幾千幾万幾億もの挑戦の果てに
ザザ、ザザザッ。
おそらく特別なんてどこにもなかった。
触れ合う手の温もりも、中身なんてほとんどない世間話も、パジャマパーティーなんて言って夜更かししたことも、遠出して様々な地域を渡り歩いたことも、何もかもがありふれた出来事でしかなかったのだろう。
ただ一つ。
『誰と』一緒だったかが違うだけで、感じ方が変わっただけなのだ。
ザジ。
ザッ! ザザザザザザッ!!
出会いは偶然で、何となく顔を見る機会が何度かあって、気まぐれに言葉を交わして、気がつけば沈んでいた。
まるで甘い蜜に身投げでもしたかのように、ドロドロとした心地良さが全身を包み込んでいた。
ザザザザザザザッ!!
ザザザ、ザザザザザザザザザザザッ!!
特別な何かはなかったけど。
特別な人ではあったのだろう。
だから、満たされていた。
他の誰でもなく、彼女と一緒にいるからこそ、退屈から抜け出せたのだ。
ザザザザザ。
ザザ、ザザザ……ッ!!
魂魄漂流式転生術。
肉体を捨てて、魂だけとなった状態で妊婦の体内にある受精卵へと憑依する、ランダムタイプの転生術式である。
そんな効果を宿す魔法道具を肉体を捨てる前に作り出していたベルゼ=クイーンエッジは『人生』を何度も体験していた。
その中でも、ハジメテのことだった。
己の肉体に憑依することはできなくなるという制約があったために、かつての力を失ったベルゼ=クイーンエッジ……いいや、今はレイ=レッドスプラッシュか。とにかく当代の肉の器が辿る『人生』の中で、ようやく見つけたのだ。
退屈を拭い去ってくれる、特別を。
どんな力を持っていても、どんな地位を獲得しても、決して満たされなかった飢えを、たった一人の特別が満たしてくれたのだ。
だからこそ。
何があっても手放す気はない。例えそれが特別からありとあらゆるものを奪い去るような悪行だとしても、だ。
ザザ、ザ……。
ああ、幾千幾万幾億と繰り返してきたことだろうか。今日もまた、特別を守ることはできなかった。
ーーー☆ーーー
「ふにゅう……」
二人だけの理想郷、ある森の奥深くにある隠れ家の一室ではピーチファルナがスヤスヤお休みしていた。
どこで?
ソファに腰掛けるレイ=レッドスプラッシュの膝の上で、である。
耳かきとはいいものでごぜーます、とほっこりしているレイはバスタオルを雑に巻いて局部を隠した状態であった。耳かきのアレソレでしっちゃかめっちゃかに弄られた末に気持ち良さで寝落ちしたピーチファルナは気づいてすらいなかったようだが。
「これで、ようやく、でごぜーます。くふ、くふふ☆ ここまでくればもう大丈夫でごぜーますよね。『魔の極致』、セレリーン伯爵家、一騎当千の女騎士、ピーチファルナちゃんの両親、その他にも想定しうる因子は全て排除したでごぜーますもの。私もピーチファルナちゃんも全てを失ったでごぜーます。何も持っていないのならば、お互いがお互いのことだけで頭の先から爪先まで満たすことができるでごぜーます」
愛にも様々な形があるだろう。
その中には好きな人のことだけを考えたいし、好きな人には自分のことだけを考えてほしいと願う形もあるはずだ。
お互いだけで完結した世界。
輪を広げるのではなく、狭めることで純度を高めようとする考えが良いか悪いかなんて知ったことではない。それしかないと、それこそが愛だと至ったのならば、後は突き進むだけだ。
特別は手に入った。
ピーチファルナと一緒にいられる環境を作り出せた。
これぞ理想郷。
好きな人と一生を共にできる、完膚なきまでのハッピーエンド。
そのはずだ、そうに決まっている。
ああ、だけど、
「『最初』の頃のピーチファルナちゃんはもっと積極的でごぜーました、ね」
例えどのような形であれ、レイ=レッドスプラッシュはピーチファルナのことが好きだ。それは変わらない。だけど、それでも──取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな気がするのだ。
「くふ、くふふ☆ 欲張ったっていいことはないでごぜーます。最低限、ピーチファルナちゃんだけは手に入れる、それ以上もそれ以下もないでごぜーます。私にとっての幸せは、私が幸せになるには、だってこうしないとまた失ってしまうでごぜーますから、だから、だから、だから」
奪って、奪って、奪い去って。
身軽になったからこそ、連れ出せた。これ以上持ち出すことなんてできないのは経験している。
だからこれが最善なのだ。
考えて考えて考え抜いて、何なら無意識とも呼べる直感なんて不確かなものに頼ってでも、ようやくここまで辿り着くことができたのだ。
「れい、ひゃん……むにゃにゅう」
ありとあらゆるものを奪う必要があったために、『最初』のように長い年月をかけて仲良くなるような真似はできなかった。ゆえにかつて作り出し、肉体を捨てた際に封じておいた『ハニートラップ』を掘り返したのだ。
年月なんてなくとも、無意識的に愛してもらうために。
「なんででごぜーますかね。ピーチファルナちゃんは甘い匂いを感じていたでごぜーます。バレたら効果を発揮しないのが『ハニートラップ』だから、甘い匂いを感じた時点でピーチファルナちゃんに無意識を埋め込むことはできないのでごぜーます。それって、ピーチファルナちゃんにとっての私は出会って数日のご令嬢でしかないということでごぜーますのに」
手を伸ばしてくれた。
ついて、来てくれた。
そこにどんな理由があったのかは分からない。だけど、少なくともピーチファルナの両親を殺すようなクソ野郎だと知らないから、というのはわかりきっているが。
「…………、」
無意識への干渉など、何らかの『超常的』対策が通用するならば魔法道具で対応できる。真相が明るみに出たとしても、かつて作り出し、今は封じている魔法道具を掘り返せば大抵の状況には対応できる。
だけど、それでは駄目なのだ。
なぜかピーチファルナは父親の力を受け継いでいる。本人も意識することなく自動展開されたあの力はありとあらゆる超常を無効化する力だ。道具とはいえ、動力源を魔力としている『超常的』力でもって理想を叶える魔法道具の一切はピーチファルナには通用しない。
バレたら、それまで。
『今』、どうしてこうも仲良くなれたのかはよく分からないが、どういった理由にせよ両親を殺したという事実が明るみになれば好意なんて簡単に憎悪に転ずる。
幸せを守り抜け。
全てに蓋をしろ。
ピーチファルナから全てを奪い去るようなクソ野郎に落ちてでも、欲しいと願ったのだから。特別だけは手放したりしないと『最初』に決意したのだから。
「ピーチファルナちゃん、大好きでごぜーます」
狂っている、のかもしれない。
あるいは人間とは違った生命体たる魔族にはこれが平常なのか。
何でもいい、この手に特別が掴めるならば。
どこまでも自分勝手で、どこまでも他者を傷つけることしかできなくて、どこまでも突き進んでしまう怪物は甘く、甘く笑みを広げていく。
その奥の奥に苦き痛みが走っていようとも、特別のためなら何でもできるのがレイ=レッドスプラッシュという怪物なのだろう。




