シッポが無いと落ちてしまう!?
翌日、主治医からは疲労と貧血症を起こしていたと告げられた。倒れた時の状況から、再検査を勧められる。只の鉄欠乏性貧血でないかも知れないとも。
「え、私そんなに悪いんですか!」
「まだ分かりませんが、簡単な検査では数値が基準をかなり下回っています。今回のようにまた、突然倒れることもあり得ます」
「そう、ですか。分かりました。上司と相談します」
どうしよう。もし、単なる貧血ではなかったら飛行機になんて乗れない。戦闘機パイロットなんて、夢のまた夢。
戦闘機乗りは諦めろと言う、神様からの通告なのかもしれない。
退院の手続きまで私は病室でボンヤリとしていた。
窓を開けるといつもの轟音が聞こえてくる。不思議と無音よりも落ち着くのは、私も空自の一員となったからだろうか。
「香川さんっ」
「えっ」
振り向くと、鹿島先輩が入り口の所に立っていた。
「大丈夫?今、退院手続きしてもらってるから。驚いたわ、沖田くんからの電話」
「ご迷惑おかけしました」
「気にしない、気にしない。先ずはしっかり治す事。これから展示飛行のシーズンに入るのよ。早く治さなきゃ」
「はい」
鹿島先輩は自衛隊員とは思わせない、柔らかい雰囲気を持った女性だ。
先輩の顔を見るとほっとする。
「香川」
「はっ!塚田室長!室長までっ、本当に申し分けございません」
「何を謝っている。上司が来るのは当たり前だろう。親御さんから預った大事な部下だ」
「っ、ありがとうございます」
松島基地にも医務室はある。しかし今回の様なケースは医務室での対応が困難と判断した為、救急車を呼んだ。その為、一般の病院に運ばれたのだ。
「医師から聞いたよ。週明けに自衛隊の病院で検査をするよう手配した。しっかり診てもらえ。未来のパイロット」
「はい!」
そう。まだ諦めてはいけない。弱気になるな!香川天衣!!
退院手続か終わり、薬局から薬をもらい官舎に戻った。室長からは翌週の検査が終わるまで休養するようにと告げられる。
「ありがとうございます」
「ずっと寝てろとは言わないが、安静にしていろよ。何かあったら遠慮なく言え。分かったな」
「はい。ありがとうございます」
バタンと扉が閉まる。
取り敢えずのんびり過ごそうと思う。親への報告は今度の検査が終わってからでいいよね。ただでさえ、自衛隊にいる事で心配をかけているのだから。
*
遠くで、ゴー…と言うジェットエンジンの音が聞こえる。
私はゆっくり目を開けた。カーテンの隙間からは茜色の陽が射し込み、夕方になった事を告げていた。
「はぁ、寝すぎた」
気怠い体に鞭を打って起き上がると、ほんの少し眩暈がした。私は貰って来た薬袋を取りキッチンに向かう。コップに水を注いで喉の奥に流し込んだ。
ピンポーン♫
「ん?誰だろう」
時計は夕方の6時。心配して鹿島先輩が来たのかもしれない。私は、玄関に降り、ドアをそっと開けた。
「アイちゃん!大丈夫か!」
「八神さん」
ドアを開けて、立っていたのは八神さんだった。基地から直行してくれたのか、八神さんは制服のままだった。
「アイちゃん、ごめん。俺が無理に誘ったから」
「え、違っ。違いますよ!八神さんのせいではありません。私自身も気づかなくて…単なる自己管理不足です」
八神さんにいつもの軽さはなく、本当に心配してくれている事が分かった。少し眉を下げて、声も元気がない。今日一日、自分のせいだと責めていたのかもしれない。
「気づいてやるべきだったよ。アイちゃんと手を繋いだ時、熱かったんだ。けど、女の子だから男とは違うんだって思い込んでて」
「八神さん。この通り、私は生きています。そんな顔しないでください。八神さんらしくないです」
「アイちゃん……」
「ふわっ!」
だ、だ、抱きつかれているーー!!
