第34話 全部うちで
ギルドに特別な依頼が入った。
ノヴァ・セレーネからレグルスへのVIP引っ越し。
依頼主はノヴァ・セレーネの宝石商、フリーダ・ヘルツォーク夫人。60代。上品。ヘルムート夫妻の紹介だ。
「夫が亡くなりまして。ノヴァ・セレーネの家を引き払って、レグルスの娘のところに移ることにしたんです」
引っ越し。家財一式。そして。
「この船だけは、傷一つつけないで運んでいただきたいの」
フリーダ夫人が指差した先に、小さな船が停泊していた。全長15メートルほどの個人用クルーザー。古いが手入れが行き届いている。船体は深い藍色で、側面に小さな金の紋章が入っていた。
「亡くなった夫が最初に買った船なんです。思い出の船。これだけは、他人に任せたくない」
声が少し震えていた。
報酬は80000クレド。引っ越し全量の輸送、護衛込み。大きな仕事だ。
だが、問題がある。
いつもの問題だ。
* * *
「リーネ、計算してくれ。家財の総量と個人船、全部合わせて何トンだ」
「家財が推定で120トン。個人船がドライウェイトで40トン。合計160トン」
160トン。
メーディアの総積載は500トン。装飾で200トン食われてる。客室設備や食堂、衣装部屋で残りもかなり圧迫されている。自由に使えるカーゴは100トンあるかないか。
160トンは、物理的に無理だ。
「ガルドのとこは」
「何回聞いても同じだぞ。弾薬で埋まってる」
「リーネは」
「センサーで埋まってるわ」
クソバカ3人、そろいもそろって改善する気がないようだ。
ずっこけ3隻組の積載力。合計しても160トンの余裕なんてない。
* * *
フリーダ夫人に正直に伝えた。
「夫人。申し訳ありませんが、うちの船だけでは全量の輸送が難しい状況です」
「あら……」
がっかりした顔をされた。ヘルムート夫妻から「素晴らしい船だ」と聞いて、期待してきたのだろう。
「家財の一部と、夫人ご自身の輸送はうちでお受けします。ですが、個人船と大型家財については、別の輸送団と併用させていただくことになります」
「別の輸送団……」
フリーダ夫人の声が小さくなった。
「あの船は、他の方に任せるということですか」
そうだ。思い出の船を、会ったこともない輸送団に預ける。それがどういう意味か、分かっている。
「信頼できる輸送団を手配します。こちらで選定して、作業も監督します。ただ、うちの船に物理的に入らないんです」
「……分かりました。お任せします」
納得はしてくれた。だが、表情が晴れない。
せめて、大事なものだけはうちで運ぶ。
「夫人。個人船は輸送団に任せますが、一番大切な荷物はうちに積んでください。思い出の品、壊れやすいもの、替えがきかないもの。全部うちで運びます」
「……ありがとう。そうさせていただくわ」
少しだけ表情が緩んだ。だが、完全には晴れない。あの藍色の船のことが気になっているのだろう。
* * *
輸送団を手配した。レグルスの中堅どころで、評判は悪くない。ハンスの二の舞はごめんだ。ヴェルナーに事前に確認したら「まともな業者です」とお墨付きをくれた。
出航日。メーディアにはフリーダ夫人と、彼女が選んだ「大切な荷物」が積まれた。
写真立て。食器セット。夫の書斎にあった本棚の一部。小さな宝石箱。どれも金銭的な価値ではなく、思い出の品ばかりだ。
ロボが丁寧に梱包し、振動が伝わらないようにカーゴの中央に固定した。ロボの緩衝材の使い方は完璧だ。こういう時だけはこいつらの几帳面さが頼もしい。
別動の輸送団は、個人船と大型家財を積んで、同じ航路を並走する形だ。
航行中。
フリーダ夫人が何度も窓の外を見ていた。並走する輸送団の船を目で追っている。
「あの船、ちゃんと運んでくれるかしら」
「大丈夫ですよ。評判のいい業者を選んでます」
