エピローグ『変わらぬもの』
師弟にとっての時を越えた宿敵、エクデスとの最後の戦いから半年が過ぎた、冬。
あの後、王宮は今回の事件が発生した原因の説明を果たすと共に、秘匿され続けてきた古の戦争における大虐殺の歴史を公表した。
そしてリュケウス王はその責任を取るという形で自ら王の座を退き、後任に娘のソフィエル姫を指名。
本来の王位継承順を考えるならば、彼女の兄であるラギル王子が選ばれるはずなのだが、エクデスが消失した影響からか精神操作の魔術によって身代わりの自首をさせられていたレミノフが正気を取り戻し、ラギル王子の全ての悪事が明るみになってしまったのだ。
かくして何とか死刑こそ免れたものの遠い孤島へと追放される運びとなったラギルは、継承権を含むそれまで築き上げてきた何もかもを失い、結果として妹であるソフィエルへと継承順が回ってきた形だ。
国民にとってはあまりに突然となる王の交代劇に当初は不安の声も挙げられたが、彼女の打ち出した王宮地下資料庫の一般開放や、出版物の規制・検閲の緩和などの大胆な政策は今のところ好評な様子。
そんな新たな王として忙しく働く彼女に招かれて王宮へと向かった師弟は、国からの命令としてとある任務を任される事となったのだが──。
「……。」
「どうしたんですか、師匠?ぼーっとして。」
揺れる船の上、どこまでも続く冬の大海原を呆然と眺めているのは、どこか不機嫌そうな雰囲気のマナ。
その隣では、そんな彼女の顔を覗き込むようにしながらも、どこか楽しげな様子で笑みを浮かべているデュオスの姿があった。
師弟は寒さに備えいつもよりも厚手の服に身を包みこんでおり、如何にもといった冬の装いだ。
「どうしたもこうしたもあるか、たわけ。」
「や、やっぱり怒ってます……?あの事……。」
楽しげなデュオスへとジトりとした目を向けマナは小さな溜息を零す。
そもそも何故彼女達がこんな真冬の海の上で船に揺られているのかと言うと、それには色々と深い理由がある。
少数ながらも既に国内へと潜伏していた幻魔族達は、エクデスという先導者を失った事で組織として機能不全を起こし、そこに重ねて国からの歴史の真相と幻魔族に対する謝罪の発表を受けた事により復讐という目的への熱を失ってしまい、その殆どのメンバーが自首という形で投降。
軽い取り調べを受けた後に、幻魔族達の住む故郷へと送り返される事となった。
そしてソフィエルが率いる新体制として再出発した王宮は、同じ幻魔族であるデュオスに彼らとの友好を図る為の親善大使としての任務を与えたの、だが。
その頃丁度、マナに言われた通りに婚活に励むも失敗続きで色々と疲れていたデュオスが余計なアピールをした結果、師弟はエルフと幻魔族の夫婦として共に彼らの国へと訪問する事になってしまったのだ。
「言っておくが、夫婦のフリをするのは向こうにいる間だけじゃからな?調子に乗るなよ?」
「わ、わかってますって……。」
釘を刺すように視線で圧をかけてくるマナに、苦笑いを浮かべてそう答えるデュオスではあったが、その尻尾はわかりやすく落ち込んだようにしょんぼりと垂れ下がっている。
今のところのデュオスの婚活戦績は、12戦12敗。
その殆どの失敗の原因は、相手の女性の前で事あるごとに他の女性の話をするからなのだが、本人は自覚していないようだ。
そんな師弟を少し離れた所から眺めている、小さな影が2つ。
「うぅん……やっぱり冬の海は寒いねぇ、飛び級くん。」
「だったら無理してここに居なくても、中に入ってたらいいじゃないですか……。」
船に揺られる1つの樽に仲良く腰掛けながら、もはや腕どころか全身を使ってくっついているのは、やたらにもこもこした服を着たミナ。
そしてそんな彼女にくっつかれ視界がもこもこで埋め尽くされているのは、小さい方の弟子ことダイナだ。
海を越えた向こうに位置する幻魔族達の故郷まではかなり遠く、船で1週間程はかかる予定である。
当然その間ダイナを家に独りきりにしておくわけには行かず、ちょうど冬休みという事もあってマナらと共に行く事となったのだが、そこである意味運命的な巡り合わせが発生した。
