第一章 魔物と王位と花嫁と(七)
俺はぜえはあと荒い息を吐き出しながら魔物と距離をとった。
投じた剣は狙いあやまたず胸の中央、心臓部分を正確に貫いている。他にたとえようもないほどに致命的な一撃。
だが、警戒は絶やさない。この魔物の心臓が人間と同じ位置にあるとはかぎらず、仮にあったとしても、それで倒れるかはわからなかったからだ。
素手になってしまった俺は、呼吸を整えながら大グモの様子を観察した。
案の定、魔物は胸を貫かれても動き続けている。ただ、その動きはひどく弱々しい。先ほどまでのように脚を振り回して暴れるのではなく、八本の脚で力なく地面をひっかくだけだ。
のたうちまわっている、と言いかえてもいいかもしれない。
動いているのはクモの下肢だけで、人間の形をした上半身はがくりと折れて、うつぶせの格好で地面に倒れたまま。背からはえた刀身には、魔物の赤黒い体液がべったりとこびりついている。
致命傷を与えることができたかは尚も疑問であったが、かなりのダメージを負わせたことは間違いない。俺はそう判断した。
しかし、やはり油断はできない。
手負いの獣は恐ろしく、とどめの一撃は危険をともなう。それは相手が魔物であってもかわらない。
おそらく、このまま放っておけば、そのうち死ぬだろう。とどめを刺すためにあえて危険を冒す必要はない。いつ親グモがあらわれるか分からない状況だ、さっさとポポロの後を追うべきであり、それが賢明な判断というものだった。
しかし――
「……ふん」
そうする気にはどうしてもなれなかった。苛立ちを込めて地面を蹴る。
別段、眼前の魔物に同情やら憐憫やらを感じているわけではない。
一歩間違えれば間違いなく殺されていた。そこまでいかずとも、腕の一本や二本、もっていかれた可能性は十分にあった。そんな戦いを繰り広げた相手に今さら同情も憐憫も覚えない。
ただ、むしょうに腹立たしいのは事実だった。
この魔物、姿かたちも、生まれ落ちた経緯もおぞましいの一語に尽きるが、ではそのおぞましい姿がこの魔物自身に益しているかといえば、決してそんなことはなかった。
むしろ、人間の形をした上半身と、それに付随する精神は、大グモにとって邪魔でしかなかっただろう。
実際、この魔物が上半身も硬い表皮で覆われていたなら、そして虫のように苦痛や苛立ちをおぼえない存在であったなら、俺はもっと厳しい戦いを強いられていたはずだ。
俺が腹立たしいのはそこである。
魔物自身にさえ益さない異形。他者に嫌悪を覚えさせるだけの異様。
そこにたとえようもない悪意を感じる。誰が、何のためにこんな存在をうみだしたのかは分からないが、そいつが自分以外のすべての尊厳をもてあそぶ輩であることを俺は直感した。
ある意味、この魔物も被害者なのだろう。そう思って、俺はもう一度鼻から息を吐きだす。
このまま放置しておくのはなぶり殺しに等しい。
俺はあの女兵士に「殺して」と頼まれたが、なぶり殺しにしてくれとは言われていない。とどめを刺す理由としてはそれで十分だった。
ただ問題は、今の俺が武器を失って素手の状態であることだ。それに、両目を矢で射抜かれ、胸を剣で貫かれてなお死なない相手に、どうやってとどめを刺せばいいのかという点で――
「――あの、すみません」
「うおぅ!?」
突然、背後からかけられた声に、俺はたまらず驚きの声をあげてしまった。
慌てて後ろを振り返ると、いつの間にそこにいたのか、二つの人影がこちらに向かって歩み寄ってくる。
全身を甲冑で鎧った騎士と、魔法使い然とした少女。
大グモに意識を集中していたせいでまったく気づかなかった。
「ボクはシルル神に仕える教会騎士イズ・シーディアといいます。こっちはフレア。貴殿はテオ殿でいらっしゃいますか?」
「ぬ?」
俺が驚いた理由は二つある。一つはいきなり名前を言い当てられたからであり、もうひとつは教会騎士を名乗る相手の声が柔らかい女性のものだったからだ。
「いかにも俺はテオだが、どうして教会騎士が俺の名を――ん、イズ・シーディア?」
どこかで聞いた覚えのある名前だ。俺は眉根を寄せて記憶をたどった。
