18.カラス
今話は長くなりました
次の日、いつもと同じように森を歩く装備を整えて森に向かった。
魔の森と呼ばれるほどなので森は深く、道のりは遠く険しい。木に目印をつけていてもなお、迷うことは数知れずあった。それでも外への出口までたどり着いたのは、ララノアの道案内のおかげだ。
迷い傷ついた人を見つける度に治療して、魔法で橇を作り出して乗せ、出口まで引いて歩いたため、僅かに跡が残り道のようになっている。その道を踏みしめて歩いた。
行って戻るのに一日では足りず、トラブルにも遭遇するのでいつも野宿になった。半日以上歩いて、ようやく出口にたどり着く。
これまで、謎の透明な壁に阻まれてエルミアだけが出られなかった。
一歩踏み出す。
あまり期待しすぎるとやはり駄目だった時にがっかりするので、いつもと同じく爪先にコツンと当たる感触を予想しながら――しかし、伸ばした足はなにものにも阻まれることなく、すんなりと一歩進んだ。
外の地面を踏みしめる。そのままもう何歩か進み、遅れて嬉しさが沸き上がった。
「やった! ララノア、外に出られたよ!」
暗がりで淡く輝く友を振り返る。
「ララノアもおいでよ」
しかし、彼女はそこから動かない。
「まさか、謎の壁に阻まれて出られないの?」
「いいえ。私は、この森の外へ出ては生きられないの。だから、この先へは行けない」
「え、そんな。生きられないって、どういうこと?」
「私は精霊樹から生まれ直したばかりで、まだ存在が不安定なの。樹から遠く離れては生きていけない。外へ出られるほど存在が確かになるまでは、あと数年はここに留まらなければならないわ」
「じゃあ、一緒には行けないのね」
エルミアは外へ出るなら二人で行くとばかり思っていたので、新たな事実を告げられて戸惑った。
「ララノアを一人残して行くなんて、できないわ」
引き返そうとしたエルミアを、ララノアが止める。
「戻ってはだめ、行きなさい。あなたの生きる世界は、森の外にあるの。あなたを待っている人たちもいるでしょう?」
「でも、」
「私は、あと数年もすればここを離れられるのだから、その時は、あなたを追いかけて行くわ。大丈夫、どんなに離れていても、きっと見つけ出すから」
「ララノア……」
こうと決めたら梃子でも動かない彼女の頑固な一面ををよく知っているエルミアは、諦めたように頷いた。
「わかったわ、でも、何年か後に、きっと迎えに来るから。待っていて」
約束よ。
そうして、背を向けて歩きだした。
森を出て最初にたどり着いた人の気配のする場所は、牧場や農園で、遠くに見知らぬ町の景色が広がっている。そこで出会った羊飼いに道を尋ねた。
エルミアが知っているのは、城下町の第三小神殿ということだけ。教えてもらった道のりは随分遠い。
魔法で連れてこられたようだけれど、瞬間移動なんて、ナゾーはとんでもない魔法が使えたのね。私には魔力が足りなくて到底無理だわ。やっぱり、魔物に取り憑かれていたせいで、魔力が増えたのかしら。
精霊樹の湧水を最後に飲んでから大分時間が経ったころ、お腹がすいてきた。水筒にたっぷり汲んで持ってきたので、ちびちびと節約しながら飲む。
ある人気のない廃墟を通りかかったとき、魔物に遭遇した。人に取り憑いた魔物は、町のほうに向かっている。今はもう魔法が使えるので、攻撃魔法を放ち、仕留めて浄化魔法をかけた。
黒い靄の下から現れたのは、泣き顔のお面。
はっとします。
まさか、
「ミント……?」
地面に伏した彼女は今ようやく自我を取り戻した様子で、震える腕を上げた。その手を、エルミアは握る。
ミントはエルミアの掌に指先を滑らせた。字を書いているとすぐに気付き、集中する。
『青の姫様 伝えたい 魔界の扉は 神殿の下 精霊樹の下 魔物は扉を開けようと 狙っている 人の心に取り憑いて』
そこまで書いたとき、手から力が抜けて、パタリと落ちた。そして、みるみる燃えて灰のようになり、風に浚われていく。後にはただ、エルミアに伝えた警告の言葉だけが残った。
ミントは、最後までエルミアのことを青の姫様だと思っていた。なんとかしてくれると、信じて託したのだ。
冥福の祈りを捧げると、立ち上がり再び歩きだした。
◇◆◇◆◇◆
久しぶりの見慣れた町並み。遠くに見える大神殿と城。以前住んでいた宿舎と小神殿に近づくに連れて、心臓がどきどきとしてきた。
父と母は元気だろうか? ユーシアはもう祖国へ帰ったのかな?
