第九章 海東青(一)
「うぅむ……どうしたもんか」
この日、晴天に恵まれた開陽の街の路地裏で、俺は眉間にしわを寄せてうめいていた。
買い求めたばかりの魚の塩焼きがまずかったから――では当然ない。一匹を丸ごと串刺しにして焼いたそれは、どこやらの渓流で釣ったばかりという触れ込みどおり、軽く塩をふっただけだというのにすごい美味かった。
そうではなく、俺の悩みはこれから先の行動にある。
具体的にいうと、どうやって伏姫の正体を暴くのかで悩んでいた。
九郎に対しては「伏姫本人ではなく配下をあたる。正体の見極めに関してはまかせろ」などと大見得をきったものの、ユーベルの言葉が真実であれば、伏姫がいる翠微宮に忍び込むのは自殺行為以外の何物でもない。
よって、侍女らが翠微宮を離れたところを捕まえて、と考えていたのだが、あにはからんや、翠微宮で伏姫に仕える者たちが開陽に出てくることは皆無といってよいらしい。側仕えの者たちはいずれも伏姫がどこかから連れて来た者ばかりらしく、彼女らの親兄弟も見つからない。
廷臣の中には、自分の子や一族の子弟を伏姫に仕えさせようとする者も多いらしいが、その願いが叶えられることはきわめて稀だという。
よほどに優れた気性や器量の持ち主であれば、伏姫の目にかなうこともあるそうだが、彼らはやはり翠微宮から帰ってくることはないらしい。
ある意味、これらの事実もユーベルの言葉の傍証になりそうだが、決定的な証拠とはとうてい言えない。
それなら、と蓬莱王宮の近くに張り込んで、門を守る兵士や、出入りする廷臣を監視してみたものの、俺の感覚に触れてくるものは何もなかった。
正直、早くも打つ手がなくなりつつある。
こうしている間にも出陣の準備は着々と進んでいるわけで、いつ先発隊が都を出てもおかしくない状況だ。
俺の見るところ、開陽に集結している蓬莱兵はどれだけ少なく見積もっても五万を下回ることはない。おそらく総数は八万前後。今後、今以上のペースで兵が集まってきた場合には十万を超えることもありえるだろう。
ウィンディアの最前線である長城だって、張り付いている兵力は精々二、三万である。この国の国力はいったいどうなってんだ。
魔物の脅威から遠いという地勢をいかし、他国と戦をかまえることなく国力の増強に努める。
そういった長年の国策の精華が今回の大軍なのだとしたら、伏姫は為政者として有能といわざるをえない。この動員能力、ウィンディア王国はもちろんのこと、ランゴバルド王国さえ凌いでいる。
この大軍を叩きつけられたら、セラのエルフたちはひとたまりもなく敗北するであろう。
ウルクの故郷が蓬莱兵に蹂躙されるような展開は何としても避けなければならない。
そう決意する一方で、俺はある違和感を抱いていた。
今回動員された大軍、今のセラを破るには戦力過多だという気がするのである。
エルフ族はもともと数が少なく、さらに先の魔軍との戦いで死傷者も多くでている。樹海という地勢を考慮にいれても、八万の半分の半分の兵力で十分にセラを制することはかなうだろう。
だが今回、蓬莱は明らかに全力出撃をしようとしている。念には念を入れてのことなのか。あるいは、セラ以外にも目的があるのか。
この大軍を用いれば、東のカーナ連合王国を飲み込むことも不可能ではない。もしくはセラを制圧した後、ウィンディアなりランゴバルドなりに攻め込んでも十分に勝算があるだろう。
もっといえば。
もし、ユーベルの言うがごとく伏姫が魔人なのだとすれば、兵を東に向けて一気にカーナ連合王国を攻め落とし、その後、矛先を転じてエンテルキア聖教国を攻め落とすという戦略だって成立する。
魔人としてではなく、一国の指導者としてエンテルキアを陥れてしまえば、アスティア様と戦う事態も避けられる。
そうして伏姫がシルル神の霊廟を力ずくでこじあけ、ガルカムウの結界を解いてしまえば、魔人領域から竜王と、竜王配下の魔人たちが一斉に人界に押し寄せてくるだろう。
――もしかすると、俺は今、大陸存亡の淵に立っているのではないか。
そんな気がするのである。
やはり、何としてでも魔人の動きをここで食い止めなければならない。
問題があるとすれば、こう考えることが、もう一人の魔人の術中にあるのかもしれないということで……ああ、もう、ややこしい! 魔人なら魔人らしく、もっと堂々と攻めてこいや! いや、実際に堂々と攻めてこられたら、それはそれでまずいんだけどさ!