ふと心づいて、相手が身に着けている装備品に視線を向ける。
イズと名乗った騎士の防具はどれも淡い燐光――奇跡が付与された武具の特徴――を放っている。それも、おそらく一時的な効果ではなく、永続的な効果が付与された「超」のつく一級品だ。
たとえば、イズが着けている篭手を店で買い求めようとすれば、それだけで銀貨が万単位で吹き飛ぶだろう。
篭手だけでもそれなのだ。全ての装備を手にいれようと思えば、いったい何十万枚の銀貨が必要になることか。
陽光を鍛えたかのような長剣にいたっては、金貨を山と積み上げても買えそうになかった。
こんな武器を持てるとすれば、それは聖騎士や勇者といった英雄たちくらい――その考えが脳裏をよぎったとたん、俺は思わず目をみはる。相手の名前をどこで聞いたのか、完璧に思い出した。
「――エンテルキアの勇者殿でいらっしゃるか」
俺は大陸最南端に位置するシルル教団領、エンテルキア聖教国の名前を口にした。
シルル神の再来と謳われる現教皇が住まう聖地。
国といっても、領土の広さは猫の額ほどであるが、奇跡(神聖魔法)を統轄する教団の本拠地だけあって、抱える戦力は大国の軍隊に匹敵するといわれている。
勇者――ブレイブハートは、教団が抱える戦力の中でも最も著名な存在だ。
たしか去年だったか、その勇者の座に十七、八の女の子が就いて話題になったことがあった。
イズ・シーディアはそのときに聞いた名前である。
こういうとき、真っ先に考慮すべきは騙りの存在であるが、聖印が刻まれたイズの武具を見れば、その可能性は排除できる。シルル教団内部でも、この装備をまとうことができるのは本当に限られた人物だけであろう。
隙のない立ち姿を見ても、武具に「着られている」感はまったくない。
まず間違いなく本物と見ていい。
どうして最高位の教会騎士が魔法使い(外見からの推測)と共にこの場にやってきたのか。
いきつく答えは魔物退治しかなかった。二つの国が対立している状況で、教団が教会騎士を派遣するのはいかにもありそうなことだ。
ただ、いかに勇者とはいえ、五十人の討伐隊を蹴散らした魔物相手の第二陣にたった二人というのはいささか妙な気もしたが。
ともあれ、俺は様々な事情をあとまわしにして勇者たちに頼みごとをした。
魔物にとどめを刺してくれ、と。
本来なら俺が剣だけ借りれば済む話なのだが、さすがに騎士に対してあなたの剣を貸してくれとはいえない。商人にお前の財布を貸してくれというようなものだ。
近づいて攻撃するのが危険なら、遠くから魔法でしとめてもいい。
俺はそう言ってフレアという少女をうかがう。初対面で魔法うんぬんと口にするのはあまり褒められた行為ではないのだが、ここまでわかりやすい格好をしている以上、魔法という言葉をあえて避ける必要はないだろう、と判断してのことだった。
魔物に観察の視線を向けていたフレアはちらと俺を見やったが、すぐに視線を外すと、どうすると言いたげにイズをうかがった。
イズは即断する。
「ボクがやるよ」
「そう。なら念のために動きを封じておくわ」
言うや、フレアは杖を掲げて魔法をつむぎ始める。
『其は鎖、其は棘。囲いて縛れ』
不思議な抑揚をともなった言語が俺の耳朶をゆさぶる。
まるで歌のように唱えられたそれは、古代語と呼ばれる言語で、すべての魔法はこれによって発動する。
以前、アスティア様から聞いた話によれば、かつて世界に存在した『完璧な言語』を模したものであるらしいが、そのあたりは魔法使いではない俺には難解すぎた。
魔法は速やかに発動し、周囲の地面から湧き出たイバラが、たちまち大グモの身体にまとわりつき、縛り上げていく。
八本の脚と、毒液をたらす胴体と、倒れ伏していた人間の上半身が地面に縫い付けられるまでに要した時間は、それこそ瞬きほど。
俺は魔法に関して門外漢であるが、今の魔法が並外れた技量によって為されたものであることくらいはわかる。これまで共に戦ったことのある他の魔法使いと比べても、明らかに詠唱が速く、かつ滑らかだ。魔物が弱っていることを差し引いても、フレアの魔法技術は瞠目に値した。