賑わう大通り以前と変わりないようだ。ただ、少し見えかたが変わったせいで、本当に変わりないのかは断言できない。
しばらく歩くうち、不意にぞわりと鳥肌が立った。なんだか、空気が揺らいで不安定に思える。
魔素のバランスが乱れている。
ふと、そう感じたとき、近くで突然暴れだした人がいる。
魔物に取り憑かれている!
魔物は魔法の矢を放ったので、咄嗟に風で盾を作り、矢の向かう先にいた子供を覆う。矢は甲高い音を立てて弾かれ、消えた。
エルミアが攻撃魔法を練り始めたとき、駆けてきた馬からひらりと降りた人物が、魔物を攻撃した。魔法使いは小柄で細身だが、鋭く重い一撃を放った。
魔物は倒され地面にめり込む。魔法使いは浄化を終えると、普通の人間に戻ったその人を拘束してどこかへ連れていった。誰かが魔法使いのことを尊敬を込めて
「城の魔法使いのジルコンだ」
と呼ぶのが聞こえる。
エルミアは、何事もなかったかのように賑やかさが戻ってきた雑踏の隅で、一人立ち尽くした。
あの人は、取り憑いた魔物を祓っても生き残った。でも、ミントは、きっとあまりに長く魔物に取り憑かれていたから、助からなかったんだ。
物思いに沈んでいたとき、ガッと両肩を掴まれてびくりとして振り向くと、そこには限界まで目を見開いて、口をポカンと開けたローズがいた。
「ま、まさかエルミア!? あなた、生きていたのね……!」
あれから、もう一年以上年も経っていた。ローズに抱き締められ、思わず目に涙が滲む。
「ご両親から、もしも生きて戻ってきたら、くれぐれもよろしくと頼まれていたのよ」
ジェイドがローズの声を聞いて出て来て、同じくらいに驚いた様子だ。
「エルミアかい? まさか、本当に?」
「本当よ、ジェイド。この子は、エルミアよ。たった一人で帰ってきたのよ」
「そうか……てっきり、死んだとばかり――いや、よく帰って来たね。無事で本当に良かった。ご両親が知ったら、さぞや喜ぶだろう。さあ、詳しい話は中で」
小神殿の応接間に通された時、お腹がぐぅ……と鳴りった。恥ずかしさに顔を赤らめていると、ローズがにこにこして、
「もちろん、お腹がすいているわよね。食事を用意するわ」
と、部屋を出ていく。
残された二人はテーブルの向かい合った椅子に腰掛けた。暫し無言の時が流れ、沈黙を破ってジェイドはもう一度言う。
「本当に、良く帰って来たね。きっと、随分大変な思いをしたことだろう」
そのとき早くもローズが戻って来たようで、扉の向こうから声がした。ジェイドが立ち上がり開けると、そこにはローズが食事の乗ったお盆を三つも持って立っていた。
「丁度お夕飯時だから、三人でここで食べようと思って。食堂からもってきたわ」
しかし足元が見えないためか、小さな床の出っ張りに気づかずに躓いてしまう。ジェイドが咄嗟にローズを支えたが、お盆は中に浮いて手を離れた。
エルミアは素早く魔法を編んで、盾の魔法の応用で風を操りお盆を三つとも持ち上げると、スープを一滴も溢さずテーブルの上に並べた。
ポカンとそれを見ていた神官と巫女の二人は、やがて歓喜を表した。
「すごいじゃない! 魔法が使えるようになったの? 治癒魔法はできる? 良かったら、一緒にここで働かない?」
ローズの気の早すぎる勧誘に、ジェイドは苦笑しつつ首を横に振る。
「それはどうかな。ほんの少し見ただけだけれど、エルミアの魔法は実戦向きに思える。なるなら城の魔法使いがいいのじゃないかな」
「あら、神殿にも戦える人が居たほうがいいでしょう。最近はなんだか魔物の発生が多いし。警備も強化されているけれど、巫女の中に戦える魔法が使える人がいるのは心強いわ。私は治癒魔法だけで他の魔法はからっきしだし」
「私もそうだよ。エルミアは才能がある。以前は『魔法の才能がない』と嘆いていたが、どうやらそんなことはなかったようだ」
「とにかくスープが冷めてしまうわ。早く食べましょう。食堂のおばさんの特製羊肉のワイン煮込みと、焼きたてパンと、梨の蜂蜜漬けを使ったデザートもあるわよ」
「わあ、豪華ね」
エルミアは、目を輝かせた。久しぶりのおばさんの料理は、一際美味しそうに見える。食欲をそそる香りが漂ってきた。
