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きみと描く、英雄の詩  作者: 寛喜堂秀介


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04 そして二人は昔を語る



 どしゃぶりの中、パジャマで帰らせるのもどうかと思い、その日は久遠を母の寝室に泊めた。


 翌日は土曜日。

 半休なので、久遠と相談して休むことにする。


 正直、いまの久遠が学校に行っても大惨事しかならない。

 だったら、土日かけて体を操る練習をしがてら、今後のことを考えたほうがいい。



「さあ、まずは、どうしようか」



 リビングで体を動かしながら、久遠が尋ねてくる。

 足踏みしながら両手を前後左右に動かしつつ、無表情でぐーぱーを繰り返す様は、ひどくシュールだ。


 一応、体を操る練習だ。

 そのため、久遠は一度家に戻って体操服を着てきた。

 6月だが気温はすこし肌寒い。なのでリビングは朝から暖房を効かせている。

 部屋の中は暑いので、ジャージは無しだ。そしてうまく装着できなかったのか、久遠はブラジャーをつけていない。つまり揺れている。足踏みするたび揺れている。思わぬ破壊力だ。


 まずい。

 いまさら暖房消そうかとか言えないし、下着つけてやろうかなんて言えるわけがない。どこの変質者だ。滝口家だ。俺だ。申し訳ありません。



「……刹那?」


「――っと、すまん。生の実感と言われても、難しいもんだな」



 涅槃へと旅立っていた思考を復活させて、首をひねる。



「刹那が生の実感を感じたのは、どんな時だ?」


「あー……たとえば、すっげーハードな練習してぶるぶるに汗をかいて、そのあと熱いシャワーを浴びた時とか」


「ふむ。シャワーか……実感がないせいか、昨日風呂に入ったときは、いまいち熱さが感じられなかったのだが、もっと熱いシャワーを試すのもいいかもしれないな」



 手足を動かしながら、久遠はうなずく。

 体の操作に慣れてきたのか、昨日よりはスムーズな動きだ。そして胸には躍動感があふれている。



「なんかお年寄りみたいだな……ほかには、そんな感じで汗を流した後、冷たい飲み物を飲んだ時とか」


「なるほど。試してみたいな」


「あとは……こう、対戦相手と真剣勝負でおたがい際限なく高まり合ってく状態のときとか」


「気のせいか、特定の相手をイメージしていないか?」



 まあ、ミキ丸との対戦をイメージしてたけど。



「試してみるのもいいが、いまの状態ではまだ無理な気がするな」


「そうだな。久遠は格闘技素人だし、無理というか、危険だろうな」



 格闘技なんて真似るな危険の最たるものだ。

 久遠は格闘技素人だし、運動が得意ってわけでもない。

 そのうえ体の操作すらぎこちないのだ。高確率で事故が起こってしまう。



「まあ、格闘じゃなくてもいい。刹那の主張をまとめると、激しい運動――真剣勝負でおたがい際限なく高まり合うような行為で汗をかいて、熱いシャワーで汗を流し、その後冷たい飲み物を呑む。その瞬間こそ生きているという実感を味わえるかもしれないと」


「言い方ぁ! なんかすっげーいかがわしい行為に聞こえるんだけど!?」


「いかがわしい? ……なるほど、その手があったか」



 なんで乗り気なんですか久遠さん!?



「あったかじゃない!」


「戦いと、本質的には似たようなものだろう。いや、むしろ三大欲求に数えられる性欲を満たすことができれば、より生きている実感を覚えられるかもしれない」


「言っとくけどつき合わないからな! 男にだって大事にしたいシチュエーションてのはあるんだからな? あとお前が手軽に男を調達しようとしたら怒るし止めるからな? 親父さん泣くぞ!」


「……むう。手軽に実現できると思ったのだが、案外難しいものだな」



 運動を続けながら、久遠はどこか不満げにつぶやいた。

 額に汗がにじんできている。息も荒くなっているが、まったくつらそうに見えないのは、実感がないからか。



「だが、わかってきたな。生きていると強く実感するには、逆に死に向かわねばならないらしい」


「ん? どういうことだ?」


「つまり、水を呑む、というのは生命を維持するためには、もっとも重要なことだ。まさに生きるための行為と言っていい。だが、人は日常的に水分を摂取する。当たり前のように毎日水を呑む。慣れてしまうからこそ、水を呑む行為になんの感慨も抱かない」