そして。
『暁をここに――火輪』
イズの口からフレアとよく似た響きの言葉が紡がれる。こちらは神性語とよばれるもので、神官が奇跡を行使する際に用いる言葉である。古代語との類似は、古来より多くの研究の対象となっているそうだが、こちらも俺には理解不能の領域である。
イズが神性語を唱え終えた途端、彼女が握っていた剣が閃光を発した。
目を焼くような強い光ではなく、どこか柔らかさをともなったまばゆい光。
一日の中で最も暗く、最も深い闇がわだかまる夜明け前。その夜闇を断ち切る曙光のような、そんな輝きだった。
火輪とは太陽の異称。星王の剣をもって魔物に歩み寄るイズを見て、俺はごくりと喉を鳴らす。
イズ自身の迫力もそうだが、剣自体が明らかな『威』を持っている。
これほどの武器、俺はアスティア様の神槍くらいしか見たことがない。
単純に強力な奇跡が付与された剣だと思っていたが、どうやら奇跡をはるかにこえた神威が込められた聖剣であるらしかった。
◆◆
「ご助勢、感謝する」
すべてが終わった後、俺はイズとフレアに頭を下げた。嫌な役割を押し付けてしまったと考えたからだが、イズはとんでもないと言いたげにかぶりを振る。
「いえ、もともとボクたちは魔物退治に来た身ですから。それに、助勢といえるほどのことはしていません。先刻の見事な戦いぶり、感服いたしました」
兜を脱いで素顔を見せたイズは、そういってにこりと微笑んだ。
わぉ美少女、と俺は素直に感嘆する。
嫁候補に加えたい。勇者様にそんなことを言ったら、俺が聖剣で斬って捨てられそうだけど。
そんなしょーもないことを考えていると、当の美少女さんは心づいたように、すっと俺の顔に向けて手を伸ばしてきた。
「ぬ?」
「少しだけ、じっとしていてください」
いうや、イズは神性語を短く呟く。
すると、その手に小さな光が宿り、俺のこめかみの傷がゆっくりと癒えていった。さすがは教会騎士、治癒の奇跡も使えるのか。いいなあ。
しばし後、これで大丈夫ですと微笑んだイズは、それから自分たちがここに来た理由を説明してくれた。
「貴殿のことはポポロさんからうかがいました。ポポロさんは今ごろ麓に向かっているはずです」
自分たちがポポロと知り合いであること、シルル教団がランゴバルド、カーナ連合の対立を憂慮して自分をここに派遣したこと。そういったことをイズは丁寧に語っていく。フレアは自分を心配して付き添ってくれたのだ、ということも。
当のフレアは我関せずとばかりに、イズの剣で両断された大グモの屍を調べていた。
「そういうことでしたか」
ふむふむと納得した俺は、イズに対して自分の推測を伝えることにした。
俺ひとりで追いつめることができた魔物に、五十人からの討伐隊が壊滅させられるはずはない。別の個体が山道に潜んでいるのは確実だった。
まあ、フレアはもとより、イズもかなりの切れ者のようだから、俺が言及するまでもなく気づいているとは思うが、念のためである。
実際、イズは驚いたそぶりも見せず、俺の言葉にこくりとうなずいた。
「ボクたちはベルリーズ側の山道から登ってきましたが、魔物の気配は感じられませんでした。それでも危険がないとは断言できません。ポポロさんのこと、お願いしてもいいでしょうか?」
「了解した」
もともとそれが俺の仕事なのだから否やはない。
俺はちらと眼前の二人を見やった。
親グモに対して思うところはあるし、あの女兵士を見た身としては、少女ふたりをこの山道に残して立ち去ることに不安がないといえば嘘になる。
が、当の少女たちは俺の助けが必要なほどヤワではなさそうだ。むしろ、いざ戦いとなったら足手まといになるのは俺の方だろう。魔法使いとの共闘において、連携がとれないというのはけっこう致命的なのだ。ヘタすると、魔物ではなく俺が吹っ飛ばされかねない。
そんなわけで、俺はイズたちとわかれてポポロの後を追うことにした。
その場を離れる際、一瞬フレアがこちらに視線を向けたように思えたが――これはたぶん俺の気のせいであった。




