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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第九章 海東青(三)


 開陽の街は騒然とした空気に包まれていた。

 もともと大規模な動員令が発されていたことにくわえて、先の海東青事件の後、昼と夜とを問わずに警吏(警察官)が慌しく街路を駆けまわるようになったからだ。

 都の治安をあずかる警吏が血相をかえて走りまわっていれば、たとえ子供であっても大事件が起きたと察することができる。何者かが国王の飼い鳥を射た一件は、あたかも枯野に火を放ったがごとく、たちまち開陽中に広まっていった。



 この騒動の特徴の一つとして、これを語り合う人々――特に開陽市民の顔に暗い影がなかった点が挙げられる。血相を変えているのは警吏や兵士ばかりで、市民の中には事件を聞いて溜飲を下げた者も少なくない。

 なぜならこの一件は、評判のよろしくない若き国王に対する痛烈な諫言だと受け取られたからである。



 もともと蓬莱の民は忠義を重んじる国民性を持っており、臣民は王家に対して深い敬意と忠誠を捧げていた。

 しかし、今代の王である志士果ししかは、即位するや父の喪に服することなく狩猟に明け暮れ、女色にふけり、国政をかえりみようとしない。海東青が赤子を傷つけた騒ぎのときのように、理不尽な裁きを下すこともたびたびあった。

 そんな国王の施政を間近で見続けてきた開陽市民の心中には、程度の差こそあれ、不満や反感が蓄積されていた。今回の一件は、そういった不平不満を解消する一助となったのである。



 これが国王へ矢を射かけるというような暗殺まがいの行為であれば、また話は違っていただろう。

 しかし、この件では人間の血は一滴たりとも流れておらず、しかも射落とされた三羽のうちの一羽は、かつての赤子騒ぎのときの一羽だった。

 これも開陽市民がこの事件を暗い目で見なかった理由の一つとなっている。





「――まったく。テオ殿は思った以上に策士だな」



 都大路に面した宿屋の一室。

 二階の窓際に陣取った斑鳩九郎は、通りをかけまわる警吏たちを見下ろしながら、感嘆とも呆れともつかない呟きをもらした。

 あらためて言うまでもなく、海東青を射たのはテオと九郎の仕業である。

 もう少し正確に言えば、九郎は計画に携わりはしたものの、犯行そのものには関わっていない。その理由は、九郎が刀ほど弓に長じていなかったことが一つ。そしてもう一つ、犯行後、即座に霊山に隠れるテオと異なり、九郎は幾つかの噂を広めるために開陽に留まらねばならず、万一にも犯行現場を目撃されるわけにはいかなかった。そのため、実行はテオ一人の手に委ねられたのである。



 矢文の内容がいちはやく開陽市民に広まったこと。

 事件の犯人が召集された民兵であり、彼らへの拷問が行われているという噂が流布したこと。

 いずれも九郎が影で動いた結果だった。



 当初の予定では、九郎は噂を流して城内の混乱を加速させた後、素早く東の国佐の村に戻り、そこでテオと合流する手はずだった。

 出陣間近の今、城門を封鎖するようなことはするまいと判断したわけだが、蓬莱兵は予測に反して四方の城門を閉ざしてしまい、結果、九郎は開陽から出ることができなくなってしまう。

 この一点において、右丞相である大瑠璃淑夜の判断は九郎たちの思惑を上回ったことになる。九郎が今こうして宿から大路を見張っているのは警戒のためでもあり、脱出の機会をうかがうためでもあった。



 とはいえ、こと九郎に関していえば、開陽に閉じ込められたことによる問題はほとんどない。開陽には父の遣いで何度も訪れたことがあり、市街の地図は頭に叩き込んである。いざという時に頼れる知人もいる。

 問題があるとしたら、それはテオの方だった。

 彼の目論見どおり、王宮の廷臣たちが早期解決のために伏姫の占いに頼ったとしたら、今頃はテオが潜んでいる霊山洞穴の場所が突き止められていてもおかしくない。そうなれば警吏たちが大挙して押し寄せるだろう。 