それは、この今回の船旅に際しての船と人員を国へと提供する事になったのが、ミナの実家──つまりホロス家の有する貿易会社だったのだ。
「はぁ~……わかってないなぁ飛び級くんは。」
「キミが居てくれなきゃボクの心は暖まらないんだよ~。うりゃうりゃ!」
「な、なんですかそれ……って手冷っ!?」
そんなこんなでお嬢様という立場を遠慮無く使い、我儘を通してダイナ達に同行する事になったミナは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら冷えた指先で彼の両頬を揉みしだく。
あの夏の日の約束がしっかりと果たされた事によって、晴れてダイナとそういう関係となったミナの自由奔放っぷりを止められる者はもはやダイナを除いて存在しない。
「もう……あんまり身体冷やすと、体調崩しちゃいますよ?」
「…………、キミってさぁ……。」
「?」
心配そうな表情でこちらを見つめながら、冷え切った両手を当たり前のように指を絡めて握ってくるダイナに、ミナは何か言いたげに獣耳を動かし、少し頬を赤くする。
それでも相変わらず色々と鈍いダイナは、そんな彼女の反応に不思議そうな顔をして小さく首を傾げるだけだ。
「──っくしゅ!……ああ、本当に寒くなってきたね。」
「だから言ったじゃないですか……僕も戻りますから、一緒に戻りましょう?」
「ん、そうするー……えへへ。」
一層の強い寒風が吹き、小さくくしゃみをしたミナを見てダイナはそっと手を繋ぎ直して提案する。
その提案にミナは嬉しそうに尻尾を揺らし、ぎゅっとダイナの手を握り直したかと思えば、結局我慢できずに腕を抱き込むように大胆にくっつくのだった。
既に日も傾き始めていて、これから夜になればますます寒さは厳しくなる。
あまり寒さに強い方ではない事を知っているマナを心配して、ダイナが海を眺めている2人に声をかけようとした、その時。
「師匠、そろそろ中に──。」
「──良いじゃないですかキスの練習くらい!できないと怪しまれますよっ!」
「たわけ!そんな事言ってお主、自分がしたいだけじゃろうがっ!」
獣耳を疑うような痴話喧嘩が聞こえてきて、ダイナは瞬時に怪訝な表情を浮かべる。
どうやらデュオスがマナに夫婦のフリをするためとか何とか言ってキスをしようとしたらしい。
仮にも夫婦として赴くのだから、デュオスの言っている事も確かに一利あるようにも聞こえるが──。
「だって前は師匠の方からしてくれたじゃないですか!じゃあ、何だったんですかあれは!?」
「あれはっ!その……なんというか、じゃな……。」
「俺とは遊びだったんですか!?師匠!」
以前に贖罪の気持ちとしてデュオスへとキスした事を掘り返され、マナは説明に困ってしまったように口を噤む。
そこへ詰め寄るようにぐいぐいと迫るデュオスの姿を見て、ダイナの中で何かが切れた。
「……すみませんミナさん。師匠を連れて先に戻っていてください。……僕はデュオスさんとちょっとお話があるので。」
「うわーお……見たこと無い笑顔。……お師匠さーん!」
顔だけはにっこりと微笑みながらも、心では全く笑っていないダイナの様子を瞬時に察して、ミナは言われたとおりにマナだけを回収して船の中へと戻っていく。
そうして残った弟子達は互いに軽く威嚇をしあいながらも、海の方を眺めるように並び立った。
「……あんまり師匠を困らせないでくださいよ、デュオスさん。」
「あぁ?別に困らせてなんか──痛ッ!?何しやがんだこのガキッ!?」
苦言を呈するダイナの言葉に、反抗した態度を見せたデュオスの足へと容赦のないローキックが打ち込まれる。
身体の大きさは違えど、師匠を大切に思う気持ちは同じ。
だが2人は、もう同じダイナ・アスターでは無い。
それは2人が別々の人生を歩んでいるからではなく、本当の本当に別の存在になってしまったからだ。
あの運命の戦いの日、あの時ダイナが自らの角を触媒にして願った奇跡が結果としてもたらしたのは、デュオスという人間の魂そのものの改変であった。
