6日目夜 、エレノアの献身
「お帰りなさいませ。お疲れ様でした、ご主人様」
私はドラゴン形態のラグレイトに騎乗して帰られたご主人様に挨拶をすると、急ぎ足でご主人様の方へ向かいました。
「ああ、ただいま。今日は疲れたから風呂だけだ」
「お食事はよろしいのですか?」
「ああ、腹が減ってないからな」
ご主人様は少しお疲れのご様子ながらも私に微笑みをくださり、そう言われて城へ向かわれました。
「ご主人様。よろしければ私が湯浴みのお手伝いを…」
「い、いらんいらん。一人で大丈夫だ」
ご主人様は困ったように愛くるしく笑われると、私の提案を片手を振りながらお断りになりました。
仕方なくご主人様の後ろを付いて歩きます。
ふと、私は前を歩いていくご主人様の背中を見て、いつもよりほんの少し、指1本分ほどだけ、ご主人様の背中が丸まっていることに気がつきました。
私は慌ててご主人様の隣に移動し、つぶさにご主人様の体調を確認します。
「ん? なんだ?」
「いえ、お気になさらずに」
首を傾げるご主人様の顔を確認し、目が僅かに充血していることに気がつきます。
美しいお顔も僅かに彩度が落ちています。
やはりお疲れに違いありません。
今日はお眠りになる前に全身をマッサージして差し上げましょう。
思い起こせば、本日の朝より何処か気分が優れないご様子でした。
いえ、勿論そんなことを言い出すと、この世界に迷い込んでしまってからはずっと、以前のご主人様とは違っていましたが。
しかし、それは単純に、以前のような戦いのみに生きる生活から違う生活へと変化したに過ぎない、と私は認識しています。
ギルドメンバーの中で、私が最初にご主人様にお創りいただいたのですが、私ですらご主人様のそれまでの生活は存じておりません。
既に5部屋ほどの拠点を持たれていたご主人様は、私が知る最も古い記憶の中ですら強く、常に前を向き、寡黙に突き進む勇敢な方でした。
ですが、それが最初からでは無いとしたら、どうでしょう。
私達が知らないご主人様は、もしかしたらとても弱い存在だったのかもしれません。
思い悩み、苦しみ、数多の敗北を経験され、様々な挫折を味わったのだとしたら?
そこから今の何事にも動じず、誰よりも強くなられたのだとしたら、尊敬などという簡単な言葉では言い表せないほどの感動を受けます。
ただ、もしもご主人様がこの世界に来て、お気持ちに暗い影が落ちておられるのならば、独りでお悩みになられているのならば、この私が少しでも御心の御負担を取り除いて差し上げたい。
どんな時も、私がご主人様のお傍にいると。
いつ如何なる時も、私が命を賭してご主人様をお護りすると。
ご主人様の湯浴みの時間。
私はそわそわしながらも、何とか足を地面に押し付けて玉座の間を守った。
ご主人様がギルドの指揮を執られない間は、私が代理だ。
私は玉座の間の階段の前に立ち、次々にくるギルドメンバーからの今日の報告を受け、それをまとめなければならない。
「エレノア、聞いてる?」
「はい、聞いていますよ」
怪訝な顔つきで見てくるセディアに返事を返し、私は顔を上げた。
「そう? 今日は随分と返事が短いというか、少ないというか…何か気になることでもあるの?」
「大丈夫です。これは私の大切な役目ですから」
「え? ああ、大将の代理のこと? 確かに、それは重圧だわ。大将の代わりなんて出来ないからね」
セディアはそう言ってカラカラと笑った。
私はセディアの笑い声を聞きながら、セディアから貰った報告書を確認する。
ご主人様がギルドメンバーを隊に別けた為、その隊のリーダーが私に報告書を提出する。
だが、ご主人様の護衛をした者達は誰がリーダーというのが決め辛い為、交代で報告書を提出している。
概ね皆問題は無いのだが、サニーだけは別だ。
サニーの報告書は良くわからない、子供の日記に似た物になる。
故に、サニーは報告書を免除されている。
ただ、他の者達も大概酷い報告書を提出する者が多い。
サイノスは誰が強そうだった、こんな武器があったなんて豆知識が書かれている。
ラグレイトは面倒くさいのか、勝手に物事を省略して書いていたりする。
意外にも、カルタスが愚痴を良く書く。ご主人様と同行したいが機会が無いらしい。
そして、セディアはかなり丁寧な報告書を書く。
今日の出来事。会った人物。聞いてきた情報。
大事なことは詳細に書くあたり性格が良く出ている。
そのセディアの報告書を読んでいくと、サニーから聞いたと言う情報が私の目にとまった。
ご主人様が、ガラン皇国軍にとどめの一撃を指示した際に、指先が震えていたという報告だ。
ただ、その後レンブラント王国からガラン皇国へ移動する時には、いつものご主人様に戻っていたらしい。
「だからさ、サイノスに言ったのよ。ゴメンって。なのにサイノスはガラン皇国でも自分に文句言って…どしたの、エレノア」
私が報告書を食い入る様に見ていたのが気になったのか、セディアは眉根を寄せて私を見た。
「…いいえ。なんでもありません」
私がそう言うと、セディアは腕を組んで溜め息を吐いた。
「いや、なんでもあるでしょうが。ほら、誰かに代わって貰って今日は休みなさいよ。ソアラとかミレーニアとかなら…」
「そうですね。では、頼みますね、セディア」
「は?」
私がセディアの素晴らしい提案に二つ返事で応えると、セディアはキョトンと動きを止めた。
セディアが固まっている間に報告書の束をセディアに押し付けて立ち去ろうとすると、セディアが再起動してしまった。
「い、いやいやいや! 無理だってば!」