 大丈夫だろうか、と九郎は眉を曇らせた。

 あの青年は「こちらは心配するな」と口にしていたが、はいそうですかとうなずくには敵の戦力が大きすぎる。

 まさか伏姫が自分で動くことはないだろうが、竜種がばけているという私兵を向かわせる可能性は十分にある。それでなくても多数の蓬莱兵が動くことは確実なのだ。

 あのユーベルという魔人とて、いつ何時、気を変えてこちらに危害を加えてくるか分かったものではない。



 九郎としては、今回の作戦はテオ一人に危険を押しつけるようで気が進まないことおびただしく、自身も霊山に行くことを望んでやまなかった。

 そのために開陽に住むシルル教徒に協力してもらうことも考えたのだが。

 伏姫の占いがこちらまで及んでくる危険性を考慮すれば、信徒たちに頼めるのは精々怪我をした猫の世話くらいのもの。結局、テオか九郎のどちらかが残らねばならないという結論にかわりはなく、噂をまくならば外国生まれのテオよりも蓬莱生まれの九郎の方が適している。

 かくて、九郎は開陽に残ることを余儀なくされたのである。




「……ん?」

 物思いにふけっていた九郎は、頬のあたりに視線を感じて意識を現実に引き戻した。

 鋭い眼差しで眼下を見渡す。

 城門が封鎖されていることもあって、大路を歩く人の数は目だって少なくなっているが、それでも人波ができているあたりは、さすが大陸最古の都というべきだろう。

 その人波をかきわけるようにして、一台の馬車が王宮へと向かっているのが目にとまった。



 蓬莱では貴人が直接馬に乗ることはなく、移動は馬車ないし牛車で行われる。

 九郎の視界にうつる馬車は派手な装飾こそないものの、陽光を反射する黒の車体はどうやら漆塗りであるらしい。下級役人ではありえない。貴族か上級官僚か、いずれにしろ国政の中枢に近い人間のものだと思われた。



 九郎に向けられる視線は、その馬車から投じられている。

 覆いがあるために相手の顔はよく見えなかったが、向こうがこちらを見ているのは間違いない。そう見て取った九郎は、つとめてさりげなく椅子から立ち上がった。

 横暴な貴族に「平民が上から貴族を見下ろすなどけしからん!」などとからまれては面倒なことになる――そう考えてのことだったが、残念ながらその行動は少しばかり遅かったらしい。

 馬車が止まり、貴族の供らしき数人の男たちがこちらに向かってくるのが見えた。



 思わず舌打ちしそうになった九郎だったが、すぐに男たちの顔に険しさがないことに気づく。くわえていえば、向こうの足取りはゆるやかで、無礼な平民をとがめようという乱暴な雰囲気は感じられない。

 では何の用なのか。そう考えて首をひねった九郎は、ここでようやく馬車に刻まれた鳥の家紋に注意が向いた。

 九郎とて蓬莱貴族の一員、どの家紋がどの貴族のものなのかを判別することはできる。

 馬車に刻まれていたのは、今代国王の外戚である大瑠璃家のものであった。



◆◆



 翠微宮からの帰途、淑夜が九郎の姿に気づいた理由は伏姫の言葉にある。

 先刻、かの姫巫女が口にした「下手人の仲間が、いざという時のために開陽の門を見張っていないともかぎらぬ」という言葉が頭の片隅に残っており、いつも以上に馬車外に注意を払っていたところ、今は亡き妹を彷彿とさせる顔が視界に飛び込んできたのである。



 大瑠璃と斑鳩の家はことさら親しい付き合いがあるわけではなく、むしろ疎遠といってよい間柄だった。それは、九郎の出生の秘密を共有する両家の当主が、暗黙の了解のもとに互いに距離をとった結果に他ならない。

 したがって、ここで淑夜の方から接触の手を伸ばすのは避けるべきなのだが、今この時期に斑鳩家の嫡子が国都にいることがいぶかしい。

 おそらく父親の使いで国都まで出向いてきたのだろうが、なにしろ今は状況が状況だ。シルル教を信奉する斑鳩家の人間が、密かに街の宿屋に泊まっているとわかれば、事件との関係を疑われてしまう可能性が大である。



 淑夜はそう考え、必要なら九郎が城門の外へ出るための手配まで行うつもりだった。

 向こうから見れば、淑夜は国王や伏姫の手先として斑鳩家とシルル教を迫害してきた人間であり、まず間違いなく敵意を抱かれている。

 淑夜の厚意は「余計なお世話」と受け取られるだろうが、名乗ることもできない伯父として、たった一人の姪の危難を見てみぬふりをすることはできない――淑夜はそう思い、そのあまりに利己的な考えに自嘲の念を禁じえなかった。



