第一〇一話 目覚め
父の影との訓練が終わったあとも、マーニの胸の奥は静まらなかった。
影になってなお剣を捨てなかった。
命令を無視して子どもを庇った。
その言葉が何度も頭の中を巡る。
訓練場の石畳に立ちながらも、足元が少し浮いているようだった。
だが休む間はない。
ユウは容赦なく次を始める。
「次、影狼二十」
即座に絶望が広がる。
「やっぱり来た!」
「今日は無理だ!」
「父の影のあとに二十は聞いてない!」
レオンが氷を薄く張る。
昨日より広い。
しかも微妙に段差がある。
完全に嫌がらせだった。
「今日は地面も変える」
「増えてる!」
アレンは少し離れて見ている。
「生きて終われば十分だ」
基準が相変わらず高い。
影が広がる。
二十体。
赤い目が一斉に開く。
マーニは槍を握る。
腕はまだ重い。
父の影を受けた直後だ。
呼吸も完全には戻っていない。
だが今、不思議と恐怖が昨日より薄い。
胸の奥に別の熱がある。
父が最後まで剣を捨てなかった。
その事実だけで背筋が伸びる。
ユウが指を鳴らした。
開始。
影狼が走る。
正面三体。
右二体。
斜め後方からさらに二体。
多い。
昨日より明らかに詰め方が速い。
マーニは踏み出す。
左へ流す。
一体目をかわす。
二体目へ槍を立てる。
肩を押す。
三体目が来る。
低い。
脚を狙う。
跳ぶ。
氷で着地が滑る。
崩れる。
その瞬間だった。
胸の奥で何かが弾けた。
熱ではない。
冷たくもない。
体の中心から薄い振動が広がる。
槍を握る手へ自然に流れる。
光ではない。
だが確かに見えた。
薄い青白い揺らぎ。
「……え?」
自分でも声が漏れる。
槍の穂先にまとわりつく。
次の瞬間、無意識に振った槍が影狼へ触れる。
一体が弾ける。
ただ裂けたのではない。
影が散る速度が速い。
深く削れた。
周囲が止まる。
「今の……」
「光ったぞ?」
「魔力か?」
レオンの視線がすぐに動いた。
珍しくわずかに目が変わる。
「出たな」
アレンも気づく。
「遅かったくらいか」
ユウだけは最初からわかっていたように静かだった。
だが影狼は止まらない。
さらに来る。
マーニ自身が一番戸惑っている。
何が起きたかわからない。
だが身体が軽い。
呼吸が少し変わる。
足が自然に前へ出る。
槍先が流れる。
四体目の爪を弾く。
五体目へ突く。
今度も薄い揺らぎが乗る。
影が裂ける。
二体目撃破。
騎士たちが一気に声を上げる。
「二体!」
「やばい!」
「今日のマーニ違う!」
だが制御はまだない。
次の瞬間、足元がぶれる。
氷。
滑る。
転びかける。
そこへ六体目。
真正面。
終わる距離。
その直前。
氷柱が狼の足元を止めた。
レオンだった。
「集中しろ」
短い声。
マーニは体勢を戻す。
呼吸を整える。
胸の中の揺らぎがまだある。
だが暴れている。
一定ではない。
ユウが初めて少しだけ近づく。
「止めるな」
「……え」
「流せ」
その一言だけ。
昨日までの槍と同じ。
力で握るな。
止めるな。
流せ。
マーニは握りを少し緩める。
槍に乗る揺らぎが自然に伸びる。
七体目。
横。
払う。
影が裂ける。
三体目。
今度こそ周囲が完全に騒然となる。
「三体!?」
「おい本当に今日どうした!?」
「魔術師じゃなかったよな!?」
マーニ自身も信じられない。
だが胸の奥ではっきりわかる。
これは外から来たものではない。
自分の中にあった。
今まで眠っていただけだ。
訓練終了。
ユウが影を止める。
静寂。
マーニは膝をつく。
呼吸が荒い。
手が熱い。
槍を見下ろす。
まだ微かに青白い揺らぎが残っている。
ユウが前に立つ。
「ようやくか」
短い。
だが確定だった。
マーニは顔を上げる。
「これ……」
レオンが答える。
「魔力だ」
アレンが続ける。
「遅咲きだな」
若い騎士たちがざわつく。
「今ここで目覚めるのか」
「訓練中に?」
「そんなことあるのか」
ユウは少しだけ目を細める。
「父より遅い」
その一言でマーニの呼吸が止まる。
「……父も」
「使えた」
短く答える。
「だから最後まで立てた」
胸の奥の熱が少し形になる。
父の背中。
今、自分の中に同じものが灯った。
小さい。
未熟。
だが確かにある。
ユウは背を向ける。
「明日から増やす」
「何をですか!?」
「全部」
絶望がまた広がる。
だが今日は違う。
マーニは槍を握り直す。
疲労の中でも、少しだけ口元が上がっていた。
初めて、自分の中に前へ進む理由が増えた。




