特別編 バレンタインデー
「レイさん、ハッピーバレンタインっ!」
「はい、ハッピーバレンタインでごぜーます」
今宵はバレンタインデー。チョコレートやクッキーといった『甘いもの』と共に恋心を伝える日。そして、恋心を伝えた後も変わらぬ想いを『甘いもの』に乗せて相手にプレゼントするイベントである。
その日、(気を遣われたのか、それとも未だにお盛んなのか)両親が不在の中、レイ=レッドスプラッシュはピーチファルナの家を訪ねていた。
元とはいえ『魔の極致』という冠をいただいていただけの実力者は平然とした風に装いを維持しながら、心の中は緊張でぐちゃぐちゃだった。
(改めて伝える必要があるのでごぜーます。だって、だってっ! 未だに明確に言葉にしてもらっていないでごぜーますから!!)
幾億もの挑戦の果て、全知全能という看板にふさわしい膨大な数の超常を振るう怪物を打ち破り、『魔王』という何の前触れもなく破滅をもたらす絶対脅威を退け、お互いに好きだと想いを交わして……だけど、そこに明確な『名称』は示されていなかった。
レイ=レッドスプラッシュはピーチファルナのことが好きだ。この想いは、狂おしいほどの激情は、幾億も消失を繰り返しても色褪せるどころか鮮やかに燃え上がるほど。
愛情。
付き合う、いいや結婚したいと望む部類の好きである。
だが、ピーチファルナは?
確かに好きだと、大好きだと想いは交わした。だが、『今』のピーチファルナはレイ=レッドスプラッシュのことをどう想っているのだろうか。
あれだけのことをしておいて嫌われていないのが奇跡で、好きだと言ってもらえるだけで幸福で、それ以上を望むなんて強欲でしかないのだろうが……それでも、欲してしまう。
だからこそ、バレンタインという今日この日に勇気をもらい、己が抱く好きの種類を伝える。その結果、こうしてバレンタインを共にできるだけの関係が壊れてしまうとしても、もう、我慢なんて出来なかった。
「ピーチファルナちゃん」
「あ、これってチョコレート?」
「ええ。……わたしの想い、聞いてほしいのでごぜーます」
両手で差し出すは黄色の包み紙でピーチファルナの愛らしさを表現するように包んだハートのチョコレート。『甘いもの』と共に想いを吐き出す。
「好きで、ごぜーます。手を繋ぎたい、一緒にお出かけしたりお風呂に入ったり眠ったりしたい、食べさせ合いっこしたい、私はいつだってピーチファルナちゃんだけを見ているからピーチファルナちゃんもできるだけ私だけを見てほしい、シンシヴィニアたちに向ける友愛でも母親や父親に向ける親愛でもなくて、ただ一人特別な人にだけ向ける愛情が欲しい、好き、大好き、愛している、結婚したいと思うくらい好きなのでごぜーます!!」
溢れて、止まらない。
重く、熱く、それがレイ=レッドスプラッシュの偽ることなき本音だった。幾億もの積み重ね、繰り返された挑戦の果てにそれでも風化することなく膨れ上がった純粋な想いだった。
対して。
ピーチファルナはすくっと立ち上がり、部屋から出て行った。何も言わずに、だ。
「あ……」
壊れた、のだ。
ピーチファルナとレイ=レッドスプラッシュの好きにはやはり明確な違いがあったのだ。
許されたのが奇跡だった。
共に歩めたのが幸運だった。
それを、最高のハッピーエンドで終わっていたものを、欲張ってあれもこれもと手を伸ばした結果、我慢の限界が訪れたというだけの話だ。
だって、レイ=レッドスプラッシュは紛うことなき悪であり、だってピーチファルナはシンシヴィニアをはじめとして色んな人に『好き』を向けられる人間で、だって大勢の中の一人ならまだしも特別な一人としてレイ=レッドスプラッシュのような怪物を選ぶ理由はどこにもない。
ピーチファルナの未来は無限に広がっている。
必ずや若くして死ぬ袋小路から脱したならば、人並みに平穏無事な幸せを望むに決まっている。
だから。
その場を立ち去ろうとしたレイ=レッドスプラッシュは目撃する。戻ってきたピーチファルナが何やら巨大な樽を転がるように持ってきたのを。
「ピーチファルナ、ちゃん?」