 たった一人の姪の家を長く圧迫し続けてきたのは、他ならぬ淑夜自身である。

 ようするに自分は、志士果と伏姫の目が届かないところで九郎を助け、少しでも胸に巣食う罪悪感を軽減したいのだ、と淑夜は己の内心を分析した。

 我ながら情けないと思ったが、それでも何もせぬよりはマシであろう、とむりやり納得する。

 まさか、この小さな決断が、自らを今以上の騒動に引き込むことになろうとは、神ならぬ身の淑夜にわかるはずもなかった。





 大瑠璃家の家臣に馬車まで案内された九郎は、淑夜に請われて馬車の中に入る。

 中は驚くほど広く、淑夜と九郎の二人を入れてもまだまだ余裕があった。馬車の覆いは、中からは外が見えるが、外からは中が見えないように細工が施されている。さらに窓際には小さな鈴が幾つも並んでおり、馬車が動くたびに涼やかな音色が九郎の耳朶を揺らす。中の会話が外に漏れないようにするための工夫であろう。



 はじめ、九郎は相手を警戒していた。

 なにしろ斑鳩家は国の機密を国外に漏らした重罪人だ。大瑠璃の家臣たちの態度は驚くほど丁重であったが、それはこちらを油断させるための罠であり、誘い出したところで問答無用で斬り捨てるつもりなのかもしれない。

 それでなくても、右丞相である大瑠璃淑夜は国王の遊興やシルル教徒の迫害、伏姫の台頭に密接に関わっている人物である。警戒してし過ぎるということはないはずだった。



 ただ、仮にも右丞相ほどの重臣が、九郎ひとりを捕らえるために出張ってくるとは考えにくく、それが九郎を戸惑わせている。

 それに、こちらを見る淑夜の視線に険はなく、語りかける声も穏やかだ。もっといえば親しげな雰囲気さえあった。



 大瑠璃と斑鳩は共に王室の血が入った名門であるが、九郎が知るかぎり両家に交誼らしい交誼はない。九郎自身、淑夜と言葉を交わした記憶はほとんどなく、最後の記憶は三年前に元服の挨拶まわりをした時までさかのぼらなければならない。

 その相手から好意的な声をかけられた九郎はわけがわからず、とにかく大人しく振る舞って様子を見ようと考えていたのだが、さすがに「父君はご壮健か?」という問いを投げかけられた時は黙っていられなかった。




「……右丞相閣下、それがしをなぶっておいでですか?」

 声を荒げることこそしなかったが、声が、視線が、針のように鋭く尖るのは抑えられなかった。

 九郎の雰囲気が一変したことを悟った淑夜は、驚いたように口ごもる。

「な、なぶる? いや、そんなつもりは毛頭ないが……突然どうしたのだ、九郎殿?」

「どうしたも何も、一族郎党を残らず連行し、生まれ故郷を更地にした相手に対する問いかけではございますまい。罪人として召し捕る方便だとしても悪趣味が過ぎまするぞ」

 九郎の押し殺した声を聞いた淑夜は、はっきりと戸惑いをあらわにした。

「連行? 更地? 待たれよ、九郎殿。いったい何のことを言っている? それに罪人として召し捕るとはどういう意味か?」



 演技とは思えない、心底からの困惑を見せる淑夜。

 それを見た九郎の顔にも戸惑いの影が差した。



 何かが決定的に行き違っている。そう感じた九郎は、思いきって斑鳩家のとった行動と、それにまつわる結果を説明することにした。

 やぶへびになるのではないかという危惧はあったが、たとえそうなったとしてもかまわないと割り切る。どのみち、事態はもうこれ以上悪くなりようがない。

 向こうが九郎を捕らえようとするのなら、逆に淑夜を人質に取って開陽を脱出してしまえばいい。自分ならば可能だ、と大瑠璃家の護衛の腕前を見極めた九郎は判断していた。




 斑鳩司祭とシルル教徒が蓬莱兵に連行されたこと、斑鳩家が管理していた教会が徹底的に消滅させられたことを知った淑夜は目をみはって絶句してしまう。まったく知らなかったのである。

 そもそも斑鳩家が機密を国外に流したことさえ淑夜の耳には入っていない。淑夜が知らないということは、つまり廷臣の誰も知らないということ。すべては伏姫の独断で進められたことになる。



