第九章 海東青(二)
シルリス大陸でも最古の歴史を誇る蓬莱国。その蓬莱を治める今代の国王の名を志士果という。
この十六歳の若き王の評判は、残念ながら芳しいものではなかった。
感情の起伏が激しく、それをおさえる自制心も乏しい。怒気にまかせて下僕や宮女を鞭打つことが度々あり、諫言を呈した廷臣を殴打して、結果として死に至らしめたことさえある。
面倒な政務は家臣に任せ、国家の決断は伏姫に委ね、日が出ている間は野天で狩猟に明け暮れ、日が落ちれば後宮で女色にふける。そんな志士果を指して、人々は「暗君におわす」と声をそろえた。
その志士果は今、黄金と珠玉で飾り立てられた室内で苛立たしげに舌打ちを繰り返していた。
つい昨日、開陽の都で一件の殺傷事件が発生して以来、志士果の機嫌は下降の一途をたどっており、常は傍を離れない側近たちでさえ、国王陛下の怒気を恐れて近づこうとしない。
どすんどすんと荒々しい足音をたてて室内を歩きまわる蓬莱王の姿は、さながら檻に入れられた熊のようであった。
それからしばし後。
一人の廷臣が部屋を訪れるや、志士果はたまりかねたように大声でわめいた。
「遅いぞ、淑夜! 余の海東青を射殺した下手人は見つかったのであろうな!?」
国王が怒声を浴びせた相手は、蓬莱国の右丞相にして大瑠璃家の現当主、大瑠璃淑夜という人物だった。志士果から見れば母の兄、すなわち伯父にあたる人物である。
主君より二まわり近く年上の淑夜は、身長も体格も主君に及ばない。外見だけ見れば気弱な文官というところであり、気性、性格もそれにならった。
もともと大瑠璃家は蓬莱国にあって中小貴族の一つに過ぎず、当主である淑夜自身、丞相などという大任を務める才覚がないことは自覚している。妹が王妃となってからも、なみいる貴族たちをおしのけて宮廷を牛耳ろうなどとは考えもしなかった。
蓬莱貴族としての責務を過不足なく果たし、父から受け継いだ大瑠璃の家をつつがなく我が子に受け渡す――そのことのみに注力し、堅実に過ごしてきたというのに、思いもかけない甥の抜擢によって、右丞相などという目のくらむような顕職に就くことになってしまった。
その旨を志士果から伝えられたとき、淑夜は喜びよりも戸惑いをおぼえ、どうしてこうなったと頭を抱えた。
蓬莱の右丞相はそういう人物である。
その淑夜は、額に汗をにじませながら平伏した。
「申し訳ございません、陛下。いまだ下手人は見つかっておりませぬ」
「なんだと!? いったい何をぐずぐずしているのだ!?」
志士果が怒気を込めて床を蹴りつけると、王宮の床が大きく揺れた――少なくとも、淑夜にはそう感じられて肝を冷やす。
巨漢を示す言葉として、雲をつくような、という表現があるが、志士果の体格はこの表現がそのままあてはまる。狩猟によって鍛えられた手足は丸太のように太く、その気になれば淑夜をひねりつぶすことなど造作もないだろう。
志士果はつばを飛ばして言葉を続ける。
「三羽、三羽だぞ! 余の海東青が三羽も射落とされたのだ! 新たに買い求めようと思えば、三千枚の金貨が必要になるわ!」
それは徴集した八万の軍勢を三ヶ月以上支えられるだけの財貨である。いうまでもなく大金だが、問題の本質は金銭的な損害よりも、政治的な影響にあった。
国王のみが所有を許される鳥を射落としたということは、国王に弓引いたと同じこと。志士果は面と向かって頬をひっぱたかれたも同然であり、このうえ犯人を取り逃がしでもしたら、蓬莱中の笑いものとなるのは必定だった。
むろん犯人の捜索は事件直後から始められており、一日近く経った今もなお千人以上の警吏が都中を駆けまわっている。
だが、開陽は広い。とにかく広い。千人という人数さえ開陽中を調べるには不足といわざるをえず、くわえて、各地から集められた外征の兵が多数街中をうろついているため、国都は常以上に混雑している。