「ああ、そういうことか。なるほど、だからあえて……」


「一度逆を行く必要があるのだ。水を呑まない。汗をかいて体内の水分を吐きだす。生命維持に必要な水を欠乏状態に陥れる。ベクトルを死に向ける。それでこそ、コップ一杯の水に、生の実感がこもる」



 生を実感するには、一度死に近づく。

 思えば格闘技も、生と死の交錯だ。久遠の言説は的を射ている。



「だけど、そのやり方、確実に体に悪いよな。三大欲求で例えると、限界まで食事を抜いてから食べたり、限界まで起き続けてから寝たりするんだろ?」


「あとは限界まで我慢してから性交したりかな?」


「あえて言わなかったのに!?」


「しかし性欲を我慢することが、一番体に負担をかけずにすむ気がするのだがな」


「だからそういうのダメって言ってるでしょ!? あと性欲を我慢するってかなりつらいからね? 女は知らないけど男にとってはむっちゃつらいからね!」


「刹那まで我慢する必要はない。ボクだけ我慢するから」


「やらないしさせないって言ってるだろ!」


「まあ、今はその手の欲求もまったくない。ひょっとして無駄な努力になるのかもしれないが、一応我慢だけはしておくとしよう」



 以前はあったんですか久遠さん!?

 激しく気になるが、ここで突っ込むとろくなことにならない気がするので、スルーだ。



「……ところで刹那」


「なんだよ久遠」


「運動のしすぎのせいか、乳房のつけ根が痛くなってきたのだが」


「ブラジャーしなさい」



 原因は明白だったので、俺は即座に突っ込んだ。







 午前中いっぱいを体操に費やした久遠は、さっそくとばかり、シャワーを浴びに行った。

 なぜ当り前のように俺の家のシャワーをつかうのかはわからないが、まあよしとしておこう。

 毎食の飯を俺が用意するのも、いまの久遠の危なっかしい状態で包丁を持たせるわけにはいかないので、仕方ない。食費や諸々の経費は色をつけて払ってくれるというから、小遣い稼ぎだと思うことにしよう。



「刹那」



 考えていると、久遠が風呂から上がって来た。


 汗を流してさっぱりとした様子だ。

 あんまり揺れてない。ちゃんと下着をつけられたのだろう。

 訓練の甲斐あって、歩く姿もかなりスムーズになっている。表情のぎこちなさをどうにかするのが、これからの課題だ。



「久遠、どうだった?」


「やはり実感に乏しかったが……悪くなかった」


「透けるほど汗かいて、その後シャワーを浴びた感想が悪くない、か」


「まあ、実感がないのは仕方ない。それよりまずは水分補給だ」


「おう。冷たい水だ。飲め飲め」



 冷えた水を、あらかじめ冷やしておいたコップに注ぐ。

 久遠は感触をたしかめるようにひと口、また一口と水を飲み。それから一気に飲み干した。



「……ふう」


「どうだ?」


「悪くないな」



 心なしか心地よさげに、久遠は答える。



「――だが足りない。ただ、方向性としてはこれで正しいと思う」


「つまりはもっと過激にやらなきゃいダメだってことか」


「そうだな。もっと死に近づかないと、満足できるほどの生を実感できないようだ……つまり」



 久遠が一息ついて、それから口を開く。

 いやな予感がして、俺は急いでくぎを刺した。



「また性欲を満たそうとかいうなよ」「ボクにとっての“死”に、迫る必要が――どうした、刹那?」



 久遠が真面目に言ってるのに明後日方向の釘刺しをやってしまい、軽く死にたくなった。

 はい。ごめんなさい。でも普段の言動って大事だと思うんですよ。



「大丈夫……すまん。お前にとっての“死”?」


「ああ。ボクにとっての“死”。ボクを死に追いやった人間と相対することができれば、なにか変わるかもしれない」



 久遠は言う。

 だが、俺はとてもじゃないが同意できない。



「おまえ、相手は殺人鬼なんだぞ? しかも、おそらくはニュースになってる連続猟奇殺人犯だ。お前が武道もなにもやってないっつったって、相手に気づかれずに背後から襲って、一撃で殺せる化物だ」


「刹那でも無理か?」


「相手は武器を持ってるからな。たぶんバグナクかそれに類する――獣の爪を模した武器だ。格闘技やってるったって素人じゃ絶対に対処できない」


「そうか……刹那なら、なんとかしてくれると思っていたのだが」


「勘弁してくれ。なんでそこまで信頼してくれんのか知らねえけど、俺はただの人間だよ。人殺しと戦う勇気なんてない」


「違う」



 俺の言葉を、久遠はなぜか、強く否定した。



「なぜ、そこまで自分を卑下しているのかはわからないが、刹那に勇気がないなんてことはない。大きな犬からも、怖い先輩からも、暴走車からだって、刹那は身を呈して守ってくれたじゃないか」


