第十六話 好きを手に入れるためならば
その時。
生体情報ネットワーク『蠅の女王』からもたらされた殺人事件の容疑者の名前を聞き、領主の娘は口の端をつり上げていた。
「綻び、崩れて、つけ入る隙となれば僥倖。というか、そうなるよう手を出せばいいですわよね。そう、そうですわよ!! 好き勝手できるのもこれまで、ここから先はわらわが好き勝手する番ですわよ!!」
ーーー☆ーーー
「くふふ☆ 分かっていても、我慢できないことってあるでごぜーますね」
魔法攻撃をあれだけ浴びて、最後には胴体を剣で貫かれて、それでもレイ=レッドスプラッシュは立ち上がった。なぜ? そんなの決まっている。
ピーチファルナを守るために。
たったそれだけのためにレイ=レッドスプラッシュは『大きな』ものを手放した。
つまりは、
『犯罪者を庇ったり、助けたりする行為は「不浄汚染罪」に該当されます』
『不浄汚染罪』。
犯罪者を庇ったり、助けたりした者にその犯罪者と同等の罪を背負わせる法律。そう、今のピーチファルナを助ける行為は殺人罪を背負うことと同義なのだ。
レイ=レッドスプラッシュ、つまりはレッドスプラッシュ公爵令嬢が殺人罪を犯したと見なされた場合、失うモノは『大きい』。犯罪者に未来の王妃の座はふさわしくないと判断されて、第一王子との婚約関係は解消されるだろう。そうなった場合、『汚点』をレッドスプラッシュ公爵家がどう扱うかは予測しかできないが、少なくとも今までと同じにはならないだろう。
もしも『汚点』をそそぐために勘当にでもなれば、今までレッドスプラッシュ公爵令嬢という看板に怯えていた連中がこれ幸いと貪りにかかるだろう。レッドスプラッシュ公爵家に頭を押さえつけられてきた連中が憂さ晴らしに『好きにできる』血筋の人間を痛めつけようと考えることだって十分にあり得る。
失うモノは『大きい』。
ピーチファルナが想像するより、ずっとずっと。
「だめ、だよ。わたしはいいから、だから!!」
「もう遅いでごぜーますよ。それに……」
蠅の形をした『スレイブ』が羽を振動させて、声を作る。それがどれだけ『大きい』ものを奪うかなんて関係なく、ただただ機能に従う形で。
「何かを失うのが嫌だからと、そんな理由でピーチファルナちゃんを見殺しにできるわけないでごぜーますよ」
『検索、完了。対象レイ=レッドスプラッシュを「不浄汚染罪」により殺人犯と同列に扱います』
罪は確定した。
ゆえに生体情報ネットワーク『蠅の女王』はその情報を国中に広める。これまでと同じように、これからもずっと、機能的に犯罪者を裁くために。
ーーー☆ーーー
対応は早かった。
情報が出回った瞬間には一つの決定が下された。
第一王子とレッドスプラッシュ公爵令嬢の婚約の破棄が、である。
被害が大きくなる前に素早い対応も大事だろう。が、それは事実確認を怠ってもいいとイコールにはならない。そして、この国の上層部は『普段であれば』そこまで無能でもない。
であれば。
今、この瞬間、高速で事態が進行していく『理由』は、どこにある? 誰が手を出してこんな事態を後押ししているのだ?
ーーー☆ーーー
ゴッバァ!! と暴風が炸裂した。
レイ=レッドスプラッシュの腕の一振りで発生した暴風が治安維持部隊の人間どもを一人残らず薙ぎ払ったのだ。
「くふふ☆ 本当は徹底的に壊してやりたいほどだけど、そんな些事にかまけている場合でもないでごぜーます、か」
「レイさんっ! 怪我大丈夫なの!?」
「ん? ああ怪我でごぜーますね」
ピーチファルナの叫びを聞いて、ようやく思い出したといった風に剣で貫かれた風穴を撫でるレイ=レッドスプラッシュ。たったそれだけの動作で風穴は塞がり、魔法攻撃を浴びた背中の傷も消え去ってしまった。
焼き焦げて、引き千切れ、裂かれて、貫かれた漆黒のドレスがふわりと風に揺れる。真っ白な、傷一つない雪原のごとき肌が覗く。
「あれ、怪我が……いや治ったならそれでいいの! それより!! 『不浄汚染罪』って、わたしのせいでレイさんまで殺人犯の汚名を着せられちゃったじゃん!! どうにかしないと、違うって証明しないと!!」
「あいつらはとりあえず殺しておこうと判断したでごぜーます。こちらの話を素直に聞いてくれるとは思えないでごぜーますよ」
「でも! レイさんは公爵令嬢って立場があって、わたしなんかよりも『大きな』ものを持っていて!! わたしなんかのために、なんでここまでしてくれるの? 『大きな』ものを失ってしまうかもしれないのに、なんで!?」
「それなら単純でごぜーますよ」
甘い匂いを上回る鉄錆臭い香りが漂う。これまでと違い、甘い匂いが薄くなっていた……というよりも、いつのまにかピーチファルナが地面に落としていた小さな棒状の魔法道具『ハニートラップ』から甘い匂いは出ているようだ。件の道具がレイの手元にないため、甘い匂いの残り香が鉄錆臭い香りに塗り潰されていく。
レイ=レッドスプラッシュの匂いが近づく。ぎゅっと、抱きしめられたのだ。
耳元で。
匂いなんて関係ない、甘美な囁きが一つ。
「ピーチファルナちゃんが好きだからでごぜーますよ」
「しゅっ、しゅき!? にゃんっ、なんで、そんな、ええと!!」
「好きな人のためなら未来の王妃やら公爵令嬢という立場を投げ捨てたって構わないでごぜーますよ。好きを守るためならなんだってやる、女の子なら誰だってやるべき当然のことでごぜーますよ」
あわ、あわあわあわ、と真っ赤な顔で身をよじらせているピーチファルナを感じて、レイは蕩けるような笑みを広げていく。
他のものなんていらない。
この腕の中にある『好き』があればいい。
甘美な『好き』で頭の先から爪先まで埋め尽くして、『好き』だけを感じられたならば、それが幸せというものなのだから。