見かけない顔はいたるところに。弓を持った者はそこかしこに。
犯人捜しをするのにこれほど適さない状況もめずらしいだろう。むろん、犯人はそれも計算に入れた上で犯行に及んだに違いない。
蓬莱各地から集められた兵の中には、海東青など見たことも聞いたこともないという者も少なくない。廷臣の中には、そういった田舎兵たちが暇をもてあまし、弓の腕比べでもしたのではないか、と推理する者もいる。
実際、第一報を聞いた時点では淑夜もそのように考えていた。
ところが、海東青を射た矢に短い文面を記した紙が結ばれていたことで、この説は早々に否定されてしまう。いわゆる矢文であり、これによってこの事件が明確な意思の下に実行されたものであることが明らかになった。
――国王へ 王宮に魔人の影あり 狩猟にうつつをぬかす愚を警告す 蓬莱を憂う者
矢文の文面を見た瞬間、淑夜は自分の顔がひきつるのがわかった。
仮に王宮にこの矢文が打ち込まれたとしても、それが国王の耳に達することはまずありえない。魔人などという妄言を信じる者はいないし、国王に対して「狩猟にうつつをぬかす愚」などと言明するのは不敬以外の何物でもないからだ。これを見た志士果が激怒するのは火を見るより明らかであり、とばっちりをくって報告者まで処罰されかねない。
したがって、ただの矢文であれば、淑夜は自分のところで報告を握りつぶしたであろう。
だが、三羽の海東青を射た矢のすべてに同じ文面が付帯していたとなれば、これを隠すことはできなかった。
無知な兵の間違いなどではありえない。この矢を射た者は、海東青の価値も、国王の激怒も、廷臣たちの保身の感情さえも見抜いた上で行動している。
淑夜はそのことを察した。察した上で、相手の思惑どおりに動かねばならないと理解したから、顔をひきつらせたのである。
その後、案の定、怒り狂った国王の怒声を浴びせられた淑夜は、尻を蹴り飛ばされるようにして王宮を飛び出し、開陽中に捜索の網を広げて必死に犯人を捜したが、はかばかしい結果は得られなかった。
犯行に使われた矢は蓬莱正規軍のものであり、ここから犯人をたどることは不可能だった。おまけに犯人はかなり遠方から海東青を狙ったらしく、目撃証言もほとんどない。
犯人につながる手がかりといえば、空を飛ぶ海東青を遠方から射落としたことから、相当の腕前の持ち主であろう、という一事のみ。
淑夜はこの考えにそって警吏を動かしたが、弓は武芸の基本であり、該当する人間は十人や二十人ではきかない。結局、彼ら全員に話を訊くだけでも半日がかりの大仕事となった。
この間、犯人の逃亡を防ぐために四方の城門を封鎖したのは当然の措置であったが、戦備に忙しい今の時期に門を閉じたことで、出兵計画の方に無視できない遅滞が生じつつある。
夏も盛りのこの時期、輸送物資を城門の外に放置して腐らせ、結果、兵士たちが集団で腹を下しでもしたら戦うどころではないから、こちらの方面でも手を打たねばならぬ。
さらに、どこから漏れたのか、矢文の内容もすでに民や兵の間に広がっていた。
それにともなって「犯人は徴集した民兵の中におり、警吏の詰め所では拷問まがいの取調べが行われている」とのまことしやかな噂まで流布しつつある。
当然のように、それを聞いた民兵は不安にかられ、動揺した。
いうまでもないが、拷問、などというのは事実無根のデマに過ぎない。ただ 犯人が民兵の中にいるというのは十分にありえる話であり、多忙さの中で警吏の態度が荒々しくなっているのも事実だったので、単なる噂とも言いきれないあたりがこの話の嫌らしいところであろう。
取調べを受けた者の中には大声で不満を口にする者もあり、その事実が民兵の動揺に拍車をかけた。
右丞相たる淑夜にとっては胃痛のたねに事欠かない状況といえる。
猛る国王を何とかなだめすかし、一通りの報告を終えた淑夜は逃げるように御前を辞し、足早に王宮の廊下を歩いていた。