「これは意地みたいなものというか、せっかく準備していたんだからぱーっと使いたいというか、ぶっちゃけ口にするのすっごく恥ずかしいっ。うう、前までは普通に言えていたのになんだって自覚したら言えなくなるんだろう」
「な、にを?」
「バレンタインの主流はチョコレートだけど、『甘いもの』なら何でもいいんだよね。というわけで、はいっ。じゃじゃーんっ、ハチミツだよいえいっ!!」
どんっ、と身の丈はある樽を床に置き、蓋を開けて、中にたっぷり入った黄金の甘いドロドロとした液体を指ですくうピーチファルナ。
明るく、元気に。
それでいて何かを誤魔化すように。
「あ、あの、ピーチファルナちゃん。さっきのは冗談なんかじゃなくて、本気で、だから、せめて終わらせるならきちんと断って終わらせっ、ああ嫌でごぜーます。わかっていて、でも、だけど!!」
「わたしからも甘いものをプレゼントだよっ!!」
ぎゅっ、と。
目を閉じ、頬を赤くして、そしてピーチファルナは指をレイ=レッドスプラッシュへと差し出す。甘いもの。ハチミツで染まった指を。
「バレンタインの日に『甘いもの』をプレゼントするのは好きだという気持ちも一緒にプレゼントするってことなんだよっ。だから、その、そういうことっ。『甘いもの』を、レイさんにあげるっ!!」
「それ、って……」
「だから、さっきのレイさんのアレについては、その、これが答えってことで!!」
どうしようもなく甘かった。
レイ=レッドスプラッシュは遥か過去に悲劇を撒き散らした。ピーチファルナと出会ってからも過ちを繰り返してきた。色んな偶然が重なり、大勢の人々が力を貸してくれたからこそ誰も失わずに済んだが下手すればピーチファルナをはじめとして無意味な死を積み上げていたはずだ。
そんな怪物を受け入れ、共に歩み──こんなどうしようもない怪物の想いを受け止めてくれるだなんて、本当、甘すぎる。
「駄目でごぜーます」
欲張りになる。我慢ができない。
ピーチファルナの手を取り、その指先についたハチミツごとはむっと口に含み、ハチミツが霞むほどに柔らかくて温かくて甘いものを含んで舐めて吸って──ぶるぶるっ! と自分で差し出しておいて甘く背筋を震わせるピーチファルナを見つめる。
「ひ、ぅ……ふうっ」
赤く、甘く、震える姿がどうしようもなくそそる。いつまでもそうしていたかったが、その前に痺れるように震えるその口から聞きたい言葉があった。
ちゅぱんっ、と。
名残惜しげに指を離して、告げる。
「ちゃんと、言葉にしてほしいでごぜーます」
「う、うう」
「ほしいのでごぜーます。明確な形として、私とピーチファルナちゃんの関係を示したいのでごぜーます」
「うううっ、うううううううっ!!」
そして。
そして。
そして。
「結婚したいほど大好きだよ、こんにゃろーっ!!」
ああ。
世界は甘く幸せに満ちている。
その甘さをレイ=レッドスプラッシュは衝動のままに抱きしめた。
……そういえば、と。
レイ=レッドスプラッシュは甘く幸せな大好きを抱きしめてからしばらくして、意地悪く口元を緩めて言葉を紡ぐ。
「まだハチミツは余っているでごぜーますね」
「……ッ!!」
「こんなにたくさん用意したということは、それだけたくさんの『甘いもの』をプレゼントしてくれるつもりだった、ということでごぜーますよねえ」
「う、うぐぐっ。それは、その、そのつもりではあったけど、あくまで体当たり戦法というか色仕掛けでゴリ押ししちゃえって押し倒したのがきっかけでゼリシアさんと付き合ったシンシヴィニアちゃんからの助言で、だから、ええっと、だからあっ!!」
「『甘いもの』、食べたいでごぜーます」
「う、うぐうっ!! そ、そんなふうに耳元で囁くなんて卑怯だよっ。そんなことされたら嫌なんて言えないじゃんっ!!」
「くふふ☆ では、いただいちゃっていいのでごぜーますね?」
「う、うぐうううっ。ああもう、いいよっ。やっちゃえこんにゃろーっ!!」
──彼女たちのバレンタインデーは身の丈ほどもある樽のハチミツがなくなり、全身の甘いべたべたがとれるまで続いた。
ーーー☆ーーー
白銀のツインテールに緋色の瞳、騎士の証であるレザーアーマー姿の少女が訓練用の一室に君臨していた。
ケファミア。
