番外編。三年後の雨降る日②
家の庭先でマルティナが昔話を始めたのと同じ頃。
屋敷の廊下で二人の男が鉢合わせていた。
「何してるんだ? こんな夜遅くに」
「ラーシュさんこそ、どうされたんですか?」
「俺は眠れなかっただけだ」
ラーシュは何でもないことのようにいうと、レオをじっくりと眺めて、そして右手に持っている瓶をかざして言った。
「よし、一杯付き合え」
「えぇ!? 今からですか?」
「お前も眠れないんだろ。付き合えよ」
半ば強引にそういうと、ラーシュはレオを急かして食事を取る部屋まで連れて行った。そして部屋からか持ってきた酒を開けると、二人分グラスに注ぐ。
レオはぼんやりとそれを見つめていたが、自分の仕事を放棄していたことに気づいて慌てて立ち上がった。
「座れよ。別にお前は俺の執事じゃない」
「……すみません。ありがとうございます」
彼の好意に甘えて、レオはグラスを素直に受けとった。ラーシュは飲みたいと言いながらもグラスをほんの少し傾けて、微量を口に含んだのち、こちらを向いた。
「それで、どうしたんだ? 大方、彼女のことだろうが」
「はい。実は、どうやって振る舞ったらいいのか分からなくて困っています」
「……お嬢様として扱うのか、それとも”アイラ”として扱うのか、か」
「ええ」
ラーシュからすれば、レオがどうしたいかは明白だった。彼はおそらく彼女と対等になることを望んでおり、さらに言えば、恋人になりたいと思っているはずだ。
ところが、二人のもともとの関係がそれをスムーズにはいかせない。レオからすればお嬢様は家族の仇のようなもので、お嬢様からすれば、レオは自分を殺そうとしている従者であったのだから。
「好きだと言ったのか?」
「……それが、その……」
「言ってないんだな?」
「彼女には言われたんです。でも俺は、ついていくとしか言えなかったんです。始めは彼女を殺そうとしていた俺が、そんなことを言う資格があるのかと思って」
ラーシュに女心は分からない。マルティナがかつて、契約を破棄しようと言った時、自分がどれだけ絶望に打ちのめさせられたか彼女は知らないだろう。その後すぐに、言葉の真意を明かしてくれたからよかったものの、あのまま放置されていたら、立ち直れなかったに違いない。彼女が男と距離を取っていることは分かっても、彼女の心が徐々に自分に移ってくれていることには、全く持って気づけなかったのだ。
「告白は怖いな。それは分かる。俺は言わずに外堀を埋めたから……あいつの心が動かなかったら、どうなっていたことやら」
「告白しなかったんですか?」
「結果的にはさせられたよ。でも、先に言ったのはマルティナだ。あ、いや……演技としてなら何度も告白したけどな」
「演技として?」
ラーシュはレオに自分が学生時代にどうやってマルティナを口説いたか語ることにした。ラーシュはそれを聞いて、どこか呆れたようになり、しかし何かに気づいたのか、急に落ち込みだした。
「どうしたんだ?」
全てを語り終えたとき、ラーシュはレオが何故か暗い表情をしているのを見て問いかける。
「今まさに、自分も契約に縛られているような気がしたんです」
「契約?」
「彼女が命をくれたから、俺はそれを守るって宣言しました。死を望む彼女を生かしたのは俺です。だから俺には彼女の未来を見守る義務がある。でもそれは同時に、復讐される者と復讐する者の関係を、目には見えない契約として引きずってるんだと思って」
「……自分が求めていることは分かってるんだよな?」
”契約恋愛”をしていたラーシュには、一つだけ経験から分かっていることがあった。二人の間に契約という名の利害関係を存在させる限り、本物の恋愛には至らないということだ。
愛の上に成り立つ利害関係は良いが、利害関係の上に成り立つ愛は脆い。
「やっぱり、ちゃんとはじめないといけないんですね。きっと言葉が足りてなかった……」
