2.モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエ
父と母が苦しそうな時に背中を擦ったり、水をもらってきたり、二人が眠っている間荷物番をしたりと、甲斐甲斐しく世話を焼き、今は目の下にうっすらと隈を作りながらうつらうつらしている娘に、母は気遣わしげに声をかけた。
「私たちは今は具合が良いから、身の回りの世話は自分達でなんとかなるわ。ずっと見ていなくても大丈夫。だからエルミアは気晴らしに甲板を散歩でもして、お日様に当たって、それからお昼寝でもしなさい。
まだまだ船旅は長いから、あなたに頼らなければならないことは、この先たくさんあるでしょうから。今は、ゆっくりとお休みなさい」
それからエルミアは暇になると甲板に出るようになった。そこでは必ずと言っていいほど、あの詩人が歌い、奏でている姿があった。
セレスタイトは精霊についての心得を教えてくれた。
「これから行く国では、精霊をとても大事に思っていますから、ゆめゆめ疎かにしたり、馬鹿にするような言動をしてはなりませんよ。さもなくば、精霊に会う以前に、人々から嫌われてしまいますから」
「そんなこと、絶対にしないわ。しようとも思わなかったもの。誰かが大事にしていることを馬鹿にするなんて」
「良い心がけですね」
「でも、それを知らなかったら、何気なくそういうことをしてしまっていたかもしれないわ。
……そう、それとはちょっと違うかもしれないんだけれど、馬鹿にしているとは気づかずにやらかしてしまったことがあるの。
以前、友達に丸くて大きな黒子が一つある子がいてね、お父さんが丸くて濃い黒子は幸運を運んでくるという話をしていたのを思い出して、その子の黒子が素敵だと思った私は、はっきりと面と向かってこう言ってしまったの。
『大きな丸い黒子ね』
って。そうしたら、その子は泣いてしまって。後でお母さんに、
『あまり人の容姿について口にしては駄目よ。捉えようによっては、悪口になってしまうのだから。その子がコンプレックスに思っていたら、なおさらよ』
って言われて、はっとしたの。
『わたし、ちゃんと素敵だと思っていることを伝えていなかった』
って」
「その後、その子と仲直りはできましたか?」
「ええ、もちろんよ。私にかかれば、仲直りなんて簡単よ――なんてね、少し時間がかかったわ。あの子に避けられてしまって、なかなか謝る機会がなかったの。でも、その後その子の誕生日にプレゼントを持って謝りに行ったら、許してくれたわ」
「それは良かったですね」
「うん。それでね、お返しにその子も私の誕生日を祝ってくれたんだけれど、せっかく私の為にって魚料理を作って振る舞ってくれたのに、どうしても食べられなくて残してしまって。そのときの悲しげな顔が忘れられないわ。せめて、最初に『苦手だから食べられないの』って伝えておけば、友達を傷つけずにすんだのになって、今でも後悔してる。
私はいつも、一言多いくせに、肝心なところでは言葉を言い逃すみたいよ。気を付けなきゃって思ってるのに、いつだってこうなの。でも、今回は間に合いそうだわ。セレスタイトのおかげよ。教えてくれてありがとう、助かるわ」
「ふふ、どういたしまして。それにしても、エルミアは魚が苦手なのですね」
「食べようと頑張っているんだけれど、どうしても無理なの。私って、実は人魚だったのかもしれないわ。だから、仲間を食べられないのよ」
「ははは、きみは想像力豊かで面白いですね。どうです? 声も良いから、ご両親の病気が治ったら、一緒に吟遊詩人をやりませんか?」
「それ、本気で言ってるの? さすがに冗談よね? 嬉しい申し出だけれど、私歌は下手なのよ。残念だけれど」
「そうですか。では、試しに歌ってみませんか?」
「え、無理よ。下手だって言ったじゃない」
「自分でそう思っているだけで、案外上手いかもしれませんよ。もしよければ、歌と竪琴も教えてあげますよ」
「それ、弾かせてくれるの?」
キラキラと輝きだしたつぶらな黒い瞳に、にこにこと微笑むセレスタイトの姿が写る。
それから二人で歌を歌ったり、竪琴を触らせてもらったりしているうちに辺りに霧が立ち込めてきた。
「わあ、真っ白。船は大丈夫かしら?」
「島が近づいてきた証ですよ。あの島は、霧がよく湧くのです。なんでも、山よりも高く聳えた精霊樹が、海から沸き上がる雲の流れを遮って、雨や霧にするかららしいです。その海域を航行する船は皆そのことを承知で、慣れていますから大丈夫ですよ」
「それなら、心配いらないわね。私、お父さんとお母さんに島が近いって教えてくる」
「足元に気をつけて。今はあまり動かない方が――」
勢いよく立ち上がり駆け出したエルミアにセレスタイトが咄嗟に声を掛けたが、霧のせいか耳に入らなかったようで、そのまま姿を消した。すると、ドンッと誰かと誰かがぶつかったような音が微かに聞こえ、セレスタイトはまさかと思い立ち上がるとその音のした方へ向かった。