女は騎士になれない、という慣習を騎士団の幹部勢を撃破、騎士団長と相討ちという結果でもって力づくで覆した脳筋である。
訓練の間は死屍累々であった。百に及ぶ騎士が一人残らず一人の少女に叩きのめされたのだ。
ふう、と一息。
いい汗かいたと言いたげに爽やかな表情で額に浮かぶ汗を拭うケファミアへと声をかける少女が一人。
「また随分と派手にやったものさ」
腰まで伸びた黒髪に碧眼、伸縮性と防刃・防弾・防魔機能を完備している身体のラインがくっきり見えるバトルスーツ姿の少女の名はオリミア。
幼馴染みの少女にケファミアはそれはもう爽やかな笑みで、
「まだまだこれからですって!! 何せ騎士ですもの、新参者にやられっぱなしで終わるものですか!!」
「いいから、もうやめてあげるさ」
……どうにも騎士というものに憧れが強すぎて盲目的になっているケファミアを諫めるオリミア。本来部外者は立ち入り禁止なのだが、威圧的に迫るのではなく懇願するように死屍累々な騎士たちが見つめていることからも限界が近いことはわかるだろう。
「むう。まだまだこれからですのに」
「はいはい」
欲求不満だと丸わかりなケファミアの手を引き訓練の間から廊下に出るオリミア。初めの頃は女人禁制だとオリミアはおろかケファミアにだって噛みついていたものだが、今では救世主扱いである。脳筋にもほどがあるというものだ。
「ケファミア、今日は非番だってのに訓練に参加していたさ」
「もちろんです。騎士たる者いかなる時でも己を鍛えなければですからっ!」
「つまり、今から街に出かけたって構わないということさ。そう、そうか。きょっ今日くらい一緒に出かけてもいいと思うさっ!!」
「街、に……ですか? それは、どうして???」
「どうしてって、それはっ! ケファミアのことこんなに想っているからさ!!」
キョトンとしているケファミアへとオリミアは振り向くことなく逆の手を動かす。半ば強引に『何か』をケファミアの口に放り込む。
それは硬く、黒く、甘いもの。
すなわち、チョコレート。
バレンタインの今日この日に『甘いもの』をプレゼントすればいかに脳筋なケファミアでもわかってくれるというもの。
「オリミア……。そうですか、そういうことですか」
「ッ!!」
響く。
甘いものに乗せた想いがついに伝わった。
嬉しくて、怖くて、相反する想いがオリミアの胸を渦巻く。ケファミアがどう想ってくれているのか知りたいようでいて、それが自分の想いと違うのではないかと怖くて──全部ひっくるめて、踏み出した。
一度踏み出したならば、後は転げ落ちるのみ。
その先が楽園か地獄かはわからないにしても、今までの日常に戻ることはできない。
だから。
だから。
だから。
「街に出て強者を相手に鍛練しろ、ということですねっ。エネルギー補給として甘いものを用意しているなんてわかっているですねっ!!」
「ぜんっぜん! 分かってくれないさあ!!」
返答はおっきな拳だった。
もう、本当、脳筋すぎる騎士馬鹿をぶっ飛ばし、プンスカその場を後にするオリミア。
と。
仰向けで倒れるケファミアが手で顔を覆い、ぼそりと呟く。
「ああもう……。流石にいつまでも誤魔化すわけにもいかない、ですよね」
せめて胸を張って騎士と名乗れるくらい自分を高めてから、だとケファミアは己に言い聞かせる。今の自分は恋にうつつを抜かしていられない。全知全能を筆頭として世界には想像を遥かに超える猛者が集結している。その猛威がいつ何時守るべき民に──惚れた女に向くかはわからない。
その時、騎士として守れるだけの力を。
それこそが憧れを叶えるということであり──『なんとなく』後悔しない気がした。
「まったく、毎度毎度あんなにも露骨というのに気づかないわけないじゃないですか。あと少し、もう少し、胸を張って騎士だと名乗れるくらい強くなったら、その時は……これまで我慢してきた分だけ大好きだと伝えますから」
その呟きは。
廊下の角を曲がった先のオリミアまで届いていた。
くしくもケファミアと同じように手で顔を覆い、真っ赤に熟れた頬を緩めて、幼馴染みの少女は言う。
「仕方ないから、待っててやるさ」
本当脳筋にも程があると、オリミアは一つ息を吐く。