「ただでさえ出兵間際で猫の手も借りたい忙しさだというに。どこの誰かは知らぬが面倒なことをしてくれる……」
しくしくと痛む胃をなでさすりながら、淑夜は何度目ともしれないため息を吐く。
たった三本の矢が、開陽と蓬莱軍、そして淑夜の胃に与えた影響は計り知れなかった。
もし淑夜が国王の立場にいれば、犯人捜しなどせずに戦備を急がせるだろう。
平時ならともかく今は戦時だ。出陣が一日遅れれば、八万の兵士の一日分の糧食が無為に消費される。食糧が不足しているわけではないが、無駄に消費してよいものでもない。とくに今回の出陣はかなり長期に渡ると考えられているため、作戦の後れは極力避けなければならない。
だが、三羽の海東青を失って逆上している志士果に対してそんな意見を口にすれば、待っているのは投獄か、さもなければ処刑台であろう。
つまるところ、結論は一つしかない。
これ以上作戦が遅滞することのないように、迅速に犯人を捕まえるのだ。可能であれば、今日中に。
となれば、頼る相手は一人しかいなかった。
蓬莱には百発百中の的中率を誇る占い師がいるのである。
◆◆◆
「――なるほど、それで妾のところに参られたわけかえ」
霊山の中腹に位置する翠微宮。
襖と畳という蓬莱独特の装いでつくられた一室に淑夜を招きいれた伏姫は、羽毛の扇で口許を隠しつつ艶やかに微笑んだ。
それに対し、淑夜は居心地が悪そうにうなずく。権勢に関心の薄い淑夜は、これまですすんで伏姫に近づこうとはしなかった。それは右丞相に任じられてからもかわらない。
伏姫を怪しんでのこと、というわけではない。伏姫に近づくことで、他の廷臣から警戒されることを恐れたのである。
淑夜はただでさえ国王の姻戚として羨望を集める立場にいる。おまけに、今では右丞相として人臣の最高位を極めた身であり、その言動はとかく嫉視や反感を招きがちであった。
志士果は即位して以来、伏姫のことを「亜母」――母に次ぐ人物として敬い、事実上の皇太后として遇している。
そんな人物と右丞相たる身が接近すれば、どんな噂が生じるか分かったものではない。だからこそ、淑夜は必要以上に伏姫と接することを避けてきたのである。
そのあたりの小心さ、欲のなさが、志士果が伯父を抜擢した理由だというのは皮肉な話であった。
くわえていえば、その抜擢は淑夜をくみしやすしと見た伏姫が、影で国王を動かした結果だったのだが、むろん淑夜はそのことを知らない。
今や国王と並ぶ蓬莱の象徴となった姫巫女を前にして、右丞相は辞を低くして犯人捜しに協力してくれるよう頼み込んだ。
これに対し、伏姫は少し考えるそぶりを見せたが、すぐに首を縦に振る。
「右丞相じきじきの頼みとあらば、断るのも非礼にあたろう。承知した。下手人の居場所を占ってみようぞ」
そういって応諾した伏姫は、いかにも愉しげな笑い声をあげた。
「しかし、王宮に魔人の影ありとは、なかなかに興味深い文面であるな。右丞相は廷臣を統べる身として、いかように考えておるのかえ?」
淑夜の心底をのぞきこむように伏姫の目がすがめられる。
一介の巫女とは思えない視線の圧力に、淑夜は怖じたように肩を縮めた。
「……内容については荒唐無稽で語るに足りませぬ。ただ、蓬莱の民の血を流さず、それでいて確実に陛下のお耳に達するように配慮した行動でありますゆえ、ただのいたずら、嫌がらせとは考えにくうござる。おそらく、陛下の即位後、王宮から追放された貴族の報復ではないか、と」
出兵を間近に控えた今だからこそ、数本の矢が無視できない威力を発揮する。伏姫が成功を確言した外征の頓挫は、追放された貴族たちにとって快事となるに違いない。
淑夜の意見を聞いた伏姫は、かすかに唇を曲げた。あざ笑うかのごとき表情は、扇に隠されて淑夜の目には映らない。