「もうすぐ秋の収穫祭だから、おばさんはまた料理大会に出場するために腕を磨いているのよ」
「へえ、秋にもあるのね」
三人は席に着き、恵みに感謝の祈りを捧げてから食べ始める。エルミアはうっかり一人だけ先に食べ始めようとしていることに気付き、二人の真似をしてお祈りをした。料理は見た目通りの美味しさで、存分に食べた後、ジェイドはエルミアにこれまでのことを尋ねた。
祭りで拐われた後のことを、順番に思い出しながら話す。洞窟に囚われていたときのことを話すうち、間違えられていた青の姫君のことが気になった。
本当のお姫様は、どうなったのだろう? ナゾーが『奴隷にされる』とかなんとか言っていたけれど。
「サファイア様は、昨年ケムリ国へ向かわれた。代わりにケムリ国からは王の妹姫がトケイ国へ、トケイ国からこのマヨ国へ末の王子がいらしているよ」
ジェイドは、三国間には戦争をしないように定期的に人質を交換する決まりがあることを教えてくれた。
「トケイ国の王子だった方は、今は他の王族と同じ教育を受けながら、大神殿で神官見習いとして働いているそうだ。サファイア様も、きっと同じように海の向こうの国で丁重に扱われていることだろう」
エルミアはそれを聞いて少しほっとした。
「てっきり、もっとひどい扱いをされると思っていたから、案外大事にされているようで良かったわ」
話の途中で扉がノックされ急患が入ったと呼びに来たため、ローズは立ち上がった。
「まだ、私一人で大丈夫よ。手が必要なら呼ぶわ」
ジェイドは、エルミアの今までのことを聞いたり、精霊樹のことを驚きを持って興味深げに聞いた。これまで、実際に精霊樹の元へたどり着いたり、その樹に触れた人の話を聞いたことがなかったのだ。
森を出て魔物に取り憑かれた人に遭遇し、それが知り合いだったこと、その遺言について話した。
「ふーむ、『魔界の扉は 神殿の下 精霊樹の下』か……」
ジェイドは、いつかの魔物が言っていた言葉を思い出していた。魔力が尽きかけて地に伏しながらもその声は聞こえていたのだ。その魔物も、魔界への扉を探しているようだった。そのときは、魔物が言葉で惑わそうとしているだけの戯れ言だと思っていたのだが、もし、それが本当なら。
この世界で、魔物が発生するのは、ほとんどが魔法の使える三国の中だ。そしてそれらの国には、精霊樹と神殿がある。それに、関連があるとしたら。むしろ、関連がないと考える方がおかしいのかもしれない。
小神殿は、あるいは町中に、あるいは険しい山中にあり、『なぜ、そんなところに?』と疑問に思うような場所に建っていることもある。海上の孤島や、地面が深くぽっかりえぐれた洞窟の縁なんかに。
それは、魔界との境界だったから、あえてそこに建てられたのではないか? 魔界と地上との境が薄い場所に、その境界が壊れないよう、結界としての役割があるのではないだろうか。
「これまでの常識が覆されそうだ。私はずっと、神殿はただのお飾りだと思っていた。
確かに神聖な場所で、人々が心を安らげるためにお祈りに来る大切な場所だとは感じていた。神殿を任されている神官や巫女は、毎日のお祈りを捧げるのが日課だ。
けれども、それは単なる形式で、傷ついた者たちを治療する場所というのが本来の役目であり、神殿の存在意義だと思っていたんだ」
扉とはその薄い場所がひび割れたりした所なのではないか。神官や巫女たち、そして人々の日々の祈りにより、結界が維持されていたのではないか。
もしかしたら、大神殿に、最も深い亀裂があるのではないか。そこを毎日力の強い姫巫女様と多くの参拝者が守っているのではないだろうか――。
もしかしたら、精霊樹もまた、そうした役割があるのかもしれない。世界の魔素の源である樹は、そのまま魔界への入り口だったというのか。
ジェイドは、気づいたとたんにもはやそうとしか考えられなくなった推測に、背筋に冷たいものが走った。
「今は神官王である王様と、力のある王族の方々が大神殿を守っていらっしゃる。国中に散らばる小神殿は、治癒魔法の使える巫女や神官たちが守っている。それゆえに、魔物は容易く扉を開けないのだろう」
では、精霊樹は誰が守っているのか?