魂を丸ごと書き換えて別人にする等という所業はどれ程の大魔術師であろうとも本来ありえない話だが、実際にそれが起きてしまったのだ。
その事が判明したのは、あの日普段通り帰宅しようとしたデュオスがマナの家の防犯魔術に未登録の部外者として弾かれたからなのだが。
マナ曰く、どうやらあの時デュオスを狙っていた時の魔神が、2人に戻った弟子達を見て迷うような仕草を見せたり、魂を書き換えられ別人となったデュオスへの攻撃を中断したのは、家の防犯魔術と同じように狙う対象を魂で識別していた可能性が高いから、らしい。
「約束しましたよね?師匠を悲しませたり傷つけたりしないって。」
「んな事言われなくてもわかってるよ……。」
いつもならやられたら即座にやり返すデュオスだったが、この時ばかりは先程の事を少し反省しているのか、珍しく素直だ。
そしてダイナもまた、それ以上の追撃は行わない。
何故ならば、ダイナはデュオスから師匠へと向けられている想いの程を知っているからだ。
「……今だから言いますけど、デュオスさんと1つになったあの時。」
「僕、見えちゃったんです。……デュオスさんの、未来の師匠との記憶。」
「ッ……そうか。」
時間的矛盾によって2人が1人のダイナとなったあの時、ダイナの頭の中にはデュオスの経験した全て、幸せな家族の日々と、それを奪われた絶望の記憶が流れ込んできていた。
それと同時にダイナは気づいてしまったのだ。
自らが師匠へと向けている尊敬や憧れを含んだ『好き』という感情が、デュオスのそれとはまた違う事に。
「だから……今度こそちゃんと、師匠を幸せにしてあげてくださいね。」
「……おう。任せとけ。」
隣へと並ぶ自分であって自分で無いもう1人の弟子に、ダイナはちらりと横目を向け、小さく微笑む。
かつてダイナであったその男はその小さな弟子へと笑い返すと、静かに海へと目を戻した。
「──あ、もしデュオスさんには無理そうだなって思ったら、その時は僕が師匠を貰っちゃいますからね?」
「なっ……!は、はぁ!?貰っちゃいますってお前……!あの子はどうすんだよ!?」
さらりと付け加えられたダイナの言葉にかなり驚いた様子ながらも、真っ先に心配するのは他人の事という、やはりどこかそっくりな弟子達。
名前を変えても、魂が書き換わっても、根っこの所は変わらないようだ。
「だーかーらー!そうならないように頑張ってくださいってことですよ!もうっ!バカなんですか!?」
「んだとぉっ……!?」
察しの悪さに苛立つように、ダイナは床を踏み鳴らしながらデュオスを指差す。
そうして真面目な雰囲気は一瞬にして消え失せ、気がつけばいつも通りの兄弟喧嘩ムード。
まさに今にもデュオスがダイナへと掴みかからんとした、その時。
「たわけ!いつまで外で遊んでおるんじゃ!さっさと戻らんか!」
「し、師匠……!」
「ごっごめんなさい師匠!すぐに戻りますっ!」
「まったく、バカ弟子共が……。」
中々戻ってこない弟子達に業を煮やしたマナが船の名から叫び、弟子達は喧嘩も忘れて大慌てで船の中へと戻っていく。
些細なことで喧嘩して、それで師匠に怒られて。
きっとそんな師弟の日常は、いつまでも変わらないのだろう。
例え幾つになったって、息子と呼べなくなったって。
彼らは師匠にとって、可愛い可愛い愛弟子達なのだから。
それから何年かして真っ先に結婚を果たしたのは、卒業後すぐに結婚したダイナとミナだった。
さらにその2年後には待望の第一子である息子ノエルまでもうけた若い2人に対しデュオスはといえば、もはや婚活を諦めマナを口説き落とす方へと方向転換し始めていた。
熾烈な攻防の末、結局マナが根負けするような形で結婚を承諾し、念願叶ってマナとの再婚を果たしたデュオスは、それから様々な苦難を夫婦力合わせて乗り越え、ついに可愛い一人娘を授かる事となったのだ。
その子の名前はもちろん──。
「くふ……こんなに小さいのに、意外と力が強いのじゃな……?」
「ようやく会えたのう……キャロル。」