「ええ、分かってるの。分かってるんだけど……」
気になるのだ。自分の手元にないものが。
もしメーディアだけで全部運べていたら、この不安は生まれなかった。全部が同じ船の中にあれば、窓の外を何度も見なくて済んだ。
俺は何も言えなかった。「うちの積載が足りなくてすみません」は事実だが、言っても夫人の不安は消えない。
食事の時間。ロボの配膳。0.3秒の静止。ソースは飛ばない。マルタ夫人に教わった視線の使い方で、フリーダ夫人の紅茶のタイミングを見計らう。
2秒前。まだ完璧じゃないが、前よりマシだ。
「美味しいお紅茶ね。この船、素敵だわ」
「ありがとうございます」
「ヘルムートさんの奥様が絶賛するだけのことはあるわ。……全部ここで運べたら、完璧だったのにね」
完璧だったのに。
また「もったいない」だ。違う言い方だが、意味は同じ。この船は素晴らしい。だが、何かが足りない。
* * *
レグルス到着。
メーディアの荷物は無事に降ろした。写真立ても食器も宝石箱も、傷一つない。ロボの梱包が完璧だった。
輸送団も到着した。大型家財を降ろしている。
そして、個人船。
藍色のクルーザーがドッキングベイに降ろされた。
フリーダ夫人が駆け寄った。船体を確認している。両手で撫でるように。
……止まった。
「ここ」
船体の左舷。藍色の塗装に、浅い擦り傷が1本。10センチほど。塗装が剥げて、下地の金属が見えている。
致命的な傷ではない。機能にも影響しない。だが。
「…………」
フリーダ夫人が黙った。
怒っているのではない。悲しんでいる。亡くなった夫の思い出の船に、傷がついた。
輸送団の作業員が慌てて確認しに来た。
「申し訳ございません。固定時の接触かと……補修いたします」
「いいのよ。直せるものは直してちょうだい」
穏やかに言った。だが、目が少し赤かった。
俺はそれを見ていた。
あの傷は、うちで運べていたらつかなかった。ロボの固定は完璧だ。緩衝材の使い方も、振動の吸収も。あのクルーザーがメーディアのカーゴにいたら、傷一つつかなかった。
だが、積めなかった。
500トンの積載。200トンが装飾。残りの大半が客室設備。自由に使えるカーゴは100トン足らず。
この船は、誰かの大切なものを全部守りきれない。
フリーダ夫人が帰り際に言った。
「ケイトさん。あなたの船で運んでもらった荷物は、全部無事でした。本当にありがとう」
「……申し訳ありませんでした。全部うちで運べれば良かったんですが」
「いいのよ。あなたのせいじゃないわ」
チップは出た。だが、夫人の目の奥に「全部任せたかった」という気持ちが残っているのが見えた。
報酬80000クレド。チップ15000。合計95000。
悪くない。悪くないが、後味が悪かった。
* * *
帰還後。レグルスのカフェ。いつもの店。いつもの席。
ヴェルナーがコーヒーを頼み、俺が紅茶を頼む。もう何回目だろう。
「中間報告です」
ヴェルナーが切り出した。単刀直入。いつも通りだ。
「ゼルヴァの傭兵募集に、改めて応じる形で接触しました。内部の人間、末端の管理職クラスと会っています」
「顔を合わせたのか」
「ええ。2回ほど。採用面談、という名目で」
採用面談。ヴェルナーほどの腕の傭兵が面談を受ける。向こうは喜んだだろう。
「で、何が分かった」
「まず、組織の規模が予想より大きい。傭兵だけで12人に増えています。自前の船も6隻。合計18隻」
18隻。赤牙のカリスト方面艦隊が12隻だった。それを超えている。
「次に、金の出所。表向きはゼルヴァの運送事業の利益ですが、帳簿を見る限り、運送だけではこの規模の人件費と装備費は賄えない。どこかから外部資金が入っている」
「外部資金?」
「出資者がいるということです。それが誰なのかは、末端の管理職レベルでは分からない。『上の判断』としか言われない」
