俺が乗せてやる
顎を下から持ち上げられたら何も言えない。
口だけでは無かった。目を逸らすことも出来ない、逃げることも振り払う事も不思議と出来ずにいた。
目の前には非常に不機嫌な沖田さんが私を見下ろしている。
不機嫌なのに双眸は美しく、ふるふると黒目が揺れていた。
さっきまでザワザワしていた気持ちが、ドクドクという心臓の音で掻き消された。
「君はバカなのか」
「・・・」
「俺は言ったはずだ。八神さんは君に手に負えるような男じゃないと。それとも君の方がやり手なのか?パイロットに志願して試験まで受けたくらいだもんな。八神さんと上手くやれば優遇してもらえるかもしれないしな」
は?私が八神さんに取り入ってパイロットの資格を取ろうとしていると、言いたいの!
「あの人はいづれ飛行教導群に行く人だよ。そして、その上に立つ立場になると思う。本当に君には感心するよ」
飛行教導群とは、要撃機パイロットの技量向上の為、空自の戦闘機パイロットの中でも特に秀でた戦闘技量を持つパイロットが配属されている部隊のことを言う。
つまり、戦闘機パイロットのエリート集団という事だ。
「・・・」
とても皮肉めいた言い方で、そして何故か寂しそうにそう言った。
言いたい事を言い終えたのか、顎に添えられた手が外され「ふん」と鼻で笑って私に背を向ける。
なんなの!
「ちょっといったい、何なんですか!」
響き渡る程の声で私は抗議の意を込めて叫んだ。背を向けた沖田さんはピクリと肩を揺らす。
「八神さんとお食事に行きましたが、先輩と後輩と言う立場です。私に下心があるような言い方っ…しないで下さい。そこまでして私はパイロットになりたくない!」
私がそこまで言うと、勢い良く振り返ってこう言った。
「甘いんだよ!どんな手を使ってでも成りたいって、君は思わないのか!エースパイロットになるには技術だけじゃダメなんだ。どこの出身なのか、親は誰なのかで簡単に左右される。本気なら利用できるものはとことん利用するものだろ!」
「ちょっと待って下さい。沖田さんの言っていることが理解できません。そう思っているなら、どうして私に忠告するんですか」
沖田さんはハッとした顔をして、横に逸らした。言っていることが滅茶苦茶過ぎる。心配してくれたのかと思いきや、八神さんを利用してパイロットになろうとしているとか。
違うと否定をすると、私のパイロットへの思いはその程度だと。
「いったい、何が…言いたい、のですか………」
急に感情が昂ぶったせいか、突然体が脱力して膝が折れた。
ゴッと鈍い音がした。痛いと言う感覚よりも、気怠いが勝っていた。
私はいったいどうしたのだろう。
「おい!香川っ、香川!」
立ち上がらないと、沖田さんが怒っている。あれ、停電なの?
真っ暗で、見え、な・・・・。
ーーーー。
* * *
「あれ?」
私はベッドに寝ていた。沖田さんと部屋の前で話したのは覚えている。でも、その後はどうなったのか覚えていない。
酔っ払っていたのかな、などと思い起こしてみる。
薄暗い部屋を見渡すと明らかに自室ではなく、ベッドの四方はカーテンで囲われており機械音が聞こえる。
ピッ、ピッ、ピッ………
「病院!?」
見れば私の腕は点滴で繋がれている。胸に……なにこれ?
心電図を測るものだろうか、私は機械に繋がれていた!!
「香川」
「ひっ」
誰かが私の名前を呼んだ。その方へ目を向けると、カーテンがゆらりと揺れ人が入ってきた。
「香川、目が覚めたか」
現れたのは沖田さんだった。
「沖田、さん?どうして、わたしっ」
「君は倒れたんだ。それで病院に運んだ。詳しくは聞かされてないけど、明日の朝には帰れるそうだ」
「ぇ…私、倒れたんですか」
「詳しくは明日主治医から話があるよ。俺は、身内ではないから聞かされていない」
「ご、ご迷惑をお掛けしました」
「いや」
ここが病院だからか、私が病人だからか。沖田さんはとても静かに声を出す。黙ってベッドの横にあったパイプ椅子に座り、私の顔を見ている。なんだか、落ち着かない。
「もう帰られた方が。明日も勤務ですよね」
「君が気にする事じゃないだろ。自己管理は出来ているつもりだ」
「っ…す、すみません」
「いや、そう言うつもりじゃっ……」
沖田さんはその後、黙り込んでしまった。でも、帰ろうとはしなかった。点滴がポタ、ポタと落ちるのをじぃっと見る事で何かを誤魔化そうとした。こんな狭い空間に沖田さんと二人だなんて。
っ!考えただけで、血圧が上がりそう。
サワっと衣が擦れる音がした次の瞬間、沖田さんが私の手を握ってきた。ピクンと跳ねる。それに構うことなく、彼はギュと力を入れた。
「おっ、沖田さ…」
「君は危なっかし過ぎる。何でも自分で抱えて、他人の為に走り回って。なんの徳になる?自衛隊にいる限り、国の為に命をかけなければならないんだぞ。普通の生活をしようと思わなかったのか」
沖田さんの言葉は私を咎めるような言い方だったけど、声はとても優しかった。初めてトゲの抜けた声を聞いた。
「私は高校2年の夏に、ブルーインパルスの展示飛行を初めて見ました。美しく空を舞うあの姿に憧れて、防衛大学校を受けました」
「へぇ、エリートだね」
航空自衛隊の戦闘機パイロットになるには幾つか道がある。
ひとつは高校卒業後、防衛大学校に入り幹部候補生学校を出て、飛行訓練に入る。
もうひとつは高校卒業後、航空学生として航空自衛隊に入り専門知識を学び、飛行訓練をする。
最後は、一般大学を卒業後、幹部候補生学校に入り飛行訓練をする。。
「エリートではありません。結果的にこうして広報部隊にいます。それは戦闘機パイロットには成れないと言う暗示です」
そう言うと沖田さんは私の手を更に強く握った。不思議とその握力が心地よく、ずっとそうしていて欲しいと思えた。
「諦めたのか」
「諦めたくないけど、これが現実です。遊びじゃないですから。国を護れる技量が無いものがコックピットに座ってはいけない」
本当は諦めたくない!ないけどっ。
「俺が乗せてやるよ」
「えっ」
今、何て!? 俺が乗せてやる?
スッと手を離し、沖田さんは立ち上がり「ゆっくり休めよ」と言って部屋を出て行った。
ドクドクと激しい心臓の音を残して。
「ぇ……」
もちろん、その夜は眠れなかった。