「おい、びっくりするじゃねえか、突然ぶつかってきやがって」
そこに見えてきたのは、筋骨粒々な大男が腹を擦りながら立っていて、その足元にエルミアが尻餅をついて転がっている姿。男は剣を腰に携えており、剥き出しの腕には長年戦いに身を投じてきたらしい刀傷の跡が見えるところだけでもいくつもある。
「ご、ごめんなさい。前が見えなかったの」
「前が見えないのに走るのか? 度胸試しか? スリル満点じゃねえか。なあ、おい。俺も仲間に入れてくれよ」
「え……」
青白い顔をして困惑している少女を助けるべく、セレスタイトが両者の間に割って入った。
「どうも、すみません。小さな子供の不注意です。強く止めなかった私も悪いのですから、この場はどうぞ見逃していただけませんか?」
「見逃すだあ? なんの話だ。俺だってな、島が近づいてきたから、ワクワクして走り出したい気分なんだよ。なあ、お嬢ちゃん。同士だな」
「いや……私は別にワクワクして走り回ってたわけじゃ――」
しかし、エルミアの呟きは豪快な笑い声にかき消された。
「がっはっは! 俺はな、あの島に棲むと言われる怪物と戦いに来たのさ」
そして、聞いてもいないのに話し出したので、いつしか抱いていた恐怖や威圧感は薄まり、顔色は戻るも表情はあきれ顔に変わっていく。固まってしまったエルミアをセレスタイトが腕を掴んで立ち上がらせてくれたが、その場を離れようとした二人に、男は当たり前のように着いてくる。
「俺は剣闘士をしていたが、同じ敵とばかり闘うのに飽きてきて、そろそろ未知の敵と戦いたくなってな。こうして旅をしているわけさ」
微妙な顔をしているエルミアに、セレスタイトは耳打ちした。
「そんなに悪い人ではなさそうだし、あと少しの短い船旅の間ですから」
しぶしぶ頷く。この旅の剣闘士も、きっと誰かと上陸の感動を分かち合いたいのだろうと。
「なあ、ときに小さな詩人さん。さっき歌っていたのはあんただろう? なかなか、味のある歌だったぜ」
不意打ちで言われて、エルミアは顔を赤くした。
「音痴だって、わかってるわよ」
「いやいや、謙遜することはないぜ。競技の開始前に歌ってほしいくらいには、元気が出る歌だったぞ」
それは、どう受けとればいいのだろう? とりあえず、お礼の言葉を返しておいた。
旅の剣闘士は力試しのために魔の森に棲む怪物と戦いに来たのだと言う。魔物は魔法使いにしか祓えないが、その怪物は魔物とは違うらしい。
「モンスターなんとかっていう怪物の噂を聞いてな。これまで、誰も倒した者がいないらしいから、ちょっくら興味がわいたのよ」
「モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエですね、でも止めた方がいいと思いますが。あの国では、精霊樹を守る聖獣と認識されていますから、国民の怒りを買う恐れがあります」
「ただの獣だろうに」
「いけません」
「まあ、そうまで止めるなら、やめとくか。まあ、姿を見るくらいなら良いよな? せっかく来たんだし」
「魔の森は、入ったら二度と出てこられないという話ですよ」
「それは、入ったやつが怪物に喰われているって事か」
「モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエは、草食です」
「じゃあそのモンモンタロウは、毒でも吐くのか、それとも、鋭い角でも持っているのか?」
「さて、見たことがないので分かりません」
「そこまで詳しく知っているのに、見たことがないのかよ」
「あれ? そうしたら、誰がそのモンドーラのことを調べたのかしら? 森へ入った人は、誰も戻っては来られなかったはずよね」
「良い目の付け所だ、お嬢ちゃん。そのモンドウムヨウを見て、生態を調べて話を伝えられるくらいには無事で戻って来たやつがいるわけだ」
「モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエです。確かに、そうですね」
「なるほど。よっしゃ、希望が沸いてきたぞ。さて、そろそろ陸地が見えてきた。もうすぐ上陸だ!」
雲のような霧が海を滑りながら割れて、散り、視界が晴れてゆく。光が筋になって斜めに差し込み、前方の島を斑に照らし出した。人々の暮らす町は石の白、遠くの山は青く、そして山に並ぶように、こんもりとした緑が見える。
マヨ王国だ。
「あの緑が精霊樹ですよ。たった一本の」
「うそ、山かと思っていたわ」
詩人は、雨垂れのような旋律を奏でながら謳う。
「精霊樹の見守りし光の王国なり――」
――過ぎたる光は人の目を眩ませ、影もまた、濃くなるであろう――。
エルミアはワクワクして走ってたね。回ってはいないけどね。同士だね(*´∀`)♪
※タイトルの名前を変更しました
この世界はラテン語ではない設定です
あの名前がなぜ付けられたのか、誰が付けたのかは謎です
お話しは不定期連載で、まだ続きます。
ここまでお読みくださってありがとうございました。




