第二十七章 一人ではどうしようもなくとも
元より限界など超えていた。
「ぁ、ばぐっ……がべばぶっ!!」
視界が霞む。痛みなんてとっくの昔にキャパオーバーするほどに存分に感じきっている。血が噴き出し、地面を濡らす音がひどく耳に響く。
両腕にかかる重みが体力を奪う。離せば楽になると、防衛本能とでも呼ぶべき何かが合理的な判断を訴えてくる。
「絶対に……離したり、しないですわよ。友達を、見捨てたりしないですわよっ!!」
──始まりは信頼するメイドからの紹介であった。
シンシヴィニアと同じくらいの年頃の娘がいるとは聞いていた。実際に顔を見たいとなんとなく思って、実際に出会った時はなんとなく仲良くなりたいと思った。
はじめてできた友達は甘え癖が激しかった。助けてと躊躇なく言える少女であった。誰かに頼ることに迷いはなく、誰かを助けることもまた当然と思える少女だった。
『貴族らしく』誰よりも優れた──『持っている』者であれと努力を重ねてきたシンシヴィニアでは考えられない生き方だった。誰かに頼るなんて、『持っていない』者に頼るなんて、そんなこと考えることもなく、また考えてはいけないことだからだ。
だけど。
ほとんどがシンシヴィニアよりも『持っていない』者たちが駆けつけてくれたからこそ、シンシヴィニアの『願い』を叶えるチャンスが残っている。
『あれだよね、シンシヴィニアちゃんはもうちょっと人に甘えることを覚えるべきかもっ。いやまあすぐ抱いてだなんだ言ってくるくらいには甘えているんだろうけど、そうじゃなくて、こう、大変な時に限って一人でやろうとするじゃん』
それはいつのことだったか。
日々の業務に加えて勉学や実戦形式の鍛錬がたたって倒れた時、ピーチファルナはこう言っていたものだ。
『もっと周りの人を頼ったっていいんだよ。シンシヴィニアちゃんがわたしたちのために頑張ってくれているように、わたしたちだってシンシヴィニアちゃんのために頑張りたいんだから。あ、もちろんわたしに頼っていいけど、わたしにできることなんてロクにないからねっ。できるだけ力は貸すけど、どうせ大したことできないしっ。なに、他のみんながなんとかしてくれるって! そんなわけでもっと人に甘えるようにしよう!!』
「うそ、つきですわよ。……大したことできない? ピーチファルナちゃんは、本当嘘つき、ですわよ」
シンシヴィニアが超常の濁流に呑まれる寸前に助けに来てくれた。その後も最後まで──他の人に丸投げすることなく──戦ってくれた。
ピーチファルナはシンシヴィニアのために頑張ってくれた。ならば今度はシンシヴィニアがピーチファルナのために頑張る番だ。
だから。
それでも。
ぐらり、と。
身体が傾く。
「ぐ、う……がああ……ッ!!」
後少し、もう少し。
十メートルも歩けば、青い光の外に出ることができる。方法は不明だが、レイ=レッドスプラッシュがなんとかしてくれる……はずだ。おそらくなんとかするために飛び出したのだから、今は信じるしかない。
なのに、保たない。足りない。
限界なんてとっくの昔に超えている。搾り出すだけ搾り出して、それでも足りない。
両腕から力が抜ける。最後の十メートルを踏破するだけの力が足りない。ピーチファルナは最後まで頑張ってくれたのに、シンシヴィニアはこんなところで終わってしまうとでもいうのか。
友達を、助けられないというのか。
「あと、少し……ですわよ。なのに、なのにっ!!」
落ちる。
抱えきれない。
ほんの十メートル先まで運べば何とかなるかもしれないのに、たったそれだけのことが今のシンシヴィニアでは──シンシヴィニア『だけ』では達することができない。
だから。
だから。
だから。
「おっと、危ないですね」
がしっ!! と。
横から伸びた腕が落ちそうになるピーチファルナを支える。
そこには剣を腰に差した少女が立っていた。
シンシヴィニアと同じく傷だらけで、それでもしっかりと二の足で地面を踏みしめた少女が。
「え? あなた、は……???」
「ピーチファルナの友達ですよ。貴女、ええと領主様の娘ですよね? まあなんでもいいですが。あれです、貴女もレッドスプラッシュ公爵令嬢様からピーチファルナを外に出せば助けられると言われた口ですよね。手伝いますよ」
そこで終わらない。
逆から伸びた腕がしっかりと、決して落とさないと言いたげにピーチファルナを支える。