上の判断。組織のトップ。名前も顔も出てこない人物。
「その『上』の正体は」
「分かりません。かなり慎重な人間です。末端の傭兵はおろか、管理職にすら正体を明かしていない。指示はすべて暗号通信で、声も変換されている」
声も変換。徹底している。相当用心深い人間だ。簡単には尻尾を出さないタイプ。
* * *
「もう1つ、気になる情報があります」
ヴェルナーのコーヒーカップが、テーブルの上で静かに回された。
「ゼルヴァの内部で、ノヴァ・セレーネ方面の航路データが共有されていました。定期便の運航スケジュール、護衛の編成、寄港地の情報。かなり詳細なデータです」
「……それ、うちの航路じゃないか」
「はい。あなた方の定期便の情報が含まれている可能性が高い」
カフェの空気が変わった気がした。周囲は何も変わっていない。客がコーヒーを飲み、店員が皿を拭いている。だが、俺の中の温度が下がった。
「監視されてるってことか」
「監視、とまでは断言できません。航路データの収集は、宙賊にとって基本的な下準備です。ただ、あなた方のデータが含まれていたということは、少なくとも関心の対象にはなっている」
関心の対象。こいつが光って航路を飛んでいれば、目立つ。目立てば、調べられる。プリンセス・オーラの弊害がこんな形で来るとは。
「今すぐ攻撃されるわけじゃないんだろ?」
「現時点では、ゼルヴァはまだ組織の拡大フェーズです。稼ぎたいのは資金であって、戦争ではない。ただ……」
「ただ?」
「組織が十分に大きくなった時、最初のターゲットとして選ばれる可能性は、ゼロではありません」
最初のターゲット。
赤牙を壊滅させたのは俺たちだ。もしゼルヴァの裏にいるのが赤牙のリーダーなら、復讐の対象として合理的だ。
「……分かった。ありがとう、ヴェルナー。引き続き頼む」
「了解しました。無理はしませんので、ご安心ください」
「合理的な無理はするんだろ」
「ご理解いただけて嬉しいです」
微笑んでコーヒーを飲み干した。この男は本当に、危険な話をする時ほど穏やかになる。
* * *
メーディアに戻って、リーネに共有した。
「18隻。そしてうちの航路データが共有されてる、ね」
リーネが眼鏡を押し上げた。考えている顔だ。
「今すぐどうこうはない。だが、警戒レベルは上げるわ。定期便の航路パターンに変化をつける。毎回同じルートを通らないようにする」
「効果あるのか」
「待ち伏せのリスクが減る。航路が読まれてるなら、読ませないようにするしかない」
ガルドに報告した。
「18隻か。殴りに行くか」
「毎回それだな」
「毎回正しいだろ。先に殴ったほうが勝つ」
「確証がないうちは動けないって何回言えば分かるんだ」
「分かってる。分かってるけど、言いたい」
ガルドの「殴りに行くか」は半分本気で半分冗談だ。分かってるのに言うのは、こいつの性分だ。
* * *
夜。メーディアの艦橋。
シャンデリアの光を見上げる。
今日、2つのことが起きた。
1つ。フリーダ夫人の引っ越し。積載が足りなくて、大切な船を他人に任せた。結果、擦り傷がついた。うちで全部運べていたら、あの傷はつかなかった。
2つ。ヴェルナーの報告。ゼルヴァが18隻まで膨れ上がっている。うちの航路データが共有されている。まだ安全だが、いつまで安全かは分からない。
積載が足りない。
客室係がいない。
宙賊の影がちらつく。
問題が増えていく。1つ解決する前に、次が来る。
だが、止まるわけにはいかない。
明日も定期便がある。客が来る。荷物を積む。こいつで光って飛ぶ。
問題があるなら、飛びながら考える。
いつも通り。
……ただ、フリーダ夫人の目が、まだ頭に残っている。
「全部任せたかった」という目。
そろそろ考えないと、いよいよかもしれないな。




