15.精霊
「ずっと、見守っていてくれたのね。見えずとも、そばにいてくれたのね。それなのに、気づかなくてごめんなさい。命をかけて助けてくれたのに、何も気づかなくてごめんなさい……」
そっと差し出した手の指先を、ララノアは小さくて細い両腕で抱きしめた。暖かな力が流れ込む。癒しの魔法は、エルミアの切り傷や擦り傷を治していった。
「謝らないで。私は、あなたにそんなに哀しい顔をさせたくはないの」
その時、ララノアは思い出した。エルミアが小さい頃に町の子供たちに虐められていたとき、妖精としての力が弱くて助けてあげることすらできなかったこと。エルミアはなんとか自力で逃げてきて、塀に隠れて泣いていたこと。おろおろと周りを飛び回っていたら、金の粉が見えたのか、泣き止んで微笑んだこと。その笑顔を、守りたいと思ったこと。
「エルミア。私と、友達になってくれる?」
「もちろんよ! ありがとう、ララノア」
もうずっと昔から友達だった気がするわ。
◇………◇………◇
それからララノアは、エルミアを親たる精霊樹に紹介した。
遠目からは一本に見えていた樹も、こうして近くで見上げると何百本もの樹が寄り集まって上へと伸びているように見える。しかしララノアによれぱ、たった一本の樹なのだという。
幹に触れると日に照らされた部分の木肌は暖かく、耳を当てるとサァサァ……と水の流れる音がした。
切り立つ断崖そのものの幹のあちらこちらには大きさの違う洞が隠れるようにしてあり、そこにはさまざまな動物たちが寝床にしていた。
「エルミアが眠るのにちょうど良い洞をさがしましょう」
ということで、二人で探検を始めた。
一つ目、手近な低い所にある洞。
「グルルル……」
「ご、ごめんなさい」
覗き込んだとたんに、闇の奥から何かの獣の唸り声がして、ギラリと幾つもの目が光った。エルミアたちは冷や汗をかきながら慌ててそこから離れ、大分遠ざかったところで、ぜえはあと荒い息を整えた。
「ああ、びっくりした。先住民の獣がいたのね。追いかけて来ていないみたいで、良かった」
「この樹に住む者たちは、ここでは狩りをしたり争ったりはしないみたいよ」
「へえ、じゃあ、食事はどうするの?」
「ここから涌き出る水は魔素や色々な成分が含まれていて、飲めばそれだけで生きていけるし、狩りはきっと野原の先の『魔の森』で行っているのだと思うわ」
「……森をさまよっていた時に出会わなくて良かったわ」
それから、訪ねた洞が梟の巣だったり、蛇の塒だったり、狐や、兎や、鹿や、山羊や、牛や、馬まで眠っていて驚いた。ようやく誰も住んでいない、丁度良い大きさの洞を見つけた時には、日はすっかりと登っていた。目覚めた動物たちの声や気配で辺りは賑やかになり、森へと出かけて行く後ろ姿も見かけた。
洞の部屋は床がでこぼこだったので、下に草か何かを敷き詰めて平らにすることにした。
「鳥たちが、香りの良い葉を敷き詰めていたわ。あれは、何の葉かしら」
「杉の葉だと思うわ。この樹の葉よ」
「この樹って、杉だったのね」
ということで、落ちている葉を拾ったり、低い所の枝から採ったりしてへこんだ所へ詰めた後全体に敷き詰めて平らに慣らした。更には野原で見つけたマジョラムや海の雫を摘んできて振り撒いた。
「良い香り。ぐっすり眠れそうよ」
言ったそばからごろんと寝転がる。その頃にはもう外は夕闇の帳が降りてきたので、エルミアは瞼を閉じるとすやすやと寝息を立て始めた。ララノアもその隣で眠る。
その夜のこと。
ぼんやりとした明かりに目を覚ました。朝かと思い、薄青い光の方へ顔を向けると、光っていたのは空ではなく、無数の青白いホタルのような光だった。
それらはだんだんと人の形に変化する。薄絹を纒い様々な仮面を被った人々が、列を作って樹の周りをゆっくりと歩きながら踊っていた。