そんなことを考えて、うんうん唸っていると、突然、魚の串を持っていた手に衝撃が走った。
「うぉう!?」
思わず奇声を発してあたりをうかがう。すると、一匹の猫が魚の半身を口にくわえながら、じろっと俺を見つめ――もとい、睨んでいた。小汚い灰色の毛をした猫は、実に不敵な面構えをしている。こんにゃろう。
「大陸の明日を救うべく頭をひねっている俺から、昼飯を奪うとは良い度胸だ」
可能なかぎりの威厳と迫力を込めていってみたところ、ふんとそっぽを向かれた。
一瞬、ぴきりとこめかみが震えたが、さすがに猫相手に真剣に怒るのは大人げないと考え直す。
実はこの泥棒猫の棲家では、何匹もの子猫が腹を空かせて親猫の帰りを待っているのかもしれない。そう考えれば、腹立ちもおさまろうというものだ。ここはこころよく魚をくれてやるのが人としての器量というものだろう、たぶん。
「ふん、まあ家族のためにがんばっていると思えば、その小憎らしい顔にも愛嬌を感じるというものだ。さっさといけ」
そういって、しっしと手を振って追い払おうとする。
すると何ということでしょう。お魚くわえた野良猫さんは、ぺっと魚を吐き出したではありませんか。
俺はしばし唖然としていたが、ほどなくして相手の言わんとすることを察した(ような気がした)。
「……ふ、なるほど。盗みはしても施しは受けない、ということか。畜生にしてはなかなかの心意気。その性根に免じて、これから大人げなく本気でおいかけてやろう。ガルカムウで培った狩人の力、とくとあじわうがいい。見事俺から逃げられたら、その魚はお前のもの――」
「……あの、テオ、どの?」
大人気なく猫相手に凄んでいた俺の耳に、不意に人の言葉が飛び込んでくる。
もちろんそれは眼前の猫が発した言葉ではなく。
「猫相手に何を熱心に語りかけているのだ??」
振り返れば、不思議そうに小首をかしげている九郎の姿があった。
◆◆
九郎に事情説明を終えた頃、件の猫はとうに姿を消していた。
ちゃっかり魚をくわえて去ったところを見るに、心意気とかは何の関係もなく、単に走りやすいようにくわえ直したかっただけっぽい。まあ、そらそうだ。
で、九郎の方はといえば、先ほどから腹を抱えて笑いころげていた。笑いすぎたせいか、口からひぃひぃと喘鳴じみた声まで漏らしている。俺が猫相手に真剣に語りかける姿は、九郎の笑いのつぼをダイレクトに刺激したらしい。
「く、ふふ、ふ、ああ、おかしい。テオ殿も、案外子供じみたところがあるのだな。猫相手にあんな真剣な顔で……く、ふふふ……!」
「……ッ」
俺はそっぽを向いて、ぷるぷると小刻みに身体を震わせる九郎から目をそむける。
笑われるのは腹立たしいが、冷静に考えて、他人が同じことをしている場面に遭遇したら、俺だって大笑いするだろう。今後の行動を考えあぐねていた最中の気晴らしだったとはいえ、思い返すとかなり恥ずかしい。
それにまあ、笑いは福を招くという言葉もある。魔人との遭遇以来、何かと暗い面持ちをすることの多かった九郎に笑顔をもたらせたのなら、俺の行動にも意味があったということだろう。うん、きっとそうだ。そうに違いない。
――にしても、あきらかに笑いすぎだけどな、九郎殿は!
