秘書のクソダサセンスに関して。
異界語りラザーニャ・トマトスキーがお世話になりっぱなしの出版社、その編集室のドアをノックする寸前で動きを止めたのは、中から何やら不穏な気配を感じ取ったからだ。
不穏、とは言っても強盗集団に押し入られてそうとかそういった気配ではない。
ただ、何やら重苦しい空気を感じた。
それと、聞き覚えのある若い女が何かを言い募っているような声が聞こえてくる。
ラザーニャはひとまず息を潜めて耳と立てる、聞き覚えのある声はいつもだったらよく通るハキハキとした声をしているのに、今日に限ってはもごもごとした曖昧というか、迷いを感じるものだった。
あの人がこんな喋り方をするってどんな状況だろうか、とドアに耳をくっつけようとしたその瞬間、背後から声が。
「失礼」
「みゃ!!?」
ラザーニャはその場ですっ飛びつつ後ろに振り向く、そこには元の世界には一人もいなかった、冗談抜きで満天の星空のような色合いの肌のメイド服を着た少女が立っていた。
メイドはおしゃれなティーカップがいくつも乗った銀色のお盆を携えている。
ドアの中から聞こえる音が消えていた、気まずさを感じながらラザーニャはドアを数回ノックして、静かにドアを開けた。
その直後に、メイドに目を合わせる。
静々と礼をして中に入っていったメイドにこっそりと引っ付くように入室したラザーニャは、「ラザーニャです。原稿持ってきましたー」と囁くように呟いた。
一方メイドは静々と、しかしやけに俊敏な動きで室内にいたものにティーカップを配り、静々と去っていってしまった。
気まずさを感じながらラザーニャは室内の様子を伺う。
中にいたのは編集長とその部下が数名、珍しく編集長付きの秘書はいない。
それと、客人が三人。
確か編集長の兄である宝石商の跡取りと、その護衛達だ。
「ざ、ザーニャ先生、今日は随分とお早い……お早くないいつも通りだった……」
編集長が気まずそうな顔でそう言いつつ、壁時計をチラッと見て目を見開いた。
「え、ええ……何やらお取り込み中のようなので、手早く原稿を」
ドアに耳引っ付けて盗み聞きしようとしていた焦りと罪悪感からラザーニャもまごまごしつつカバンから原稿を取り出す。
そのタイミングで、編集長の兄が神妙な顔つきで口を開いた。
「ラザーニャ先生」
明るく快活な彼には似つかわしくない、いつになく真剣そうというか、普段が明るく愉快なにーちゃんという感じの青年の真顔に、ラザーニャはビビり散らした。
「な、なんでしょうか」
「ラザーニャ先生からもいってやってくれ、うちの妹に素直になれと」
「ちょ、兄様!?」
編集長が慌てふためきつつ立ち上がる、そんな彼女を彼はじとっとした目で見た。
「お前は黙っていろ。……オレなんかよりも、最近のお前の事は多分先生の方がよく見てる。だからいってやってくれ」
「ええと、その……何が何やら、よくわからないのですが……」
意味がわからず途方に暮れたラザーニャに、青年は神妙なままの顔で説明し始めた。
「なるほどなるほど。お兄様視点だと編集長は絶対に秘書さんのこと好きなのに、その秘書さんを次期王配に推しまくっているのが、その……」
「ああ、気に食わないんだ。好きなら好きでそういえばいい。それにあいつだってうちの妹のことが大好きだ。それなのに王配になんか……だから、何故あいつの想いに応えてやらないんだって、そういう話」
「あー……」
ラザーニャは青年の言葉に「それはまあそうだけど」と思いつつ、編集長の顔をチラッと見た。
不安げというか泣きそうというか、普段は滅多に見ない顔をしていた。
ラザーニャの視線に気付いた編集長はハッとして、表情をきりりと改めた。
「……わたしは秘書くんのこと、嫌いだとは思ってない。何年も前からの付き合いだし、彼がとても優秀で善良な人間であることも知っている。けれども、兄様が思っているような感情を彼に向けたことは一度もない」
「お前はまた……!!」
声を荒げた青年に編集長が目を吊り上げる、こんな兄妹喧嘩に付き合わされるのはごめんだと思ったラザーニャは編集長に助け舟を出すことにした。
「編集長。秘書さんにそういう想いを向けていない、というか、そういう関係になりたくないっていうのなら、多分一言ですみますよ」
「ザーニャ先生、それはどういう……」
雨上がり後に木の下を歩いていたら大粒の雫が頭に直撃してしまったような顔で編集長がそう聞いてくる。
ラザーニャはひょっとしたらそんな話はとっくに出ていたのかもしれない、と思いつつその一言を言ってやった。
「センスが悪いから、の一言で済ませりゃいいじゃないですか」
ラザーニャがそう言った直後、部屋の空気が凍りついた。
全員が何も言わず目をカッピラいて、信じがたいものを見るような目でラザーニャの顔を見てくる。
「え? 自分そんなおかしなこと言いましたか? あの人、すごくすごくセンスが悪いじゃないですか。ルックスも性格も完璧な美男子なのに……」
ラザーニャが知る編集長の秘書は、センスが悪いという一点のみが欠点の男だった。
欠点はそれだけと言っても過言ではないのに、それだけがとにかく壊滅的に駄目な青年、それが編集長の秘書である。
そんなこと、自分なんかよりもずっと彼と長く交流を持つ彼らは当然よく理解していることだろうに、何故そんな顔をされているのだろうか、とラザーニャは思った。
