第13話 スプーン勇者、なんか分かってしまう
来る。
そう思った瞬間、森の空気が一気に引き絞られた。
風はないはずなのに、周囲の葉がざわりと揺れ、足元の土がわずかに浮き上がる。見えない何かが、一点に向かって集まっているのがわかる。
――あれだ。
さっきまでとは違う。
いや、同じだ。ただ、見え方が変わった。
全部じゃない。
あれは“全部”じゃない。
力の、中心。
「……そこだろ」
小さく呟きながら、スプーンを握り直す。手のひらに滲んだ汗が、やけに冷たく感じた。
次の瞬間、圧が解き放たれる。
空気の塊が一直線に叩きつけられるように迫ってくる。速い。重い。さっきまでなら、まともに受けていたら押し潰されていた。
「健太!」
カイルの声が飛ぶ。
だが、もう迷わない。
振る。
カンッ、と軽い音が鳴った。
――その瞬間、何かが消えた。
衝撃が、来ない。
腕に残るはずの重さがなく、ただ風だけが抜けていく。頬をかすめた空気が、そのまま後方へ流れていった。
「……あ?」
思わず声が漏れる。
今のは、なんだ。
いや、わかっている。
全部を消したわけじゃない。
“そこだけ”だ。
「……芯、か?」
言葉にした瞬間、妙にしっくりきた。
あいつの攻撃は、ただ力を集めているだけ。なら、その中心――力が成立している一点さえ崩せばいい。
全部を消す必要なんて、最初からなかった。
「……面白い」
魔族がわずかに口元を歪める。
「理解したか」
「したくなかったけどな!!!」
思わず叫ぶ。
いやほんと、こんな理屈理解したくなかった。
だが、体はもう迷わない。
次の攻撃が来るのがわかる。
今度は一つじゃない。
空気がいくつも歪み、同時に収束していく。見えない塊が、複数。
「うわ、増やすな増やすな!!!」
叫びながらも、視線は逸らさない。
さっきまでとは違う。
どこにあるか、わかる。
「そこ!」
振る。
カンッ。
一つ、消える。
「こっち!」
もう一つ。
残らない。
押されない。
ただ風が通り抜けるだけ。
「え、ちょっと待て軽い軽い軽い!!!」
さっきまでの苦労なんだったんだよ!!!
腕に残るはずの衝撃がない。
ただ、軽く振っただけの感触しか残らない。
「効率が上がったな」
「言い方腹立つ!!!」
でも否定できないのが悔しい。
魔族が一歩踏み込む。
距離が一気に縮まり、圧が増す。空気がまた収束する――今までで一番、密度の高い塊が生まれる。
だが。
「……そこだ」
今度は迷わない。
振る。
カンッ。
音は、やけに軽かった。
その瞬間、圧がほどける。凝縮されていた空気が解け、ただの風となって頬を撫でていく。
「……マジかよ」
自分でやっておいて、引く。
さっきまで押されていたのが嘘みたいだ。
「……なるほど」
魔族が小さく息を吐く。
その視線が、俺ではなくスプーンへ向けられる。
「理解すれば、ここまで変わるか」
「だからなんなんだよそれ!!!」
説明してくれ!!!
でも、もう体は止まらない。
「来いよ」
思わず口に出して、すぐ後悔する。
「いや、自分で言うな!!!」
セルフツッコミが出るあたり、余裕が出てきている証拠だ。
次の瞬間、魔族が踏み込む。
速い。だが――もう見失わない。
「そこ!」
カンッ。
「次!」
カンッ。
連続で、すべて消す。
残らない。押されない。
ただ風だけが通り抜けていく。
「ちょっと待てマジで何これ!!!」
さっきまでボコられてたのに!!!
魔族が、止まった。
初めて完全に動きを止め、こちらを見据える。
「……なるほど」
静かな声。
「対処可能だが、極めて面倒だ」
「褒めてるのかそれ!?」
どっちだよ!!!
魔族はそれ以上踏み込まない。
一歩下がり、距離を取る。
「今回はここまでにする」
「は?」
間抜けな声が出る。
「観察は十分だ」
「観察ってなんだよ!!!」
戦いじゃねぇのかよ!!!
「次は対策を用意する」
「来る前提やめろ!!!」
さらっと言うな!!!
魔族はそれ以上何も言わず、背を向けた。
そしてそのまま、音もなく森の奥へ消えていく。葉の揺れる気配すら残らない。
しばらく、その場に静寂だけが残った。
「……は?」
ぽつりと声が漏れる。
終わった?
マジで?
「……え、帰ったの?」
誰に聞くでもなく呟く。
「……健太様」
後ろからカイルの声。
振り返ると、顔が完全に引きつっていた。
「今の、なんだったんですか……?」
「俺が聞きてぇよ!!!」
全力で叫ぶ。
ほんとに!!!
意味わからん!!!
視線を落とす。
手の中のスプーンが、静かに光を返している。
「……いやほんと」
ぽつりと呟く。
「なんでスプーンなんだよ……」