女の子だと知らなかったら、額の一つも小突いているところだ、ちくせう。
で、しばし後、ようやく笑いの発作がおさまったらしい九郎は、目の端にたまった涙をぬぐいつつ、持っていた袋を差し出してきた。
「すまない。テオ殿の姿があまりに可笑しかった――もとい可愛らしかったもので、つい。それがしはこれを渡しに来たのだ」
「それ、訂正する意味があまりないと思うんですけどね――って、これは?」
袋の中には黒塗りの箱が二段重ねになって入っていた。
ほのかに温かいし、そこはかとなく良い匂いも漂ってくる。
これはなんぞ、と首をひねる俺に対し、九郎はさっさと正解を口にした。
「弁当だ。手早くつくったので豪華とは言いかねるが、猫に取られた魚の代わりにはなろうと思う」
「なんと」
予想外の届け物に目を丸くする。
促されるままに開けてみれば、肉に魚に夏野菜にと、九郎の言葉とは裏腹に十分すぎるくらい豪華なおかずが目に飛び込んできた。
たぶん霊山の洞窟で倒れた九郎を担いで戻ってきたこと、その後の手当てをしたことに対する返礼なのだろう。だとすれば、遠慮するのも失礼というものだ。
で、実際に食べてみたら、これが文句なしに美味かった。
さっきの焼き魚で腹をふくらませておかなくて良かった、というレベルである。こっそりさっきの野良猫に感謝する。
瞬く間に弁当箱を空にした俺が、両手をあわせてご馳走さまと告げると、九郎は嬉しげに笑ってお粗末さまと返してきた。
「ここまで綺麗に食べてもらえると、つくった側としては嬉しいな。さっきとは違った意味で笑いがこぼれてしまう」
「これなら金を払っても食べたいですよ。手早くつくってこの出来というのはすごいですね」
「……すまない、少し見栄を張った。手早く、というのは嘘だ。宿の者にいって、朝から準備していたのだ」
「だとしても十分に大したものです」
どうして見栄を張った、と聞かない程度の気遣いは俺にもできる。恥ずかしげに視線を泳がせる九郎に追撃をかけたりはしなかった。
人間、腹一杯になれば余裕もできる。
穏やかな昼下がり、九郎のおかげで思いもかけず豪華な昼食にあずかった俺が、あらためて今後の方針を考えようとしたときだった。
突然、耳をつんざく甲高い叫び声が響き渡り、あたりを漂っていた穏やかな雰囲気が一変する。悲鳴とも絶叫ともとれるその叫び声は、人間のものとは思えない響きを帯びていた。
あたりを歩いていた開陽の住民たちも、突然の出来事に驚いて周囲を見まわしている。
すると、どこかから「あれだ」という声が聞こえてきた。
人々の顔が一斉にそちらに――空へと向けられる。
見れば、一羽の鳥が羽根をまき散らしながら蒼穹へ舞い上がっていくところだった。
鳥といってもハトやスズメのように小さくはない。
鋭いクチバシに鋭利な爪、全長は一メートル近くあるだろうか。まぎれもなく猛禽のたぐいである。
ガルカムウ山脈にも鷹や鷲といった猛禽類は棲息しているので、その点、俺にとってはさしてめずらしくないのだが、今、開陽の空を飛ぶ鳥には一つの大きな特徴があった。全身が白いのである。
白の猛禽。
もちろん、実際に近くで見れば、身体の隅々まで真っ白というわけではないのだろうが、こうして遠目から見るかぎりは純白としか思えない。
「……海東青」
隣で、九郎が小さく呟いている。
「それは?」
気になった俺が訊ねると、九郎はやや声を低めて教えてくれた。
いわく、海東青とは白ハヤブサのことを指す言葉であるという。
白ハヤブサは見た目の優美さと狩猟の巧みさから「鳥の中の鳥」として古くから珍重されており、生息数の少なさもあいまって、取引は銀貨ではなく金貨で行われるのが常だった。
貴族の鷹狩りにおける最高のステータスでもあり、海東青の所有はすなわち一流貴族の証とされているらしい。このため、蓬莱貴族は先を争って海東青を求めた。
狩り好きで知られた先代の蓬莱王にいたっては、白ハヤブサを愛するあまりにこの鳥を「神の遣い」として位置づけ、国王以外の所有を禁ずる旨を布告したのだとか。