「なるほど、さすがは右丞相、冷静沈着な判断じゃ。魔人などという世迷言に惑わされず、事の本質を見極めておる。志士果もそちのような補佐役がいてくれることを頼もしく思うておろう」
伏姫の言葉に淑夜は恐縮したように頭を垂れる。
もっとも、それは己の顔を相手に見られないための芝居でもあった。
今、伏姫は王のことを「志士果」と呼んだ。
臣下が王の名を呼び捨てにするなど、礼儀にもとること甚だしい。たとえ王自身が許したこととはいえ、臣下たる身には守るべき節度があるのではないか。
ただ、それを面と向かって伏姫に口にできるだけの胆力を、淑夜は持ち合わせていなかった。
伏姫が蓬莱王宮に姿を現して以来、彼女の人となりや能力に危険を覚え、警鐘を鳴らした廷臣は幾人も存在する。だが今、彼らの姿は王宮のどこにも見当たらない。中にはこの世のどこにも見当たらない者もいる。
伏姫が呪詛を行ったのだ、という噂の真偽を知る廷臣はいない。
ただ、淑夜は思う。
決して外れない占いができる巫女が、確実に他者の命を縮める呪いを心得ていないと誰が断言できようか、と。
そんな伏姫に不敬をとがめる顔を向ければどうなるのか、考えるだに恐ろしかった。
ほどなくして、伏姫は侍女の一人に水晶球を持ってこさせ、占いをはじめた。
と、淑夜には理解できない言葉をつむぎながら水晶球をのぞきこんでいた伏姫が、不意にくつくつと笑い始めた。
「ほう、これはこれは……くく、なるほど、下手人が見つからぬのも道理じゃな」
「伏姫殿、いかがなさった?」
淑夜が怪訝に思って問いかけると、伏姫は鏡に視線を据えつつ応じる。
「水晶が示した場所は、ここ霊山よ」
「霊山……山中に隠れ潜んでいる、ということでござろうか?」
「しかり。というて木々の狭間ではないぞえ。文字通りの山の中、むかし妾が竜頭の魔物を封じ込めた洞穴よ。下手人はそこに隠れ潜んでおる。蓬莱の民であれば、妾の足元に無断で忍び込むような無礼は控えるであろう。魔物の祟りも恐ろしかろうでな。となると……」
伏姫は何やら低声で呟いていたが、肝心の情報を掴んだ淑夜にはこれ以上ここに留まる理由はない。礼をいって立ち上がった。
「感謝いたす、伏姫殿。わしはこれよりただちに開陽に戻って――」
「待てい」
伏姫の言葉が淑夜の辞去の挨拶を断ち切る。
遠慮も何もない無造作な口調は目下の人間に向けたものであり、淑夜は思わず顔をしかめてしまう。
すぐにそれと気づき、慌てて表情をとりつくろったものの、淑夜が不快をあらわにしたことは間違いなく気づかれたであろう。
だが、伏姫は淑夜の動揺に気づかず、あるいは気づいていても一顧だにせず、言葉を続けた。
「これより開陽に戻り、警吏を集めて戻り来るまで、少なく見積もっても一刻(二時間)はかかるであろう。下手人の仲間が、いざという時のために開陽の門を見張っていないともかぎらぬ。ここは妾の部下を遣わそうぞ。ときおり地下祭壇にも足を運ばせておるゆえ、洞穴内の順路にも通じておるでな」
そう言うと、伏姫は高らかに二度、手をうった。
すると、襖が音もなく開いて護衛の兵が室内に姿を見せる。自身の傍近くでひざまずいた兵士に対し、伏姫が何事か耳打ちすると、その兵士は小さく顔を上下させてから再び立ち上がった。
部屋を出る際、兵士は伏姫に深々と礼をしたが、淑夜に対しては礼どころか視線を向けることさえしなかった。
いかに伏姫の側近とはいえ、しょせんは一兵士。仮にも右丞相たる身にとってよい態度ではなかったが、伏姫は配下の無礼をとがめず、淑夜に非礼を詫びることもしなかった。それどころか更なる非礼を浴びせかけた。扇を一振りして、無言で退出を促したのである。
淑夜は激怒してしかるべきであったろう。
だが、蓬莱の右丞相は相手の求めに応じ、辞去の挨拶を口にしてから部屋を出る。
翠微宮から開陽に向かう淑夜の顔に怒気はなく、ただ無事に都に戻れる安堵だけが、その面貌を満たしていた。