「そうだろうな……」
レオは酒の注がれたグラスを見つめると、一思いにそれを飲み干した。
そして勢いよく立ち上がると、一度大きく深呼吸をした。
「……やり直します。きちんと」
「もう、眠れるか?」
「……はい」
ラーシュはレオを見送ったあと、こっそりと夫婦の寝室に戻る。
寝ているマルティナを起こさないようにそっとベッドに戻ると、小さく息をついて目を閉じた。
「レオはなんて?」
「うわっ!」
突然隣から話しかけられて、ラーシュは思わず声を上げて飛び起きた。マルティナの表情は暗くて見えないが、かすかに光るものが彼女の目だとラーシュには分かった。
「男同士で話してたんじゃないの?」
「起きてるならそういってくれ……心臓に悪い」
「一人で寂しかったから……仕返し」
マルティナの手がラーシュの腕に添えられた。いつにない彼女の仕草に、ラーシュは思わず体を震わせて唾を飲み込んだ。
見えなくとも漂う妖艶な雰囲気が、ラーシュの先ほどの驚きを超える衝撃として到来した。彼女がその気ならば、このまま流されることもやぶさかではない。
「マルティナ……いたっ」
そんなことを考えていたラーシュの腕に、突然ちりりとした痛みが走った。どうやら腕をつねられたらしい。
「……なんてね。レオとアイラさんのことが気になって、眠れなかっただけよ」
どうやらからかわれたらしい。
「あの二人は、なるようになるさ」
「やっぱり両想いよね。あとは互いに寄りかかる勇気があるか……」
ラーシュはたった一言いっただけだったのに、マルティナはそれで結論を出してしまったようだった。
あの二人が互いに思い合っていることは見れば分かることだったが、当人たちからすれば、そう簡単なことではないだろう。
「もしここでわだかまりを解消できなければ……二人は旅を続けるんでしょうね」
それはマルティナも分かっているらしく、彼女は彼女らしい的確な考察を述べた。
あの二人にとって旅をすること自体が、一緒にいる理由になっている。それならば、二人が互いにいることを望み、しかしその本当の想いを告げられない間は、旅をし続けるしかないはずなのだ。
「できたとしても、続けるかもしれないぞ」
「……もちろんその可能性もあるわね。私も時々、旅に出たくなるもの」
彼女はどこかうっとりとした声を出した。これがラーシュをからかってのことだと分かっていても、胆が冷える。彼女なら本当にどこへでも旅だってしまいそうだからである。
「頼むから、外出は町までにしてくれよ」
「……」
「なあ」
「……」
「おい、マルティナ」
「……前向きに検討するわ」
こうやって彼女の言葉に一喜一憂させられるのも、惚れた弱味というやつである。
数日後、二人はまた旅に出た。
マルティナもラーシュも、二人の関係が変化したのか、あるいはそのままなのか、尋ねることはなかった。
ただ一つ言えるのは、二人はその先も不定期にこのレクセル領に顔を見せに来ていたということだ。
帰るべき場所のない二人が、帰る場所としてここを認定したのかもしれない。
二人は旅を止めることはなかったが、来るたびに二人の距離が縮まっていることにマルティナとラーシュは気づいていた。
いくばくかの年月が流れ、マルティナの面差しを濃く受け継いだ少女ビアンカは、彼女とは反対に落ち着きのない様子で叫んだ。
「お母さん! レオさんとアイラさんが来たよ」
「ビアンカ……もう少し落ち着いてちょうだい。あなたいくつになったと思ってるの……」
「落ち着いてなんていられないわ! だってほら、今回は二人じゃないの!」
「二人じゃない?」
「ほら――」
二人はまた、こうしてレクセル家に戻ってきた。二人が三人になっても……それは変わらなかった。
二人の生活は変わらない様子だったが、そこにいるのはもう、御嬢さまと従者ではない。
一組の夫婦と、その子供だった。




