永介という主人公
「今日の最高気温は三十八度となっており、連日猛暑が続いています。こまめに水分を取り熱中症対策をしま……」
真夏某日。大量の蝉の合唱によって聞き取りにくいテレビの電源を勢いよく切った永介は、壊れたクーラーを睨みながらほんのり冷たい机に頬を乗せていた。
「うるせぇし、あちぃし、ここは地獄かぁ?」
ボロ扇風機なんて熱風を送るだけで意味がなく、ただでさえ腹の立つ暑さに加えて蝉の爆音サマーフェスによって遂に永介は限界に達した。
「ほんっとにうるせぇな! テメェらもっと遠くでメス呼べよ! なんで俺の家の庭でメス呼んでるわけ!? あてつけか!? カップル成立したら叩き潰してやるわ!!」
暑さのあまりセミにすら怒鳴るとは十七歳にもなって、なんて恥ずかしいことを。
だがしかし今日の暑さは耐えがたい。言ってしまえば常に体温三十八度の人間が全身に密着しているということだ。
そんな中、課題なんてものが進むわけもあるまい。
「夏休みの課題ってのは、なんでこんなにも憂鬱なんだろうか。えぇっと? エックスイコール……もうやってられん!」
「ちょっと永介、なに一人でブツブツ言ってんのよ。暑さで、ただでさえおかしい頭がさらにおかしくなったの? これで頭冷やしたら?」
「さすがは姉貴様! 口は悪いけどこのタイミングでのアイスは素晴らしすぎる! では早速、爽やかなバニラアイスを! これはまさに!! キンッキンに冷えてやがる!! うまい! 夏のアイスうまい!!」
こいつまた一人で喋ってるよと呆れた顔の姉貴様が、謎の封筒を投げてきた。
「これ、おじさんがあんたに渡せってさ。なんか頼み事があるらしいわよ。どーせ課題やらないんだから行ってきなさいよ」
おじさんとは永介の父親の兄で、両親が海外を飛び回っているためド田舎に姉貴様と二人で暮らしている永介の世話をしてくれている恩人だ。
そして『恐竜博物館』の館長でもある。
封筒を開けると中には五百円玉と紙が入っていて、紙には文が綴られていた。
「永介、明日午前十時に博物館に来い。その五百円は前金だ。わしの頼み事を聞いてくれたらその二倍は出してもいいぞ。おじさんより」
「二倍って千円じゃん……。でもなぁ、前金のせいでサボるの罪悪感あるし一応行ってみるか」
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次の日、永介はまず姉貴様の部屋をノックした。理由は実に単純。我が家の駐車場につい先日から車が止まっているのだ。姉貴様が免許取ったついでに買ったのだろうと、永介は姉貴様の部屋の扉を開けた。
「博物館まで車で送ってくんない?」
「え、ムリ」
「即答っ」
「うん。即答」
「お、送ってくれるだけでいいんだよ?」
「いやいや、免許持ってないけど?」
「なっ!!! じゃあ家の前の車は誰の!?」
「彼氏のだけど?」
彼女の家に自分の車を置いて帰る彼氏なんているのか?
彼女の家に自分の車を置いて歩いて帰ったのか?
ここはど田舎だし交通機関もほとんど無いのに。
アホなのか。
姉貴様の彼氏はアホなのか。
「どうせ帰宅部でろくに運動もしてないんだから、少しは運動しなさいよ。ほら、おじさん待ってるわよ」
車は諦めて、永介は前日のような猛暑の中を仕方なく歩き始めた。
「帰宅部の俺にはキツイって……」
博物館までは歩いて十五分くらいだが、なんたって暑い!