疑問が浮かび、ちらりと前に座る少女に目を向けた。
いや、いや。彼女が樹に暮らしていたのは、ほんの僅かの間だ。それまでずっと、長い年月誰が守らなくても樹は揺らがずにこの国にあったのだから、きっと樹はひとりでも大丈夫なのだろう。
そう思ったが、何かしっくりこない。衣服の止め金を留めそこなったような心地の悪さを感じる。
「神殿の由来って、誰も知らないの?」
エルミアの純粋な指摘に、どきりとする。
「少なくとも私は知らなかった。本当なら、神殿に長く勤める者として、知っておかなければならないことのはずだった。しかし、見習い時代から今日まで、師匠からも、他の神官や巫女からも、神殿の本当の由来など聞いたことはない。多分、昔々に戦乱の世が続いた時分に、そのどさくさで記録や伝承が失われてしまったのかもしれない。今は、かろうじて祈りの形が残されているばかりだ。その単なる日課と人々の祈りという細い糸で、国は守られていたのか……」
そのとき、エルミアがくしゃみをしたので、辺りが暗くなってきて、冷えてきたことに気づいた。火桶に火を入れようと火打石を取り出したとき、エルミアが指先から詠唱も無しに小さな火を灯して火桶の炭に移した。
「改めて、きみの魔法は凄いな。きみなら、城の魔法使いにでもなんでもなれるよ」
「何になるかは、まだ決められないわ」
「そうだね。それに、きみのご両親にも会いたいだろう」
「お父さんとお母さんは、今はどこにいるの? まだ、この宿舎にいる?」
ジェイドは眉尻を下げて、申し訳なさそうに首を横に振った。
「実は、ご両親は治療の副作用で魔素酔いの症状が出てしまってね、この国を離れたんだよ」
「え、そんな」
「魔素酔いの症状は、たまにあるんだ。魔法で治療したことにより、身体が魔素に過剰に反応して、内側から攻撃してしまう。そのせいで自分の身体まで傷ついてしまうんだ。このままここへ留まっていたら、症状が悪化して、命に関わる。それを直すには、ここを離れて魔法のない国へ行くしかないんだ」
「そう……それなら、仕方ないわね」
納得したように頷いたものの、寂しそうに項垂れるエルミアに、ジェイドは両親の別れ際の言葉を伝えた。
「君が死んだと聞かされても、信じきれずに『もし、娘が戻ってきたときは、どうぞよろしく頼みます。あの子の居場所を、残しておいてほしいのです』と私たちに言い残していったんだ。もちろん、約束したよ。きみは、進む道を決めるまで、ここに居ていいんだよ」
「……ありがとう」
それからジェイドは、エルミアがいなくなった後のこと等を話した。そのなかで、ユーシアは家族と共に故郷の国へ帰ったことも話した。
「これからどうするかは、ゆっくりと考えればいい。ご両親を追いかけることもできるし、この国に留まるのならば、巫女になるのも、城の魔法使いになることもできる。エルミアなら、きっと審査に合格するだろう。見習いとして働きながら、魔法のことをもっと沢山教えてもらえる。私としては、巫女としてここで働いてほしいかな」
と、最後に冗談目かして勧誘した。
「そうね、私は魔物と戦えるから、小神殿のみんなを守ることが出来るわ」
エルミアは、ふと顔を上げる。
そういえば、魔界への扉は神殿だけじゃなくて、精霊樹の下にもあるんだ。もしララノアがひとりでいるときに魔物が現れたりしたら。
「私、決めたわ」
「え、もう?」
「森で暮らす」
「ちょっと待って。もう少し考えたほうが。何かに惑わされてはいないかい? あの、魔物かなにかに……」
「惑わされてなんか、いないわ。私の意思よ。精霊樹に大切な友達を残してきたの。その子は妖精で、今は精霊樹の元でしか生きられないの。その子が心配だから、私は森で暮らすわ」
これまで通りに。
「それで、良いのかい?」
ジェイドの確認に、エルミアはゆっくりと深く頷きました。
◇◆◇◆◇◆
セレスタイトは、この時もお城に呼ばれていた。宴の歌のためだ。
いつも携えている竪琴の表面板にはサウンドホールが開いていて、珍しくも羽ばたく鳥の形に削られている。それが空洞の内側を見せ、その暗がりが鳥を黒く染めていた。そのせいか、彼女、もしくは彼は、いつしか『カラス』と呼ばれるようになった。
城から出てきたカラスは、森へ向かうエルミアとすれ違う。その凛とした後ろ姿を見送った後、船に乗ると、誰にともなくささやかな詩を奏でた。
「大空の星々はただ遠き所から曖昧模糊な未来を囁くばかり。
運命に翻弄されし子供たちよ、この先幾多の苦難が待ち受けていようとも、決して諦めることなかれ。
各々の未だ轍の刻まれぬ真っ更な道程の先に、どうか幸あらんことを」
その鳥が告げるのは吉兆か、はたまた凶兆か。
冬が迫る海上、天の使いの鳥などと大層な名で呼ばれる詩人は、甲板から夜空を見上げて白い息を吐いた。
まだ続きます
次回、最終話!
\(^-^)/