ガシッと強く、その逞しい胸に私は捕らえられてしまった。私の右肩に八神さん顔が埋まっていて、ちょっといい匂いがした。
ドクドクドクドクッ
「ちょ、や、八神さん。はなっしてくださ…」
「ごめん。俺っ」
「えっ!あの、ちょっと、ここ、外から丸見えです!!」
色気もない大きな声で、八神さんの抱擁を解除しようと試みた。
八神さんは「あ、ごめん、ごめん」と言ってやっと離れる。余計に具合が悪くなりますから、止めて下さい。
八神さんは私には本当にレベルが高すぎる。
「ほんとごめん。でも、顔をどうしても見たかったんだ。もう帰るよ。早く…元気になって」
「はい。ありがとうございます」
八神さんはいつもの爽やかな笑顔を私に零し、自分の部屋に戻って行った。その後ろ姿を見つめながら「なんで部屋がバレたんだろう」とそっちが気になって仕方がなかった。
でも、誰かに心配されるって幸せな事だと思った。それが、自分が最も好きな人からだったら、どんなに嬉しいのか。
私の好きな人って、誰よ……ドックン、と胸が鳴る。
『俺が乗せてやるよ』
っく…。どうして思い出したの。
沖田さんはどうして、私の手を握ったの。
怒ったり、優しくしたり…彼の事が分からない。なのに、どうしてこんなに胸の奥が疼くの?
私は胸元をぎゅっと握り締めて、茜空を眺めていた。
カサっ、と音がして私は現実に戻された。
はっとして振り向くと、手にビニール袋を下げた沖田さんが立っている。お、沖田さん!?
「おきっ」
「起きてて大丈夫なのか?それとも誰かを待ってる、とか」
「いえ、誰も来ません。あの!昨夜はありがとうございました!」
救急車を呼び、私が落ち着くまで付き添ってくれたのは彼だ。
私は感謝の意を込めて、深く頭を下げた。カツ、カツと足音が響き、顔を上げた時には、沖田さんは目の前に立っていた。
やっぱり少し不機嫌な表情。私はいつも彼を不愉快にさせているらしい。さすがに、ちょっとヘコむ。
「これ」
「え?」
手にしていた袋を私に差し出す。要領を得ない私に「はぁ」と溜息を吐いて、少し中身を見せてくれた。
「ぁ……」
「まだ、外に出るのは辛いだろ。これやるよ」
袋の中にはレトルトのお粥、おにぎり、ゼリー、冷凍おかず、プリン、サンドイッチ、それにスポーツドリンクなど沢山入っていた。
「お、お幾らですか?私、払います」
「要らない」
「でも…」
「ほら」と私の手に袋を握らせる。なんだか自分の感情が分からなくなって、胸の奥が苦しくなってドアに寄りかかった。まだ、体も戻っていないみたい。
「香川っ」
咄嗟に沖田さんが倒れないように支えてくれる。
「ごめんなさい」
「まだ、安静が必要だな。飯も食ってないだろ。点滴だけじゃもたないぞ。中いいか?」
「え?」
私の返事も待たずに、彼は私の両脇に腕を差し込んで部屋の中に入った。沖田さんが触れている場所に全神経が集中しちゃって、ますます体のコントロールが効かなくなった。
八神さんとは、全然違う反応をするのね。
あれよあれよと、ソファーまで運ばれてポスんと座らされた。
「あのっ」
「悪い、勝手に。けど、また倒れたら怪我だけじゃ済まなくなりそうだから」
「心配、してくれるんですか」
「っー!」
私は一体、何を確認しようとしているのか。ただ、いつもとは思考が少しおかしいのは分かる。
「すみません。そうだったら、嬉しいな…って」
急に恥ずかしくなって俯いた。じーっと自分の膝を見つめながら、ばかな事を言ってしまったと反省をする。
すると、急に影が落ちてきてトンと頭に重みを感じた。
それは、掌の感覚。
「らしくない、君が、心配なんだ」
「・・・」
「ギャンギャン言いながら、必死で俺たちの後を着いてくる姿がないと、調子が狂う」
「え?」
「動物はさ、シッポが無いとバランスが取れなくなるんだ。君がいないと墜落するかもしれない」
「そんな事っ!赦しませんっ。あってはなりません!」
思わずカッとなって顔をガバッと上げて叫んだ。冗談でもそんな事、絶対に言わないで!!
「香川っ」
沖田さんの声が妙に近くで聞こえて、その後は視界も遮られた。
それは、私の上半身が沖田さんに包み込まれていたから。
沖田さんの体温は、とても、心地がよかった。