ようするに白ハヤブサを自分ひとりで独占しようとしたわけだ。
このため、現在、海東青を所有している蓬莱人は王ただ一人。
すなわち、今開陽の空を舞っているあの純白の鳥は国王のペットということになる。
飼われているとはいっても、基本的には狩猟で使われるものなので、毎日のように餌を与えて狩りの仕方を忘れさせてしまっては意味がない。そのため、国王は何日かに一度、海東青を空に放って自由に獲物を狩らせるという。
この際、近くの野山にでもいってウサギや野ネズミを仕留めてくれれば何の問題もないのだが、中には開陽の街中で狩りをする無精者もいるらしい。
そこまで語った九郎は、ここで苦々しげな表情をつくり、三年前に起きた出来事を教えてくれた。
「今上陛下が即位して間もない頃、海東青の一羽が人間の赤子を襲ったことがあった。父親が棒で追い払ったおかげで命に別状はなかったんだが、赤子はクチバシと爪で大怪我を負ってしまってな。当然、両親は王宮に訴え出たんだが、驚くことにかえって罰を与えられた。陛下の飼い鳥を傷つけた、という理由で」
それ以来、蓬莱の民は国王に陰口を叩くときに海東青の名を使うようになった。
国王の名前や、陛下という尊称を使って陰口を叩き、それを役人に聞きとがめられたら言い逃れのしようがない。しかし、海東青という呼び方ならばその限りではない、というわけだ。
俺はある予感に駆られて、さきほどの奇声が響いてきた方向に足を向ける。
やがてたどり着いたその場所には、海東青の純白の羽根が派手に散らばっていた。そして、その羽根とは比べるべくもない小汚い灰色の毛並みをした猫が一匹倒れている。
朱に伏したその猫が、先ほど俺から魚を奪っていった野良猫と同じ奴なのは、毛の色と、転がっている魚の半身を見れば明らかだった。
野良猫のまわりには、にゃあにゃあとかしましい子猫が三匹あまり集まっていた。魚には見向きもせず、親の周囲で盛んに悲しげな鳴き声をあげている。
俺が近くで膝をついて親猫に触ろうとすると、まだ爪を引っ込めることもできない小さな手を伸ばして、触るなとばかりにえいえいと引っかいてくる。はいはい、ちょっとごめんよといいつつ、首根っこをつかんでどいてもらった。
幸い、親猫はまだ死んでいなかった。クチバシで突かれたか、爪で引っかかれたか、かなり派手に血が出ているが、たぶんそれほど深傷ではない。
とはいえ、ほうっておけば治るというほど軽くもなさそうだ。
別段、あの海東青が悪いとは思わない。
白ハヤブサは自分の獲物を狩ろうとしただけだ。たぶん遊んでいた子猫を狙って襲いかかったところ、帰ってきた親猫に邪魔されたのだろう。
別段、この野良猫を哀れとも思わない。
あのとき、俺の魚を取らずにさっさと棲家に戻っていれば、子猫が敵に狙われる前に帰ることができたろうに、と思うだけである。
昼飯を奪われた被害者としては、ここで回れ右をしたところで誰に文句を言われる筋合いもないのだが、仮にも家族を守ろうとして傷ついた生き物を野ざらしにしておくのは忍びない。
それに、この猫のおかげで俺の胸中に一つの計画がうまれつつある。それに対する返礼の意味もかねて、手当ての一つ二つすることはやぶさかではなかった。
「小難しい理屈を並べずとも、かわいそうだから助ける、で良いと思うのだが?」
「いや、別にかわいそうとか思っているわけではなくてですね」
「善人として振る舞うのが気恥ずかしいという気持ちもわからないではないが、そこは胸を張っていいと思う。少なくともそれがしにとっては、テオ殿の振る舞いはとても好ましい」
さわやかな笑顔で言われてしまえば、俺としてはうなずくしかない。やたらと頬が熱いのは、きっと夏の日差しのせいだろう。
ともあれ、俺たちは王宮の役人が陛下の飼い鳥を傷つけた「犯人」を捜しに来る前に、さっさとこの場を離れることにした。