「そうさ、私たちにとってもピーチファルナは友達なのさ。そんなに傷だらけでも外に出せば何とかなるという言葉に賭けて頑張っている貴女様と同じでさ」
シンシヴィニア一人ではどうしようもなかった。
ならば、と。二人の少女が横から支えてくれれば、十メートルを踏破することも容易かった。
手伝ってくれたから。
シンシヴィニアよりも『持っていない』としても、シンシヴィニアに足りない部分を埋めてくれたから。
最後の一歩を踏み出す。
青い光のドーム、超常無効化フィールドの外に出る。
「が、ぶう!!」
出た、と思った時には集中が切れたのか、地面にピーチファルナを下ろす、というよりも四人一緒に地面に倒れていた。
シンシヴィニアも、二人の少女も、刻まれた負傷も積み重なった疲労も決して軽くはなかった。
「これで、……これで、どうにかなるんですわよね? ねえ!? がぶべぶっ!!」
血の塊を吐き出すのも厭わず叫ぶが、返事はない。
一足先に出ていったレイ=レッドスプラッシュの姿はない。
どうやってピーチファルナを救うつもりかは分からないが、本当に間に合うのか? だってピーチファルナは──
「……ぁ、……う」
「ピーチ、ファルナ……っ!!」
ほとんど這うような形でピーチファルナへと近づくシンシヴィニア。胴体には無数の刃が突き刺さっていた。鮮血が次から次へと流れている。瞳は焦点が合っていないのか、ぼんやりとしていて……、
「いや、ですわよ。嫌ですわよっ。はじめての友達なんですわよ? 大事な、大事な友達なのですわよ!! それが、こんな、嫌ですわよ。死んじゃ嫌ですわよお!!」
「ぅ……しん、し……ゔぃ……」
声が、聞こえた。
ばっと顔を上げて、死力を尽くしてでも身体をあげて、ピーチファルナの顔を見つめ──友達の言葉に耳を傾ける。
決して聞き逃してはならないと悟ったから。
ああ、だけど、なぜ? 友達と話すなんてこれから先いくらでもできるのに、なぜこんなにも必死になる必要がある?
「それ、に……けふぁ……おり……も」
「……、聞いていますよ。最後まで、絶対に聞いてやるですよ」
「まあ、そう容易く奇跡が起きるわけもないさ。外に出ればなんとかなるというのにどういった狙いがあったかは知らないけど、……もう間に合わないみたいさ。ああ、ああ、そんなの、わかっていたさ」
二人の少女はどこか達観した様子で、それでも悔しそうに奥歯を噛み締めながらもピーチファルナの言葉に耳を傾けていた。
思い知らされる。
だけど、それでも、シンシヴィニアは決して認めない。認められない。
「わた、し……」
声が。
最後なのだと、思い知らされるほどに搾り出した声が、あった。
「……だい、すき……」
「わらわも、わらわも大好きですわよ! だから、嫌、死んじゃ嫌ですわよ!! なんとか、なんでわらわは『持っていない』んですわよ!? 伯爵令嬢ですわよ、他の人よりよっぽど『持っている』んですわよ!! なのに、なんでピーチファルナを、友達を助ける力一つ『持っていない』んですわよっ!!」
命が、消える。
まるでいつかの焼き増しのように。
「もう『失敗』はこりごりでごぜーます。ゆえにここらでつまんねえ結末を粉砕するでごぜーますよ」
ぐぁばぁ!! と正面の、青い光のドームの外の空間が左右に切り開かれるように裂ける。そこから三人の女が踏み込んでくる。
その一人。
その目で見た超常を弱体化前提とはいえストックできるレモンファルナが力を解き放つ。
たったそれだけでピーチファルナやシンシヴィニアや他の二人の少女の怪我が瞬く間に塞がる。
ぶじゅ、と肉体の再生に押し出されるようにピーチファルナに突き刺さっていた無数の刃が吹き飛ぶ。
傷一つない肌がそこにあった。
怪我が、迫る死が、消え去ったのだ。
「あ、ああ……」
シンシヴィニアには詳しい理屈はわからない。
たた一つ。友達が死なずに済んだこと以外は、何も。
むくり、と。
すんなりと、いつも通りに身体を起こすピーチファルナ。その口が、動く。
「えへへっ。心配かけちゃったね、ごめん。でも、ほら、なんか知らないけどなんとかなったみたいだよ! わたし、完全復活!! だから、だからさ」
伸びる。
ピーチファルナの手が目の前の奇跡を見つめることしかできないシンシヴィニアの目元まで。
その瞳に浮かび、流れる涙を拭う。
「そんなに泣かないでよ、ね?」
「う、あああ……あああ! 良かった、本当に良かったですわよお!!」
限界だった。
気がつけば衝動のままに大切な友達を抱きしめていた。