「日陰がない!」
もくもくと歩いていると野菜の無人販売所に置かれている自動販売機が目に入った。まさに砂漠のオアシス。
感激していると、永介はオアシス、もとい自動販売機と無人販売所に違和感を感じた。
「あそこってあんなに植物で生い茂ってたっけ?」
近づいてくほどに違和感は強まっていく。田舎だから自然は多いが、森の木とは明らかに違う植物が生えている。一枚一枚の葉が異常な大きさで、まるで博物館で見た大昔の植物のようだった。
「な、なんだ? 暑さで幻覚でも見てんのか?」
暑さで脳をやられたと思った矢先、謎の植物が自販機やら野菜の置かれたテーブルを貫通して生えている光景に目を擦った。しかし自販機やテーブルを貫通しているのにそれらが壊れている様子はない。
好奇心というものは厄介で、つい異様な現場に歩みを進めてしまう。
「ぬわっ!!!」
驚きのあまり思わず叫んだ口を急いで押さえる。しかし、自販機の目の前に背の高い樹木が突如、なんの前触れもなく現れたのだから叫んでしまうのも無理はないだろう。
しかも地面から生えてきたのではなく、幹や葉がそろった状態の樹木がいきなり現れたのだ。
「おいおい、まじで俺どうしちゃったんだよ! 熱中症? でも幻覚にしてはリアルすぎる気が……は?」
振り向くと、ど田舎だったはずの景色が『ジャングル』へと変貌していた。ちらほらと建つ家も、畑も田んぼも無くなっている。
「おいおいおい!!」
逃げようにも次々と緑に飲み込まれていく。熱いアスファルトが土に変わっていき、瞬く間に周囲が樹々に包まれ、まるで自分が別の場所にワープしてしまったのだと錯覚してしまう。
「ちょっと待ってくれよ、なにがどうなって」
信じられない現象に思わず尻餅をついてしまう。友人の家で体験したVRよりもリアルな光景に思考がまとまらない。
そしてふと右手に視線を向けると植物が貫通していた。
「うわぁぁ!!」
しかし右手に一切痛みはなかった。血が出るどころか傷もついていない。右手と貫通していたはずの植物を何度も見る。
永介はあることに気づいた。
「触れ……ない……なんでだ!? 確かにここにあるのに触れない!!」
何度掴もうとしても植物は手をすり抜けてしまう。
他の植物も同様、葉も幹もなにもかも触ることができない。
「あ、そうだ、地面はどうな……ん、だ……」
見た目は土だが、感触は間違いなくアスファルトだった。そして、そんな偽物の地面にくっきりと三本指の巨大な足跡が付いていることに気がついた。
熊とか猪でもなければ、巨人の足でもない。
「恐竜の、足跡……か?」
ギャャアァオオァアァアア!!!!!
「っ!!」
突然の轟音に耳を塞いだ。轟音はジャングルに響き渡り、恐怖と緊張で心臓が激しく鼓動する。目線の先には巨大な足跡がある。永介は恐怖で押し潰されそうになった。
まさか! まさか! まさか! まさか! まさか!
ありえない! 現実にこんなことが起きるはずがない!
恐怖で最悪の想像をしてしまうが、周囲に何かがいる気配はない。
ギャァァォオオオオオ!!!!!
消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!!
耳を必死に抑えながら念じていると植物が一瞬、崩れた。
荒い画像のような、テレビの砂嵐のようなノイズが次第にあちこちに現れ始める。何が起きているのかはさっぱりだが、ただひたすらに消えろと念じ続けた。
突如現れたジャングルは念が通じたのかじわじわと消え始め、やがて元通りの田舎の景色へと戻っていく。見慣れたいつもの景色が広がり、自動販売機や野菜販売所に植物が生えていた痕跡も無くなっていた。
「……」
まだ鳥肌が立ってバクバクと心臓が鼓動している。
それにすごく下半身が温かい。
仕方がない。いきなり非現実的な連続で心を取り乱してしまったのだから。
そう、仕方がないんだ。
「あぁ……しばらく動けそうにねぇや……」
永介十七歳。失禁という現実に呆然と真夏の青空を眺めていた。