「昔の話だよ」


「違う」


「違わない。お前が今の俺を知らないだけだ」


「知らないなんてことはない。遠州久遠はずっとキミを見ていた」



 久遠のその言葉は、自分でも意外なほど勘に障った。



「見ていた? ならわからないはずないだろ! 必死で鍛えた! 死ぬ気で戦った! でも俺はミキ丸には勝てなかった! 逆立ちしても勝てないと思い知っちまった! ヒーローなんてものには、俺はなれないんだよ!」



 言って後悔する。

 かっとなって情けない本音を伝えてしまった。


 でも、本当だ。

 俺はヒーローにはなれない。

 本物を、知ってしまったんだから。



「それでも」



 久遠はまっすぐに視線を向けてくる。



「それでも、たった一人。遠州久遠にとっては、キミこそが唯一のヒーローだ」



 言葉に熱はない。

 だけど、当り前のように語る久遠の言葉に、心をかき乱される。



「……なんでだよ。もう何年も面倒見てない。助けてない。遊んでも居ないし世間話すらほとんどしない。そんな奴のことを、なんで信じられるんだよ……」


「……待っていてくれ」



 久遠は席を立つと、部屋を出ていった。

 玄関を開いて出ていく音。それからしばらくして、久遠は戻って来た。手には黒い装丁の帳面。


 見覚えがある。

 久遠が中二病のころに、肌身離さず持っていたものだ。



「おまえ、それまだ持ってたのか?」


「二十冊目だ。まあ読んでくれ」


「お、おい、いいのかよ。なんというか、黒歴史ノート的なあれだろ?」



 言いながら、帳面を開く。

 厚い帳面にはびっしりと文字が書かれている。

 呪文……じゃない。小説だ。しかも……これは……



「中学生のころから、小説を書いていた。自分の想像を、お話にしていた。想像の世界で楽しんでいた。その主人公は、決まって……キミだった」


「おい、まじか。まじかよ……」



 帳面を読みながら、呪文のようにつぶやく。

 場所は異世界で、久遠を投影したっぽいお姫様が居て、俺は久遠を守るべく召喚された勇者で……


 死ぬほど恥ずかしい。

 恥ずかしいし、むちゃくちゃ居たたまれない。

 でも泣きたくなるほどに――うれしい。



「……お前には、嫌われてると思ってた」


「嫌ったことなどない。憧れていたから。釣り合わないと思ったから、物語の世界に逃げたのだ……と、思う」


「思う?」


「記憶はあるんだ。だけど、心の部分が、想いの部分が、いまのボクにはない。かつてのボクがどう思っていたのか、本当のところはよくわからない。キミに対する憧れは、文字として記した記憶があるから明確なのだが」


「……そうか」



 あらためて思い知る。

 遠州久遠は。幼馴染のあの子は、もう居ないのだと。

 もう一度会いたい。もう一度話してみたい。でも、それはもう二度と叶わない。


 未練がある。悔いが残る。

 だけどそれ以上に――心が、熱くなってくる。


 こんな俺に、憧れてくれる人間がいた。

 こんな俺を、頼ってくれた人間がいる。

 俺がヒーローだと、信じてくれる人間が、まだいる。

 そのことが、どうしようもなく心を震わせて……熱くなった目元を、手のひらで覆い隠す。



「刹那?」


「ありがとう。なんでもない」



 ありがとうの言葉に、様々な感情を込めて、俺は微笑む。



「でもよ、ちょっと頼みがあるんだ」


「頼み?」


「ああ、昨日、俺に言っただろ? 助けてくれって。あれを、もう一度言って欲しいんだ」



 久遠は、不思議そうに首を傾ける。



「ただの自己満足だがな……昨日の俺は、お前のヒーローとしちゃ少々かっこ悪かったからな。もう一度やり直させてくれ」



 ささやかな手助けくらいなら、とか、これくらいなら脇役でも、とか、本当に格好悪い。



「刹那。あらためて頼む。ボクを……助けてくれないか」


「ああ」



 久遠の言葉に、俺は強く、うなずく。



「――俺がお前を助けてやる……約束するぞ、久遠」



 迷いのない宣言に、久遠はぎこちなく微笑む。

 その笑みは、昨晩よりずっと――奇麗だった。



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