そんなことをラザーニャが思っていると、編集長の兄が酸っぱすぎる梅干しを三つくらい口の中に詰め込まれたみたいなしわっしわの顔で、こう言った。
「それは、それは言っちゃ駄目だろう…………!!」
魂から響いてくるような声色だったが、ラザーニャとしては何故そんな顔そんな声をされるのかよくわからない。
そこまでの禁句だったのだろうか、秘書のどうしようもないクソダサセンスのことを言及するのは、と。
ラザーニャが編集長の方を振り向くと彼女もまた青年と同じような顔をしている。
青年の護衛達や編集長の部下達もそれは同じだ。
やけに沈痛な、重々しい雰囲気にラザーニャは耐えかねて思わず叫ぶようにこう言った。
「だ、だって本当のことじゃないですか!」
「本当だから言っちゃ駄目なんだよ……!!」
悲痛な叫び声が返ってきた。
「あいつは、あいつは本当にいい奴なんだ。優秀だし、気がきくし、魔術が大得意だし、顔もいいし、優しいし、すごくすごくできる男なんだ……だから、だから……!!」
「……でも、あのセンスの悪さは致命的です。いくら顔が良くても優秀でも、あれなら千年、いえ、一万年の恋も冷めるでしょう」
どうにか冷静さを保ちながらラザーニャはどう訴えた。
青年はグッと押し黙る。
ラザーニャは最後の一押しをしてやることにした。
「自分が初めて取材旅行に行かせてもらった時……秘書さんが編集長にプレゼントを贈りたいからアドバイスを、これはどうだろうかって指さされたもの、なんだと思います? ……狐なんだか狸なんだかよくわからないヘンテコな置物ですよ。なんかゴテゴテっとしていて、ただでさえ目が痛くなるようなぐちゃぐちゃの配色なのに、その上謎にキランキランに輝いてるやつ」
編集長の兄とついでにその護衛達が「グウッ」と呻き声を上げた。
あの秘書なら冗談でもなんでもなくありそうな話だと思ったのだろう。
「自分、あの時どう言えばいいのかわけわかんなくなりましたからね。……秘書さんがこの世界でもセンスがおかしい方なのか、それとも異世界出身の私とこの世界の人達のセンスが大いにずれているのか、と」
「あんなのをこの世界の常識だとちょっとでも思わないでくれよ先生!!」
編集長の兄はわっと叫んで顔を覆ってその場でしゃがみ込んでしまった。
「マジで、マジであのセンスだけなんだ。あれさえなければ……というか、あれ以外が完璧だから、だからこそ……!!」
ぶつぶつぶつぶつ呟く青年に、ラザーニャはふと思い出したことと結構前から思いついていたことをそのまんま言ってしまった。
「そういえば秘書さんって自分がセンス悪い自覚自体はあるっぽいんですよね。ご実家というか家系的にそういうセンスだって。……それでふと思ったんですけど、秘書さんが王配になったとするじゃないですか、それでお世継ぎとかも生まれるとするじゃないですか……そうしたら、そのお世継ぎにもあのセンスが遺伝……」
「恐ろしいことを言わないでくれ!!!!」
編集長の兄のその声はもはや悲鳴と何一つ変わらなかった。
本当のことを言っただけなのに、とラザーニャは思ったが、もしもお世継ぎにあのセンスが遺伝してこの国にあのクソダサセンスなものが溢れかえったらそれはすごく嫌だな、とも思った。
「ざ、ザーニャ先生、なんて恐ろしいことを……」
編集長からのドン引きしているような言葉に、ラザーニャは少し首を傾げた。
「恐ろしいと言われても……というか、誰もそういう発想、というか危惧はしなかったんです? 自分は結構前からそう思ってたんですけど」
そうラザーニャが問いかけると、随分と長い沈黙の後、誰かが「無意識に考えないようにしてた」と呟いた。
「……あいつは、あいつは本当に本当にいい奴なんだ……だけど、あのセンスだけは……!!」
「兄様に完全に同意。彼はとても素晴らしい人、王配にふさわしい、こんなところにとどまっているべきではない人材。だからこそわたしは全力で彼のことを王配にする。……だけどあのセンスは……あれは、あれだけは、本当に……クッソダサい」
編集長が絞り出すような声でそう言った直後、ドアの方から物音が。
ドアがゆっくりと開かれる、ティーカップが一つだけ乗った銀色のお盆を携えた星空色のメイドの背後に、何やらショックを受けていそうな顔の秘書の姿が。
誰かが、というかラザーニャとメイド以外の全員が言葉にならない悲痛な呻き声を上げた。
そんな室内の人々の顔を見て、秘書は悲しげな顔で一礼した後、背を向けてどこかに行ってしまった。
「ちょ、まっ……!!」
編集長の兄がそう叫びきる前に編集長が勢いよく立ち上がって、部屋の外に駆け出していってしまった。
そのあとを編集長の兄が、護衛が、ついでに編集長の部下達が追っていき、最終的に残ったのはそういえば原稿を出しそびれていたラザーニャと、星空のメイドだけだった。
「これ、私が悪いんですかね?」
「さあ。けど、あの秘書のセンスがクソなのは事実ですから」
そう言うメイドに差し出されたティーカップを受け取って、ラザーニャは一口飲んだ。
元の世界では一度も飲んだことがない不思議な、それでいて上品な甘さを含んだ茶の味を堪能しつつ、編集長達はいつ頃戻ってくるんだろうかとラザーニャはぼんやりと思った。