エルミアは目を見開き、ゆっくりと起き上がった。そして物音を立てないように入り口のそばまで歩いた。
淡く光る人々は、明らかに人間ではない。
精霊――。山羊や、ロバや、兎や、鳥や、魚や、草花まで、それらを模した一つ一つ違う仮面を着けて、闇夜に浮かび上がる舞姿。神殿の壁に描かれた姿に似ている。
幻想の風景に魅入っていると、躍りの列から一人外れて、ふわりと浮き上がりこちらへ飛んでくる。ドキリとして後ずさりをしようとしたが、まるで金縛りにあったかのように身体が動かない。ララノアはぐっすりと眠っており、目を覚ましそうになかった。
精霊はエルミアのすぐ前まで来ると、手を差し出す。それに答えるように、すう……と自分の腕もひとりでに上がった。掌にひやりとした精霊の手が触れ、何かを手渡されたようで微かに重みを感じる。
精霊は用事は済んだとばかりにすいーっと遠ざかり、躍りの輪の中に戻った。
翌朝、目が覚めると受け取った何かはどこにも見えなかった。
「夢……?」
喉が乾いたので湧水の所へ行こうと外へ出ると、視界に飛び込んでくる鮮やかな色。昨日とはまるで世界が違って見える。
大地から、樹から、空中に沸き上がる靄のようなものもあり、それは風と共に世界に行き渡っていく。
足の裏から、低い振動が伝わって来る。草木のざわめきの向こうから、何かの声が聞こえた。
世界が濃さを増して、その急な変化に怖くなり、目を閉じて両耳を塞いだ。暫くして恐る恐る目を開くと、近くにララノアがいて心配そうにこちらを見つめていた。
「エルミア、大丈夫?」
「私、どうしたのかしら。世界が、おかしく見えるの。何かの声が聞こえるの」
「その声は、私も聞こえているわ。なにもおかしくはないのよ。世界も、あなたも変わってはいないわ。閉じていた瞼を開き、塞いでいた両手を離しただけのこと。あなたは元々見えていて、聞こえていたの。それに今、気がついただけのことよ」
ララノアは、この靄のように涌き出るものが魔素であると説明した。聞こえてくる微かな声は、他の妖精や精霊、そして魔物の声であると。
『魔物の声を解読しているの』
いつかのユーシアの言葉を思い出す。彼女に聞こえていたのは、これなのだろうか。
これらの新しい感覚に慣れなくて、目眩がする。水を飲んだ後、洞の部屋に戻り横になった。ふと、昨夜のことは夢ではなく本当の出来事だったのかもしれないと、全てをララノアに話した。ララノアが言うには、
「それは樹を守る精霊たちで、あなたは祝福されたのでしょう」
と。
「じゃあ、もしかして私、魔法が使えるようになったのかな」
「きっと使えるわ。使い方を、私が教えてあげる」
「わあ、やった! これで私も魔法使いになれる」
「エルミアは、どんな魔法が使いたいの?」
「うーん、初めて魔法を使いたいと思ったのは、お父さんとお母さんの病気を治すためだったの。ジェイドとローズに治療してもらえることが決まってからは、もう大丈夫だって安心して、それからは、ただ、魔法を使えたら楽しいだろうなって思うようになったの。
崇高な目的なんて何もない自分勝手な願いだから、叶うはずないと思っていた。ちょっと魔法で遊んでみたかっただけで、目標もなにもなくて。でも今、やりたいことが出来たわ」
「やりたいこと?」
「そう。ララノアが私を守ってくれたように、私も魔法でララノアや他の人も守れるようになりたい。あ、忘れていたけれど、家にも帰らなくちゃ。家というか、小神殿の宿舎にね。きっとみんな、心配していると思うから――」
すう……と、話ながら眠ってしまったエルミアを見て、ララノアは僅かに眉根を寄せた。
◇………◇………◇
チーズのようにお話が伸びてゆきますので、分割しました
まだ続きます




