお話の中の人々は、魔法の存在に翻弄されています。
お話の途中巻きましたが、今話はとても長くなりました。よくこれを短編にしようと思ったな、私……。
ここまでたどり着いた方、お疲れ様です。まだ続きます。