「何を言うのですか。セディアだからこそ頼むんですよ? ああ、ありがとうございます。セディアのお陰で心を蝕んでいた不安の棘が抜けるかもしれません」
私は少し冗談めかしてセディアにそう言った。
だが、本音でもある。セディアならば丁寧に報告書をまとめるだろう。
ご主人様の仕事を自分以外にさせるのは複雑だが、セディアならば信頼出来る。
職務の放棄に対してのお叱りはご主人様に直接していただこう。
「…あー! 分かったよ! 自分がやっとくからエレノアは大将をお願いね。大将、疲れてるみたいだったから」
「…気付いてたのですか?」
セディアのセリフに足を止めて振り返ると、セディアは不貞腐れて鼻を鳴らした。
「ギルドメンバーなら気付くさ。いや、ギルドメンバーの女なら、か?」
セディアが含みのある言い方で私にそう言って、笑顔を見せた。
「なるほど、そうですね」
私はセディアに笑い返すと、踵を返してご主人様の下へ向かった。
「失礼します」
返事があったのでご主人様の寝室に入室したが、ご主人様は寝室の灯りを消されていました。
「エレノア、こっちに来い」
珍しく、いいえ、初めてでしょうか。
寝室でご主人様に呼ばれるのは。
「は、はい」
ですが、私の心臓は違う意味で大きく鼓動します。
近付いてみると、ベッドの縁に腰掛けたご主人様が私を見上げる形で見ていました。
その顔には、何処か薄暗さを感じる笑みが浮かんでいます。
「どうか、されましたか?」
私が尋ねると、ご主人様は私を見上げてお答えになりました。
「意外と大丈夫だと思ったんだがな。指の震えが止まらないんだよ。何故だ、エレノア」
ご主人様はそう言って私に手をお出しになりました。
私はそれに、ご主人様のお姿を見たその時から気付いておりました。
改めて見れば、ご主人様の指先は微かに震え続けています。
私はご主人様の御手を抱きしめたい気持ちで一杯になりました。ですが、今はご主人様のお話を聞かないといけない気がします。
「ご主人様、何でも私にお言い付けください。エレノアが全て叶えてみせます。ですから、お元気をお出しください」
私がそう言うと、ご主人様は笑って手をお下げになりました。
「…この世界にきて、自分が自分じゃないような感覚になることがある」
ご主人様はそう呟くと、私の手をお取りになりました。
「この感触も、エレノアの目の光も、この部屋やお前の匂いだって、感覚的にこれが現実だと分かるんだ。だが、俺は俺が自分であるか、確信が持てない。分かるか?」
ご主人様はそう言って私に視線を向けられました。
「…分かりません。でも、ご主人様はご主人様です」
私は悔しさと恥ずかしさで死んでしまいたい気持ちになりながらそう答えました。
ご主人様のお力になれない自分が惨めでなりません。
「人の命か…。そうだ、エレノア。エレノアは誰か尊敬出来る人間に会ったか?」
「ご主人様です」
「…いや、違う。この世界に来て初めて会う者で、だ」
私はご主人様の言葉に頭を捻ります。
尊敬?
敬うべき人物?
「いません」
私は即答しました。ギルドメンバーの報告書を読んでいても一人も出ません。
「何故だ? 例えば、ビリアーズ伯爵はどうだ? 大国の確かな地位を持っている貴族だ」
「私にとっては意味の無い地位です」
「ガラン皇国の代官は?」
「同じく、有象無象の一人です」
私が迷いなくそう答えると、ご主人様は苦笑して頷きました。
「確かに、俺たちには関係無いな。だが、以前の俺ならば相手の立場も多少は立ててやれたはずなんだ。しかし、貴族だろうが国の重鎮だろうが何とも思わん。強いて言うならば、冒険者のウォルフには少し敬意を持って接している。何故だろうな、同じ人間なのに」
ご主人様はそう言って渇いた笑い声を出して御顔をお上げになりました。
ですが、私からすれば同じ人間などではありません。
ご主人様は神よりも尊い存在です。
しかし、ご主人様はそんな答えを聞きたいわけではないのです。
「…ご主人様は我々の創造者であり、ヒト族で最上位の存在、ハイヒューマンでもありますから…それに…」
「なに? 今なんと言った?」
「は、はい?」
ご主人様は私が言葉を選びながら口にしていると、急に私を見てそう言われました。
「ハイヒューマン…そうか、俺はハイヒューマンだったな。魂は俺でも、体に精神が影響を? いや、待て…それならばまだ他にも身体的な変化が…」
ご主人様は急に口の中で呟くように何事かを口になさり、視線を私から壁へ御向けになりました。
暫くして、ご主人様は少しだけ明るくなった御顔で私を見て下さりました。
「ありがとう、エレノア。少し糸口が見えた気がする」
「いいえ、ご主人様。私はご主人様の御傍にいられるだけで天にも昇る気持ちです」
私は本心からそう口にしてご主人様の隣の床に跪きました。
そんな私の言葉に、ご主人様は朗らかに笑ってくださいます。
「ずっと傍にいてくれるか?」
「ええ! もちろんです!」
私はそう大きな声で言うと顔を上げてご主人様の御顔を見ました。
「私は、どんな時もご主人様のお傍におります」
「私は、いつ如何なる時もご主人様をお護り致します」
「私は、ご主人様をお慕いしております」
私は感情が溢れるままにそうご主人様に告げました。
すると、ご主人様は私の頭に手を置いて、苦笑混じりに口をお開きになりました。
「狂信的過ぎるだろ。それにしても、エレノア。お前、少し敬語の使い方が変だぞ」
…なんですと!
エレノアさん、ストーカーばりです。
怖いほどの愛…




