表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光と影が交わる一点  作者: 柳瀬 鯨
贖罪
99/103

第九九話 ただの一体

午後の訓練は、朝よりさらに厳しかった。


疲労が残った脚。


氷で崩れる足場。


そこへ影狼。


一度限界を越えた身体に、さらに重ねるような内容だった。


若い騎士たちは開始前から顔色が悪い。


「まだやるのか……」


「午前で終わりじゃないのか」


「英雄って人を休ませないのか」


ユウは淡々としていた。


「戦場に午前午後はない」


反論できない。


影が広がる。


今度は十体。


だが朝と違う。


ユウが言った。


「今日は逃げるだけじゃない」


その一言で空気が変わる。


「一体だけ落とせ」


騎士たちが顔を上げる。


「倒すんですか?」


「一体でいい」


レオンが補足する。


「欲張るな。崩れる」


アレンは木剣を肩に乗せたまま笑った。


「一体落とせたら今日は十分だ」


十分と言う基準が高すぎる。


開始。


影狼が走る。


一斉ではない。


間を置いて来る。


選ばせるためだ。


誰を狙うか。


どこで受けるか。


若い騎士たちは昨日までの癖で逃げる。


だが今日は違う。


逃げるだけでは終わらない。


一人が剣を出す。


弾かれる。


脱落。


二人目、槍を突く。


浅い。


届かない。


脱落。


「浅い」


ユウが即座に言う。


「刺す前に怖がるな」


マーニは走りながら見ていた。


影狼一体。


右から来る。


昨日までなら流す。


今日は止める。


槍を握る。


肩に力を入れない。


レオンの言葉。


真似は一つ。


力で止めるな。


流せ。


狼が飛ぶ。


真正面。


突かない。


半歩ずらす。


槍を寝かせる。


狼の前脚が乗る。


重心がずれる。


その瞬間。


柄尻を押し込む。


軌道が崩れる。


横へ落ちる。


そこへ一歩。


今度こそ突く。


喉元。


影が裂けた。


一体が散る。


静寂。


一瞬だけ誰も理解しない。


次に一斉に声が上がる。


「……倒した!」


「今、一体!」


「マーニがやった!」


マーニ自身が一番遅れて理解する。


手にまだ感触が残る。


刺した。


届いた。


ユウがわずかに目を細める。


「今のはいい」


短い。


だが確かな評価だった。


アレンも笑う。


「初撃で一体なら十分だ」


レオンが続ける。


「無駄が減った」


胸の奥が熱くなる。


たった一体。


それだけなのに、昨日までとはまるで違う。


影狼一体。


だが確かに届いた。


後方で若い騎士たちがざわつく。


視線が変わる。


昨日まで先頭で走らされるだけだった男が、初めて結果を出した。


午後の訓練はそのまま続いたが、空気は少し変わった。


その夜。


兵舎の食堂。


木の長机。


金属皿。


まだ復興途中のため質素だが、夜だけは騎士たちの声で満ちる。


今日は妙に騒がしかった。


理由は一つ。


マーニが席へ座った瞬間、若い騎士たちが一斉に寄ってきた。


「おい!」


「本当に倒したな!」


「どうやった!?」


「影狼だぞ!?」


一気に囲まれる。


昼間まで疲れ切っていたはずなのに全員妙に元気だ。


マーニは少し戸惑う。


「いや……偶然じゃない」


「偶然であれ倒したの初だぞ」


「今日の英雄じゃないか」


英雄。


その言葉に少し苦くなる。


だが周囲は本気だった。


「ユウ殿に“いい”って言わせたの聞いたか?」


「あれかなり珍しいらしいぞ」


「レオン殿も認めてた」


「アレン殿笑ってたし」


一気に話が盛られていく。


隣の席まで空いていたのに埋まる。


普段あまり話さない年上の騎士まで来る。


「先頭やって生き残るだけでも十分すごい」


「明日も頼むぞ」


「前にいてくれると助かる」


完全に扱いが変わっていた。


昨日まで静かに食べていた席なのに、今日は中心にいる。


皿のスープがなかなか減らない。


騒がしい。


少し疲れる。


だが悪くなかった。


そのとき、後ろから別の声。


「人気者だな」


振り向く。


食堂入口にユウがいた。


隣にレオン。


少し遅れてアレン。


三人とも軽く食事を取りに来ただけらしい。


一瞬で食堂全体が静かになる。


英雄が三人揃うと空気が変わる。


ユウは周囲を見て少しだけ面倒そうな顔。


「騒ぎすぎ」


だが怒ってはいない。


若い騎士たちはすぐ背筋を伸ばす。


その中でマーニだけが立ち上がる。


「……今日、ありがとうございました」


ユウは短く頷く。


「一体で満足するな」


「はい」


レオンが横から言う。


「次は二体」


周囲がざわつく。


アレンは笑う。


「少しずつでいい」


三人が奥の席へ行く。


その背中を、食堂中が自然に目で追う。


そして誰かが小声で言う。


「やっぱり別格だな……」


別格。


その言葉に、マーニは昼の一体を思い返す。


遠い。


まだ遠い。


だが届かないだけではない。


今日、一歩だけ近づいた。


周囲がまた騒ぎ始める。


「英雄の弟子第一号だな」


「明日から先頭固定だな」


「いやそれ罰だろ」


笑いが起きる。


兵舎の食堂に、久しぶりに軽い空気が満ちていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