 そんな淑夜の反応を目の当たりにした九郎は、これを好機と見て、さらにたたみかけることにした。

 父の行方を捜し求めて開陽にやってきたこと、その際に魔人と接触したこと、霊山の祭壇で聞かされた伏姫の正体、それらすべてを淑夜の耳にそそぎこむ。

 聞き終えた淑夜の顔色は驚愕のあまり土気色に変じていた。



「……わが国に、魔人? では、もしや海東青を射たのは……いや、斑鳩司祭のことを考えれば、それは……伏姫殿が、それに竜種とは……」

 あえぐように口を開閉させ、切れ切れに発される言葉の数々は、淑夜を襲った驚愕の大きさを物語っているように九郎には思えた。

 この九郎の考えは間違っていない。

 事実、このときの淑夜は混乱の極みにあった。すべてを冗談、戯言として片付けてしまいたいと思ってしまうくらいに。



 もし眼前にいる相手が斑鳩九郎でなければ、淑夜は今の内容を震える声で笑い飛ばして、聞かなかったことにしたであろう。海東青事件の犯人として、この場で捕まえることも辞さなかったかもしれない。

 だが、亡き妹の子の言葉を――先王の血を継ぐ人物の言葉を笑い飛ばすことは、淑夜にはできなかった。



 くわえて、淑夜の心底には律儀、堅物で知られる斑鳩司祭に対する尊敬がある。

 どうやら九郎本人は知らないようだが、九郎の素性は今の蓬莱を揺るがすことのできる切り札となる。だが、斑鳩司祭は亡き先王との約定を守り、どんな苦境にあっても決してこの切り札を使おうとはしなかった。

 心ならずも斑鳩家、それにシルル教徒を圧迫する側に立っていた淑夜だったが、それでも――あるいは、圧迫する側だったからこそ、斑鳩司祭の態度に深い感銘を覚えていた。



 その斑鳩司祭がここに来て九郎を利用し、魔人がどうのという妄言を振りまいて蓬莱に牙を剥くとは考えられない。

 であれば、九郎の語ったことは事実ということになる。少なくとも、九郎自身が事実だと考えていることは間違いない。

 鋭い視線でひたとこちらを見据える九郎の顔を見やりながら、淑夜はどうすればいいか考えあぐねた。



 伏姫に対する蓬莱国民の信頼は絶大であり、近頃では志士果を廃して伏姫を王に据えようとはかる動きさえあるほどだ。

 これについては人為的な工作の臭いもするため、蓬莱国民の総意というわけでは決してないのだが、姫巫女への信望と現国王への失望が混ざりあって、二百年を超える王家への忠誠が揺らぎつつあることは否定できない事実だった。

 そんな状況で「伏姫は魔人なり」と主張すれば、蓬莱中から凄まじいばかりの罵声を浴びせられてしまうだろう。よほどの証拠を――それこそ公衆の面前で魔人の正体を暴きでもしないかぎり、状況を覆すことは難しい。

 なによりも淑夜自身が確たる証拠を欲していた。



 いっそ、これが蓬莱王の正嫡をめぐる騒動であったなら、先王の墓の副葬品である七星剣を持ち出せば、すぐにでも解決するのだが、と淑夜は思う。

 あの神剣は蓬莱王家の血に反応する。そして、そのことは蓬莱中の民が知っている。そういった権威に裏打ちされた証拠があれば淑夜にも動きようはある。

 だが、魔人か否かの判別など人間の身で出来ることでは――と、そこまで考えた淑夜は、あることに思い至って目を見開いた。



「……人の身ではかなわぬなら、神の御業にすがるも一案か」

「閣下?」

 唐突な言葉に九郎がいぶかしげな顔をする。

 そんな九郎に対し、淑夜はある神器の名を口にした。

「九郎殿は『正理の鏡』のことをご存知か?」

「七星宝刀と並ぶ神器の一つ。むろん存じております。宝刀と共に先王陛下の陵墓に埋葬されたと記憶しておりますが」

「いかにもそのとおり」



 建国王がシルル神から授かったとされる剣と鏡の神器。

 世に二種の神器と称されるこの二つは、九郎のいうとおり先王の陵墓に副葬品としておさめられている。剣に関しては先王の意向があってのことで、その理由は淑夜も承知しているが、鏡に関しては言わば「ついで」であろうと、これまではさして気にとめていなかった。

 だが――



「かの神鏡はこの世をあまねく照らし出し、すべての虚偽を白日の下にさらけ出すという。伏姫殿の正体がまことに魔人であるのなら、これを暴くこともかなうかもしれぬ」

 蓬莱の右丞相はそういうと、様々な思惑を秘めた眼差しで九郎の顔をじっと見つめた。




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